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第一幕
【1-F】リサ・グリーン(外国人観光客)編 第一幕
しおりを挟む成田からの電車に揺られながら、私はずっと窓の外を眺めていた。
東京の夜景は、写真で見たよりもずっと密度が高くて、光が途切れることがなかった。まるで夜空を埋め尽くす星を逆さまにしたみたい。
スーツケースの取っ手を握りしめる。二度目の日本旅行。明日から京都に行く予定で、今日は東京に泊まるだけのつもりだった。
駅のホームに降り立った瞬間、冷たい風が髪をなでた。オーストラリアの夏からやって来た身には、この空気はまるで冷蔵庫の中に入ったみたいに感じられる。
切符を確認して、改札を抜ける。日本語のアナウンスが早口で流れていて、単語のいくつかは理解できたけど、全体の意味は追えない。
「Okay, no problem……」
自分に言い聞かせるように小さくつぶやく。旅行では多少のトラブルがつきものだ。そう思った矢先だった。
――ぐらり。
足元が揺れた。
「What……?」
最初は電車が通り過ぎただけかと思った。でも、次の瞬間にはドンッと大きな衝撃が響いて、頭上の蛍光灯が激しく明滅した。
「Oh my god!」
思わず声が出る。天井からガラガラッとパネルが揺れ、どこかでガラスの割れる音がした。人々が一斉に悲鳴を上げ、押し合うように出口へと走り出す。
私はスーツケースを抱えるようにしてしゃがみ込んだ。背中に冷や汗が伝う。
オーストラリアでは地震を経験したことがなかった。足元から伝わるゴゴゴゴ……という振動は、想像していたよりもずっと長く、強く続いた。
頭が真っ白になる。どうすればいいのか分からない。
そのとき――誰かが私の手をつかんだ。
顔を上げると、制服姿の女の子が必死の表情でこちらを見ていた。黒髪が乱れて、頬に涙がにじんでいる。
「Stay with me!」
その声は震えていたけれど、まっすぐに私の胸に飛び込んできた。
私は思わず頷いた。彼女の手は小さくて細いのに、驚くほど力強かった。
揺れが収まったあとも、駅の構内は混乱していた。日本語の声が飛び交うが、私には断片的にしか理解できない。
「出口」「danger」「gas」――そんな単語だけが耳に刺さる。
少女――ミサキ、と名乗った――は震えるスマホを握りしめていた。画面に映るのは赤いエラーメッセージ。
「No signal?」
尋ねると、彼女は悔しそうにうなずいた。
電気がふっと落ち、暗闇が一瞬、世界を覆った。
誰かの泣き声。どこかで響く金属のきしむ音。
私はとっさに自分のスマホを取り出した。画面を点けると、幸いにもライトが使える。周りの人たちも次々にスマホを掲げ、闇の中に小さな光が点々と浮かび上がった。
ミサキが私の手をもう一度強く握る。
その温もりに、胸の奥の恐怖が少しやわらいだ。
外に出ると、夜の街は想像していた東京とまったく違っていた。
ビルの窓は暗く、街灯も半分以上が消えている。遠くでサイレンがウーウーと鳴り響き、空は薄い煙で覆われていた。
「It’s…… like a movie……」
思わず口にした言葉は震えていた。
ミサキはこちらを見て、首を横に振った。その目は「これは現実だ」と語っていた。
足元でガシャッとガラスを踏む音。鼻の奥に、ガスのような匂いがつんと入り込む。私は思わずスーツケースを置き、マフラーで口元を覆った。
周りの人たちは慌ただしく電話をかけようとしたり、誰かを探すように走り回ったりしている。
私はただ、ミサキの隣で立ち尽くしていた。観光客の自分に、できることなんてほとんどない。
――でも、この子の手を離さない。それくらいなら
そう思ったとき、ミサキが小さな声でつぶやいた。
「……だめ、動かなきゃ」
その言葉は自分に向けてのものだったのだろう。だけど、私の胸にも強く響いた。
私は彼女の手を握り返す。
「Yes. Together.」
その夜、私は初めて災害というものを、ただのニュースや映画ではなく、肌で感じた。
そして見知らぬ少女と手を取り合うことが、どれほど心強いことかを知った。
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