αは僕を好きにならない

宇井

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さよなら

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「あの家から、蓮さん、いなくなるんだ。もうお隣さんとは言えなくなるんだね」
「いつでも会える」

 蓮はそう言うが、理人は素直に頷けない。
 隣にいる今だって思うままに会える事なんてないからだ。会おうと言う互いの強い意思がなければ、それが叶わない事はとっくにわかっている。
 もう平気。そう思えたから会いに来たというのに、そうではなかった。
 二人と仲を知った時よりも、今の方が遥かに足元が揺れている。

 食事の皿が全て下げられてから楓はやってきた。
 息を切らしてる様子から走ってきた事がわかる。そんな楓の鞄を預かり、蓮は食事をどうするか楓に問い、飲み物とデザートだけを注文した。
 楓はスーツではなかった。
 シャツにネクタイはしておらず、下はプレスの入ったスラックスではなくカラーパンツだ。髪型は変わっていないのだが、表情も明らかに変わっている。

 蓮兄だ……

 誰にでも分かる事だ。蓮によって楓は変化させられた。
 それは外側だけでなく内にも及んでいる。そうでなければ楓がずっとスーツで通してきたスタイルまで変える訳がない。
 すごいな。
 楓の意識をかえた蓮も、蓮に伴侶となる決心をさせた楓も。だから理人はすんなり口を切っていた。

「楓、すごくいいと思う。その格好似合うよ。会社で何か言われなかった?」
「うん、女子社員に驚かれた。その方がいいって、むしろ今までがアウトだって好き放題言われた。ずっとこういうのは疎いっていうか、どうでもよかったけど、思いのほか楽しいってわかった。それでも、店に一人で行くのは厳しいかな。蓮さんがいれば心強いんだけど」

 楓は隣の蓮を見上げ微笑む。頼り甘える事を知り安心しきった顔だ。

「何でそんな気弱な事言ってるんだ? 楓は本職だろう」
「うちの本職は繊維だから。自社ブランドは女性物しかないし」

 だとしても、その気になれば職場で店の一つや二つ紹介してもらえるだろうと理人は思った。
 横から黒崎が茶化す。

「それに、蓮の好みも取り入れたいよな、恋人としては」
「もちろん……そうですけど」

 楓は面白いように頬を染めながら肯定した。
 かわいらしく盛られたケーキとアイスに楓はぱくつく。お腹が空いているのもあるし、単純に甘い物が欲しかったらしい。

「楓ちゃんは、やっぱりかわいいね。ケーキ美味しい? 好き?」
「黒崎さん、僕も一応男なんて、そんな事を言われても嬉しくないし困ります。ケーキは美味しいし好きですが」
「もう一皿頼んであげようか?」
「必要ありません」

 楓に睨まれても黒崎の頬は緩んでいる。三人で食べていた時のような仏頂面はなく、あの仮面はどこに隠したんだと言いたくなった。

 でも、楓がいるだけで漂うだけだった空気がガラリと変わるのを感じた。会話にも余計な力が入らないのだ。
 だから、黒崎さんさえ、態度を変える……
 この前は勢いもあって理人を抱いたのは理解しているが、やはりこうも差を見せ付けられると、少しやるせない。
 決して女性のような扱いをして欲しい訳じゃないけれど、この輪に居る自分が異端なような気がして仕方ない。黒崎の態度が極端で分かりやすいのも原因かもしれない。
 あの頃、学生の頃に戻ったような錯覚がした。
 楓はかわいいと言う言葉を嬉しくないと言うが、理人は黒崎からそれを囁かれた時、涙が出るほどうれしかった。
 これが僕たちの違いだ。
 αの二人に、Ωが一人。偽物Ωの自分が出る幕はない。
 ベッドの上での睦言なんて信じてはいけないのだと、楓を前にする黒崎を見てつくづくそう思った。
 楓と理人、並んだ二人のどちらを取るかと言われれば、誰もが楓を指さすのだろう。子供も、大人も、女性も男性も。
 理人は卑屈になる自分を必死に振り払い、明るい話題を持ち出した。

「楓、蓮さんからさっき聞いた。家族に紹介してもらえったって。そんな事になってるなんて驚いたけど、よかったね」
「ありがとう。理人にそう言ってもらえるのが、一番嬉しい」

 フォークを動かす手を止め、楓は理人を真っ直ぐに見た。その後に微笑んだ顔は、理人が蓮との仲を認めた事に対する安心が浮かんでいた気がした。
 前に座る二人はさっきからずっと、数えきれないほどに視線を交わしている。幸せそうに蓮を見上げる楓を正視するのが辛い。

「なあ、楓ちゃんさあ、比賀家って怖くなかったか?」
「ええ、大きなお屋敷には驚きましたけど、皆さんいい人でした」
「そうか? 蓮の兄さんとか、結構愛想悪いぞ」
「お兄さんにはまだお会いしてないので」
「でも楓ちゃんなら、その兄も攻略できるかもしれないね」
「攻略って言い方は嫌いです」

 蓮の親友と言う事で気が許せるのか、楓にしてはよく喋っている。
 楓で遊ぶ黒崎、そんな二人を楽しそうに見つめる蓮。理人は目を背ける事も許されない気がして、必死に口角を上げる。
 仲間はずれにでもなった気分で、水の入ったグラスを握りしめた。

「祐也、余計な事を口にして楓の不安を煽らないでくれ。家族と一緒に暮らすわけじゃないんだ。男兄弟との付き合いなんて上辺だけでいい」

 助け舟を出すように蓮が入る。

「でも、これから蓮と一緒に暮らすなら、楓ちゃんも家事はしなきゃな。蓮も楓ちゃんも家を出るのは初めてになるだろう? 一緒に暮らす事で喧嘩になって別れるカップルもあるだろうし、ちゃんと最初に家事分担しとけよ」
「僕は蓮さんほど忙しくないし、家の事は頑張ってするつもりなんです」
「俺は楓に家事をさせるつもりはないよ」

 蓮が楓の続きの言葉を遮り引き取ってしまう。

「お互い仕事をしてるんだ。それに得手不得手もある。時間ができなくて難しい事はプロに任せればいい」
「なるほどね、家政婦だ庭師だ、いつも家に他人がいる事に慣れている人間の言う事は違うよ」

 半分呆れ、半分やっかむように黒崎は溜息を吐くと、楓が理解者を見つけたと黒崎に食いつく。

「ですよね? 黒崎さんならわかりますよね? 僕の家は普通の家だし、蓮さんの感覚ってたまについていけなくなるんです。最初はプロの人のお世話になるかもしれないですけど、僕だって少しずつできる事を増やしていきます。だからさ理人、料理とか教えてくれる?」
「えっ?」

 突然自分を輪の中に入れられ間抜けな声が出る。

「ほら、理人は何でもきるし得意じゃん」
「家事なんて、人に教えるような事でもないけど……」
「理人はすごいよ。高校の時のお弁当とかもだけど、家の事はほとんどしてるんだもん。ね、教えてよ」

 三人の視線が集まり口ごもる。どの目も、ここで楓を跳ねつけるなと言っているような気がしてようやく頷いた。

 楓を中心にした食事会は目の前の皿が片付くと、そろそろ帰ろうか、と言う蓮の一言で終わる事になった。
 話の弾んだ三人とは違い、理人にとっては針のむしろに座らされているような、辛い時間の終わりだった。
 ほっとして椅子から腰を浮かせた時、黒崎が理人の耳元に囁いた。

「楓ちゃんは俺が相手しておくから、今のうちに蓮に言いたい事を言っておけ」
「えっ」
「もう区切りをつけていい頃だろ」

 早口にそう言って、唖然とする理人を見もせず、楓の肘を引っ張り出入り口へと向かう。

「楓ちゃん、コンビニ付き合って」
「コンビニですか?」
「蓮、楓ちゃん借りるぞ」
「えっ、なんで僕が黒崎さんと……!」

 楓も理人と同じくらい、それ以上に困ってる。
 きっと黒崎なりの気遣いなんだろうが、理人にとっては余計な事だった。
 実らない恋と確定している今、自分の気持ちを蓮に伝えようとは思わない。それは蓮にとっても楓にとっても迷惑でしかないからだ。
 だけどきっと、二人きりになる機会は、もうやってこないだろう。
 例えば二人きりで相談があるのだと理人が言えば、蓮は何の疑いもなく時間を作ってくれるだろう。だけど理人はそんな風にして蓮に会うつもりはない。
 ほんの少しでも親友である楓に疑いを抱かせないようにする。恋人である楓の立場を思えばそれは当たり前の事だ。
 しかし黒崎はとっくに蓮に断りを入れ、楓を連れ出してしまっている。
 突然与えられたこの時間で、自分は何を蓮に伝えればいいのだろう。

「……ねえ、蓮さん……」

 茶のレザーの伝票ホルダーを手にして苦笑いしていた蓮の近くに行ったはいいが、そこから何を言っていいか戸惑う。
 蓮は決して理人を急かせない。向き合って理人が口を開くまで待ってくれる。それは昔から変わらない所だ。

「蓮さん……楓は、ずっと僕が守ってきた……」

 最後まで伝える前に、大きな涙が上着を転がり落ちた。
 違う。
 本当に自分が言いたいのは、これじゃない。
 ずっと好きだった。ずっと蓮さんだけだった。なのに、どうして僕を選んでくれないのか、どうして楓なのか……
 心がそう訴えて、命令を聞かない体が悲鳴を上げる。内に溜めていた全てが破片になってバラバラと落ちていくようだった。

「……理人は、変わらないな。言葉より感情が先になって、昔からよく泣いていたね。体は大きくなっても、中身は泣き虫なままの、小さな理人だ」

 蓮はポケットから差し出したハンカチを理人に握らせた。

「楓の事が心配になったのか? 楓は大切にする。俺だけじゃない、俺の家族も楓を幸せにできるように応援してくれる。だから何も心配ない」
「……うん」
「楓の家族も不幸にはしないよ。最初は反対されるかもしれないが、こっちも覚悟して長く付き合っていくつもり。ずっと一緒にいるためにね」
「うん、だったら、僕が言う事は……何もない……楓もきっと蓮さんを幸せにする。何もかも、上手くいくといいね。そう願ってる。二人を応援してる。ずっとだよ」

 ハンカチを握りしめて、笑ってみせる。
 これが本当に蓮との決別だ。
 頭の天辺に手を置かれ、子供だった頃のように撫でられる。
 この手が好きだった。あの頃はこれだけの為に生きてきた。

「心配かけたな、理人。もう涙は止まったな、行けるか?」
「ごめん、楓にこんな顔見せたくないから、先に帰って。僕はここに残って落ち着いたら出るよ。ほんと、ごめん……」

 泣いてしまった顔は隠しようがない。楓にも黒崎にも、泣いてしまった事を知られたくなかった。
 すると蓮は、楓が座っていた場所の椅子を引き、肩をそっと抱きそこに理人を座らせる。返そうと出したハンカチも優しく押し返された。
 蓮の事だから二人には上手く言ってくれるだろう。

「ありがとう。さよなら、蓮さん」

 さよなら……

「またな」

 隣から蓮の気配がなくなり、理人は止まらなくなった涙をハンカチに吸わせた。
 決別の意味のさよならは、蓮に届いていない。届いてはいけない物ではあるが、酷くそれが寂しくもあった。

 本当に、終わったんだ。

 しばらくして、コトリと目の前に置かれたのは果実系のお酒だった。
 蓮さん気が利きすぎ……
 店を出る前に頼んでくれたのだろう、少し強いアルコールだが、一口飲み下せば楓が食べていたデザートを思わせる甘口がそっと鼻に抜けていった。
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