αは僕を好きにならない

宇井

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再び四人で

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 理人は前から準備していた薄手のコートを誰よりも早く羽織っていた。
 蓮と楓が付き合いだしてから、もう季節は変わっている。
 その間は楓からのメールに返信をするだけで、蓮とも楓とも会う事はなかった。
 少しは立ち直った。確かにそうだ。
 だからと言って、楓と蓮さんの誘いに乗るのは間違いだったかも……
 一週間前までは二人に会うのが楽しみだった。そのはずったのに、直前になってからは急に約束した事を後悔するようになった。
 急用でも入らないかな。そうしたら断る理由ができるのに。
 往生際も悪くふざけた事をずっと考えていた自分を嘲り歩いていると、あっと言う間に待ち合わせのレストランの近くまで来ていた。
 しかしそこに、蓮だけでなく黒崎の姿を見つけると、心臓がドクリと大きく突き上げ、呼吸が止まりそうになる。
 黒崎も今夜誘われていた事を理人は知らなかった。楓からのメールにそんな事は書いていなかったし、てっきり三人で食事するものと思い込んでいたのだ。
 黒崎がいるという事は、またあの四人が集まる事になる。
 トラウマとまでは行かないが、進んでいた足が止まり動かなくなるほどには心に傷が残っているようだ。

 蓮も黒崎もスーツ姿。
 こうして少し離れた場所から見える黒崎は、まともに仕事をしている社会人でしかない。どこか自由業っぽさを感じた以前とは違う、まっとうなサラリーマンの出で立ちだ。
 そんな真面目な格好は似会わないと言ってやりたい所だが、背が高いというだけでも、スーツを着こなすには充分な上、彼にはまた別の魅力もある。
 横から見てもその鼻は高く、正面から見る鋭利さが和らいでいる。
 理人が動けないまま、しばらく遠くから見ていると二人が何やら不機嫌なのが伝わってきた。言葉を二つ三つ発し、その後黙り込む。これの繰り返しだ。
 まさか黒崎と理人の間にあった事を、蓮にバラしている事はないだろう。そうであってほしいと願うしかない。
 何にしても険悪な雰囲気のままで黙り込み、二人は停滞している。
 そんな場面に割入っていいものか理人は悩むが、約束の時間を考えれば早い到着でもない。コートの袖を少し捲り、約束の十分前である事を確認するが、踏み出していいのかと迷う。
 蓮はいつも理人に対して紳士だし、黒崎も多分ではあるが前ほど失礼な事は言わないだろう。
 初対面のあの時、黒崎は酷い態度だったが、理人も対抗してしまっていた。馬鹿みたいに泣き出してしまってからの黒崎は優しい言葉をくれた。
 よしっ、行こう。
 きっと大丈夫だと自分を励まし、小さな気合を入れて足音を立てながら二人に近付くと、二人共が同時に理人に気付いた。
 さっきまでそこにあった険悪な空気を二人が流すのは早かった。それまでの気まずさなど無かったかのように、蓮は微笑み黒崎は素知らぬ顔になっている。
 とりあえず、よかった……

「こんばんは、蓮さん、黒崎さん。お待たせしました」
「いいや、待っていないよ。さっき楓から連絡が来て、一時間位遅れるらしいんだ。だから先に入っていよう」
「理人、俺がいて驚いたって顔してるな」
「別に、全然驚いてませんよ。普通です」

 黒崎は早速理人をからかう。そのせいか、突然の再会なのに動揺は消えていく。
 黒崎の様子からして、自分と寝た事は蓮に話していないような気がした。
 友人であるはずの二人が、路上で不穏な空気をまき散らすほど何があったのか気になる所だが、理人は何も見ていない、気付いていないふりをする事にした。

 テーブルでは理人と黒崎と並び座る。黒崎の向かいには蓮がいて、理人の前は楓用の空席だ。
 楓に気を使わせない為にも待つ事はせず、飲み物だけでなく食事を注文する事になった。滅多に来る事のないフレンチだが、畏まった印象はなくカジュアルで田舎風に近い。
 木をふんだんに使用した店内は温かみがあり、テーブルにはクロスが引かれている。
 理人は弱っている胃に優しくないアルコールは断り水にしようと決めるが、蓮と黒崎はグラスワインを注文するらしい。
 気持ちは平常に戻っているはずなのに、食欲はずっと減退したままだ。栄養だけは取っておこうと補助食品に頼ってしまう事が多い。
 最後にまともに食べた物は何だったのかと思うと、木村や久保と行った時の串揚げが浮かぶのだから、随分長く食が細いままでいる。

「なあ理人、それでいいか?」
「……あ、うん、蓮さんと同じで」

 料理の注文を確認されていたらしく、蓮の声に引き戻された。
 ここは蓮の勧めるビーフシチューを頼むことにする。黒崎は選ぶのが面倒なのか、メニューを見る事も悩む事もせず、結局三人とも同じ物を頼む事になった。
 あれ、蓮さん……
 店員へ注文を終え落ち着くと、ようやくそこで蓮の頬にあるひっかき傷が目に入る。かなり薄くなってはいるが、頬を横切るような線があるだけに気になってしまう。
 蓮の家に飼い猫はいないのだが、どこかで引っ掻けたのだろうか。でも頬に? まさか爪を立て猫化した楓にやられたと言う事はないだろう。

「理人、仕事はどう、今日は忙しくなかった?」
「今の時期は全然、僕は事務だから仕事の計画が立てやすいし、蓮さんの方がよっぽど忙しいでしょう」
「いや、こっちも仕事は落ち着いているよ。だけど今は別件で忙しくてね」

 蓮は忙しいと言いながら、どこか楽しそうだ。

「そうなの? 体、壊さないようにね」

 言ってしまってすぐに後悔する。この言葉を掛けていいのは楓だけのような気がしたからだ。

「ありがとう、気を付けるよ。今晩呼び出したのは、せっかく知り合えた四人で集まりたかったからなんだ。この前はあっという間に解散だったし」

 港まで行ったはいいが、車を降りてすぐ理人と黒崎が早々に抜けた事を、蓮は笑って口にする。

「理人、あの時どうして消えたんだ? 祐也もメールじゃなくひと言くらい声を掛けてくれればいいのに。あの後、まだ近くにいるだろうと探したんだぞ」
「そうだったんだ。ごめん……まだ蓮さんに謝ってなかったね」
「俺達はお前に気を使ったんだよ。そっと消えてやったんだから感謝しろ。こっちは場所を移して理人と食事して、それから電車で帰ったから」

 焦る理人に対し、黒崎は平気な顔をして嘘を返した。
 蓮と楓を二人きりにしてやった事だし、悪い事をしたとは欠片も思っていないのだろう。しかし理人には、後ろめたさに似た感情が湧いてくる。
 やっぱり理由もなく消えたのは悪かったし、蓮の友人である黒崎と寝てしまったと思うと良心がとがめる。

「そうか、それにしても到着してすぐは気を回すのが早すぎる気がするな。理人、祐也に何か奢ってもらえたか?」
「えっ……と」
「普通にラーメン。割り勘で。そんな事が気になるのか?」

 黒崎が理人の代わりに不愛想に答える。

「もし理人がご馳走になっていたら、祐也に礼を言っておきたいと思ったんだ」
「へえ、理人はお前の恋人でもないのに? 礼?」
「恋人ではないけど、理人は昔から家族みたいなものだからね」
「ふうん……家族ねえ……」
 
 何か言いたげに、気持ち悪さを残して黒崎は口を噤んだ。
 理人はと言えば、蓮からふられる言葉と黒崎の態度にどうしていいかわからず、心の中はおおいに慌てている。何とかしなければと思うのに、黙って座っている事しかできない。
 しかし蓮は二人を不審に思わないようで、黒崎の投げる棘も気にせず、気を悪くする様子もない。

「祐也は色いろと不満そうだな。でもせっかく縁ができたんだ。四人で仲良くしたいと思うのはだめか」
「恋人と二人で仲良くやってればいいだろう。仲良しごっこなんて、この年でした所で何になるんだ。俺達を巻き込むな」

 黒崎は面倒そうだ。それは理人の気持ちを一部代弁しているかのようだった。
 蓮はこの面子での親交を深めたいと考えているらしい。それは理人と黒崎に何があったのかを知らないからだ。
 そして、理人を傷つけている可能性もあるとも知らずにいるからできるのだ。

「まあ、そう寂しい事を言うな。それに二人にはちょっとした報告があるんだ」
「もったいつけた言い方だな。さっさと言え」
「実はこの前、楓を両親に紹介したんだ」
「えっ……」

 驚きで声を出したのは理人だけではなかった。
 蓮が恋人を親へ紹介する。その事の意味を理人はよくわかっていた。それは将来を見据えた相手であるという意味があり、これまでの蓮は恋人を親に紹介した事がなかったからだ。

「で、お前の親はどうだったんだ? 驚いてただろ」
「事前に同性である事は伝えていたから、さほど驚かなかったよ」
「じゃあつまり、反対されなかったという事か」
「反対されたのは最初だけだ」
「へえ、三男で家業とは違う道を進んでいるとはいえ、蓮は目に入れても痛くない末っ子だろう。普通の親だったらもっとごねるんじゃないか。孫の顔だって見たいだろうに」
「違うよ。俺が誰も連れて来ないから、生涯独身かもしれないって、ずっと心配してたらしいんだ。そんな親からしたら、思いがけず落ち着いてくれてよかったといった所だろう。孫の期待はとうに兄貴たちにいってるよ」
「本当かよ」

 蓮はゆったりと笑う。しかし黒崎は納得いかないようだ。

「ねえ、蓮さん、美恵子さんは何て?」

 理人は蓮の母親の名を出す。
 蓮と同じく自分を甘やかせてくれた美恵子は、理人にとっても大切な人だ。その人の気持ちがどう動いたかは気になる。

「母も最終的には喜んでくれた。楓が理人の親友だと知ってもっと驚いていたけどね」
「そうなんだ」

 女の子を望んで恵まれなかったのは、理人の母親も美恵子も同じだ。
 美恵子なら楓を気にいっただろう。美恵子が産み育てた三兄弟は背も高く体格もいい。そこに華奢な楓がやってきたら、違う楽しみを彼女は見つけるのではないだろうか。
 子供の頃は中性的だった理人も、随分彼女にはかわいがられた。
 最初は同性である事を理由に反対していたとしても、気持ちに区切りをつけた彼女は家族として快く楓を受け入れるだろう。サバサバとした性格の嫌味のない女性だ。
 幼い頃に彼女に世話になれた事は幸運でしかないと理人は思っている。
 小学生の頃、家庭科の手縫いの宿題を見てくれたのは美恵子だった。比賀家に逃げ込んだ自分を怒る母親から庇ってくれたのも美恵子だった。
 考えの及ばない幼い頃は何とも思っていなかったが、人の家庭の子供を預り、少しばかり口出しするのは、大変な事だっただろう。
 美恵子さんが母さんだったらよかったのに。
 もしかしたら理人は何度か美恵子にそんな事を口にしていたかもしれない。それほど彼女を慕っていたのだ。
 そんな彼女が、楓の母親になる。
 その事実が、また理人の心をギザギザと傷つける。
 何で……
 どうして楓は、僕の欲しかった物を簡単に手に入れられるんだろう。
 蓮に美恵子。そして比賀の温かい家。
 答えなどないのに、行く着く所はそれに尽きる。

「どうした、理人」

 蓮の声は届いていたが覚醒せず、隣の黒崎に肘でつつかれる。長いことぼうっとしていたようだ。

「おい、顔色が悪いぞ」

 黒崎までも心配そうに見る。

「えっと、大丈夫。ごめん、やっぱり疲れてるのかも。蓮さん、僕ずっと美恵子さんに会ってないし、楓は優しいいい子だって、よろしくお願いしますって伝えてもらえるかな?」
「ああ、伝えておこう。母も理人がそう言ってたと知ったら喜ぶよ。あの人はどの兄弟より、小さな理人をかわいがっていたしな」
「実の息子の蓮さんにそう言ってもらえるのは、嬉しいな」

 笑って誤魔化すと、蓮はほっとした顔を見せる。
 隣に住んでいるとはいえ、美恵子も蓮と同じく、滅多に顔を合わせない人になっている。今後は増々そんな機会は減るだろう。
 でも大丈夫だ。
 観察するようにこちらを見ていた黒崎にも理人は笑いかけておいた。少しひきつっていたかもしれないが別に構わない。
 フォークを動かし、やってきたシチューの肉片を口に放り込む。
 美味しい事は美味しいのだが、咽が狭まったみたいに、飲みくだすには時間がかかる。

「楓を家族に紹介できたし、この機会に家を出て独立するつもりなんだ」
「まあ、それも悪くないな。お前の事だからもう事を進めてるんだろ」

 黒崎はもう蓮の言う事にはさほど興味がないと言うようにシチューに集中する。
 柔らかく煮込まれた牛はフォークで簡単にほぐれる。それを目の敵とても思っているのか、凄いスピードで片付けていく。

「楓と住む事も視野に入れて、お互いが通勤しやすい場所で幾つか物件をピックアップしてある」
「それはいいけど、楓の親にも挨拶はしたの? あいつは一人息子だけど」

 理人は気になっていた事を思い切って口にした。楓の親は厳しいのだ。簡単には同性との付き合いを認めないだろう。

「挨拶はこれからなんだ。でも何があっても諦めるつもりはないから、理解してもらえるように頑張るよ」
「ふん、余裕だな」

 黒崎は喧嘩を売るかのように言うが、蓮はまったく意に介せず落ち着いている。
 理人は楓とこんな尖った会話をした事がないが、友情の形にも色々あり、これが気の置けない二人の普段の様子らしい。楓と理人との関係とはまた違うが、互いに遠慮しないこの関係で長く続いているのだ。
 それにしても、少し連絡を取らない間に、蓮と楓の関係がすごいスピードで進んでしまっていた事は衝撃だった。
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