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第二幕
【2-C】佐伯 蓮(配達員)編 第二幕
しおりを挟む冷たい風がビルの谷間をすり抜けていく。蓮は肩をすくめながら、自分のジャケットの前をぎゅっと引き合わせた。まだ二月。夜の街は底冷えし、震災二日目の冷気は容赦なく体力を奪っていく。
背中のリュックの中身は、昨日の配送で運びきれなかった荷物だ。ペットボトルの水、非常食のクッキー、乾電池――。本来なら顧客に届けるはずの品々は、停電や道路寸断でどこにも行き場を失っている。
「……これ、どうするよ」
ひとりごとが白い息に溶けた。
避難所で見かけた親子が、水を探して泣きそうな顔をしていたのを思い出す。リュックを開けて「どうぞ」と差し出すこともできたはずだ。でも足は止まらなかった。自分の分が減るのが怖かったからだ。
蓮は歩きながら、何度も胸の奥で言い訳を並べた。
――これは客の商品だ。俺が勝手に配ったら横領だろ
――もしこの先、俺が本当に飢えたら?
――捨てるよりはマシだよな
けれど、言い訳のたびに胃が重くなる。
信号が点灯していない交差点を渡るとき、すぐそばでタイヤがキュッと鳴いた。思わず飛び退く。暗闇にライトのない自転車がすり抜けていった。運転していた若者が怒鳴る。
「見て走れよ!」
反射的に「お前が見ろ!」と叫び返す。
自分でも驚くほど声が荒かった。昨日から、妙にカッとなりやすい。眠れていないし、空腹もある。だが一番は自分がどうすべきか決められない苛立ちが、胸の底で煮え立っていた。
昼前、ようやく辿り着いた公園は、炊き出しの列でいっぱいだった。
金属鍋の湯気が白く立ちのぼり、腹を刺激する匂いが漂ってくる。列は長いが、並べば温かい食事にありつける。
蓮はふと、背後のリュックの重みを感じた。荷物の中にあるクッキーや水を思い出す。ここでそれを分ければ、少なくとも目の前の人たちを助けられるのに。
「お兄さん、それ、飲み物入ってる?」
声をかけられた。振り返ると、小学生くらいの女の子が立っている。頬がこけて、唇は乾ききっていた。
蓮は言葉を失う。だが次の瞬間、母親らしき女性が駆け寄ってきて、少女の肩を抱いた。
「だめでしょ、知らない人に……すみません」
女性は慌てて頭を下げた。
「いや、別に……」
蓮は曖昧に笑って、リュックをぎゅっと締め直した。
足元で砂利がジャリジャリと音を立てる。
差し出せばいい。ただそれだけなのに。
でも、まだ渡せない。もし明日がもっとひどい状況になったら? 自分に何も残らなかったら?
午後になると、通信障害はさらにひどくなった。SNSの更新もまばらで、ハッシュタグに載る救援情報は数時間遅れだ。
蓮はモバイルバッテリーを取り出し、スマホに差し込む。残量はあと20%。
一度満充電すれば、もうこの先は電気がいつ通じるか分からない。
そのとき画面に通知が光った。
≪助けて≫
≪崩れた建物の中に人が≫
位置情報は、ここから走れば十五分ほどのエリア。
蓮は立ち止まった。心臓がどきんと鳴る。
――いや、俺は消防士でも医者でもない。ただの配達員だ
――こんなリュック背負って足手まといになるだけだろ
けれど、画面に流れ続ける≪助けて≫の文字が頭から離れない。
彼は結局、足を向けてしまった。
夕暮れ。ビルの影が長く伸びる街角に、その建物はあった。
一階部分が斜めに沈み、壁にひびが走っている。今にも崩れそうだ。
周囲には誰もいない。風が吹き抜ける音と、かすかな呻き声だけが漂っていた。
「……誰かいるのか?」
蓮は声をかけた。
「た、助けて……!」
返ってきたのは確かに人の声だった。
全身が凍りついた。
助けるべきだ。わかっている。
でも、一歩足を踏み出すと、地面がミシッと鳴った。背筋を悪寒が走る。
脳裏に昨日の余震がよみがえる。建物の前で立ちすくむ人々、崩れ落ちる瓦礫。
そして、自分がその下敷きになる姿。
スマホを見やる。残量は2%。ライトをつければ、すぐ電池は尽きるだろう。
――俺ひとりが飛び込んで、意味あるのか?
――もしここで死んだら、誰も得しないじゃないか
分岐(佐伯 蓮・第二幕ラスト)
でも、声はまだ続いている。弱々しく、途切れがちに。
蓮の喉が、ごくりと鳴った。
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