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第五章 15歳

70 影と光と

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◆キロフ視点

 闇野光佑こうすけ――いや、エリアック=サンヌル=ブランタージュが仕掛けてきたのは、極細の糸とその陰を使った飽和攻撃だった。

(なるほど、頭を使っている)

 キロフは内心でつぶやいた。
 この糸はおそらく、ウルヴルスラの都市機能を用いて作った、魔力伝導性の糸だろう。
 帝国の本拠たる古代宮殿ラ=ミゴレも、同様の繊維を生産できる。
 ネルズィエンが使っているバトルスーツや、キロフがオーダーメイドした今の衣装にも、魔力伝導性繊維が使われていた。
 その繊維をワイヤーのように撚りあわせ、攻撃へと転用する――なかなか有効な発想だ。

(この世界での戦いを突き詰めれば、行き着くところは中距離戦ですからね)

 魔法の威力が高まるにつれ、敵に接近して武器で攻撃するのは難しくなる。
 優れた魔術師同士の戦いに、近接武器の出番はない。弓では威力が不十分だ。

(といって、銃を実用化することもできません)

 前世の知識を持つキロフは、当然真っ先にそのことを考えた。
 だが、帝国の技術者を動員した銃の開発実験は、完全な失敗に終わっている。
 帝国の技術を持ってすれば、銃を製造すること自体は問題ない。
 だが、試作させた銃は、いずれも想定された威力を発揮しなかった。
 完全に不発に終わったものも少なくない。
 それはどうやら、銃の設計の問題ではなく、火薬の問題のようだった。

(この世界では、火薬による爆発が起こりにくい――そうとしか思えない結果でした)

 世界のあらゆる場所で火薬の爆発を抑制する――そんなことができる存在は、精霊以外に考えられない。

(精霊――おそらくは火の精霊が、化学反応による爆発を四分の一程度に抑制しているのでしょう)

 もちろん、銃火器が世界に普及するのを防ぐためだろう。
 ゼーハイドと戦う力としては、魔法があれば十分だ。
 銃火器は、ゼーハイドとの戦いでは役に立たず、人間同士の戦争の道具にしかなり得ない。
 黄昏人はそれを嫌い、一切の爆発現象を抑制することにした――
 そういうことにちがいない。

(である以上、この世界の戦いは中距離からの魔法合戦に落ち着きます。武器を持つなら、中距離で有効な武器を選ぶのが合理的だ。しいていえば弓かと思っていましたが……)

 魔法で糸を操り、空間を制圧する。
 攻撃、防御を兼ねた上策だ。

 もっとも、これをこなすには、相当に複雑な魔力の制御が必要なはずだ。
 しかも、エリアックは、糸を操りながら、同時に魔法まで使っている。
 常人では頭が混乱しそうなものだ。
 人間は、マルチタスクには向いていない。
 同時に複数のタスクに意識を集中するのは、難しいというより不可能に近く、多大なフラストレーションとストレスを生む。
 無理やりやったとしても、糸か魔法、どちらかの制御が甘くなることは避けられない。
 だが、今のところ、エリアックには隙らしい隙が見当たらない。

(ふむ……そんなに器用な人間でしたかね?)

 違和感は覚えたが、戦いの最中にそれを掘り下げている余裕はない。

 キロフの張った「空間硝子化」の障壁が、エリアックの力任せの一撃で砕け散る。
 と同時に、糸とその陰が、キロフを切り刻もうと、全方向から襲いかかる。
 逃げ場はないように思われた。

 キロフは、冷たい笑みを浮かべた。

(わかっているはずですが……)

 キロフは自分の影の中に飛び込んだ。
 「影隠れ」は、この世界でもメジャーな術だ。
 最下級の黒装猟兵ですら、この程度の術は使いこなす。

 だが、飛び込んだ影の中には異物があった。

 影の中では目で物が「見える」わけではないが、影の中に感覚を広げることで、目で見る以上の情報を得ることができる。

 その感覚が、影のあちこちに「浮かぶ」魔力の塊を捉えていた。
 闇の魔力に包まれた、圧縮された光の魔力。
 影の中を動く者に反応し、爆発するという仕掛けのようだ。

(「輝影爆雷」……と言っていましたか)

 エリアックは戦いの初手で、影の中にこの爆雷をばらまいた。
 キロフの「影隠れ」を防ぐためだろう。
 以前の戦いで、キロフはエリアックの飽和攻撃を無傷で切り抜けてみせた。
 「影隠れ」はその唯一の方法というわけではないが、もっとも手頃な手段ではある。

(べつの手札を見せる必要もありませんね)

 彼には、「影隠れ」がキロフにとって重要な回避手段だと思い込んでもらおう。

(影の中で作用する魔法を開発したのは君だけではないのですよ、闇野君)

 キロフは、影の中でつぶやいた。

「『影の餓狼シャドウハウンド』」

 影の世界に、影でできた数匹の「狼」が現れる。
 シルエットしかない紙細工のような「狼」たちは、影の中に埋伏された光の爆雷へと食らいつく。
 影の中で、連続して光の爆発が巻き起こる。

(やれやれ。地雷処理犬ではないのですがね)

 エリアックがキロフを倒したと誤認することを狙って、キロフはしばらく影の中で息をひそめる。
 だが、エリアックは油断せず、再び爆雷を送り込んできた。

(処理すれば生きていることがバレますか)

 なら、素直に出た方がいい。

 キロフは影の中から飛び出し、同時に腰の後ろの翼で羽ばたいた。

「そこか!」

 声と同時に飛んできた糸をかわす。
 キロフは木の幹を盾にしながら、糸と、そこから伸びる陰の刃をかいくぐり、森の樹冠の上に抜ける。

「ここまでは糸は届かないでしょうが……」

 つぶやいた直後、森の樹冠を割って、光の塊が飛び出してきた。
 キロフは影の刃を飛ばす。
 だが光は、影の刃に貫かれる直前に消失した。光の残像が、さらに上空に駆けのぼる。
 キロフは再び影の刃を放つ。
 光が大きくなった――いや、近づいた。
 キロフは、片翼だけを強く羽ばたき、斜め下へと急降下する。
 身をひねって見上げてみると、さっきまでキロフのいた場所を、突如出現したエリアックの拳が貫いていた。
 いや、拳ではない。
 魔法伝導性の糸を手繰たぐるのに使っていた、グリップ付きのリールのようなもの。その先で、糸が螺旋を描いている。
 光と闇の魔力に染まった極細の糸が螺旋を描き、ドリルのような先の尖ったコーンを形成していた。
 コーンは、キロフの腹に風穴を開けるのに――いや、キロフの身体をねじ切るのに十分な大きさがあった。

「ちっ……」

 空振りに、エリアックが舌打ちを漏らす。
 その腰の後ろから、闇色の翼が現れた。
 キロフが使っている「影の翼」と同様のものだろう。
 ホバリングして対峙するエリアックに、キロフは揶揄の言葉を投げかける。

「おや、私の物真似ですか?」

「便利そうだったからな。おまえの術の構成自体は、前回見てわかってるし」

「たいしたものです。この世界の人間は、魔力を読むことすら怪しいですからね。他人の術を見てその構成を盗む。そのレベルの術者は、帝国にも数えるほどしかいませんよ」

「数えられる程度にはいやがるのか」

 エリアックは嫌そうに言いながら、ドリルをほどき、空中に糸を広げていく。
 糸は、空中でりがほどけ、さらに細い糸へと分かれていく。
 糸は網目状に広がり、キロフを押し包むように展開する。

「なかなか厄介な武器ですが……単純な弱点がありますよ」

 キロフはつぶやき、翼を使う。
 エリアックに向かって急加速しながら両手を交差。
 両手の先に一振りずつの長大な剣を生み出した。
 剣は交差した箇所にかすがいを打たれ、ひとつの巨大なはさみと化す。
 梃子によって威力を増した左右からの斬撃が、エリアックを捉えた――
 ように見えたその瞬間、エリアックは残光を残して消えていた。

 エリアックは一瞬で、十メートルほど離れた中空に現れる。

「なるほど、光魔法で瞬間移動をしているのですか」

「すぐに見破りやがるな。結構苦労して習得したんだが……」

 エリアックがあっさりと認めた。
 キロフが知る由はないが、エリアックが今使ったのは、円卓戦でエクセリアが使っていた光速移動――「電光刹過でんこうせっか」の術だった。

 だが、

「あなたが使うのなら、私も隠す必要はありませんね」

 キロフの視界が光に満ちる。
 いきなり目の前に現れたエリアックに、キロフは再び生み出した鋏を振るう。

「うおっ!?」

 エリアックが残光とともにかき消えた。
 キロフの視界を光が埋める。
 光が消えると、目の前に再びエリアック。
 キロフはエリアックの背後に光の槍を生みながら、前からは影の鋏で切りつける。

 エリアックは、両手の糸を剣状に変え、左右から迫るキロフの鋏を、腕を広げて受け止めた。
 一瞬遅れて「電光刹過」。
 上に逃げたことはわかったが、エリアックの背後に生んでいた光の槍がキロフに迫る。
 キロフは、それを鋏で叩き落とす。
 光と闇の相克で、槍と鋏がかき消えた。

 上空で再び翼を広げたエリアックが言う。

「ちっ、やっぱりてめえも使えるのかよ」

「当然でしょう? あなたが開発したのか、学園都市に伝わっていたのかは知りませんが、いずれにせよ帝国の中枢にいる私がこの術を知らないはずがない」

 キロフはさっきの攻防で「電光刹過」を使ってみせた。
 最初の接近は、キロフの「電光刹過」によるものだ。
 それに対し、エリアックは「電光刹過」で後ろに逃げた。
 それを追いかけ、二度目の「電光刹過」。
 同時にエリアックの背後から光の槍を放って退路を絶った。
 エリアックは、背後を塞がれたことを悟ってキロフの鋏を受け止めてから、「電光刹過」で上に逃げた。
 キロフは、自分自身が生んだ光の槍に足止めされ、仕切り直しとなったのだ。

 いずれも、ひとつの判断ミスで致命傷を負いかねない攻防だった。
 光速で移動した先に敵の攻撃が「置かれて」いたら、見てから回避することは不可能だ。
 光速対光速の戦いは、駆け引きそのものをも高速化する。

「くふふ……っ、愉しいですねぇ。私は一瞬後には死ぬかもしれない。こんなスリルを味わったのは久しぶりですよ」

「あいかわらずの変態野郎だな。こんな神経を削るような戦い、いつまでもやってられるかってんだ」

「堪え性がありませんね。これからが面白くなるというのに」

「言ってろ」

 しゃべっている間に、エリアックの手元から糸が宙に広がっていく。
 糸は、戦場の上空を、網目で覆うように広がった。

「天網恢々疎にして漏らさず、ですか?」

「おまえみたいなのがのさばってんだ。天の網とやらは、ちょっと目が荒すぎる」

 キロフの軽口に答えながら、エリアックが両手を傾けた。
 リールから伸びた天の網が傾く。
 天の網の向こうに太陽が見えた。
 糸の影を操るのに、必ずしも魔法の照明は必要ない。
 キロフから網越しに太陽が見えるということは、キロフの全身に網の陰が落ちたということだ。
 一瞬後には、キロフの全身は無数のサイコロに変わるだろう。

「ひゅぅっ……」

 キロフは思わず息を吐きながら、手近な「陰」に飛び込んだ。
 手近な「陰」――自分自身に落ちた糸の陰だ。

「なにっ!?」

 逃げ場のないはずの攻撃をかわされ、エリアックが声を上げる。

 キロフは、狭苦しい陰の中で魔法を放つ。

「『影の餓狼シャドウハウンド』」

 影の中を、「狼」のシルエットが駆け抜ける。
 「狼」は、エリアックの手元の影から飛び出した。

「うぉっ!?」

 あわてて身をひねるエリアック。
 その首筋から血がしぶく。
 「狼」の牙が、エリアックの首筋をかすめたのだ。

「ちぃっ!」

 エリアックが「影の翼」を消した。
 天に広げた網はそのままで、まっすぐに森へと落ちていく。
 器用に糸を使って勢いを殺し、エリアックが森の地面に着地した。
 足からとはいかず、エリアックは受け身を取って転がった。
 キロフは、その背後の影から姿を現し、生み出した影の大鎌を横に薙ぐ。

 ――キロフの振るった大鎌の刃は、エリアックの首を薙ぎ払っていた。
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