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第五章 15歳

40 答え合わせ

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「ネルズィエン皇女……」

 俺のつぶやきに、赤毛の美女が俺を見た。

「む……? 貴様、わたしを知っているのか?」

 赤毛の美女は、眉をひそめてそう言った。

 そう。
 地底湖の下から現れたのは、ネルズィエンだった。
 ネオデシバル帝国の皇女ネルズィエン=ジトヒュル=デシバリ。
 六年前のブランタージュ戦役で俺と矛を交えた相手である。

 六年前は吸魔煌殻のレプリカを身につけてたネルズィエンだが、今日は黒地に赤のラインの入ったライダースーツみたいな格好だ。
 ぴったりしたスーツは、ネルズィエンの見事なプロポーションを強調してる。
 顔といい、抜群のスタイルといい、ネルズィエン皇女で間違いない。
 ……おまえはどこで人を識別してるんだと言われそうだが。

 ネルズィエンは俺のことを覚えてないようだ。
 六年前にかけた暗示は、まだ切れてないらしい。

 完全に予想外の再会だ。
 俺は反応に困っていた。

 だが、この場で顔見知りであるのが俺とネルズィエンだけであるというのは、俺の思い込みにすぎなかった。

「ネルズィエンンンンッ!」

 ラシヴァが、獣のような叫びとともに、ネルズィエンに飛びかかる。

「ちっ、『影の鎖よ』!」

 俺はとっさに自分の影から漆黒の鎖を生んで、ラシヴァを後ろから搦めとる。

「くそっ! 離せ! なぜ邪魔をするっ!」

「そいつの扱いは、話を聞いてから決めればいいだろ」

 俺は、鎖で拘束したラシヴァを引き戻す。
 ラシヴァは、俺の影から伸びた鎖で動けない。

(あのまま突っ込んでたらやられたな)

 ネルズィエンのお目付役である老将が、あの一瞬で大剣を振り上げている。
 ネルズィエン自身も、長い鞭をラシヴァに走らせる寸前だった。

(戦闘力では向こうが一枚上手かな)

 俺が値踏みするように皇女と側近を見てるあいだに、皇女が周囲の惨状に気がついた。

「こ、これは……貴様らの仕業か!?」

「誤解するな。殺してはいねえよ。今のところは、だけどな」

「貴様……その髪と肌の色は……まさか、サンヌル? 丞相の関係者か……? いや、ちがう。わたしは貴様に見覚えがある……?」

 ネルズィエンが、額を押さえ、頭を振りながらそう言った。

(へえ……)

 以前かけた暗示が切れかけてるのかもしれないな。

「ここで出会えたのはちょうどよかった。暗示をかけ直して、また帝国の世論工作をやってもらおうか」

「な……に?」

「これじゃ話が進まないな。よし、一度記憶を取り戻してもらおうか」

 俺はパチンと指を鳴らす。

「ううっ……!?」

 ネルズィエンが、頭を押さえたままでよろめいた。

「皇女殿下!? 貴様、いったい何をした!」

「ジノフさんだっけ。あなたのも解いておこう」

「ぐっ……!?」

 もう一度指を鳴らすと、ジノフもまたうめき声を漏らしながら頭を抱える。

 その隙に、「エリアスタン」で転がってた他の兵たちに、選択的睡眠魔法をかけておく。立ち直っていきなり動かれたら面倒だからな。

「くっ……頭が、割れるように痛い……」

 よろよろと顔を上げた皇女に、俺は言う。

「や。ひさしぶり、ネルちゃん」

「き、貴様は!? あ、ああああああっ!? すべて……すべて思い出したぞ! 貴様のせいでわたしは……うああああああっ!」

 片手を挙げてにこやかに挨拶する俺を見て、ネルズィエンが激昂した。
 俺に向かって飛びかかりながら、手にした鞭を振るってくる。

「おっと」

 俺は、影から鎖を伸ばして鞭を絡め取る。

「貴様のせいでえええええっ!」

 ネルズィエンは止まらなかった。
 絡め取られた鞭を放り出すと、手に「炎の剣」を生み出して斬りかかってくる。
 まるでさっきのラシヴァみたいな形相だった。

 俺は鎖をまた生んで、ネルズィエンの身体をがんじがらめにする。

「ぐううううっ!」

 激しく手足を動かし、俺を睨みつけるネルズィエン。

「殿下!」

「おっと、動くなよ? 俺がその気になれば、皇女殿下の首はぽっきりだ」

「くっ……」

 ジノフが、踏み出しかけた足を止める。

 そこで、背後から声が聞こえてきた。

「リーダー! ラシヴァ君! 無事!?」

 ミリーの声だ。

「おい、ミリー! リーダーは後ろにいろと言ってたろう!」

 シズレーンはその後を追ってきたようだ。

「ま、待てよ! こんなところに置いてかないでくれ!」

 どたどたと魔術科の二人も追いついてきた。

 これで、俺のチームは全員が合流できた。

 ミリーたちは、地底湖の空間をおっかなびっくり見回した。

 バタバタと倒れている帝国兵。
 ラシヴァとネルズィエンは、俺の影の鎖でがんじがらめの状態だ。
 唯一自由の身の老将は、大剣を手にしたまま俺を睨んで隙を伺おうとしてる。

 魔術科の男子の一人が、ぼそりと言った。

「……えっと、どういう状況?」

 男子生徒の感想は、ここに居合わせた全員の気持ちを代弁していた。






 とりあえず、やるべきことからやっていくことにした。
 地底湖の階段の奥に残ってた兵をおびき出し、「エリアスタン」からの選択的睡眠魔法をかける。
 眠り込んだ帝国兵を、わがチームメンバー総出で後ろ手に縛り上げてもらう。
 魔術科男子ズやミリーはおっかなびっくりやってたが、シズレーンはそれよりはしっかりしてる、
 拘束を解かれたラシヴァも、ひとまず連中を動けなくすることには賛成し、実に手荒い感じで兵たちを縛り上げていった。

 そのあいだに、俺はジノフを降伏させる。
 ラシヴァにやらせると激発しそうだし、他のメンバーに任せるのも不安ってことで、俺がジノフを縛って、手頃な鍾乳石につないでおく。

 全員の顔に疑問符が浮かんではいたが、やるべきことがはっきりして、少しは不安が緩んだようだ。

 部下たちが武装解除され拘束されていく様子を、影の鎖に拘束されたままのネルズィエンは、憤怒というのも生ぬるい、血涙でも流しそうな顔で見守っていた。

「……いっそ殺せ、エリアック!」

 作業がひと段落したところで、ネルズィエンがそう叫ぶ。

「人を傀儡にして弄ぶような真似をしておいて……ひと思いに殺したらどうだ!」

「いやだなぁ、ひさしぶりの再会だっていうのに。
 もうかれこれ六年ぶりか。元気そうでよかったよ」

「ぬかせッ! 貴様のかけた暗示のせいで、わたしが帝国でどれほどの辛酸を舐めたと思ってる!」

「……おい、どういうことなんだ。いい加減説明しやがれ」

 久闊を叙する俺とネルズィエンに、ラシヴァが苛立った顔で言ってくる。

「ラシヴァには関係ないことなんだけどな」

「関係ないわけがあるか! こいつはネオデシバルの皇女だろうが! ザスターシャの宮廷で、俺はこいつのことを見知ってる! 俺の国を奪った張本人なんだからな!」

 帝国に滅ぼされたザスターシャ王国の元王子であるラシヴァは、ネルズィエンのことを知ってたらしい。

「……エリアック。なぜ貴様がザスターシャの元王子と一緒にいる? 今度はいったい何を企んでいるんだ?」

 ネルズィエンも疑問に思ったらしく、聞いてくる。

「ラシヴァと一緒になったのはただの偶然だよ。学園騎士団の遠足で同じチームになっただけだ。楽しい遠足になるはずが、どういうわけか、学園領内で帝国兵と出くわしてしまった。
 で、なんであんたがここにいる?」

「……貴様のせいだ」

 ネルズィエンが、うなるように言った。

「えっ、俺のせい?」

「そうだ! 六年前、貴様はわたしに『吸魔煌殻の使用にできる範囲で反対せよ』と暗示をかけたろう! わたしはこの六年、帝国のためと思い込み、吸魔煌殻の使用禁止を皇帝陛下に上奏し続けてきたのだ!」

「それは……ご苦労様」

「くぅぅぅっ! わたしは……わたしは! 将来の帝国と兵のためにと思い……陛下のご不興を買う覚悟で、蟄居同然の身分でありながら、吸魔煌殻の廃止に向けて努力を重ねてきたのだ!
 それがすべて貴様の思い通りだったなどと……くそぉぉぉっ! 殺せ! いますぐにわたしを殺せ!
 面白いか!? わたしの気持ちを踏みにじり、皇族のプライドをおちょくって……こんな恥辱を受けるくらいなら、あの時に殺されていたほうがよほどマシだ!
 うあああああっ!」

 ネルズィエンが、狂ったように髪を振り乱し、涙すら浮かべてそう叫ぶ。

「ちょ……リーダー。この人に何をやったの? ち、恥辱ってどういうこと?」

 ミリーがドン引きした顔で聞いてくる。

「そうか! てめえは六年前の戦役の時に、この皇女サマをひっ捕らえて、例の危ねえ闇魔法で傀儡に変えて、帝国に送り返しやがったんだな?」

 ラシヴァが、なかなか鋭いところを見せてそう言った。

「そういうこと。ネルズィエンには、ミルデニア攻めと吸魔煌殻の使用に反対するよう暗示をかけておいたんだ」

「なんでひと思いにこいつを殺さなかった? こいつを捕らえられるような状況だったんだ。ブランタージュ伯領に攻め入った帝国軍を全滅させることだってできたんじゃねえか?」

「そこまでやったら、帝国から本気の反撃を食らうと思ったからね。帝国軍を撃退できたのは、地の利のおかげも大きいし」

 《不夜城ブラックカンパニー》は大掛かりな仕込みが必要だからな。どこででも使えるような魔法じゃない。

「それに、生かして帰して、向こうで抵抗勢力になってもらったほうが、王国にとっては好都合だと思ったんだよ。どこまで効果があったかはわからないけど……実際、どうだったんだ?」

 ネルズィエンに聞いてみる。
 ネルズィエンは、顔をそらして回答を拒む。

「しらを切ってもどうせ吐かせることになるんだけど」

「……くっ。ブランタージュ伯領から逃げ帰ったわたしや兵たちが怯えていたことで、帝国がミルデニアへの侵攻をためらったのは事実だろう。あのいまいましい丞相には、またべつの狙いがあったのだろうがな……」

「ふぅん。効果はあったんだ」

 うなずく俺に、シズレーンが片手で額を押さえながら言った。

「いや、待ってくれ。それでは、ここ数年の帝国との均衡状態は、そもそもリーダーが作り出した状況だったというのか?」

「さすがにそこまでじゃないだろ。反帝国同盟は、国王陛下の外交努力の賜物だし」

 肩をすくめた俺を、ネルズィエンが睨んでくる。

「嫌みな謙遜をするな、エリアック。
 まさしく貴様の思い通りだったろうが。
 貴様さえいなければ、ブランタージュ伯領を落としたわが軍は、その勢いで王都ラングレイをも落としていたはずだ」

「はあ~……衝撃的なジジツが次々出てきて受け止めきれないんだけど……」

「まったくだ……」

 ミリーとシズレーンがうなずきあう。

「さっきから何度か出てる『丞相』っていうのは?」

「丞相は丞相だ。ネオデシバル帝国のまつりごとを一手に担う執権のような存在だ。貴様によく似た、性根のねじくれた男だよ」

「俺に似た?」

「キロフ=サンヌル=ミングレア。奇しくもおまえとおなじサンヌルだ」

「サンヌルか……年齢は?」

「さあ、わからぬ。二十歳前後だろう。実際にいくつかは知らないがな」

「そういえば、ネルズィエンもあまり変わりがないな。六年前とほとんど容貌が変わってない。美人は得ってことか?」

「び……っ。
 い、いや、わたしの容貌が変わらぬのは、宮殿の抗老化技術のおかげだ。いざという時に政略結婚の材料にできるよう、花を枯らさぬようにしているというわけだ」

 自嘲気味に、ネルズィエンがそう言った。

「えっ、そんなことできるんだ。なんかずるいね」

 ミリーはネルズィエンに微妙に反感を持ったっぽい。

「そのサンヌルがどうしたって?」

「くそっ。いったいどこのどいつだ? サンヌルには魔法が使えぬなどと言い出したのは……。そいつが目の前に現れたら縊り殺してやりたいぞ」

「ってことは、そのキロフとかいう丞相も……」

「そう。貴様同様魔法が使える。やつもまた精神操作の魔法を得意としているようだな。その魔法で帝国の中枢を掌握し、帝国の全権を握ってしまった」

「なるほど……」

 帝国にも転生者がいるんじゃないか――そんな疑いは持ってたわけだが、そういう話ならそいつが第一候補になるだろう。
 年齢的には噛み合わないような気もするが、俺と同じタイミングで転生したとも限らないしな。
 そもそも、俺を転生させたあの女神様が、そんな危険な人物まで転生させていたとは考えにくい。

「ん? でも、おかしくないか。それなら、なんでネルズィエンはキロフのいいなりにならなかった?」

「ふん……どうやら、貴様のせいらしい」

「俺の?」

「ああ。貴様がわたしにかけた魔法のせいで、わたしにはキロフの精神操作への耐性が生じた……ようだ。キロフによればな」

「待て。キロフは俺の存在を知ってるのか?」

「いや。キロフは、わたしを洗脳して送り返したのはミルデニアの『王国の影』だろうと推測していたな」

「ああ、なるほどな」

 俺の知らないところでそんな危ういことになってたとは。
 勝手に誤解してくれたようで助かった。
 向こうは、こっちにも転生者がいるってことに、気づいてないのかもしれないな。

「そいつについても掘り下げたいが、先に目の前の問題を片付けるか。
 ネルズィエン。なんでおまえはここにいる? この洞窟の奥には何がある?」

「それは……」

 ネルズィエンが口を開きかけたところで、


 ――おおおおおおおん……


 洞窟に、不気味な声が鳴り響いた。
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