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第二幕
【2-B】村上 忠志(元消防士)編 第二幕
しおりを挟む翌朝、体育館の隅で毛布にくるまったまま、村上忠志は天井の鉄骨を見つめていた。
浅い眠りを何度も破ったのは、余震と、人々のすすり泣き。
心臓が不規則に脈を打ち、耳の奥で血がざわめいている。
――もう、俺は消防士じゃない。
そう言い聞かせても、耳に飛び込むのは「誰か助けて」という声ばかりだった。
午前。
避難所の周囲では、ボランティアや自衛隊が炊き出しの準備を始めていた。
だが物資は足りず、並ぶ人々の表情には苛立ちが見え隠れする。
高齢の男性が列で倒れかけ、反射的に村上は駆け寄って肩を支えた。
「すぐ座ってください」
周囲の目が一斉に自分に集まる。
「あなた、消防の方?」
「違います。もう引退してて……」
「でも救急の知識あるんでしょう? お願い、見てやって」
言葉を返す間もなく、誰かが差し出した水を手に、呼吸を確かめている自分がいた。その手つきは、退職から三年経った今も染みついていた。
昼過ぎ、避難所に情報が舞い込む。
SNSの画面を見せながら、若者たちが声を上げた。
≪駅前ビルに取り残されてる人がいるらしい≫
≪子どもの声がする≫
村上は画面に釘付けになる。
「本当か? 場所は……」
「いや、ただの噂かも。でも拡散されてるんです」
ハッシュタグの下には、不鮮明な写真と震える手で書かれた≪Help≫の文字があった。
胸がざわめく。
昔なら、すぐに仲間と現場に駆けつけていただろう。
だが今は違う。ここには装備も仲間もいない。あるのは老いた体と、かろうじて残った体力だけだ。
「行かない方がいい。危険すぎる」
医療班の看護師――新井彩花が、強い口調で制した。
「余震も続いています。今はむやみに人を減らす方が被害につながります」
その真っ直ぐな視線に、村上は言葉を失った。
だが数分後、避難所の外で一人の青年が拳を握っていた。
佐伯蓮。無精ひげに痩せこけた顔。
「俺、行きます」
思わず声を荒げた。
「馬鹿言うな! 命を投げ出していい年じゃないだろう」
蓮は目を伏せながらも言った。「チャリありますし、スグっすよ」
その瞳に、かつての自分を見た。
炎に飛び込む前夜の、恐怖よりも使命感に突き動かされていた頃の自分を。
夕刻。
村上はひとり外へ出た。冷たい風が頬を打つ。
倒壊しかけたビルの影が、夕焼けの空に黒く突き立っている。
そこから確かに、人の声が聞こえた気がした。
「助けて……」
耳鳴りか、幻聴か。
けれど足は勝手に前へ出る。
瓦礫の隙間から漂う土埃の匂い。わずかな隙間に残る空気の気配。
体が感じている。そこに命がある、と。
スマホを取り出すと、バッテリー残量は≪2%≫を示していた。
画面にはリサ・グリーンという外国人の投稿が流れ、翻訳アプリ越しに≪どこに行けば安全?≫と表示されていた。
返事を打とうとするが、親指が止まる。
今、自分が答えるべき相手は画面の向こうか、それとも……。
倒壊しかけた建物の前で、村上は立ち止まった。
声はもう一度、確かに響いた。
「誰か……」
胸の奥で二つの声がせめぎ合う。
――助けなければ。
――いや、余震が来たらお前も死ぬ。
歯を食いしばる。
これまで守ってきた、
人命尊重という言葉の重み。そして退職したから、という言い訳。
どちらが正しいのか、誰にもわからない。
ただ、選ばなければならない。
三年前の現場が頭の中でよみがえっていた。
分岐(村上 忠志・第二幕ラスト)
倒壊しかけた建物の前で、助けを呼ぶ声がした。
「助けないと……」しかし、余震の危険が頭をよぎる。
足が止まる。スマホのバッテリー残量は1%。
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