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第9話 王子は気配察知で敵兵をかわす
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リスと化したグレゴール兄さんを回収した俺は、謁見の間から王族の居住区画を目指して廊下を進む。
もちろん、常に警戒しながらだ。
曲がり角のたびに足を止めて気配をうかがい、空いた部屋があれば身を隠す。
最初にグレゴール兄さんと合流した時には、謁見の間から出たところで敵兵の集団に出会した。
今回は「セーブデータ間進行状況引き継ぎバグ」のおかげで到着時刻が20分強早かったので、敵兵とは遭遇せずに済んでいる。
それにしても、
「敵兵の数が少なくない?」
俺は人のいない部屋の隅にしゃがみこんで兄さんに聞く。
兄さんが背負い袋のポケットから俺の肩へと器用に登る。
「うん、それは僕も気になってた。謁見の間だって、いくら父さんたちを討って『用が済んだ』とはいえ、兵を一人も配置しないのはおかしいよ」
俺の肩の上でシマリスが長い前歯を動かしながらそう言った。
「兄さんはいつからあそこに隠れてたの?」
「敵兵の奇襲を受けたのが4時すぎだから、5時前にはあそこにいた。それからはずっと隠れていたよ」
「その、供回りの人たちは?」
「最初は一緒だったけど、あまりに劣勢だったからね。僕には『変身』があるから一人でもなんとかなる。むしろ、一人のほうが逃げやすいくらいだ。護衛のものたちにはバラバラになって逃げるように指示を出した。マクシミリアン兄さんのところに急を報せる必要もあると思って、それぞれに伝書を持たせてある。もちろん父さんも伝令を出したはずだけど、状況が状況だ。情報伝達は確実を期したいところだからね」
「そうなんだ⋯⋯」
「中には自分たちだけ逃げるわけにはいかないと言って、父さんの護衛に回ったものたちもいた。彼らは⋯⋯」
兄さんが口を濁す。
俺は謁見の間に倒れていた無数の死体を思い出した。
「父さんと母さんが殺されたのは何時だった?」
俺の質問に、兄さんが目をぱちつかせた。
「時間、かい? 僕が最後に時計を見たのは、ホールにある大時計だね。その時には4時40分くらいだったと思う。父さんが敵兵に討たれたのは5時前後だろうね」
「5時前後⋯⋯もう少し正確にわからないかな? 具体的には、5時になる前だったか後だったかが知りたいんだけど」
もっと具体的に言うなら、「05:03」より前か後かだ。
それだけで、状況ががらりと変わってくる。
もちろん、俺の最初のセーブデータの保存時刻が05:03だからだ。
もし、父さんと母さんが殺されたのが05:03より後だったら、スロット1のデータをロードして「謁見の間階段下」のセーブポイントにジャンプすれば、二人を助けられる可能性が浮上する。
俺の追及に、兄さんが首を左右に振った。
「さすがにそこまではわからないよ。5時だと、時計塔の鐘も鳴らないからね。
ただ、僕が謁見の間にたどり着いた時にはもう、父さんも母さんも捕まっていた。敵兵はすぐに二人を殺したから、おそらく5時よりは前だったろう。僕も恐怖ですくんでいたから自信はないけど⋯⋯。
でも、それが今大切なことなのかい?」
「ちょっとね⋯⋯後でまとめて説明するよ」
兄さんの話を聞いた限りでは、望みは薄そうに思える。
父さんと母さんが殺されたのは5時前で、俺の最初のセーブデータは5時3分。
ファストトラベルの行き先引き継ぎバグを使っても、5時3分より早く謁見の間に駆けつけることは不可能だ。
最初のセーブポイントに、あと10分早く到達していれば⋯⋯。
どうしようもないこととはいえ、苦い感情が込み上げてくる。
そこで、俺の耳にかすかな音が聴こえた。
「⋯⋯足音がする。兄さん、ポケットに隠れて」
「よく聴こえるね? わかった。でも、背負い袋だと苦しいから、君のジャケットのポケットでもいいかい?」
「急に動いた時に潰れそうだけど」
「その時はなんとか飛び降りるさ。前が見えないほうがよっぽど怖い」
「それもそうか」
俺が了承すると、兄さんは俺のジャケットのポケットに潜り込む。
俺は、廊下側の壁に耳をつけ、敵兵の足音に耳を澄ます。
この状況で、もし敵兵がこの部屋に踏み込んできたら一巻の終わりだ。
足音が聴こえるような距離にはそもそも入らず、避けて通ったほうが安全だろう。
じゃあ、なんでそんなリスクを冒してるのかって?
それは、「敵の足音を近くで聴くこと」自体に意味があるからだ。
正確には、「敵の足音を10メートル以内の距離で30~100回聴く」ことに意味がある。
地下隠し通路での逃げ隠れから今までの分を合算すれば、そろそろこの条件を満たすはずだ。
廊下を足早に進む敵兵の足音が近づきーー遠ざかっていく。
その遠ざかっていく足音が、急にくっきりと聴こえるようになった。
音量自体は変わらないが、足音だけが取り出され、他の音から区別されたような感じである。
集中すると、もっと遠くにいる敵兵のかすかな足音までもが識別できた。
「⋯⋯よし、覚えたな」
ニューロリンクスキル「気配察知」。
ゲームCarnageでは、プレイヤーキャラクターの他、一部のエリート斥候兵が保持しているスキルである。
その効果は、読んで字の如く、敵の気配が読めるというものだ。
「気配察知」では、敵の足音や息づかいが強調されて聴こえるようになる。
もっと微妙な「気配」としか言いようのないものも「感じ取れる」ようになる。
ゲーム知識によると、現実にはありえない「第六感」のようなものを、脳に錯覚させる仕組みになってるらしい。
このスキルをさらに鍛えると、遠くにいる敵の姿が視界に重なって見えるようになるという。
だが、そこまで行かずとも、物音や気配を捉えられるだけでも十分に使える。
これまでセーブ&ロードで死に覚えするしかなかった敵の位置が事前にわかるようになるんだからな。
「覚えたって、何をだい?」
兄さんが小声で聞いてくる。
「話は、次のセーブポイントに着いてからにするよ」
「せーぶ……ぽいんと?」
疑問符を顔に浮かべるシマリスをポケットに押し込んで、俺は廊下へと歩み出る。
もう隠れる必要もなくなったので、俺は時間短縮のために廊下を小走りに進んでいく。
そして、「気配察知」が何かを感知したら身を隠す。
敵兵がどの方向を向き、どこへ行こうとしてるのかがなんとなくわかるので、どこに隠れれば安全かはおのずとわかる。
一度などは厨房の食卓の下にしゃがんで隠れ、敵兵が食料をあさって出て行くのをすぐ間近でスルーした。
「⋯⋯し、心臓に悪いね」
兄さんがポケットから頭を覗かせて言う。
「大丈夫だって。ちゃんと気配がわかってるから」
「いつのまにそんな熟練の斥候兵みたいな技術を身につけたんだい?」
「それも後でね」
たしかに、この世界で今俺がやったレベルの「気配察知」ができるのは、実戦経験豊富な斥候兵くらいだろう。
実際、「敵の足音を10メートル以内の距離で聴く」なんていう経験を「現実」で30~100回もやってれば、そのうちの何割かは敵に発見されてるはずだ。
この条件を満たして、かつ生きて帰れた幸運な斥候兵となると、数が限られるのも無理はない。
自然の中で感覚を研ぎ澄ましたエルフや、生まれつき鋭い五感を持つ一部の獣人が、まれに覚えてることはあるみたいだけどな。
俺は、厨房の勝手口から外の気配をうかがい、安全を確認してから扉を開く。
扉の外は、屋内とは打って変わって明るかった。
昇り始めた朝日が、園丁たちが手間をかけて整えた庭園に射し込み、朝露の降りた葉を黄金色に輝かせている。
城内では今も血なまぐさい惨劇が進行中だというのに、この空間だけは、素知らぬ顔でその美しさを朝の陽光の中で誇示していた。
この中庭はかなりの広さがあり、緑の垣根が何重にも巡らされ、迷路のようになっている。
身を隠して進むにはうってつけだ。
ポケットの中でハラハラしてる兄さんを尻目に、俺は垣根のあいだを迷うことなく進んでいく。
と、垣根の切れ間から、大きな噴水が現れた。
この噴水も、昨日までと変わらず暁光を受けて煌めいている⋯⋯と言いたかったが、噴水には何人もの兵や廷吏、女官の死体が投げ込まれ、その水面は真っ赤に染まってる。
「むごいことを⋯⋯」
その光景を見て兄さんがつぶやく。
一方で俺は、噴水のかたわらに探していたものを見つけてほっとする。
俺は、やわらかい緑の光を放つ半透明の球体へと近づき、手をかざす。
【セーブ】
スロット1:
ユリウス・ヴィスト・トラキリア
トラキリア城・地下隠し通路入口(北)
942年双子座の月4日 05:03
・
・
スロット5:
ユリウス・ヴィスト・トラキリア
トラキリア城・謁見の間階段下
942年双子座の月4日 05:44
スロット6:
ユリウス・ヴィスト・トラキリア
トラキリア城・中庭
942年双子座の月4日 06:37
・
・
・
「セーブも済んだことだし⋯⋯兄さん、全部説明するよ」
俺はウィンドウをもう一度開き、「キャンプ」を選ぶ。
もちろん、常に警戒しながらだ。
曲がり角のたびに足を止めて気配をうかがい、空いた部屋があれば身を隠す。
最初にグレゴール兄さんと合流した時には、謁見の間から出たところで敵兵の集団に出会した。
今回は「セーブデータ間進行状況引き継ぎバグ」のおかげで到着時刻が20分強早かったので、敵兵とは遭遇せずに済んでいる。
それにしても、
「敵兵の数が少なくない?」
俺は人のいない部屋の隅にしゃがみこんで兄さんに聞く。
兄さんが背負い袋のポケットから俺の肩へと器用に登る。
「うん、それは僕も気になってた。謁見の間だって、いくら父さんたちを討って『用が済んだ』とはいえ、兵を一人も配置しないのはおかしいよ」
俺の肩の上でシマリスが長い前歯を動かしながらそう言った。
「兄さんはいつからあそこに隠れてたの?」
「敵兵の奇襲を受けたのが4時すぎだから、5時前にはあそこにいた。それからはずっと隠れていたよ」
「その、供回りの人たちは?」
「最初は一緒だったけど、あまりに劣勢だったからね。僕には『変身』があるから一人でもなんとかなる。むしろ、一人のほうが逃げやすいくらいだ。護衛のものたちにはバラバラになって逃げるように指示を出した。マクシミリアン兄さんのところに急を報せる必要もあると思って、それぞれに伝書を持たせてある。もちろん父さんも伝令を出したはずだけど、状況が状況だ。情報伝達は確実を期したいところだからね」
「そうなんだ⋯⋯」
「中には自分たちだけ逃げるわけにはいかないと言って、父さんの護衛に回ったものたちもいた。彼らは⋯⋯」
兄さんが口を濁す。
俺は謁見の間に倒れていた無数の死体を思い出した。
「父さんと母さんが殺されたのは何時だった?」
俺の質問に、兄さんが目をぱちつかせた。
「時間、かい? 僕が最後に時計を見たのは、ホールにある大時計だね。その時には4時40分くらいだったと思う。父さんが敵兵に討たれたのは5時前後だろうね」
「5時前後⋯⋯もう少し正確にわからないかな? 具体的には、5時になる前だったか後だったかが知りたいんだけど」
もっと具体的に言うなら、「05:03」より前か後かだ。
それだけで、状況ががらりと変わってくる。
もちろん、俺の最初のセーブデータの保存時刻が05:03だからだ。
もし、父さんと母さんが殺されたのが05:03より後だったら、スロット1のデータをロードして「謁見の間階段下」のセーブポイントにジャンプすれば、二人を助けられる可能性が浮上する。
俺の追及に、兄さんが首を左右に振った。
「さすがにそこまではわからないよ。5時だと、時計塔の鐘も鳴らないからね。
ただ、僕が謁見の間にたどり着いた時にはもう、父さんも母さんも捕まっていた。敵兵はすぐに二人を殺したから、おそらく5時よりは前だったろう。僕も恐怖ですくんでいたから自信はないけど⋯⋯。
でも、それが今大切なことなのかい?」
「ちょっとね⋯⋯後でまとめて説明するよ」
兄さんの話を聞いた限りでは、望みは薄そうに思える。
父さんと母さんが殺されたのは5時前で、俺の最初のセーブデータは5時3分。
ファストトラベルの行き先引き継ぎバグを使っても、5時3分より早く謁見の間に駆けつけることは不可能だ。
最初のセーブポイントに、あと10分早く到達していれば⋯⋯。
どうしようもないこととはいえ、苦い感情が込み上げてくる。
そこで、俺の耳にかすかな音が聴こえた。
「⋯⋯足音がする。兄さん、ポケットに隠れて」
「よく聴こえるね? わかった。でも、背負い袋だと苦しいから、君のジャケットのポケットでもいいかい?」
「急に動いた時に潰れそうだけど」
「その時はなんとか飛び降りるさ。前が見えないほうがよっぽど怖い」
「それもそうか」
俺が了承すると、兄さんは俺のジャケットのポケットに潜り込む。
俺は、廊下側の壁に耳をつけ、敵兵の足音に耳を澄ます。
この状況で、もし敵兵がこの部屋に踏み込んできたら一巻の終わりだ。
足音が聴こえるような距離にはそもそも入らず、避けて通ったほうが安全だろう。
じゃあ、なんでそんなリスクを冒してるのかって?
それは、「敵の足音を近くで聴くこと」自体に意味があるからだ。
正確には、「敵の足音を10メートル以内の距離で30~100回聴く」ことに意味がある。
地下隠し通路での逃げ隠れから今までの分を合算すれば、そろそろこの条件を満たすはずだ。
廊下を足早に進む敵兵の足音が近づきーー遠ざかっていく。
その遠ざかっていく足音が、急にくっきりと聴こえるようになった。
音量自体は変わらないが、足音だけが取り出され、他の音から区別されたような感じである。
集中すると、もっと遠くにいる敵兵のかすかな足音までもが識別できた。
「⋯⋯よし、覚えたな」
ニューロリンクスキル「気配察知」。
ゲームCarnageでは、プレイヤーキャラクターの他、一部のエリート斥候兵が保持しているスキルである。
その効果は、読んで字の如く、敵の気配が読めるというものだ。
「気配察知」では、敵の足音や息づかいが強調されて聴こえるようになる。
もっと微妙な「気配」としか言いようのないものも「感じ取れる」ようになる。
ゲーム知識によると、現実にはありえない「第六感」のようなものを、脳に錯覚させる仕組みになってるらしい。
このスキルをさらに鍛えると、遠くにいる敵の姿が視界に重なって見えるようになるという。
だが、そこまで行かずとも、物音や気配を捉えられるだけでも十分に使える。
これまでセーブ&ロードで死に覚えするしかなかった敵の位置が事前にわかるようになるんだからな。
「覚えたって、何をだい?」
兄さんが小声で聞いてくる。
「話は、次のセーブポイントに着いてからにするよ」
「せーぶ……ぽいんと?」
疑問符を顔に浮かべるシマリスをポケットに押し込んで、俺は廊下へと歩み出る。
もう隠れる必要もなくなったので、俺は時間短縮のために廊下を小走りに進んでいく。
そして、「気配察知」が何かを感知したら身を隠す。
敵兵がどの方向を向き、どこへ行こうとしてるのかがなんとなくわかるので、どこに隠れれば安全かはおのずとわかる。
一度などは厨房の食卓の下にしゃがんで隠れ、敵兵が食料をあさって出て行くのをすぐ間近でスルーした。
「⋯⋯し、心臓に悪いね」
兄さんがポケットから頭を覗かせて言う。
「大丈夫だって。ちゃんと気配がわかってるから」
「いつのまにそんな熟練の斥候兵みたいな技術を身につけたんだい?」
「それも後でね」
たしかに、この世界で今俺がやったレベルの「気配察知」ができるのは、実戦経験豊富な斥候兵くらいだろう。
実際、「敵の足音を10メートル以内の距離で聴く」なんていう経験を「現実」で30~100回もやってれば、そのうちの何割かは敵に発見されてるはずだ。
この条件を満たして、かつ生きて帰れた幸運な斥候兵となると、数が限られるのも無理はない。
自然の中で感覚を研ぎ澄ましたエルフや、生まれつき鋭い五感を持つ一部の獣人が、まれに覚えてることはあるみたいだけどな。
俺は、厨房の勝手口から外の気配をうかがい、安全を確認してから扉を開く。
扉の外は、屋内とは打って変わって明るかった。
昇り始めた朝日が、園丁たちが手間をかけて整えた庭園に射し込み、朝露の降りた葉を黄金色に輝かせている。
城内では今も血なまぐさい惨劇が進行中だというのに、この空間だけは、素知らぬ顔でその美しさを朝の陽光の中で誇示していた。
この中庭はかなりの広さがあり、緑の垣根が何重にも巡らされ、迷路のようになっている。
身を隠して進むにはうってつけだ。
ポケットの中でハラハラしてる兄さんを尻目に、俺は垣根のあいだを迷うことなく進んでいく。
と、垣根の切れ間から、大きな噴水が現れた。
この噴水も、昨日までと変わらず暁光を受けて煌めいている⋯⋯と言いたかったが、噴水には何人もの兵や廷吏、女官の死体が投げ込まれ、その水面は真っ赤に染まってる。
「むごいことを⋯⋯」
その光景を見て兄さんがつぶやく。
一方で俺は、噴水のかたわらに探していたものを見つけてほっとする。
俺は、やわらかい緑の光を放つ半透明の球体へと近づき、手をかざす。
【セーブ】
スロット1:
ユリウス・ヴィスト・トラキリア
トラキリア城・地下隠し通路入口(北)
942年双子座の月4日 05:03
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スロット5:
ユリウス・ヴィスト・トラキリア
トラキリア城・謁見の間階段下
942年双子座の月4日 05:44
スロット6:
ユリウス・ヴィスト・トラキリア
トラキリア城・中庭
942年双子座の月4日 06:37
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