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第一幕
【1-C】佐伯 蓮(配達員)編 第一幕
しおりを挟む――ギュルルッ。
急ブレーキで自転車のタイヤがアスファルトを擦る音が夜気に響く。
佐伯蓮はサドルから身を浮かせ、必死にハンドルを切った。
前方の横断歩道に、立ち尽くしたサラリーマンの群れ。
電車が止まったせいで、駅前の通りは人で埋め尽くされていた。
「ったく、マジかよ……」
息が白く立ち上る。
二十代半ば、黒のウィンドブレーカーに細身のジーンズ。
無精髭を生やし、キャップのつばを深く被った顔は、精悍というよりどこか投げやりだ。
だがその両脚は鍛えられたバネのようにしなやかで、日々の配送で培った身体能力が滲んでいる。
背中の大きな四角いバッグがゴトリと揺れた。
今日はもう配達を終えて帰宅するだけだった。
それなのに、道は人波で塞がれ、信号は赤く点滅を繰り返すばかり。
見上げれば、街灯がチカチカと不安定に瞬いていた。
電気系統がおかしい。嫌な予感がする。
ポケットのスマホが震える。
通知を見ると、トレンドには≪#帰れない人たち≫が急浮上していた。
駅前に溢れた人々の写真、動画、叫び。
蓮は苦笑する。
「こりゃ、バズるな……でも、シャレになんねえ」
スクロールすると、ひとつの投稿に目が止まった。
黒髪の女子高生が赤い街灯の下で自撮りしている。
キャプションは≪電車止まった……寒い。#帰れない人たち≫
顔に浮かぶ不安と、それでも笑おうとする表情が妙に印象に残る。
さらにその投稿に≪消防経験者です、困ってますか?≫と返信しているアカウント。
名前を見て、彼は眉をひそめた。
「村上……? まさか」
どこかで見た名だ。配送バイトで防災イベントのチラシを配ったとき、紹介文に載っていた元消防士の名前と一致する。
蓮は思わず鼻で笑った。
「世間って狭いな」
再び自転車をこぎ出す。
ペダルを踏むたびにギシギシとチェーンが軋む。
体を前に倒して人混みをすり抜けると、冷たい夜風が耳を切り裂くように吹き抜けた。
途中、駅前のコンビニの前で人だかりができているのが目に入った。
電気が消え、自動ドアは閉ざされたまま。
人々はガヤガヤと騒ぎ、誰かが「水を売ってくれ」と叫んでいる。
喉が乾く。蓮も思わずリュックの中のペットボトルに手を伸ばしかけたが、寸前でやめた。
この状況じゃ、自分の一本ですら貴重だ。
再びスマホが鳴る。
通知を開くと、誰かが≪暗い…どうしよう≫と呟いていた。
見覚えのある女子高生のアイコン。
「……マジでヤバそうだな」
その瞬間、街灯がバチンと音を立てて一斉に消えた。
世界が闇に沈む。
群衆の中から悲鳴と怒号が入り交じり、足音が四方八方に乱れ飛ぶ。
蓮はすかさず自転車を降り、ハンドルに括りつけていた小さなLEDライトを外した。
カチッとスイッチを入れると、白い光が闇を裂いた。
「おーい、落ち着け! こっち明るいぞ!」
近くにいた子どもが泣き止み、母親がほっとした表情を見せる。
周囲の数人が「助かる!」と声をかけてきた。
胸の奥がほんの少し熱くなる。
――こういうとき、自分はどうすればいい?
ただの配達員だ。
消防士や医者のような専門家じゃない。
けど、街を走り回ってきたからこそ知ってる道、場所、人の流れがある。
蓮はライトで前方を照らしながら、声を張り上げた。
「駅の北口の方が広いスペースある! とりあえずあっちに移動した方が安全だ!」
数人が頷き、群れが少しずつ動き始めた。
その背後で「Stay with me!」と叫ぶ声が聞こえた。
光の輪の中に飛び込んできたのは、背の高い旅行者風の金髪女性と、先ほどの女子高生だった。
彼女たちの息は荒く、頬は赤く染まり、必死に誰かを探しているようだった。
女子高生がスマホを掲げて言う。
「誰かが……助けてくれるって!」
その言葉に、蓮は一瞬笑ってしまった。
あの村上って人のことだろう。
そして自分も、今この場で誰かを導いている。
「よし、じゃあ俺も加勢するか」
バッグの中に残っていた配達用の反射ベストを取り出し、腕に巻いた。
光を反射してわずかに存在感を示すそれは、制服の代わりのように思えた。
夜風が吹き、冷たい匂いが鼻を刺す。
遠くで犬がキャンキャンと鳴き、どこかでガラスが割れる音が響く。
街は確実に壊れていく気配を見せていた。
それでも、彼は笑った。
「デリバリー、まだ終わってねえな」
スマホを掲げ、≪#帰れない人たち≫に書き込む。
≪駅北口に安全スペースあり。ライト持って誘導します≫
親指で送信ボタンを押した瞬間、指先に確かな力が宿る。
それはいつもの配達アプリで≪配達完了≫をタップするのと似ていた。
ただし、今日の荷物は『人』だ。
届け先は『安心』だ。
蓮はペダルを踏み込み、光の筋を闇に切り開いていった。
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