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第二幕
【2-D】新井 彩花(看護師)編 第二幕
しおりを挟む体育館の床に敷かれたブルーシートは、夜の冷えを遮ってはくれなかった。
眠れぬまま、彩花は何度も寝返りを打った。耳に残るのは人々の咳き込み、子どもの泣き声、そして不規則な余震の揺れ。目を閉じても、震災当日の慌ただしい病棟の光景が蘇ってくる。
「――看護師さんですよね?」
うとうとしていたところを呼び止められ、彩花は上体を起こした。年配の女性が孫の手を引き、不安げに立っている。
「この子、熱があるみたいで……」
自分の名前や職業を言った覚えはなかった。だが噂の伝達は早いらしい。彩花はカバンから体温計を取り出し、子どもの額にそっと触れた。熱い。
「大丈夫ですよ。水分を少しずつ摂らせて、温かくしてあげましょう」
そう言いながらも、ここには十分な毛布も薬もない。手元にあるのは簡易救急セットと、病院から持ち出した数枚のマスクだけ。
午前中、避難所の職員から「医療従事者の方はいませんか」と呼びかけがあり、結局、彩花が中心となって簡易的な医療コーナーが設けられることになった。
咳をする人、擦り傷を見せる人、持病の薬を切らした人。
対応するたび、彩花は
――これは応急処置にすぎない、本来なら病院で診るべき患者だ
と自分に言い聞かせた。だが交通は止まり、電話も通じない。
「せめて血圧だけでも……」
手元にある器具で測定しながら記録をとる。紙切れに走り書きされた数字が増えるたび、責任の重さが胸に積もった。
昼過ぎ、彩花は外に出て、配給の列に並んだ。
手渡されたのはおにぎり一つと水のペットボトル。
「あの……もう少し、子どもに回してあげられませんか?」
彼女が口を開くと、列に並んでいた男性が苦笑した。
「誰もが同じですよ。看護師さんだからって優先できるもんじゃない」
冷たい言葉に返す言葉が見つからず、彩花はおにぎりを両手で受け取った。
確かにその通りだ。自分だって一人の避難者に過ぎないのだ。
だがそのとき、小さな手が彼女の袖を引いた。先ほどの熱のある子どもだった。
「ありがとう、ねえちゃん」
弱々しい笑顔に、胸の奥がきゅっと締め付けられる。彩花は半分に割ったおにぎりを、その子に差し出した。
午後になると、通信障害で繋がらなかったスマートフォンに一瞬だけ電波が戻った。
彩花は震える指でメッセージアプリを開いた。
≪彩花、無事?≫
友人からの短い文字。だがすぐに≪圏外≫に変わり、返信は送れなかった。
画面の通知欄には、見慣れない英語の投稿が並んでいる。
≪#QuakeHelp≫≪#WhereIsSafe≫
――どうやら外国人観光客が助けを求めているらしい。
彩花は一瞬、翻訳アプリを立ち上げようとしたが、バッテリー残量が20%を切っているのに気づき、慌てて電源を落とした。
「ごめんね……」
画面の向こうで誰かが助けを待っているかもしれない。それでも今は、自分にできる範囲を守るしかなかった。
夜。
避難所の片隅で、彩花は再び人々の体調を見回っていた。
高齢の男性が胸を押さえて座り込み、周囲がざわついた。
「救急車を!」
誰かが叫ぶ。だが車は来ない。電話も通じない。
彩花は必死に脈をとり、周囲の若者に声をかけた。
「ここを押さえて、息苦しさを和らげて!」
彼らはぎこちなく従った。
やがて男性の呼吸が落ち着き、安堵のため息がもれる。
「ありがとう、看護師さん」
その一言に、彩花は返す笑顔を作る余裕すらなかった。ただ、震える手を膝に押し当てた。
深夜。
体育館の隙間風が冷たく吹き抜ける。
彩花は自分の体を抱きしめ、目を閉じた。
看護師である前に、ひとりの人間としての孤独と不安が押し寄せてくる。
「私だって、誰かに守られたいのに……」
そのとき、外から小さな鳴き声がした。
「ミャァ……」
振り返ると、避難所の入口近くに、痩せた三毛猫がうずくまっていた。
「ミケ?」
思わず立ち上がる。だが群衆の影に隠れ、すぐに姿が見えなくなる。
あれは幻だったのかもしれない。
胸の奥にかすかな温もりを残しながら、彩花は再び床に座り込んだ。
明日もきっと、同じように誰かの命と向き合うのだろう。
けれどその先に、自分の居場所が残っているのか――誰にもわからない。
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