藤宮美樹最凶伝説

篠原皐月

文字の大きさ
13 / 57

美樹六歳、狼の弟は狼

しおりを挟む
 それから和真が美久を促して道場の中央に移動すると、一応審判の真似事をするつもりになったらしい寺田が進み出て、向かい合って立つ二人に声をかけた。

「それでは……、今回は一本勝負になります。初めて下さい」
「おうっ!」
「……ああ」
 美久はやる気満々で、和真は如何にも嫌そうにそれに応じ、とにもかくにも試合もどきは開始された。

(何が一本勝負だ。馬鹿馬鹿し過ぎるぞ。さっさとこのガキを転がして、尻を叩いて終わりにするか)
 隙を探しているのか、寺田の掛け声と共に自分の周りを回り出した目で追いながら、和真は彼の足元に足を伸ばして引っかけようとした。

「そら」
「ぴょん!」
 しかしそれに躓く事も無く、軽々とジャンプして飛び越えた美久に、和真は正直驚いた。
(こいつ、よけた? 偶々か?)
 あまりに綺麗に避けられた為、偶然かと思った和真だったが、次の攻撃もあっさり避けられてしまった。

「このっ」
「よっ、と!」
 頭を掴まえようと手を伸ばしたものの、駆け回りながら受け身を取るようにコロンと前転してかわした美久に、和真は感心する以前に呆れてしまった。

(このガキ……。確かに、運動神経は半端じゃなさそうだな。と言うか、どう見ても二歳児の動きじゃ無いぞ)
 そして相変わらず和真の周りをぐるぐると回りながら、美久がはやし立ててくる。

「くそっ、この、ちょこまかと!」
「げぼく! おそー!」
「黙れ、このくそガキが!」
「美久! 頑張れー!」
「ねーちゃー!」
 次第に苛ついてきた和真の神経を逆撫でする様に、楽しげな姉弟の声が響く。

(本当に姉弟揃って、ムカつくガキ共だな)
 そこで和真は、美久に身体を向けるのをピタリと止め、仁王立ちになりながら、自分の周囲を走り回る美久を睨み付けた。

(落ち着け。こんなガキ相手に、一々熱くなってどうする。こいつは俺の周りをぐるぐる回っているだけだ。そのうち疲れて止まるだろう)
 そんな事を考えて静観の構えになった和真だったが、美久は「ぐずー、ぐずー」とはやし立てながら、相変わらず彼の周りを回っていた。

(とことん可愛げのない……。だが俺を攻めたりはできないだろう。疲れて足を止めた所で、転がしてやる)
 そう考えた和真は、所詮は子供の浅知恵だと嘲笑おうとしたが、ここで予想外の攻撃を受けた。

「はっ! 幾ら回っても」
「はぁ――――っ!」
「え? うぉあぁっ!?」
 背後に回り込んだ美久が、いきなり右膝裏に渾身の力を込めた拳を打ち込んできた為、完全に油断していた和真は、見事にバランスを崩して膝を折り、そのまま背後に倒れ込んだ。

「きゃあっ! 美久! 危ないっ!」
「小野塚さん!」
「拙い! 坊ちゃんが!」
 予想外の失態に頭の中が真っ白になった和真だったが、攻撃した美久が避けきれずに、仰向けに倒れ込んだ和真の背中に押し潰されるのを見た美樹達は、揃って真っ青になった。

「うぎゃあ――っ! いちゃ――っ!」
「美久!? 和真、何してんのよ!! さっさと退きなさい!」
「ぐあっ!」
「小野塚さん!」
「早くこちらに!」
 見事に下敷きになって泣き喚く美久に駆け寄った美樹は、憤怒の形相で和真の脇腹を蹴りつけた。それで呻いた和真の身体を、寺田達が二人掛かりで引き寄せて美久の上から退かせる。

「いちゃあぁ――っ!」
 しかしよほどの衝撃だったのか泣き喚く美久を、美樹が抱きかかえて足腰を触って怪我の有無を確認しながら宥める。

「大丈夫大丈夫。どこも怪我はしていないから。落ち着こうね
「うえぇぇっ! ねぇちゃあぁ――っ!」
「ほらほら、泣かないの。首相になるんだったら、人前でぼろぼろ泣いたりしたら駄目なのよ? 日本を代表する人になるんだから」
「だってぇー! どーん! どすーん! うえぇぇっ!」
 しかし相変わらず自分に抱き付いて号泣している弟を見て、美樹は勢い良く振り返り、和真を叱りつけた。

「和真! あんた子供に膝かっくんされた位で、まともに倒れるなんて何事よ! 寄る年波に勝てなくて、すっかり足腰が弱ってるんじゃないの? 徹底的にトレーニングし直しなさい!」
 その暴言に、さすがに和真も声を荒げた。

「何だと!? お前、俺がどれ位の衝撃を受けたと思って!」
「小野塚さん! 気持ちは分かりますが、ここは堪えて下さい!」
「美久様を泣かせた上、美樹様を本気で怒らせたりしたら、益々収拾がつきません!」
「……ちぃっ!」
 周りからなだめすかされ、懇願の視線を浴びた和真は、小さく舌打ちしてから、未だに怒りの形相の美樹に向かって、渋々頭を下げた。

「その……、子供相手にムキになって悪かった。それに油断して、注意が疎かになったのは申し訳なかった」
 それを受けて、美樹が弟を振り返って、優しく言い聞かせる。

「ほら、美久。和真もちゃんと謝ったし、怪我も無かったんだから、いい加減泣き止みなさい」
「ふぅえぇ……。げぼく、こーさん? まけ?」
「そうよ。美久の勝ちね」
 ゴシゴシと両目をこすって涙を拭きながら美久が口にした内容に、和真がピクリと反応したが、かろうじて無言を保った。すると美樹が確実に泣き止ませようと、奥の手を出してくる。

「だから美久にはご褒美に、チョコをあげるわ。ママには内緒よ?」
「チョコ? くれる?」
「ええ、持って来るから、ちょっと待ってて」
「うん」
 おとなしく頷いたのを見て、美樹は道場に隣接している女子更衣室に向かい、それを見送ってから美久は和真達を振り返った。

「……げぼく」
「あ?」
 そこで呼び掛けられた和真は不快そうに応じたが、そんな彼に向かって、美久が小馬鹿にした様に言い放つ。
「よわよわむしー!」
 加えてあかんべえ付きのそれに、和真の忍耐力が振り切れた。

「……っ、このくそガキがぁぁっ!!」
「おしり、ペンペンー!」
「お、小野塚さんっ!!」
「気持ちは分かります! 分かりますが、堪えて下さいっ!!」
 更に和真に自分のお尻を向けてペシペシ叩く動作までしてみせた美久に、寺田達は泣きそうになりながら二人掛かりで和真を押さえ込んだ。しかし道場に美樹が戻ってきた途端、美久は何事も無かった様に、神妙に両目を拭いながら姉を待ち受ける。

「美久、お待たせ。はい、口を開けて? あーん」
「あー」
 個包装のチョコを出して貰って、美久が素直に口を開けると、その中に美樹はチョコを入れてやった。それをもぐもぐと味わった美久は、笑顔になりながら感想を述べる。

「ねーちゃ、おいしー」
「これは特別だからね? 食べた事は秘密だし、だからここで和真に押し潰された事も秘密よ?」
「うん! チョコ、ない! どすーん、ない!」
 力強く頷いた弟を見て、美樹は満足そうに頷き、もう一つチョコを取り出した。

「良くできました。はい、おまけよ? あーん」
「あー」
 そして再び美久の口の中にチョコを一つ入れてから、美樹は寺田達の方に向き直り、冷静に今後の予定を告げた。

「じゃあ、少し休憩したら私も美久も稽古を再開するので、宜しくお願いします」
「は、はい」
「了解しました……」
 その彼女の背後で、美久が自分を見ながら実に嫌らしくニヤリとほくそ笑んでいたのを見て、和真は盛大に顔を引き攣らせた。

(親父同様、弟にコロッと騙されてんじゃねぇぞ! 普段は目端が利き過ぎる位なのに、身内に関してはとことん目が節穴だよな!?)
 そんな和真の怒りのオーラをしっかり感じ取ってしまった寺田達は、それからの一時間程を戦々恐々としながら過ごす事となった。
 それからは何とか無事に稽古を済ませて、子供達を護衛付きで公社から送り出してから、寺田は恐る恐る藤宮家に事の子細を伝える為に電話したが、それを聞き終えた美子は、深い溜め息を吐いた。

「……そうですか。今日は公社で、そんな事がありましたか。ご連絡、ありがとうございます。それから、大変ご迷惑をおかけしました」
「いえ、迷惑などとは……、ただできればこの事は社長には……」
 控え目に要請された内容に、美子はもう一つ溜め息を吐いてから応じる。

「大した怪我も無さそうですし、発端は些細な口喧嘩ですから、わざわざ主人に伝える必要は無いでしょう。万が一あの人の耳に入っても、きちんと宥めますから」
 そう保証して貰った寺田は、一気に口調を明るくして礼を述べた。

「ありがとうございます。宜しくお願いします。それでは失礼いたします」
「はい、今後とも、宜しくお願いします」
 そこで通話を終わらせてから、美子は再度溜め息を吐いた。

「全く。あの子達は、公社で一体何をやっているのかしら?」
 思わず愚痴を呟いた美子だったが、その後も美樹達の、ある意味やりたい放題の行為は続いた。


「やあ、今日も使わせて貰う」
「げぼく! こっちー!」
 その日も、気分転換するべく道場に足を運んだ和真だったが、そこに足を踏み入れた途端響き渡ったその声に思わず足を止め、次いでその場にいた寺田に詰め寄った。

「おい……、何でこいつが、今の時間ここに居るんだ。俺はこいつらの訓練スケジュールを、確認してから来たんだが?」
「いえ、あの……。それが、ですね……」
 しかしその問いかけに不自然に視線を逸らしながら、口ごもった相手を見て、忽ち和真が物騒な笑みを浮かべながら、寺田の胸倉を掴みつつ恫喝する。

「ほうぅ? まさか貴様、俺にガセネタを掴ませたとか言わんだろうな?」
「い、いえっ! それが……」
 必死の形相で弁解し駆けた寺田だったが、ここで美樹が会話に割り込んでくる。
「和真、絡まないの。だって美久があんたの事を気に入ったみたいで、一緒に稽古したいって言ってるんだもの」
 そんな事をあっさりと口にした美樹を、和真は盛大に叱りつけた。

「お前の差し金か!? 性悪弟にコロッと騙されてんじゃねぇぞ!」
「美久のどこが性悪なのよ! あんた足腰が弱ってるだけじゃなくて、目も腐ってんじゃないの!?」
「げぼく! まと! れんしゅー!」
 そこで一際甲高い声が割り込んできた為、和真は屈辱で全身を震わせながら呻いた。

「まさかお前ら……、この俺を打ち込みの的にするつもりじゃないだろうな?」
「まとー!」
「こんな小さな子供に叩かれる位、何でもないでしょう? 美久の指名よ。さっさとやりなさい」
 しかし子供達から当然の様に肯定されて、早くも和真の堪忍袋の緒が切れた。

「本当にお前ら、ろくでなし親子で姉弟だよな!?」
「すみません、小野塚さん、堪えて下さい!」
「お願いします! 後生ですから!!」
 前回同様寺田達が、喚いた和真に駆け寄って押さえ込みつつ必死に宥め、何とか訓練所での惨事は免れる事となった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

処理中です...