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第5話 手の平から零れるものは
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――ウィナ! ウィナ! しっかりしろ!
暗闇で誰かの声が響く。きつく閉じた瞼を少しだけ緩めると光が差し込んだ。長い夢を見た直後のように、半覚醒状態の自我が浮遊しているような感覚。ウィナはぼんやりとした意識の中、全身を覆う脱力感に心地良さを感じた。
「……ぅっ!?」
前言撤回。頭が割れそうなほどの頭痛が走り、嘔吐感と眩暈があとから追いついてくる。平衡感覚が仕事を放棄し、濁流にでも飲み込まれているかのような猛烈な感覚に襲われた。
――医者を呼んでくれ! 水もだ! 氷嚢を作る!
また遠くで誰かが叫んでいる。背中に冷たく硬い感触を覚えて、壁に押し付けられているように感じた。片目を開けて確認すると、誰かの足が壁に張り付いている。違う。自分が寝かされているのだ。しかし、頭ではわかっていても、感覚器官の方は悟ってくれていないようで、不動のはずの地面が大きく傾斜してゆく。
しばらくして、やや治まってきた眩暈を振り切って瞼を開くと、こちらを覗き込む顔が二つあった。誰かはわからない。霞んでいる上に、注視しようとしても視線があらぬ方向にズレていくのだ。
――ウィナお姉さま……!
顔に柔らかい感触と鼻孔をくすぐる飛燕草の香り。ラウィーリア家に勤める者が使用する香水だ。嗅ぎなれたその香りに意識が徐々に明瞭になってくる。大きく息を吸って目を瞬かせた。
「ウィナ、わかるか? 俺だ」
「ウィナお姉さま?」
気がつけば、こちらを覗き込んできていたのはバルネットとリタだった。坑道の中に寝かせられているのだろう。岩の天井が後ろに見える。
「よかった……。本当によかった」
言いながらバルネットは溜まっていた肺の空気を一気に吐きだして、ウィナの視界から外れた。
状況が読み込めず声を出そうとすると、鼻に何かを押し当てられていることに気づく。
「もごもご」
「あっ……」
はっとしてリタが手を引くのが見えた。その手に握られていたのは青いハンカチだった。だが無残にも黒ずんだシミが広がっていて、それが自分の血だとウィナは察した。
ウィナは頭痛に顔をしかめながら、上半身を起こそうとゆっくりと身動ぎする。
「まだ寝ていた方が……」
「だいじょぶだいじょぶ」
止めようとするリタを手で制し、額を押さえながら周囲を見回した。ウィナは魔装から少し離れた場所に寝かされていたようだ。兵達が騒々しく走り回っているのが見える。
そこで目についた光景に違和感を感じ、「ん?」と息を漏らした。
瓦礫に横たわっていたはずの魔装が、今は膝をついて行儀よく座っている。その後ろには意味をなさなくなった足場が残っているので、ウィナの記憶違いなどではないだろう。
「あれ、動いたんだ」
ウィナの発言に二人は顔見合わせ、再び怪訝そうに視線を寄こした。
「覚えていないのか……?」
「落っこちたのは覚えてる」
「お前が中に入った後、魔装が動き始めたんだ。呼び掛けても返事をしないから、すぐさまお前を引っ張り出した。そうしたら……」
言葉に詰まるバルネットの代わりにウィナが続けた。
「鼻血出してぶっ倒れてた?」
「目からも出てたぞ」
「えっ、化粧ヤバっ」
おどけてみせるウィナ。それを見たバルネットはいつになく真剣な表情で。
「心配したんだぞ」
「……ごめん。助けてくれてありがと」
詫びたウィナにバルネットは短く溜息をついた。
「迂闊過ぎる」
「信じらんないと思うけど押されたのよ」
「技師長にか?」
ウィナは静かに首を横に振った。ラウルはそんなことをする人物ではない。それにウィナを突き落とすには離れた位置にいた記憶がある。
じゃあ何にアタシは押されたんだろうと考えていると、和らいでいた頭痛が再び襲ってきた気がして頭を押さえた。
「ウィナお姉さま。お医者様に見てもらいましょう」
心配そうに身を乗り出すリタの頭を撫でながら、ウィナはこくんと頷く。
左手につけられた腕輪の鈴が、音もなく揺れた。
◇
「皆さーん! おかわりもありますから、たくさん食べてくださいねー!」
坑道の外、青空の下で明るい声がキャンプに響く。快活な少女の呼びかけにあちこちから野太い返事が聞こえて、リタが笑顔を振りまいている。
リタは来て早々に自分の魅力を広め終わったらしい。キャンプ中の兵士がリタを見て表情筋の硬度を下げ切っている。あの可愛さはもはや一種の魔法に近いなぁ、などと思いながら、ウィナは鍋の中のシチューをかき回した。
横で調理道具を洗っているバルネットも同じ感想を抱いたようで、感心したように言葉が漏れる。
「本当に良い子だな」
「さすがはアタシの妹分よね」
「ああ、信じられないな」
「あ?」
「ん?」
坑道内での騒ぎの後、ひとまず魔装の周囲の足場を組みなおすこととなった。ウィナが乗った後に起き上がった巨人は片膝立ちで停止しており、そのままでは足をよじ登らねば装従席に入れない状況だ。そして、驚くべきことに騎士候補生ではないウィナが乗って動いてしまったという事実。これが一度仕切り直す必要性を訴えている。
流石に兵士でも騎士でもなく、ましてお偉いさんの侍女であるウィナを、血だらけで救出されたあとに乗せることはできないとのことだ。そんなこんなで事情が複雑化し、まずは腹ごしらえをすることになって今に至る。
それはさておき。なぜこの男は手伝いをしているんだろうとウィナは視線を投げた。
「アンタ、もう食べたの?」
「あの子からもらった。美味かったよ」
「褒めて、もっと褒めて。我、ラウィーリア家の侍女ぞ?」
「お前の料理が美味いのは昔から知ってる」
手元を見ながら率直な感想を述べるバルネットに、今日はやたら素直だなとウィナは思った。
そうしている間にも、一杯目を食べ終わる頃合いなのか、次々と器を持った兵士が寸胴鍋の前に列をなしている。差し出された器にシチューを注いでいくウィナに、バルネットは「体調は大丈夫か?」と尋ねてきた。
「まぁね~。治癒魔法もかけてもらったし、軍医さんも異常ないってさ」
ウィナは大袈裟に肩をすくめる。
「もう二度とあれには乗るな。お前に何かあったらフィロメニアに合わせる顔がない」
「頼まれても乗らないわよ。もう手伝いはいいから、おかわり食べなさいって」
ウィナはそう言ってバルネットの器にもたっぷりとシチューを入れる。特段、具材を多めに、溢れんばかりの野菜と肉が食欲をそそる香りを漂わせた。バルネットは礼を言って、すぐにその場に座って食べ始める。
幼馴染が自分の料理をかき込む姿を見て、ウィナは満足そうに笑みを浮かべた。
◇
天井の高い部屋に赤みを帯び始めた日の光が差し込んでいる。
ベルトランドが指に摘まんだガラス玉を石盤の上に静かに置くと、石と硝子が合わさる小気味よい音が響く。
ひとつの石盤を乗せたテーブルを間に挟んで、色違いの硝子玉を手に持ったアイナと対面していた。
街の市場が落ち着き始め、また酒場などが店を開け始める頃合い。二人はこうした遊戯に興じることがある。示し合わせるわけでもなく、アイナが館に押し掛けてきた時に余裕があれば相手をする。余裕がなければお茶とお菓子を出して、会話に付き合う程度だ。
「そろそろウィナは帰路につく頃でしょうか」
アイナが紅色の硝子玉を置きながら切り出してきた。その話題に自分でも思うところがあるのか、ベルトランドはぼやくように言葉を返す。
「ウィナフレッドを送ったのは『お告げ』ですか」
アイナはこちらの顔をちらりと見て、再び石盤に視線を戻した。
「違いますよ。やっぱり気に食わなかったのですか」
「……気に食わない、というと語弊がありますな。不安だというのが的確でしょう」
「貴方は堅実な考え方が好きですからね。この間、教えたでしょう。人を導くには遊び心も必要だと」
青色の硝子玉のひとつを取り除きながらしれっと言うアイナに、思い当たる節がないベルトランドはため息をつく。返ってくる答えを予想しつつも、ベルトランドは丁寧に問いかけた。
「それはいつの事でしょうか」
「貴方が八歳の時、庭で遊んであげながら教えました」
「せめて十年以内の話にしてほしいものだ」
言いながら、今度はベルトランドが硝子玉を移動させる。その結果に視界の端でアイナの口が尖るが、気にせず紅色の硝子玉を盤上から取り除いた。
こういう時、彼女との寿命の違いによる認識のズレ――時間感覚の不一致により齟齬が生じることがある。アイナは十年前の出来事を昨日の事のように話したかと思えば、教会で引き取っている子供の成長を日ごとに喜び、詳らかに語るのだ。
老いるにつれ時間の感覚が早くなる人間には到底分かりえない、そんな密度の中で彼女は生きているのだろう。
「あの子にはあの子の自由がある。それは認めます。だが道を示すのも親の務めでもあります。アイナ様はあの子に何を求めているので?」
話を戻すとアイナの硝子玉を取ろうとした手が止まった。しばしの静寂の後、紡ぐように言葉を口にする。
「……きっと、私はウィナにちょっかいをかけたいのですよ。可愛いのです。愚直で元気で賢くて、それでいて異質なあの子が」
その言葉にベルトランドは一旦テーブルから身体を引き、ソファに深く背中を預ける。
「異質……ですか」
「全く魔法が使えない体質、前世のものと思われる記憶。本当に異質な存在でしょう? そのひとつだけでも唯一のものだというのに」
「考え方、見え方の違いでしょうか。私にはウィナフレッドがそのような存在に感じません」
「それはきっと貴方がそうあってほしいと思っているからですよ」
ですが、とアイナが続ける。
「もちろん実際のウィナは街の娘とそう変わらない、ただの女の子です。むしろ器用なあの子は何者にもなれるでしょう。学院の勉強にもついていけているようですし」
「ではなぜ魔装などに近づけるのです。あの子は小さい頃こそ騎士に憧れてはいましたが、今は立派に侍女を務めている。この先もこの家を支えてくれるでしょう」
「そう見えるでしょう。けれど、あの子が今でも剣の鍛錬をしているのを知っていますか? あの子は騎士への憧れに囚われ続けている」
ベルトランドは言葉を切ったアイナの顔を見た。アイナはどこか物悲しそうな表情で、ソファに座り直す。
「魔装がしょせん兵器であると、わかってくれれば良いのですが」
自分の硝子玉ではなく、青色の硝子玉を撫でながら物憂げに息を漏らした。その様子にベルトランドは顎に手を当てて眉をひそめる。
「お疲れですか? たまには行楽などに出かけるのも良いのでは。ウィナフレッドのように」
「当てつけに聞こえますよ」
「否定はしませんが、同時に本心でもあります。なんとなくウィナフレッドと貴女に、共通点を感じていたものですから」
「……それは?」
茶化したつもりだったが、アイナは一度瞼を落としてから視線を投げつけてきた。その仕草に圧のようなものを感じて、不思議に思いつつも答えを口にする。
「二人とも冒険が好きなのです。ウィナフレッドは未知のものに萎縮しない。アイナ様も新しいものや変わったものがお好きでしょう」
それを聞いたアイナは目を瞬かせて、それから安心したように表情を柔らかく崩した。
「嬉しいわ」
「お怒りになるかと」
「長く生きていると、つい自分を見守る側に置いてしまうの。誰かに見てもらえるというのは心地良いのですよ」
アイナの手が石盤の上におかれる。豪奢な装飾を施されたそれを愛でるように撫でていると、突如その手が跳ねた。
「アイナ様……?」
ベルトランドは異変を察して身を乗り出す。アイナはテーブルの上に視線を落としたまま、そこではないところ見ているように動きを止めたままだ。しばしの間の後、アイナは弾かれたように立ち上がる。その表情は顔色すら変わらないものの、打って変わって戦慄の冷たさを感じさせた。
「忌獣が来ます。迎え撃つ準備を」
「忌獣――!? このライニーズに!?」
ベルトランドは手を叩いて使用人を呼ぶ。突然の話にもアイナを疑うようなことはしない。アイナがそういうのならそれは事実なのだから。
「この街にある全ての魔装を動員しなさい。アルバラードとルディーンにも協力を要請します。至急!」
「承知致しました……!」
言うや否やアイナは遊戯室から飛び出した。ただならぬ気配に集まった使用人たちへ、ベルトランドは落ち着いて指示を飛ばす。
テーブルの上に散らばった硝子玉の中から、青色のものがひとつ床に転がって、日の光を照り返していた。
暗闇で誰かの声が響く。きつく閉じた瞼を少しだけ緩めると光が差し込んだ。長い夢を見た直後のように、半覚醒状態の自我が浮遊しているような感覚。ウィナはぼんやりとした意識の中、全身を覆う脱力感に心地良さを感じた。
「……ぅっ!?」
前言撤回。頭が割れそうなほどの頭痛が走り、嘔吐感と眩暈があとから追いついてくる。平衡感覚が仕事を放棄し、濁流にでも飲み込まれているかのような猛烈な感覚に襲われた。
――医者を呼んでくれ! 水もだ! 氷嚢を作る!
また遠くで誰かが叫んでいる。背中に冷たく硬い感触を覚えて、壁に押し付けられているように感じた。片目を開けて確認すると、誰かの足が壁に張り付いている。違う。自分が寝かされているのだ。しかし、頭ではわかっていても、感覚器官の方は悟ってくれていないようで、不動のはずの地面が大きく傾斜してゆく。
しばらくして、やや治まってきた眩暈を振り切って瞼を開くと、こちらを覗き込む顔が二つあった。誰かはわからない。霞んでいる上に、注視しようとしても視線があらぬ方向にズレていくのだ。
――ウィナお姉さま……!
顔に柔らかい感触と鼻孔をくすぐる飛燕草の香り。ラウィーリア家に勤める者が使用する香水だ。嗅ぎなれたその香りに意識が徐々に明瞭になってくる。大きく息を吸って目を瞬かせた。
「ウィナ、わかるか? 俺だ」
「ウィナお姉さま?」
気がつけば、こちらを覗き込んできていたのはバルネットとリタだった。坑道の中に寝かせられているのだろう。岩の天井が後ろに見える。
「よかった……。本当によかった」
言いながらバルネットは溜まっていた肺の空気を一気に吐きだして、ウィナの視界から外れた。
状況が読み込めず声を出そうとすると、鼻に何かを押し当てられていることに気づく。
「もごもご」
「あっ……」
はっとしてリタが手を引くのが見えた。その手に握られていたのは青いハンカチだった。だが無残にも黒ずんだシミが広がっていて、それが自分の血だとウィナは察した。
ウィナは頭痛に顔をしかめながら、上半身を起こそうとゆっくりと身動ぎする。
「まだ寝ていた方が……」
「だいじょぶだいじょぶ」
止めようとするリタを手で制し、額を押さえながら周囲を見回した。ウィナは魔装から少し離れた場所に寝かされていたようだ。兵達が騒々しく走り回っているのが見える。
そこで目についた光景に違和感を感じ、「ん?」と息を漏らした。
瓦礫に横たわっていたはずの魔装が、今は膝をついて行儀よく座っている。その後ろには意味をなさなくなった足場が残っているので、ウィナの記憶違いなどではないだろう。
「あれ、動いたんだ」
ウィナの発言に二人は顔見合わせ、再び怪訝そうに視線を寄こした。
「覚えていないのか……?」
「落っこちたのは覚えてる」
「お前が中に入った後、魔装が動き始めたんだ。呼び掛けても返事をしないから、すぐさまお前を引っ張り出した。そうしたら……」
言葉に詰まるバルネットの代わりにウィナが続けた。
「鼻血出してぶっ倒れてた?」
「目からも出てたぞ」
「えっ、化粧ヤバっ」
おどけてみせるウィナ。それを見たバルネットはいつになく真剣な表情で。
「心配したんだぞ」
「……ごめん。助けてくれてありがと」
詫びたウィナにバルネットは短く溜息をついた。
「迂闊過ぎる」
「信じらんないと思うけど押されたのよ」
「技師長にか?」
ウィナは静かに首を横に振った。ラウルはそんなことをする人物ではない。それにウィナを突き落とすには離れた位置にいた記憶がある。
じゃあ何にアタシは押されたんだろうと考えていると、和らいでいた頭痛が再び襲ってきた気がして頭を押さえた。
「ウィナお姉さま。お医者様に見てもらいましょう」
心配そうに身を乗り出すリタの頭を撫でながら、ウィナはこくんと頷く。
左手につけられた腕輪の鈴が、音もなく揺れた。
◇
「皆さーん! おかわりもありますから、たくさん食べてくださいねー!」
坑道の外、青空の下で明るい声がキャンプに響く。快活な少女の呼びかけにあちこちから野太い返事が聞こえて、リタが笑顔を振りまいている。
リタは来て早々に自分の魅力を広め終わったらしい。キャンプ中の兵士がリタを見て表情筋の硬度を下げ切っている。あの可愛さはもはや一種の魔法に近いなぁ、などと思いながら、ウィナは鍋の中のシチューをかき回した。
横で調理道具を洗っているバルネットも同じ感想を抱いたようで、感心したように言葉が漏れる。
「本当に良い子だな」
「さすがはアタシの妹分よね」
「ああ、信じられないな」
「あ?」
「ん?」
坑道内での騒ぎの後、ひとまず魔装の周囲の足場を組みなおすこととなった。ウィナが乗った後に起き上がった巨人は片膝立ちで停止しており、そのままでは足をよじ登らねば装従席に入れない状況だ。そして、驚くべきことに騎士候補生ではないウィナが乗って動いてしまったという事実。これが一度仕切り直す必要性を訴えている。
流石に兵士でも騎士でもなく、ましてお偉いさんの侍女であるウィナを、血だらけで救出されたあとに乗せることはできないとのことだ。そんなこんなで事情が複雑化し、まずは腹ごしらえをすることになって今に至る。
それはさておき。なぜこの男は手伝いをしているんだろうとウィナは視線を投げた。
「アンタ、もう食べたの?」
「あの子からもらった。美味かったよ」
「褒めて、もっと褒めて。我、ラウィーリア家の侍女ぞ?」
「お前の料理が美味いのは昔から知ってる」
手元を見ながら率直な感想を述べるバルネットに、今日はやたら素直だなとウィナは思った。
そうしている間にも、一杯目を食べ終わる頃合いなのか、次々と器を持った兵士が寸胴鍋の前に列をなしている。差し出された器にシチューを注いでいくウィナに、バルネットは「体調は大丈夫か?」と尋ねてきた。
「まぁね~。治癒魔法もかけてもらったし、軍医さんも異常ないってさ」
ウィナは大袈裟に肩をすくめる。
「もう二度とあれには乗るな。お前に何かあったらフィロメニアに合わせる顔がない」
「頼まれても乗らないわよ。もう手伝いはいいから、おかわり食べなさいって」
ウィナはそう言ってバルネットの器にもたっぷりとシチューを入れる。特段、具材を多めに、溢れんばかりの野菜と肉が食欲をそそる香りを漂わせた。バルネットは礼を言って、すぐにその場に座って食べ始める。
幼馴染が自分の料理をかき込む姿を見て、ウィナは満足そうに笑みを浮かべた。
◇
天井の高い部屋に赤みを帯び始めた日の光が差し込んでいる。
ベルトランドが指に摘まんだガラス玉を石盤の上に静かに置くと、石と硝子が合わさる小気味よい音が響く。
ひとつの石盤を乗せたテーブルを間に挟んで、色違いの硝子玉を手に持ったアイナと対面していた。
街の市場が落ち着き始め、また酒場などが店を開け始める頃合い。二人はこうした遊戯に興じることがある。示し合わせるわけでもなく、アイナが館に押し掛けてきた時に余裕があれば相手をする。余裕がなければお茶とお菓子を出して、会話に付き合う程度だ。
「そろそろウィナは帰路につく頃でしょうか」
アイナが紅色の硝子玉を置きながら切り出してきた。その話題に自分でも思うところがあるのか、ベルトランドはぼやくように言葉を返す。
「ウィナフレッドを送ったのは『お告げ』ですか」
アイナはこちらの顔をちらりと見て、再び石盤に視線を戻した。
「違いますよ。やっぱり気に食わなかったのですか」
「……気に食わない、というと語弊がありますな。不安だというのが的確でしょう」
「貴方は堅実な考え方が好きですからね。この間、教えたでしょう。人を導くには遊び心も必要だと」
青色の硝子玉のひとつを取り除きながらしれっと言うアイナに、思い当たる節がないベルトランドはため息をつく。返ってくる答えを予想しつつも、ベルトランドは丁寧に問いかけた。
「それはいつの事でしょうか」
「貴方が八歳の時、庭で遊んであげながら教えました」
「せめて十年以内の話にしてほしいものだ」
言いながら、今度はベルトランドが硝子玉を移動させる。その結果に視界の端でアイナの口が尖るが、気にせず紅色の硝子玉を盤上から取り除いた。
こういう時、彼女との寿命の違いによる認識のズレ――時間感覚の不一致により齟齬が生じることがある。アイナは十年前の出来事を昨日の事のように話したかと思えば、教会で引き取っている子供の成長を日ごとに喜び、詳らかに語るのだ。
老いるにつれ時間の感覚が早くなる人間には到底分かりえない、そんな密度の中で彼女は生きているのだろう。
「あの子にはあの子の自由がある。それは認めます。だが道を示すのも親の務めでもあります。アイナ様はあの子に何を求めているので?」
話を戻すとアイナの硝子玉を取ろうとした手が止まった。しばしの静寂の後、紡ぐように言葉を口にする。
「……きっと、私はウィナにちょっかいをかけたいのですよ。可愛いのです。愚直で元気で賢くて、それでいて異質なあの子が」
その言葉にベルトランドは一旦テーブルから身体を引き、ソファに深く背中を預ける。
「異質……ですか」
「全く魔法が使えない体質、前世のものと思われる記憶。本当に異質な存在でしょう? そのひとつだけでも唯一のものだというのに」
「考え方、見え方の違いでしょうか。私にはウィナフレッドがそのような存在に感じません」
「それはきっと貴方がそうあってほしいと思っているからですよ」
ですが、とアイナが続ける。
「もちろん実際のウィナは街の娘とそう変わらない、ただの女の子です。むしろ器用なあの子は何者にもなれるでしょう。学院の勉強にもついていけているようですし」
「ではなぜ魔装などに近づけるのです。あの子は小さい頃こそ騎士に憧れてはいましたが、今は立派に侍女を務めている。この先もこの家を支えてくれるでしょう」
「そう見えるでしょう。けれど、あの子が今でも剣の鍛錬をしているのを知っていますか? あの子は騎士への憧れに囚われ続けている」
ベルトランドは言葉を切ったアイナの顔を見た。アイナはどこか物悲しそうな表情で、ソファに座り直す。
「魔装がしょせん兵器であると、わかってくれれば良いのですが」
自分の硝子玉ではなく、青色の硝子玉を撫でながら物憂げに息を漏らした。その様子にベルトランドは顎に手を当てて眉をひそめる。
「お疲れですか? たまには行楽などに出かけるのも良いのでは。ウィナフレッドのように」
「当てつけに聞こえますよ」
「否定はしませんが、同時に本心でもあります。なんとなくウィナフレッドと貴女に、共通点を感じていたものですから」
「……それは?」
茶化したつもりだったが、アイナは一度瞼を落としてから視線を投げつけてきた。その仕草に圧のようなものを感じて、不思議に思いつつも答えを口にする。
「二人とも冒険が好きなのです。ウィナフレッドは未知のものに萎縮しない。アイナ様も新しいものや変わったものがお好きでしょう」
それを聞いたアイナは目を瞬かせて、それから安心したように表情を柔らかく崩した。
「嬉しいわ」
「お怒りになるかと」
「長く生きていると、つい自分を見守る側に置いてしまうの。誰かに見てもらえるというのは心地良いのですよ」
アイナの手が石盤の上におかれる。豪奢な装飾を施されたそれを愛でるように撫でていると、突如その手が跳ねた。
「アイナ様……?」
ベルトランドは異変を察して身を乗り出す。アイナはテーブルの上に視線を落としたまま、そこではないところ見ているように動きを止めたままだ。しばしの間の後、アイナは弾かれたように立ち上がる。その表情は顔色すら変わらないものの、打って変わって戦慄の冷たさを感じさせた。
「忌獣が来ます。迎え撃つ準備を」
「忌獣――!? このライニーズに!?」
ベルトランドは手を叩いて使用人を呼ぶ。突然の話にもアイナを疑うようなことはしない。アイナがそういうのならそれは事実なのだから。
「この街にある全ての魔装を動員しなさい。アルバラードとルディーンにも協力を要請します。至急!」
「承知致しました……!」
言うや否やアイナは遊戯室から飛び出した。ただならぬ気配に集まった使用人たちへ、ベルトランドは落ち着いて指示を飛ばす。
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昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
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