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第三幕
【3-A】高瀬 美咲(高校生)編 第三幕
しおりを挟む避難所の片隅、濡れたスニーカーを脱ぎながら、美咲はSNSに短く書き込んだ。
≪#生きてます #みんなありがとう≫
画面の明かりは頼りなくても、その言葉は確かに誰かに届いていく。
――でも、返事が返ってくるとは限らない。
既読のつかないトーク画面を、美咲はそっと閉じた。
周囲には毛布にくるまる人々の寝息が交じる。体育館の床は冷たく、ゴツゴツと背中に板の硬さが伝わる。小さな子どものすすり泣きが時折響き、大人の「大丈夫だからね」という慰めの声がかぶさる。
外では、風が鉄筋の隙間を抜けるたびにヒュゥゥと鳴った。崩れかけの建物から剥がれたトタンが風に煽られて、ガシャ……ンと遠くで落ちる。
美咲は毛布に顔をうずめた。湿った布からは、少しカビ臭いような、でも安心するような匂いがする。鼻の奥がツンとした。
「……眠れないな」
ぽつりとつぶやいても、返事はない。隣には知らないおばあさんが横になっていて、静かな寝息を立てていた。
夜明け前、避難所の体育館に冷気がしみ込む。
美咲はうとうとしながら、スマホを握ったまま浅い眠りに落ちていた。
≪……ピコン≫
わずかな通知音に、ぱちりと目を開ける。胸が跳ねる。
≪見つけたよ、美咲。無事でよかった。≫
震える指で画面をスクロールする。差出人は、クラスメイトの沙羅だった。
電波が弱く、数時間遅れで届いたメッセージらしい。
「……よかった……」
安堵の息が漏れ、頬が緩む。涙が溢れるのを慌てて袖で拭った。
だがすぐに、不安の影が差す。
≪ごめん、私はまだ結衣と萌絵の行方がわからない。家族ともつながらなくて≫
その文字列に、美咲の胸が締めつけられる。
「私が……励まさなきゃ」
そう思っても、言葉が出てこない。返事を打とうとすればするほど、指が止まる。どんな言葉も軽すぎて、空っぽに思えてしまう。
朝日が昇る。窓の外は灰色の雲に覆われているが、かすかに光が差し込む。
配給の列に並び、温かいおにぎりを受け取った。手のひらにじんわりと熱が広がる。海苔の香りが鼻をくすぐり、思わず唾を飲み込んだ。
「ありがとう」
ボランティアの青年にそう言うと、彼はにっこり笑って「がんばってね」と返してくれた。
その笑顔が、胸の奥にしっかり残る。
避難所に戻る途中、壁際で体育座りをしている小学生を見つけた。肩を震わせ、泣いている。
「大丈夫?」
声をかけると、少年は顔をあげ、涙でぐしゃぐしゃになった表情を見せた。
「ママが来ないの……」
胸の奥が痛んだ。どうしていいか分からず、美咲はただ隣に座り、温かいおにぎりを差し出した。
「一緒に食べよっか」
少年はおずおずと手を伸ばし、小さなかじる音が体育館のざわめきに混ざった。
昼過ぎ、外からドドドド……と重機の音が響いてきた。窓越しに見ると、道路を塞いでいた瓦礫が取り除かれ始めている。
「救援隊だ!」
誰かの声が響き、避難所の空気がざわめいた。人々の顔がぱっと明るくなる。
「よかった……」
美咲の頬にも自然と笑みが浮かんだ。
やがて拡声器からの声が体育館に響く。
「これから物資をお配りします! 順番に並んでください!」
段ボール箱が次々と運び込まれ、毛布や水、食料が配られていく。人々が感謝の言葉を繰り返し、体育館全体が少しずつ温かさを取り戻していくのが分かった。
夕方、美咲は再びスマホを開いた。
電池残量はわずか。
でも、どうしても伝えたい言葉があった。
≪私、ここで待ってる。生きてる。だから、また会おうね≫
送信ボタンを押した瞬間、バッテリー残量が赤く点滅し、画面が暗転した。
「……あ」
思わず小さな声が漏れる。
けれど、不思議と焦りはなかった。メッセージはきっと届くだろう、と胸の奥で確信していたからだ。
その夜。
体育館の照明が落とされ、闇の中で人々の寝息が広がる。
美咲は毛布に包まり、天井を見上げた。
まだ余震はあるかもしれない。まだ会えない人もいるかもしれない。
でも――
目を閉じると、あたたかな声が耳に残っていた。
「がんばってね」
「一緒に食べよっか」
「無事でよかった」
それは、どこか遠くにいる沙羅の声と重なった。
胸の奥が、ほんのり温かくなる。
震災がすべてを奪ったわけじゃない。
残ったもの、つながったものが、確かにここにある。
美咲は静かに息を吐き、毛布を引き寄せた。
小さな「ありがとう」の声が、誰に届くともなく闇に溶けていった。
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