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第一幕
【1-D】新井 彩花(看護師)編 第一幕
しおりを挟む――ピピッ、ピピッ。
白衣のポケットに入れっぱなしのナースウォッチが、時間を刻む音を主張している。
夜勤明けの新井彩花は、重たい足取りで駅へ向かっていた。
スニーカーのソールがアスファルトをペタペタと叩き、体にまとわりつく疲労をいやでも意識させる。
ショートボブの髪は乱れ気味、化粧は落ちて、肌は蒼白。
それでも背筋はまっすぐに伸びている。
「患者さんの前では、だらしなくしない」――その習慣が染みついていた。
看護師歴7年。
笑顔で声をかけること、弱音を飲み込むこと、責任を背負うこと。
そのすべてを毎日繰り返し、いつの間にか頼れるお姉さんと呼ばれるようになっていた。
だが今、彼女の目は眠気と緊張でわずかに赤く充血している。
改札をくぐろうとしたとき、駅構内がざわめきに包まれていた。
電光掲示板には『全線運転見合わせ』の文字。
瞬間、空気が凍りついたように人々の声が止まり、それから一気にガヤガヤと騒音が膨れ上がった。
「運転見合わせ? 嘘でしょ……」
彩花はため息をつき、スマホを取り出した。
SNSには≪#帰れない人たち≫というハッシュタグが急速に広がっていた。
≪電車が止まった≫
≪駅が真っ暗≫
≪不安で泣いてる子どもがいる≫
スクロールするたびに胸がざわつく。
その中に、若い女性の自撮りが目に留まった。
赤い街灯の下で、不安そうに笑う女子高生。
≪電車止まった……寒い≫――そうキャプションが添えられている。
ふと、職業柄の癖が顔を出す。
――顔色悪い……寒さで体調崩すかも
知らない人なのに、気になって仕方がなかった。
ポケットでスマホが震えた。
同期の看護師からのメッセージだった。
≪帰れない……外にいる人が倒れたって≫
胸がどくんと鳴った。
彩花は駅の喧騒を抜け、外に飛び出した。
夜気は冷たく、吐く息は白い。
街灯がジジッ、バチンと不規則に点滅し、すぐに消えた。
闇に包まれた歩道で、人々が不安げにざわめいている。
「すみません、誰か倒れた人は?」
彩花は人混みに声を張った。
数人が指差す方を見ると、スーツ姿の中年男性が地面に横たわっていた。
額から汗を流し、唇が青白い。
彩花はすぐに膝をつき、バッグから携帯用の手袋を取り出した。
「大丈夫ですか? 聞こえますか?」
反応は弱い。
脈をとる――遅い。
「誰か、119に!」と叫んだが、周囲の人はスマホを見せ合って首を振った。
電波が不安定で、通じないらしい。
ザワザワ……
人々のざわめきが耳に重くのしかかる。
だが彩花は冷静だった。
呼吸を確認し、気道を確保。
必要なら心臓マッサージを――と身構えたその時、
「ライトあります!」
声とともに白い光が差し込んだ。
振り向くと、背中に大きな四角いバッグを背負った青年が自転車を引きながら立っていた。
キャップをかぶり、息を切らしている。
ウーバー……配達員だ。
彩花は知らない相手だったが、その必死の顔を見て即座に判断した。
「助かります! 照らしてください!」
光の下で、男性の顔色がはっきりと見えた。
脈は弱いが、まだ生きている。
彩花は手際よく応急処置を施しながら、周囲に指示を出した。
「あなた、水を探して! そっちの人、タオルかハンカチを!」
頼まれた人々は一瞬戸惑ったが、彼女の声に押されるように動き始めた。
誰かが持ってきたハンカチで汗を拭き、別の人が差し出したペットボトルで口を湿らせる。
やがて男性がゴホッ、ゴホッと咳をして、かすかに目を開けた。
「……助かった」
小さな声に、周囲から安堵のため息が広がった。
彩花は胸を撫で下ろした。
手袋を外し、バッグにしまいながら思う。
――私、もう病院を出てきたはずなのに
なのに結局、ここでも誰かを助けてる。
スマホを取り出し、震える指で≪#帰れない人たち≫を開いた。
書き込む。
≪駅前で倒れた男性、応急処置しました。意識あり。医療者が周囲にいます、大丈夫です≫
投稿を送信すると、隣でライトを持っていた配達員が小さく笑った。
「看護師さんっすか? すげえな」
「……ただの癖です。ほっとけないんです」
彩花も苦笑した。
遠くでサイレンがウーウーと響き始めた。
だがそれが本当に救急車かどうかは分からない。
街は混乱している。
今夜、彼女がまだどれだけの『癖』を発揮することになるのか――彩花自身、予想できなかった。
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