藤宮美樹最凶伝説

篠原 皐月

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美樹十八歳、新たなる伝説の始まり

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 中学卒業後、宣言通り高校には進学しなかった美樹は、桜と養子縁組して加積姓となった和真と結婚した。
 その後、彼女は出産育児の傍ら桜査警公社の仕事に取り込み、両親との約束通り十八の時に入学試験を受けて、見事東成大に合格した。しかも主席入学とのおまけ付きで、新入生代表での挨拶を要請された美樹は、三月下旬に和真と共に東成大へと足を運んだ。

「お待ちしていました、加積美樹さん。ようこそ、東成大へ。私は総長の加賀谷と申します。合格、おめでとうございます」
 総長室で恭しく出迎えられた美樹は、神妙に頭を下げた。

「ありがとうございます。四月からこちらに通える事を、楽しみにしております」
「こちらこそ、加積さんのような優秀な方を、お迎えできて光栄です。入学試験では全科目満点でした。既にお知らせしていた通り入学式では、首席入学者として新入生代表の挨拶をお願いします」
「分かりました。お引き受けします」
 室内の一角に設けられたソファーに、美樹と共に腰を下ろした和真は、この間黙って二人のやり取りを見守っていたが、ここで加賀谷が満面の笑みで、そんな彼に声をかけた。

「いやぁ、しかしお父さん。お嬢さんは人並み以上の努力を重ねて、立派な成果を出されましたな!」
「え?」
「…………」
 率先して挨拶をしなかった為、誤解されてしまった和真は無言で僅かに眉根を寄せたが、加賀谷はそれに全く気がつかないまま、上機嫌に話し続けた。

「書類を確認しましたが、お嬢さんは高校には進学せずに、認定試験を受けて受験なさったとか。病気で、長期入院でもされておられたのですか? しかしお見受けしたところ、病気も完全に克服されたみたいですから、お父様にとっては二重の喜びですな!」
「…………」
 まだ無言を貫いている和真を横目で見やった美樹は、そこで小さく溜め息を吐いた。

(結婚以来、何度となく繰り返された事とはいえ……。疑いもなく親子と思われる事に対しては、和真は意外に心が狭いのよね。総長の干物ができないうちに、フォローしておきましょうか)
 そう決心した彼女は、控え目に加賀谷に声をかけた。

「加賀谷総長。私は元来丈夫なたちなので、入院したのは出産の時だけです」
「おや、そうでしたか。それなら益々結構……、出産?」
 笑顔を振りまいていた加賀谷が、耳にした内容を咄嗟に理解できずに困惑顔になったところで、すかさず美樹が説明を続けた。

「因みに、こちらは私の父ではなくて、夫です。この人との間に娘が一人いて、この夏にまたもう一人、生まれる予定です」
「……は、はあぁあああ!?」
 和真を手で指し示しながら美樹がサラッと事実を口にすると、和真は驚愕する加賀谷に向かって淡々と挨拶した。

「初めまして。美樹の夫の、加積和真と申します。この度はこちらの大学に妻が入学する許可をいただき、ありがとうございます。美樹の父もこちらの出身ですので、首席入学を忌々し……。いえ、大変喜んでおりました」
 苦虫を噛み潰したような秀明の顔を思い出した和真は、うっかり正直に口にしようとして思いとどまったが、何とか平常心を取り戻したらしい加賀谷が、怪訝な顔になった。

「ええと……、美樹さんのお父様?」
「藤宮秀明という方です。加賀谷総長の事を、良くご存じでした」
「藤宮秀明さんですか? 申し訳ありませんが、記憶にありませんな。何と言っても、卒業生は数多おりますので」
 和真の説明を聞いた加賀谷は少し考え込んだものの、全く聞き覚えの無い名前だった為、特に目立つ所の無い普通の学生だったのだろうと、何気なく答えた。しかしその反応を見た和真は、皮肉っぽく確認を入れる。

「ほう? ご存知ないと仰る? 義父は今現在も東成大に存在している《武道愛好会》というサークルの創設者で、当時学内では有名だったと聞き及んでおりますが」
「え? 武道愛好会?」
 そこで瞬時に顔を青ざめさせた加賀谷に、美樹がとどめを刺した。

「あ、父は当時、白鳥秀明と名乗っておりました」
「しっ、白鳥秀明ぃぃぃ――っ!!」
 驚愕のあまり、ソファーから立ち上がって絶叫した加賀谷を見上げながら、そこで美樹は笑顔で告げた。

「やっぱりご存じでしたか。HPで総長のお名前と顔写真を確認した父が、『しょぼくれていた準教授風情が、随分と出世したものだな』と、誉めておりましたので」
(いや、それ誉めてないだろ。それにその話をした時の、社長の極悪な顔ときたら……。良いように便宜を図らせる事ができるとばかりの、悪辣な笑みだったじゃないか。一体、どんな弱みやヤバいネタを、社長の在学中に掴まれたのやら)
 美樹の話を呆れ気味に聞きながら、和真は秀明から預かってきた封書をジャケットの内ポケットから取り出し、加賀谷に向かって差し出した。

「それで『直に総長と顔を合わせる機会があれば、これを持っていけ』と言付かりましたので、どうぞお受け取りください」
「…………」
 しかし加賀谷はその封書を、まるで地獄への招待状とでも言わんばかりの恐怖に満ちた顔で凝視したまま、見事に固まっていた。

「お受け取りください」
「……頂戴致します」
 重ねて要請した和真の迫力に押され、加賀谷がそれを受け取って腰を下ろすと、和真がさり気なく要求を口にした。

「それで妻が入学するに当たっての、ささやかな希望と言いますか、要望なのですが……。一応安定期には入っていますが、何と言っても妻は妊婦なものですから。その辺りの配慮を、宜しくお願いします」
「い、いえ……、あの、その!」
「一々言うまでもないが、お腹の子は藤宮秀明の孫でもある。万が一の事態が生じた場合、どうなるか知らんぞ? あとはその中をしっかり読んで指示に従った方が、あんたの身の為だろうな」
「……っ!」
 和真が軽く身を乗り出しながら低い声で恫喝すると、加賀谷は益々顔色を悪くした。しかしそれには構わず、和真は美樹を促してソファーから立ち上がりながら告げる。

「それでは他に何もお話が無ければ、失礼いたします。これから諸手続を済ませますので」
「……はい、構いません。お気をつけて」
 一気に生気が無くなった顔の加賀谷に見送られ、美樹達は総長室を後にした。

「これで、管理部トップへの挨拶は終了だから、今度は在校生トップに挨拶に行くわけよね?」
「何を根拠に『在校生トップ』と判断するかは、微妙な所だがな……。まあ確かに、あそこに話を通しておけば、お前の危険性は随分低くなるだろう」
 そんな会話を交わしながら、並んで大学の敷地内をを歩いて行き、他よりは一回り小さい棟に辿り着いた。

「ええと……、部室棟って言うの? こういう所。武道愛好会の部屋はどこかしら?」
「入口に案内図は無かったな。頻繁に入れ替わる物でもあるまいし、簡単な物でも掲示しておけば良い物を」
 建物の中に入ったものの、困惑しながら周囲を見回していた二人に、男子学生が二人歩み寄って来た。

「すみません、ここは基本的に関係者以外、立ち入り禁止なのですが」
「学内の見学に来て、棟を間違えられたんですか?」
「いえ、武道愛好会の部屋を探していまして。ご存じありませんか?」
 迷い込んだなら案内しようと声をかけたものの、予想外のサークル名を耳にした途端、二人は無意識に後退りした。

「げっ……」
「よりにもよって、あそこ……」
「知っているのか知らんのか、どっちだ?」
「……ご案内します」
 しかし和真に一睨みされて、学生達は肩を落として先導を始める。そんな二人に美樹達がおとなしく付いて行くと、二階の突き当たりまで進んだ彼らは、勢い良く和真に頭を下げて逃げ出した。

「ここです!」
「それでは失礼します!」
「ありがとうございました」
 美樹の感謝の言葉が虚しく廊下に響き、彼女は二人を見送ってから和真を見上げた。

「なんだか、逃げるようにいなくなったわね」
「それよりも……、俺はこのおどろおどろしい黒ずくめの看板の方が、気になるんだが……」
 和真の視線の先にあった毒々しい赤で、しかも血が滴り落ちるように、あちこちが滲んだり垂れたりしているようにサークル名が書かれた黒地の看板を見て、美樹は微妙にずれた感想を述べた。

「年期が入ってるっぽいわね。ひょっとして、設立当初から使ってるんじゃない?」
「社長が作ったとか?」
「あいつは興味がない、細かい所には拘らないわよ。やるとしたなら微妙に趣味と根性が悪い、小早川さんの方じゃないかな?」
「……そうかもな」
 父親の性格を考慮した結果、若い頃、彼の相方であった義理の叔父の趣味を疑う発言をした美樹は、全く躊躇わずに入口の戸を開けながら、室内に向かって呼びかけた。

「こんにちは、お邪魔します」
 その途端、部屋の前方に集まっていた十人程の男子学生達が、ビクリと身体を強ばらせて振り返った。

「はっ、はいっ! どちら様でしょうか!?」
「ええと……、ここの歴代会長から連絡があったかもしれませんが、来年度入学予定の加積美樹です。入学後はこちらに入会を考えていますので、ご挨拶に参りました。これはつまらない物ですが、宜しかったら皆さんで召し上がってください」
「あ……、こ、これはどうも、ご丁寧に……。ありがとうございます」
 どうやら代表者らしいと見当を付けた相手に、美樹が笑顔で持参した紙袋を手渡すと、有名な洋菓子店のロゴが入ったそれを受け取った彼は、茫然自失状態のまま受け取った。そして彼と同じく他の者達も、まだ軽く動揺しながら囁く。

「何か、凄くまともそうな子だが……」
「そりゃあ親がとんでもなくても、子供までそうだとは限らないんじゃないか?」
「それはそうだよな……。だが、あの人の威圧感がハンパないぞ」
「そうなるとあの人が、あの伝説の『白鳥秀明』なんだよな?」
「取り敢えず、あの人を怒らせなければ大丈夫だよな? あれ? でも、今『加積』って言わなかったか?」
 加賀谷と同様、彼らも和真を美樹の父親と思い込み、一瞬彼を秀明と勘違いしたものの、すぐに先程の発言と矛盾する事実に気がついた。

「ええと……、私達は先輩方から『白鳥秀明初代会長の娘さんが来校する』と聞いていたのですが……」
 恐る恐る現会長の彼が尋ねると、美樹は漸く彼らの疑問に気がついた。

「ああ、父は母と結婚した時に藤宮姓になって、今はそちらを名乗っています。私は結婚したので、今は加積姓になっていますし」
「結婚した!?」
「はい。それでこちらが、夫の加積和真です」
「どうも。春から妻が、お世話になります」
「いえ、こちらこそ……」
 サクッととんでもない説明をされながらも、彼は美樹から紹介された和真に、反射的に頭を下げた。しかし和真が続けて口にした内容を聞いて、完璧に固まる。

「因みに、妻との間には現在一歳六ヶ月の娘がいて、妻は妊娠五ヶ月だ」
「…………」
 そして完全に思考停止状態になった会長の背後で、他の面々がプチパニック状態に陥る。

「全っ然、普通じゃねぇぇえっ!!」
「あっ、あり得ないだろ……」
「……え? 人妻? 妊婦?」
 そんな動揺著しい彼らに向かって、美樹が神妙に言い出した。

「それでお伺いしますが、こちらの入会資格は『各種武道での有段者であること』だとお聞きしていますが、それは今でも変わりはありませんか?」
「え、ええ……。それでは加積さんは、何の有段者なのでしょうか?」
 殆ど義務感で会長が尋ね返すと、美樹は少々困ったように言葉を返した。

「それが……、実は私、段を取得していないんです。全く昇段試験を受けていないもので」
「え? そうなんですか? 何か理由でも? ご両親に反対されたとか」
「別に反対はされなかったのですが、襲ってきた相手を存分に叩きのめした場合、有段者だと過剰防衛に取られる可能性があるかと思ったものですから」
「…………」
 笑顔でそんな事を言われてしまった彼らが、揃って顔を引き攣らせていると、その間に和真が持参してきた鞄の中から、厚さが2センチ程ある板を取り出して、胸の前で掲げ持った。

「それで、代わりと言ってはなんですが……」
 そして和真の方に向き直った美樹は、「ふおぁっ!」と気合い一閃、見事に拳でその板を真っ二つに叩き割る。

「取り敢えず、これでここへの入会を認めて貰えませんか?」
「え、あの……、その……」
 にっこり笑って会長にお伺いを立てた美樹だったが、さすがに度肝を抜かれた彼らが固まった。すると割れた板を鞄にしまい、再び同じ大きさの板を取り出した和真が、美樹に声をかける。

「美樹」
 そして差し出された板を受け取った彼女は、呆れ気味に和真を見やった。
「え? やっぱりあんたもやるの?」
「まあな」
「わざわざやる必要無いのに……」
 ぶつぶつ言いながらも美樹が板を両手で持つと、和真も大して動きを見せず、「はぁっ!!」と短い掛け声だけで、先程彼女がしたように、見事に板を二分してみせた。
 それだけでも会員達の顔色を変えさせるには十分だったのだが、和真は更に駄目押しをしてくる。

「校内で、妻に万が一の事が起きないように、宜しく頼む。それからこの中に、桜査警公社と言う名前に聞き覚えのある奴は居るか?」
「桜査警公社?」
「何の事だ?」
「…………」
 殆どの者は怪訝な顔を見合わせたが、会長だけは瞬時に顔を蒼白にした。その微妙な変化を素早く見て取った和真は、彼に向かって獰猛な笑顔を向ける。

「何やら、聞き覚えがあるようだな。身内に誰か耳聡い者がいるのか? 捜査関係か? マスコミ関係か? 財界関係か? 政界関係か? それとも……、後ろ暗い系か?」
「……捜査関係です」
 死人のような顔で彼が答えると、和真は彼の肩を手のひらで軽く叩きながら、笑顔で告げた。

「そうか。知らなかっただろうが、実は現社長の藤宮秀明っていうのが白鳥秀明の事で、こいつの父親だ。因みに副社長が俺だ。それを忘れずにな?」
 和真がそう軽く脅しをかけると、相手は米つきバッタのようにペコペコと頭を下げながら叫ぶ。

「ははははいっ! 肝に銘じておきます! 奥様には万事つつがなく、学生生活を送っていただけるように、会員全員で、全力を尽くしますので!」
「それは良かった。宜しく頼む」
「お任せ下さいませ!」
 そして会長の異常なまでの必死さに、他の面々もかなり危機感を覚えたのか、同様に顔色を変えて頭を下げる中、和真はそれを止めさせて早々に立ち去る事にした。

「普通の学生みたいだったのに、公社の事を知ってる人がいるなんてびっくりよ」
 建物を出て校門に向かって歩き出した美樹が、しみじみとそんな事を口にすると、和真が心底同情する口調で応じる。
「武道愛好会の会員ってだけで、普通の学生とは言えないかもしれないがな。公社の事は、知らない方が精神的に楽だった事は確かだな……」
 そして思い出したように、美樹に釘を刺した。

「言っておくが、社長の父親は今では名前を貸しているだけで、実質的に公社を取り仕切ってるのがお前自身だとは、口が裂けても連中には言うなよ? さっきのあの様子だと、本気で心臓が止まりかねん」
 しかしそれを聞いた美樹は、歩きながらおかしそうに笑った。

「そんなオーバーな。和真ったら、意外に心配性よね」
「お前が無神経過ぎるだけだ。間違っても連中の目の前で、転んだりするなよ?」
「分かってますって! 本当に心配性なんだから」
 明るく笑い飛ばした美樹だったが、彼女が前回の妊娠中、公社と揉めた勢力から襲撃された時、見事に受け身を取ってそのまま道路上を転がりつつ、しっかり反撃して襲撃犯を半死半生で捕獲した実績があった。
 そして目の前でそんな事をされてしまった、警備担当の防犯警備部門の面々が、面目を潰した上に暫く胃薬常用者になった事を知っていた和真は、「連中への差し入れは菓子では無くて、胃薬の方が良かったかもしれん」と、こっそり心の中で考えたのだった。
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