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第一章
自由を夢見る皇女
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嘘のように東の牢獄へ兵士が吸い寄せられていくなか、騒動に紛れて、詰め所から黒の外套を盗んだ。
「東の牢獄に何か仕込んでおいたのか?」
「いえいえ、牢獄の仕組みは詳しくは分かりませんので。はあ……」
衛兵に気を付けながら、収容所から北門に繋がる中庭に向かう。
「急がないと。いずれ俺がいないことに気付く。そうなる前に、帝都からなるべく離れていたい」
「そ、そうですね……」
マトビアが喉につっかえたような声を出した。額に汗がにじみ、少し息が荒い気がする。
何か変だ。
「ん、なにか気後れしてるのか? どうしたんだ?」
「いえ、なにも……」
一歩遅れて駆け寄るマトビアに、牢の前で俺を説きふせたときの勢いはない。
もしかすると、いざ脱走してみて怖気づいたのかもしれない。
それはそれで好都合。
マトビア皇女はテラスで紅茶でも飲んでいてほしいものだ。
「さあ! 急ぐんだ、中庭を抜けて北の城門から逃げよう」
「はぁ、はぁ……そうですね、急がないと」
中庭を走ると、びっくりするぐらい足の遅いマトビアが、息を切らして付いてくる。
本当にびっくりするぐらいに遅く。
「おいおい、歩いたほうが早いんじゃないか?」
「そんなこと……はぁ、はぁ、ないです……」
別にドレスで走っている訳でもない。脱出を見越して、膝が隠れるぐらいのスカートにシルクのシャツと、それなりに動きやすい服装ではあるし……。
そういえば……子供の頃からマトビアは体力がなかったな。
華奢な体つきから想像できるように、体を鍛えていないであろうマトビアは、肩を上げ下げして息も絶え絶えだ。
「お、お兄様……はあ……はあ……な……何か、走るのが楽になる魔法、は……ないの……ですか……?」
魔法……か。
人体に魔法を使ったことなんて滅多になかったので、言われてみてから気づいた。
軍では当たり前に使用される肉体強化魔法だが、俺の場合は、ほとんどが木材や金属にかけていた。研究のすべては、何かしらの装置を作り、人の生活をよりよくしていくことにあったからだ。
できなくもないが……。
「……ない」
「そ、そんな……」
ここはあえて拒否しておこう。
正直なところ、城の中庭も全力で走りきれないようなら、この先帝国の追手から逃れられんだろう。愛の鞭だ。
「さあ、行くぞ! ホントに置いていくからな!」
青白い顔を上げてマトビアは、うん、と頷く。
俺たちは中庭をぐるっと囲む廊下を無視して、北門への直線ルートを走った。
芝生から中央の噴水を過ぎたとき、後ろでドテッと鈍い音がした。
振り返れば、つまづいたマトビアが芝生に突っ伏している。顔面を芝生に埋めて、まるで釜に入れて焼く前のパン生地みたいになっている。
「マ、マトビアーー!」
凄惨な光景に思わず声を張り上げて、駆け寄った。
「お、にい、さま……」
「マトビア! しっかりしろ!」
仰向けにすると、鼻や額に細かい葉っぱがついている。祝宴や儀式では、曇りひとつない、常に美しく輝くベギラス帝国の顔だというのに。
ただ、見ていると内心、薬草パンみたいで可愛いなとも思えた。
「わたくし、お兄様と、一緒に、これから先も、逃げたかった……」
「……マトビア。『これから先も』とか言える段階じゃないぞ。まだここは城だ。お前が脱国しようとしてるなんて、誰も思わないだろう」
へむっ、と下唇を上にあげて、今にも泣きそうな表情に豹変した。
いったい、牢獄での凛とした雰囲気はどこにいったのか。
「ここに座っていろ。そのうち衛兵がお前を見つけて部屋に連れて行ってくれる」
まだまだマトビアは子供だ。
幼いころによく一緒に遊んだときのマトビアと同じ。
城で暮らしたほうが何倍も幸せだろう。
「……」
「なあ、マトビア……この程度の距離を走れないようじゃ、どう考えても無理だろう……?」
「……無理じゃない……」
マトビアは涙目になって顔をそむけた。
はあー……と自然に長いため息がでる。
置いて行ったほうがいいに決まっている。たぶん百人中九十人ぐらいが、そう思うだろう。
「すまないが、置いていくぞ」
マトビアに背を向けた瞬間、悲痛な叫びが後ろで聞こえた。
「束縛された人生なんてイヤなんですぅ! 自由になりたいの! お兄様と一緒に外の世界に飛び出したいのぉ!」
涙を流して切実に訴えるマトビアは、今までみたことのない表情をしていた。
マトビアがここまで追い詰められていたなんて、知らなかった。
泣いている妹を置いていくことは俺にはできない。
「分かった、分かったから……」
マトビアを落ち着かせてから、俺が記憶している魔法を頭の中で一巡りさせる。
足を速くする魔法なんてあったか?
「あれがいいかな……」
船の素材に使って浮力を上げるために使用していた魔法。
「『浮揚』」
生物にかけたことがないので、少しずつ魔力を高めて、調整する。
やがてゆっくりと、横たわったマトビアの体が地面から浮き上がった。
「す、すごいですわ、お兄様」
思っていた以上に強化魔法というのは魔力を使う。慎重に魔法をかけているのでなおさらだ。
地面から1フィートほど浮かぶと、そこで安定化させた。
よろめきながらマトビアが立ち上がる。
直立の姿勢も保てるようだ。
「初めてにしては上出来だな」
「でもお兄様、これだと走れませんわ」
「走る必要はない」
俺は手を差し出すと、マトビアが握った。手を引けば滑らかにマトビアの体が付いてくる。
「まあ!」
「これなら走らずとも俺と一緒に移動できるだろう」
あっという間に中庭を駆け抜けて北門につくと、騒動のせいで普段いるはずの門番がいない。
「運がいいのか悪いのか……」
無人の門をくぐると、馬車の車輪の音が聞こえた。こちらに近づいてくるので、身を隠せるような場所を探そうと急ぐ。だが門の周りというのは、防犯上、何もない。
「大丈夫です。あれはスピカです」
「スピカ?」
馬二頭立ての大型キャビンが停車する。俺と同じ年齢ぐらいの女性が御者台から転げ落ちるように、降りてきた。
紺色のワンピースに、真っ白の大きな襟と袖が目立っている。使用人がよく着用している服装だった。
「東の牢獄に何か仕込んでおいたのか?」
「いえいえ、牢獄の仕組みは詳しくは分かりませんので。はあ……」
衛兵に気を付けながら、収容所から北門に繋がる中庭に向かう。
「急がないと。いずれ俺がいないことに気付く。そうなる前に、帝都からなるべく離れていたい」
「そ、そうですね……」
マトビアが喉につっかえたような声を出した。額に汗がにじみ、少し息が荒い気がする。
何か変だ。
「ん、なにか気後れしてるのか? どうしたんだ?」
「いえ、なにも……」
一歩遅れて駆け寄るマトビアに、牢の前で俺を説きふせたときの勢いはない。
もしかすると、いざ脱走してみて怖気づいたのかもしれない。
それはそれで好都合。
マトビア皇女はテラスで紅茶でも飲んでいてほしいものだ。
「さあ! 急ぐんだ、中庭を抜けて北の城門から逃げよう」
「はぁ、はぁ……そうですね、急がないと」
中庭を走ると、びっくりするぐらい足の遅いマトビアが、息を切らして付いてくる。
本当にびっくりするぐらいに遅く。
「おいおい、歩いたほうが早いんじゃないか?」
「そんなこと……はぁ、はぁ、ないです……」
別にドレスで走っている訳でもない。脱出を見越して、膝が隠れるぐらいのスカートにシルクのシャツと、それなりに動きやすい服装ではあるし……。
そういえば……子供の頃からマトビアは体力がなかったな。
華奢な体つきから想像できるように、体を鍛えていないであろうマトビアは、肩を上げ下げして息も絶え絶えだ。
「お、お兄様……はあ……はあ……な……何か、走るのが楽になる魔法、は……ないの……ですか……?」
魔法……か。
人体に魔法を使ったことなんて滅多になかったので、言われてみてから気づいた。
軍では当たり前に使用される肉体強化魔法だが、俺の場合は、ほとんどが木材や金属にかけていた。研究のすべては、何かしらの装置を作り、人の生活をよりよくしていくことにあったからだ。
できなくもないが……。
「……ない」
「そ、そんな……」
ここはあえて拒否しておこう。
正直なところ、城の中庭も全力で走りきれないようなら、この先帝国の追手から逃れられんだろう。愛の鞭だ。
「さあ、行くぞ! ホントに置いていくからな!」
青白い顔を上げてマトビアは、うん、と頷く。
俺たちは中庭をぐるっと囲む廊下を無視して、北門への直線ルートを走った。
芝生から中央の噴水を過ぎたとき、後ろでドテッと鈍い音がした。
振り返れば、つまづいたマトビアが芝生に突っ伏している。顔面を芝生に埋めて、まるで釜に入れて焼く前のパン生地みたいになっている。
「マ、マトビアーー!」
凄惨な光景に思わず声を張り上げて、駆け寄った。
「お、にい、さま……」
「マトビア! しっかりしろ!」
仰向けにすると、鼻や額に細かい葉っぱがついている。祝宴や儀式では、曇りひとつない、常に美しく輝くベギラス帝国の顔だというのに。
ただ、見ていると内心、薬草パンみたいで可愛いなとも思えた。
「わたくし、お兄様と、一緒に、これから先も、逃げたかった……」
「……マトビア。『これから先も』とか言える段階じゃないぞ。まだここは城だ。お前が脱国しようとしてるなんて、誰も思わないだろう」
へむっ、と下唇を上にあげて、今にも泣きそうな表情に豹変した。
いったい、牢獄での凛とした雰囲気はどこにいったのか。
「ここに座っていろ。そのうち衛兵がお前を見つけて部屋に連れて行ってくれる」
まだまだマトビアは子供だ。
幼いころによく一緒に遊んだときのマトビアと同じ。
城で暮らしたほうが何倍も幸せだろう。
「……」
「なあ、マトビア……この程度の距離を走れないようじゃ、どう考えても無理だろう……?」
「……無理じゃない……」
マトビアは涙目になって顔をそむけた。
はあー……と自然に長いため息がでる。
置いて行ったほうがいいに決まっている。たぶん百人中九十人ぐらいが、そう思うだろう。
「すまないが、置いていくぞ」
マトビアに背を向けた瞬間、悲痛な叫びが後ろで聞こえた。
「束縛された人生なんてイヤなんですぅ! 自由になりたいの! お兄様と一緒に外の世界に飛び出したいのぉ!」
涙を流して切実に訴えるマトビアは、今までみたことのない表情をしていた。
マトビアがここまで追い詰められていたなんて、知らなかった。
泣いている妹を置いていくことは俺にはできない。
「分かった、分かったから……」
マトビアを落ち着かせてから、俺が記憶している魔法を頭の中で一巡りさせる。
足を速くする魔法なんてあったか?
「あれがいいかな……」
船の素材に使って浮力を上げるために使用していた魔法。
「『浮揚』」
生物にかけたことがないので、少しずつ魔力を高めて、調整する。
やがてゆっくりと、横たわったマトビアの体が地面から浮き上がった。
「す、すごいですわ、お兄様」
思っていた以上に強化魔法というのは魔力を使う。慎重に魔法をかけているのでなおさらだ。
地面から1フィートほど浮かぶと、そこで安定化させた。
よろめきながらマトビアが立ち上がる。
直立の姿勢も保てるようだ。
「初めてにしては上出来だな」
「でもお兄様、これだと走れませんわ」
「走る必要はない」
俺は手を差し出すと、マトビアが握った。手を引けば滑らかにマトビアの体が付いてくる。
「まあ!」
「これなら走らずとも俺と一緒に移動できるだろう」
あっという間に中庭を駆け抜けて北門につくと、騒動のせいで普段いるはずの門番がいない。
「運がいいのか悪いのか……」
無人の門をくぐると、馬車の車輪の音が聞こえた。こちらに近づいてくるので、身を隠せるような場所を探そうと急ぐ。だが門の周りというのは、防犯上、何もない。
「大丈夫です。あれはスピカです」
「スピカ?」
馬二頭立ての大型キャビンが停車する。俺と同じ年齢ぐらいの女性が御者台から転げ落ちるように、降りてきた。
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