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美樹十歳、姉馬鹿っぷりは親譲り
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「ところでお前達、どうしてここに来たんだ?」
そもそもの疑問を和真が口にすると、子供達は平然と答えた。
「訓練に来たついでに、ちょっと顔を出してみただけよ」
「美那は僕達と一緒に来たいって言ったから、連れて来ただけ。じゃあ武道場に行こうか。……え?」
何故か美那と手を繋いで歩き出そうとした美久が立ち止まり、不思議そうに妹を見やった。そして足を止めて兄を引っ張った美那を見下ろした美樹が、不思議そうに声をかける。
「美那、ここが良いの?」
その問いかけに美那はこくこくと頷き、美樹は周囲を見回しながら納得して頷いた。
「ふぅん? 確かにこういうオフィスって、珍しいかもね。それなら私達の稽古が終わるまで、大人しく待っててね?」
「じゃあ下僕、美那の事をよろしく」
再び美樹に対して頷いた美那を、美久が和真の方に押しやる。当然、彼女を押し付けられた和真は、盛大に言い返した。
「はぁ!? 何で俺が、ガキの面倒を見なくちゃいけないんだ! 俺は仕事中だぞ!?」
「美那は口数は少ないけど、頭が良くて手がかからないから大丈夫よ。もう一人でトイレも大丈夫だし。場所だけ教えてあげて。それじゃあね」
「あ、おい、ちょっと待て!」
あっさり踵を返して歩き出した美樹達を、和真は追いかけようとしたが、スラックスを美那に掴まれ、軽く引っ張られて足を止めた。
「……げぼく?」
不思議そうに見上げられて、和真は彼女を振り払う事もできず、舌打ちして悪態を吐く。
「……っ!! 全くあいつら、妹の面倒位、最後まで見やがれ!!」
しかしそれだけ文句を言ってからすぐに意識を切り替え、しゃがみ込んで美那に言い聞かせた。
「いいか? ここにはそんなに危ない物は置いていないが、勝手に歩くな。部屋の外に出るのも、もってのほかだ。分かるか?」
こくりと頷いた美那に、少々懐疑的な表情になったものの、和真は彼女を手招きして歩き出した。
「本当に分かってるんだろうな……。取り敢えず、こっちに来い」
そして自分の机まで来て、いつも美樹が使っている隣の机を指し示しながら、渋面になる。
「この椅子に座って……、駄目だな。一人だと、転げ落ちそうだ。だが適当な、低い椅子とかも無いし……」
そして周囲を見回した彼は、仕方が無さそうに椅子に座ってから、美那に声をかけた。
「よし、靴を脱いで、ここに座れ」
「げぼく?」
ポンポンと軽く膝の上を叩きながらの台詞に、美那が首を傾げると、和真は分かり易く説明を加える。
「ここならずり落ちそうになっても、俺が掴まえられるし、周りも見られるだろう。目の前にディスプレイはあるが、仕切りとかは無いしな。ここでいいか?」
それを聞いて小さく頷いた美那は、早速靴を脱いだ。それを見た和真が彼女を抱き上げ、自分の膝の上に乗せる。
「よし、それじゃあ俺は仕事をしてるから、ここで大人しくしてろよ?」
また素直に頷いた美那を見てから、早速和真は目の前に報告書を広げ、チェックを入れ始めた。美那は大人しく彼の膝の上に収まりながら、興味津々で周囲に視線を向けていたが、そんな二人を眺めながら、彼の部下達が囁き合う。
「部長補佐……、独身なのに、妙に似合ってるな」
「ああ、何かお父さんっぽい」
「しぃっ! お前ら黙れ! 命が惜しくないのか!」
そんな囁き声を聞き流しながら、和真は仕事を続けた。
(多少やりにくいが、これ位どうって事は無いか。しかし、本当におとなしいな。本当にあいつらの妹なのか?)
大人しく観察している美那に和真は感心しながら、埒もない事を考えた。
(実は、会長が浮気してできた子供だったら面白いが。……そんな筈は無いか。あの社長が見逃すとは思えん)
思わず一人で苦笑いしてから、いつの間にか美那が周りの観察を止めて、自分の手元を凝視している事に気が付いた。
(しかし、本当におとなしいな……。それにキーボードが気になるのか? 確かにスマホは触っていても、パソコンを触らせて貰っていないかもしれないな)
そこで和真は、なんとなく声をかけてみた。
「おい、これが気になるのか?」
それに美那が斜め後方を振り返りながら頷いた為、和真が問いを重ねた。
「これを触ってみるか?」
それに勢い良く頷いた美那を見て、和真は笑いを誘われた。
「よし、ちょっと待ってろ。これを保存しておくからな」
そして楽しげに保存作業をしながら、この場に居ない美樹達の事を考えた。
(本当に、あいつらの妹とは思えんな。あいつらだったら、断りも入れずに触りまくってデータを消したり壊すのがオチだ)
そしてすぐに作業を終わらせて、美那に声をかける。
「さあ、押しても良いぞ?」
そう言われて手を伸ばした美那だったが、打ち込んだ内容を見て不思議そうに一言漏らした。
「……ちがう」
「ああ、ローマ字入力にしていたからな。今、かな入力にしてやる。その方が分かるだろう」
彼女の戸惑いの理由がすぐに分かった和真は、入力方式を変更してから美那を促した。すると今度は、彼女の期待通りの文字がディスプレイに現れる。
『よしな』
「でた!」
「ああ、名前が出たな。良くできた」
嬉しそうに声を上げた美那を、思わず頭を撫でてやりながら和真が誉めると、彼女は期待に満ち溢れた目で和真を見上げてきた。
「いっぱい いい?」
「おう、好きに打って構わないぞ? 俺は少し休憩するからな」
「うきゃあ――っ!!」
「……え?」
機嫌良く了解した和真だったが、その途端美那は室内に響き渡る奇声を上げて、キーボードに向き直った。そして両手をフルに動かしながら、猛然と言葉を打ち込み始める。
「こちゃこちゃこちゃこちゃ――っ!!」
『すこいすこいこちやこちやおもしろいするするよりいいおおきいたくさんかけるよしなけはくすきやさしいしんせつしんし』
「……う、うおぉいっ!! 誰か、手の空いてる奴! 武道場に連絡して、美樹達にすぐにここに来る様に言え! 大至急だ!!」
「はっ、はいっ!!」
激しく動揺しながら、しかし美那を振り落としたりはせずに片手で律儀に彼女を抱えたまま、和真は近くの部下に言いつけた。そして彼が慌てて連絡を入れた結果、少ししてから道着姿のまま、美樹達が駆け寄ってくる。
「和真、どうかしたの!?」
「美那に何かあったわけ? 下僕のくせに、使えないなぁ」
「違う! これを見ろ! 何でこいつ、打ち方も何も教えてないのに、いきなりブラインドタッチで打ちまくってるんだ!? おかしいだろうが!」
和真が険しい表情で指差したディスプレイを見て、さすがに美樹達も目を丸くした。
「え? 美那?」
「うわ……、句読点無しで、もうA4サイズ2枚目に突入してる……」
そして唖然としてから、美樹は気を取り直して妹に声をかけた。
「美那。楽しい?」
それに美那が、満面の笑みで答える。
「うん! たのしー! おもしろーい! げぼく すきー!」
「えぇ!?」
「凄い! 美那が三語以上続けて喋った!? 初めて見た!」
「……はぁ?」
度肝を抜かれた様な姉弟の反応を見て、どうしてそんなに驚くのかと和真は戸惑ったが、ここで美那が声を出した。
「げぼく おりる」
「あ、ああ。これで良いか?」
「うん、ありがと」
美那の身体を軽く持ち上げて床に下ろしてやると、彼女はぺこりと頭を下げた。そして靴を履いてから、美樹を見上げて声をかける。
「ねぇね!」
「何?」
そして何事かと不思議そうに見下ろした美樹の前で、美那はいきなり手を振り回し、ステップを踏みながら、いきなり笑顔で歌い出した。
「げぼく げぼく すきすきー! げぼく げぼく だいすきー!」
それを見た周囲は何事かと呆気に取られたが、美樹は歓喜の叫びを上げ、美久は驚愕の顔付きで固まった。
「きゃあぁぁーっ! 凄い! 美那が歌って踊ってるわっ!!」
「うわぁ……、どうしたの、美那……。何か変な物、食べた?」
「おい……、そんなに驚く事なのか?」
子供なんだから歌って踊る位はするだろうと和真は不思議に思ったが、美樹のテンションは変わらなかった。
「そうだわ、こうしちゃいられない! 録画よ! 動画を撮って皆に見せないと! 誰か、スマホを貸して! それで後でデータをコピーして!」
キョトンとする美那の前で、道着姿の美樹は慌てて周囲に声をかけたが、近くの者がスマホ片手に駆け寄る前に、美久が冷静に指摘してきた。
「ちょっと待って、姉さん。さっきのを家の皆に見せるつもり?」
「そうよ。だって美那の初歌初ダンスよ!? これを見なくて何を見るのよ!?」
「だけどさぁ……、美那の『げぼくすきすき』ダンスなんて見たら、『すき』って言葉を打って貰ってはいるけど、滅多に『すき』って声に出して言って貰っていない父さんが、確実に下僕に嫉妬すると思う。嫌がらせをする程度なら良いけど、ここで暴れないかな?」
「…………」
過去に暴れた前科がある秀明だけに、途端に室内が静まり返った。美樹も一瞬難しい顔になったものの、すぐに屈んで美那に言い聞かせる。
「美那。歌っても良いけど、『すき』の代わりに『きらい』って言いなさい」
「ねぇね?」
不思議そうに首を傾げた妹に、美樹が重ねて言い聞かせる。
「『嫌い嫌いも好きのうち』って言うもの。だから嘘をついているわけじゃないわ。分かった?」
「うん きらい」
「え? それでいいの?」
姉の主張に美那は素直に頷き、美久は微妙な顔になったが、美樹は構わずに話を続ける。
「じゃあ美那。また歌って踊ってみて?」
「うん」
「ほら、美久! あんたは録画よ!」
「……はいはい」
そしてこの間に借りたスマホを美久が目の前にかざし、「いつでも良いよ」と声をかけると、美那が再び笑顔で歌って踊り出した。
「げぼくー げぼくー きらっきらっきらーい! だいっ だいっ だいっきっらいー!」
「きゃあぁーっ!! 即興で歌を作って踊れるなんて、やっぱり美那は天才よ!! 美久! ちゃんと撮りなさいよっ!?」
「分かってるから、少し静かにして」
ハイテンションの姉にうんざりしながら美久が言葉を返す中、美那の歌はメロディーを変えながらどんどん進む。
「きらいはー きらいでー き ら い な のー げぼっくぼっくぼっくぼく だいっ きーらーいー」
「やっぱり凄いわ、美那!! 今まであまり喋って無かったのは、くだらない俗語で感性が鈍るのが嫌だったのね!? 美那は本当に、エンターテイメントの申し子だわっ!!」
「きらーい きらーい げぼっく だーいきらーいー!」
「………………」
姉馬鹿全開の美樹と、上機嫌に際限なく歌って踊り続ける美那を見て、美久は心底うんざりした表情になり、和真は無言でこめかみに青筋を浮かべ、彼の部下達は生きた心地がしないまま、それからのひと時を過ごした。
(文句のつけようがない笑顔だし、完全に悪気は無いし、やたら懐かれて好かれている事は分かっているんだ。いるんだが……、これは何の嫌がらせだ?)
どうにも納得しかねる状況を和真はなんとか堪え、気が済むまで歌って踊った美那を引き取って美樹と美久は武道場に戻り、稽古の後、そのまま帰宅した。
※※※
「小野塚さん、会長からお電話が入っています。三番を取って下さい」
「会長から? 分かった」
残業中に内線で連絡を受けた和真は、怪訝に思いながら外線に繋いだ。
「はい、小野塚です」
「お仕事中、失礼します。藤宮です」
「どうかされましたか? 何かご依頼でも?」
何気なく尋ねた和真だったが、美子は申し訳無さそうな声で謝罪してきた。
「その……、先程子供達が戻ってから、動画を見せられまして……。色々と申し訳ございません。娘達が、大変失礼いたしました」
電話の向こうで美子が深々と頭を下げている気配を察した和真は、溜め息を吐いて相手を宥めた。
「……いえ、お構いなく。お嬢様が楽しく過ごされたのなら、何よりです」
「それで、その……。誠に申し訳ありませんが、美那が、また公社に行きたいと申しておりまして……」
かなり恐縮気味に続けられた台詞に、和真の顔が無意識に引き攣ったが、気合いでいつもの声で応じた。
「……お気遣い無く。お待ちしております」
「本当に申し訳ありません。それでは失礼します」
そして何とか穏便に会話を終わらせてから、和真は呻くように独り言を漏らす。
「あいつ……、姉馬鹿にも程があるぞ……。それに自分で言うのも何だが、姉妹揃って男の趣味が悪くないか?」
美樹の突き抜けぶりにも呆れたが、何故あんなに美那に好かれる羽目になったのだろうと、和真は本気で頭を抱える事になった。
そもそもの疑問を和真が口にすると、子供達は平然と答えた。
「訓練に来たついでに、ちょっと顔を出してみただけよ」
「美那は僕達と一緒に来たいって言ったから、連れて来ただけ。じゃあ武道場に行こうか。……え?」
何故か美那と手を繋いで歩き出そうとした美久が立ち止まり、不思議そうに妹を見やった。そして足を止めて兄を引っ張った美那を見下ろした美樹が、不思議そうに声をかける。
「美那、ここが良いの?」
その問いかけに美那はこくこくと頷き、美樹は周囲を見回しながら納得して頷いた。
「ふぅん? 確かにこういうオフィスって、珍しいかもね。それなら私達の稽古が終わるまで、大人しく待っててね?」
「じゃあ下僕、美那の事をよろしく」
再び美樹に対して頷いた美那を、美久が和真の方に押しやる。当然、彼女を押し付けられた和真は、盛大に言い返した。
「はぁ!? 何で俺が、ガキの面倒を見なくちゃいけないんだ! 俺は仕事中だぞ!?」
「美那は口数は少ないけど、頭が良くて手がかからないから大丈夫よ。もう一人でトイレも大丈夫だし。場所だけ教えてあげて。それじゃあね」
「あ、おい、ちょっと待て!」
あっさり踵を返して歩き出した美樹達を、和真は追いかけようとしたが、スラックスを美那に掴まれ、軽く引っ張られて足を止めた。
「……げぼく?」
不思議そうに見上げられて、和真は彼女を振り払う事もできず、舌打ちして悪態を吐く。
「……っ!! 全くあいつら、妹の面倒位、最後まで見やがれ!!」
しかしそれだけ文句を言ってからすぐに意識を切り替え、しゃがみ込んで美那に言い聞かせた。
「いいか? ここにはそんなに危ない物は置いていないが、勝手に歩くな。部屋の外に出るのも、もってのほかだ。分かるか?」
こくりと頷いた美那に、少々懐疑的な表情になったものの、和真は彼女を手招きして歩き出した。
「本当に分かってるんだろうな……。取り敢えず、こっちに来い」
そして自分の机まで来て、いつも美樹が使っている隣の机を指し示しながら、渋面になる。
「この椅子に座って……、駄目だな。一人だと、転げ落ちそうだ。だが適当な、低い椅子とかも無いし……」
そして周囲を見回した彼は、仕方が無さそうに椅子に座ってから、美那に声をかけた。
「よし、靴を脱いで、ここに座れ」
「げぼく?」
ポンポンと軽く膝の上を叩きながらの台詞に、美那が首を傾げると、和真は分かり易く説明を加える。
「ここならずり落ちそうになっても、俺が掴まえられるし、周りも見られるだろう。目の前にディスプレイはあるが、仕切りとかは無いしな。ここでいいか?」
それを聞いて小さく頷いた美那は、早速靴を脱いだ。それを見た和真が彼女を抱き上げ、自分の膝の上に乗せる。
「よし、それじゃあ俺は仕事をしてるから、ここで大人しくしてろよ?」
また素直に頷いた美那を見てから、早速和真は目の前に報告書を広げ、チェックを入れ始めた。美那は大人しく彼の膝の上に収まりながら、興味津々で周囲に視線を向けていたが、そんな二人を眺めながら、彼の部下達が囁き合う。
「部長補佐……、独身なのに、妙に似合ってるな」
「ああ、何かお父さんっぽい」
「しぃっ! お前ら黙れ! 命が惜しくないのか!」
そんな囁き声を聞き流しながら、和真は仕事を続けた。
(多少やりにくいが、これ位どうって事は無いか。しかし、本当におとなしいな。本当にあいつらの妹なのか?)
大人しく観察している美那に和真は感心しながら、埒もない事を考えた。
(実は、会長が浮気してできた子供だったら面白いが。……そんな筈は無いか。あの社長が見逃すとは思えん)
思わず一人で苦笑いしてから、いつの間にか美那が周りの観察を止めて、自分の手元を凝視している事に気が付いた。
(しかし、本当におとなしいな……。それにキーボードが気になるのか? 確かにスマホは触っていても、パソコンを触らせて貰っていないかもしれないな)
そこで和真は、なんとなく声をかけてみた。
「おい、これが気になるのか?」
それに美那が斜め後方を振り返りながら頷いた為、和真が問いを重ねた。
「これを触ってみるか?」
それに勢い良く頷いた美那を見て、和真は笑いを誘われた。
「よし、ちょっと待ってろ。これを保存しておくからな」
そして楽しげに保存作業をしながら、この場に居ない美樹達の事を考えた。
(本当に、あいつらの妹とは思えんな。あいつらだったら、断りも入れずに触りまくってデータを消したり壊すのがオチだ)
そしてすぐに作業を終わらせて、美那に声をかける。
「さあ、押しても良いぞ?」
そう言われて手を伸ばした美那だったが、打ち込んだ内容を見て不思議そうに一言漏らした。
「……ちがう」
「ああ、ローマ字入力にしていたからな。今、かな入力にしてやる。その方が分かるだろう」
彼女の戸惑いの理由がすぐに分かった和真は、入力方式を変更してから美那を促した。すると今度は、彼女の期待通りの文字がディスプレイに現れる。
『よしな』
「でた!」
「ああ、名前が出たな。良くできた」
嬉しそうに声を上げた美那を、思わず頭を撫でてやりながら和真が誉めると、彼女は期待に満ち溢れた目で和真を見上げてきた。
「いっぱい いい?」
「おう、好きに打って構わないぞ? 俺は少し休憩するからな」
「うきゃあ――っ!!」
「……え?」
機嫌良く了解した和真だったが、その途端美那は室内に響き渡る奇声を上げて、キーボードに向き直った。そして両手をフルに動かしながら、猛然と言葉を打ち込み始める。
「こちゃこちゃこちゃこちゃ――っ!!」
『すこいすこいこちやこちやおもしろいするするよりいいおおきいたくさんかけるよしなけはくすきやさしいしんせつしんし』
「……う、うおぉいっ!! 誰か、手の空いてる奴! 武道場に連絡して、美樹達にすぐにここに来る様に言え! 大至急だ!!」
「はっ、はいっ!!」
激しく動揺しながら、しかし美那を振り落としたりはせずに片手で律儀に彼女を抱えたまま、和真は近くの部下に言いつけた。そして彼が慌てて連絡を入れた結果、少ししてから道着姿のまま、美樹達が駆け寄ってくる。
「和真、どうかしたの!?」
「美那に何かあったわけ? 下僕のくせに、使えないなぁ」
「違う! これを見ろ! 何でこいつ、打ち方も何も教えてないのに、いきなりブラインドタッチで打ちまくってるんだ!? おかしいだろうが!」
和真が険しい表情で指差したディスプレイを見て、さすがに美樹達も目を丸くした。
「え? 美那?」
「うわ……、句読点無しで、もうA4サイズ2枚目に突入してる……」
そして唖然としてから、美樹は気を取り直して妹に声をかけた。
「美那。楽しい?」
それに美那が、満面の笑みで答える。
「うん! たのしー! おもしろーい! げぼく すきー!」
「えぇ!?」
「凄い! 美那が三語以上続けて喋った!? 初めて見た!」
「……はぁ?」
度肝を抜かれた様な姉弟の反応を見て、どうしてそんなに驚くのかと和真は戸惑ったが、ここで美那が声を出した。
「げぼく おりる」
「あ、ああ。これで良いか?」
「うん、ありがと」
美那の身体を軽く持ち上げて床に下ろしてやると、彼女はぺこりと頭を下げた。そして靴を履いてから、美樹を見上げて声をかける。
「ねぇね!」
「何?」
そして何事かと不思議そうに見下ろした美樹の前で、美那はいきなり手を振り回し、ステップを踏みながら、いきなり笑顔で歌い出した。
「げぼく げぼく すきすきー! げぼく げぼく だいすきー!」
それを見た周囲は何事かと呆気に取られたが、美樹は歓喜の叫びを上げ、美久は驚愕の顔付きで固まった。
「きゃあぁぁーっ! 凄い! 美那が歌って踊ってるわっ!!」
「うわぁ……、どうしたの、美那……。何か変な物、食べた?」
「おい……、そんなに驚く事なのか?」
子供なんだから歌って踊る位はするだろうと和真は不思議に思ったが、美樹のテンションは変わらなかった。
「そうだわ、こうしちゃいられない! 録画よ! 動画を撮って皆に見せないと! 誰か、スマホを貸して! それで後でデータをコピーして!」
キョトンとする美那の前で、道着姿の美樹は慌てて周囲に声をかけたが、近くの者がスマホ片手に駆け寄る前に、美久が冷静に指摘してきた。
「ちょっと待って、姉さん。さっきのを家の皆に見せるつもり?」
「そうよ。だって美那の初歌初ダンスよ!? これを見なくて何を見るのよ!?」
「だけどさぁ……、美那の『げぼくすきすき』ダンスなんて見たら、『すき』って言葉を打って貰ってはいるけど、滅多に『すき』って声に出して言って貰っていない父さんが、確実に下僕に嫉妬すると思う。嫌がらせをする程度なら良いけど、ここで暴れないかな?」
「…………」
過去に暴れた前科がある秀明だけに、途端に室内が静まり返った。美樹も一瞬難しい顔になったものの、すぐに屈んで美那に言い聞かせる。
「美那。歌っても良いけど、『すき』の代わりに『きらい』って言いなさい」
「ねぇね?」
不思議そうに首を傾げた妹に、美樹が重ねて言い聞かせる。
「『嫌い嫌いも好きのうち』って言うもの。だから嘘をついているわけじゃないわ。分かった?」
「うん きらい」
「え? それでいいの?」
姉の主張に美那は素直に頷き、美久は微妙な顔になったが、美樹は構わずに話を続ける。
「じゃあ美那。また歌って踊ってみて?」
「うん」
「ほら、美久! あんたは録画よ!」
「……はいはい」
そしてこの間に借りたスマホを美久が目の前にかざし、「いつでも良いよ」と声をかけると、美那が再び笑顔で歌って踊り出した。
「げぼくー げぼくー きらっきらっきらーい! だいっ だいっ だいっきっらいー!」
「きゃあぁーっ!! 即興で歌を作って踊れるなんて、やっぱり美那は天才よ!! 美久! ちゃんと撮りなさいよっ!?」
「分かってるから、少し静かにして」
ハイテンションの姉にうんざりしながら美久が言葉を返す中、美那の歌はメロディーを変えながらどんどん進む。
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「やっぱり凄いわ、美那!! 今まであまり喋って無かったのは、くだらない俗語で感性が鈍るのが嫌だったのね!? 美那は本当に、エンターテイメントの申し子だわっ!!」
「きらーい きらーい げぼっく だーいきらーいー!」
「………………」
姉馬鹿全開の美樹と、上機嫌に際限なく歌って踊り続ける美那を見て、美久は心底うんざりした表情になり、和真は無言でこめかみに青筋を浮かべ、彼の部下達は生きた心地がしないまま、それからのひと時を過ごした。
(文句のつけようがない笑顔だし、完全に悪気は無いし、やたら懐かれて好かれている事は分かっているんだ。いるんだが……、これは何の嫌がらせだ?)
どうにも納得しかねる状況を和真はなんとか堪え、気が済むまで歌って踊った美那を引き取って美樹と美久は武道場に戻り、稽古の後、そのまま帰宅した。
※※※
「小野塚さん、会長からお電話が入っています。三番を取って下さい」
「会長から? 分かった」
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「はい、小野塚です」
「お仕事中、失礼します。藤宮です」
「どうかされましたか? 何かご依頼でも?」
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「その……、先程子供達が戻ってから、動画を見せられまして……。色々と申し訳ございません。娘達が、大変失礼いたしました」
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「……いえ、お構いなく。お嬢様が楽しく過ごされたのなら、何よりです」
「それで、その……。誠に申し訳ありませんが、美那が、また公社に行きたいと申しておりまして……」
かなり恐縮気味に続けられた台詞に、和真の顔が無意識に引き攣ったが、気合いでいつもの声で応じた。
「……お気遣い無く。お待ちしております」
「本当に申し訳ありません。それでは失礼します」
そして何とか穏便に会話を終わらせてから、和真は呻くように独り言を漏らす。
「あいつ……、姉馬鹿にも程があるぞ……。それに自分で言うのも何だが、姉妹揃って男の趣味が悪くないか?」
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舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
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リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
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