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2章

2-⑭クリスの贖罪

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 人間を失神させるのは意外と難しい。

 最近しょっちゅう失神している俺が言うのもなんだが、意識的に他人の気を失わせるのは殺してしまう危険性を孕んでいる。

 つまり絶妙な手加減が必要だ。

 俺は敵の顎先をかすめるように殴る。無音の打撃で脳みそを揺さぶられた敵は、何が起こったかわからないまま脳震とうを起こした。いつもならばそのまま放っておくところを優しく受け止めて、草むらの中へ転がしておく。


 リアナの丸投げは正しかった。任せ方には納得できないが。

 
 俺の身体強化の魔法はリアナのものと比べれば控えめだ。顎を殴っても首は吹っ飛んでいかないし、後ろから締め上げても急激な圧力で脳の血管を破裂させるようなことにはならない。

 なにより格闘士としての俺の技術――人間の身体構造への理解と、足運びによる振動の軽減が隠密行動にもってこいだ。

 冒険者で食えなくなってもクロエのところで雇ってもらえるかもしれないな、と変な自信がつき始めたところで、俺はすべての見張りを倒し終えていた。


「ふぅ――……」


 息を吐くと、俺は自分の声が出ていることに気づく。

 それまではリアナによる魔法で俺の体から発せられる音は完全に遮断されていたのだ。音が聞こえるということは、向こうからも安全を確認したのだろう。

 俺は元いた草むらに戻る。すると、俺の外套の匂いを念入りにチェックしている聖女がいた。
 
 なにやってんだこいつ。え? なんか匂う? 戻ったら念入りに洗濯した方がいいのか……?
 
「あ、ご苦労様」

 俺の懸念が伝わっているはずなのだが、リアナは気にするそぶりはない。何か一言くらいあってもいいと俺は思う。
 
「オーウェンは?」

 聞くと、リアナは後ろを指して言った。
 
魔装ティタニスに乗って戻ってくるわ。クリスたちがこっちに来るから、合流でき次第突入ね」

「もういるぜ?」

 声に振り向くと、すでにクリス他、武器を手にした冒険者たちが歩いてくるところだった。

 セシリーがリアナに顔を向ける。
 
「リアナちゃんに従えってさ。もうやっちまっていいんだろう?」

「いいわ。始めましょ」

 外套を俺に放って剣を抜いたリアナは、不敵な笑みを浮かべた。


             ◇   ◇   ◇
               ・   ・
             ◇   ◇   ◇

 
 長剣が目に見えないほどの速度で振るわれ、鈴のようなわずかな音色を残して止まる。

 剣を収めたリアナが前蹴り――つまりヤクザキックを繰り出すと、厚みのある鉄扉がバラバラにぶっ飛んでいった。

「は、はぁ!? な、なんだぁ!?」

 奥にいた数名の男たちが目の丸くして仰天する。そりゃ堅牢なはずの鉄扉が、平面パズルをひっくり返したみたいに突如崩壊したら驚きもするだろう。

 こっちの冒険者たちも同じように仰天していたが、さすがは熟練者――すぐさま飛び込んで男たちを制圧する。

「扉ってわかるか? 壁とは違うんだぞ?」

「開かないなら壁と一緒よ」

「お前そりゃぁ……。いや、一理あるな……」

 俺もなんだかだんだん毒されている気がするが、納得してしまったものは仕方がない。

 
 仲間に続いて奥へと飛び込むと、盾と警棒のようなものを持った男たちがわらわらと出てくるところだった。全員が顔に武骨な面をつけていて、その表情は読めない。

「死にたくなければ武器を捨てて伏せな! 後ろには魔装ティタニスも控えてんだ!」

 セシリーの怒鳴り声が洞窟内に響く。率先して警告を出してくれたのはありがたい。数ではこちらが勝っている。おそらく実力もだ。

 
「黙れ異分子がぁぁぁ! よくも我々の再興の邪魔をぉぉぉ!」

 しかし、男たちは聞く耳を持たなかった。次々と手元の棒を伸長させ、青白い雷光を纏わせる。

 すでに戦いの火蓋は切って落とされていた。
 
「魔器かよ!? いいもの持ってんじゃん!」

 セシリーの魔法を付与されたクリスが先陣を切る。その背中を追い越すように、冒険者たちから次々と攻撃魔法が放たれた。だが、その魔法のほとんどは敵が構える盾に当たり、弾かれてしまう。
 
 なんだあの盾は? 魔力を感じなかったぞ。

「……気に入らないわね」
 
 その異常さにリアナも気づいたようで不快そうに呟いた。
 
 盾だけでは魔法の威力を受けきることは難しいはずだ。だからこそ、通常は盾の表面に防御魔法を張り、盾そのものが破壊されないようにする。


 しかし、あの男たちに魔法を使った気配はなかった。
 
 
「すっげぇなそれ! よく見せてくれよォ!」

 クリスが高ぶったように吠える。繰り出した槍と雷光を纏う警棒がかち合い、光を発した。ちゃちな警棒であれば破壊できるだろう威力に見えたが、予想と反してクリスの槍は受け止められる。

 それだけではない。警棒から雷光が迸って、クリスの体へと駆け巡った。

「ぐぅ!?」

 苦しげにクリスが呻く。俺はとっさに間へと入り、盾ごと敵を蹴り飛ばした。

「大丈夫か!?」

「お、おうよ……!」

 後ろから気合を振り絞るような声が返ってくる。

 敵はすでに立ち上がっていた。岩壁に叩きつけたはずだが、動きが妙だ。手応えからは魔法での身体強化はしていないように思える。


 例えるならば痛みを感じていない、そんな動きだ。
 
 
 冒険者たちは遠距離魔法が通用しないと見て、近接戦闘に切り替えていた。

「こいつら、本当に正気かい!?」

 セシリーも後ろから見ている分、敵の奇妙さに気づいているのだろう。忌避感が顔から滲み出ている。

 他の者も数で勝るこちらにまったく怯まない敵へ困惑している雰囲気だ。

 だが――。

 
「ふッ!」

 
 気合と共に、盾もろとも両断された胴体が宙を舞う。それは別の敵の頭上に落下し、全身を血で染めながら面を剝ぎ取った。

 
 ……戦場に、一瞬の静けさが訪れる。

 
 それは情け容赦のない少女の剣に気圧されたものかもしれない。もしくは、仲間の胴を切り飛ばされたことへの怒りの前兆かもしれない。

 
 だが、俺が息を飲んだのは、血まみれの男の顔だ。


 男の目は白目のほとんどが血走り、額やこめかみに走る青筋が見てわかるほどに脈打っていた。
 
「あああぁぁぁぁああぁぁぁッ!」

 男が激高する。剣を整然と構えるリアナに向かって突進した。凄まじい形相に仲間たちの半数は動きを止め、半数はリアナを庇おうとする。

 少女はゆっくりと待ち受けるように剣を掲げた。

 悲壮な、それでいて慈愛を感じさせる表情。俺にとってはリアナらしくない――逆をいえば今までで最も聖女らしい表情だった。

 銀閃が弧を描く。
 
 声はなかった。ただし、男の体はその勢いを衰えさせ、リアナのそばを通り過ぎる。やがて力なく大地に倒れた後、男の体は正中線に沿って割れた。

 
 そこから、何かが変わった。


 この狂人たちは生半可な攻撃では止めらないと、全員が悟ったのかもしれない。はたまた、単に二人分の戦力を失ったことで、敵が総崩れを起こしただけかもしれない。

 どちらにしても酷い惨状だった。

 内臓を潰されても、槍で片腕を持っていかれても、狂人たちは戦うことをやめない。ならばどうすべきか。


 頭を潰すか、もう片方の腕を切り落とすしかない。
 
 
 やがて洞窟内には臓物と血の匂いだけが充満していた。


             ◇   ◇   ◇
               ・   ・
             ◇   ◇   ◇


「こんなひっでぇのは初めてだよ。俺は」

 隣でクリスが苦々しい顔する。

 俺たち二人は、細かく枝分かれした洞窟内を警戒しながら確認していた。まだ敵が潜んでいる可能性もあるからだ。

 だが、どこも古代兵器の残骸が打ち捨てられているだけで一向に敵の気配はない。

 やがて行き止まりにたどり着いた俺たちは、いったん引き返すことにした。

「んぉ……?」

 途中、遠くで少女の声が聞こえ始め、クリスが暗く伏せていた顔を上げた。戻るにつれて大きくなるその声は、鈴を転がすような美しい声だ。
 
 戦闘のあった場所に着く。そこではセシリーを含む冒険者たちが胸の前で手を組んでいた。
 
 その一番前で、リアナが剣を掲げて祈りの言葉を紡ぐ。
 
 
 ――――――――汝、地より賜りし肉を空に還さん。

 ――――――汝、空より賜りし血を地に還さん。
 
 ――――汝、星より賜りし魂を天上に捧げ、新たな光と成りて我らを見届けん。

 ――我ら罪人、いにしえに科せられし咎を漱ぎたもう。神が祝福せし死の口づけ、来たるその節まで……。


 祈りを捧げていたのは敵の遺体だ。狂人と化していた彼らも今はもう、血走っていた目は閉じられ、安らかな顔へと戻っている。
 
 祈りの言葉を終えたリアナが静かに剣を下ろす。その姿に何人かの冒険者が息を飲み、再び目を閉じて頭を垂れた。
 

「まるで聖女だ……」

 
 誰かがぽつりと漏らした呟きに俺の鼓動が跳ねた。本物なのだから当然だ。そう言われるのも無理はない。リアナとしてはただ祈っただけだろうが、見ている側からすれば神聖さがダダ洩れだ。

 呟きはリアナにも聞こえていただろうに、平然と剣を収めて俺の方へ近づいてくる。

 俺は声をかけようとしたが、先に誰かが俺の前に出てきた。クリスだ。リアナが目を丸くして立ち止まると、焦げ茶色の頭を深く下げる。

「リアナちゃん。なんか……ありがとな」

「な、なにがよ」

 いきなりの行動にリアナも困惑した様子だ。

「なんつうか……俺はこいつらが根っからの悪人だなんて思ってなくてさ。でも、あんなんじゃもう殺すしかなかっただろ? それが、ちょっと引っかかってたんだよ……」

 クリスは目を泳がせながら、しどろもどろにそう語る。

「でも……ああやって祈ってくれれば、こいつらも浮かばれるのかなって、な」
 
 その様子をリアナは言葉の最後まで静かに聞いていた。

 やがて、ふっと柔らかく微笑む。
 
「アンタ今、『でも』って二回言ってたわよ」

「あぁ~……上手く言えねぇわ! とにかく俺はスッとした! だからその礼なんだ!」
 
 クリスは髪を乱暴にかき乱すと、逃げるようにその場を去っていった。

 残された俺たちは顔を見合わせる。

「やっぱり賑やかなやつね」

「ああ、いいやつだよ」
 
 俺は昨日のオレグの件もあって、クリスの気持ちが痛いほど理解できた。

 警告はしたが、俺たちが男たちを皆殺しにしたのは事実だ。人は獣とは違う。やつらとて同じ言葉を話し、違う理念を持って生きてきた人間だ。その行いを罪として感じてしまうのは仕方がない。殺さなければ殺されていたという、決定的な理由があったとしてもだ。

 だからこそ、人は祈ることで少しでも罪の意識を軽くする。同じようにクリスはリアナの祈りによって心を軽くしたのだろう。

 
 それは俺も同じだった。

 
「……ちょっとユーリ?」

 気がつけば俺は何の気なしにリアナの頭を撫でていた。

 理由をつけるとすれば、普段の行いに対して聖女らしいことをしたから褒めてやりたくなったからだと思う。

 リアナは不満げな視線を向けてくるが、振り払いはされなかった。

「お、おい! みんな来てくれ!」

 その時、俺やクリスとは別の道へ確認しにいった冒険者たちが戻ってきた。慌てる彼らの様子から、俺たちは急いでその場を後にするのだった。
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