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感覚
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黒崎の正体がわかって数日後、理人は自作の弁当を持ち、久しぶりに社員食堂に顔を出した。このところ移動が面倒でデスクで済ませてしまうことが多くなっていたのだ。
広く席数の多いこの食堂では、外で調達した物を持ち込むこともできる。工場横には工場勤務者用の食堂があり、本社のビル内にある食堂はそれほど込み合わない。ここも午後二時までランチ営業していて、割と人が分散するせいか、滅多に相席することもない。
理人はデザートの中からクリームの乗ったプリンを選び決済し、窓に近い席へ移動した。
四つ椅子のあるテーブルの右隅に、以前木村とともに飲みにいった久保が既に食事を開始している。その隣が理人の席であることは、入社研修の時に何となく決まってしまったことだ。それに今さら向き合って食事をするのも照れくさい。
「久保、お疲れ」
「ああ、お先」
トレイを隣に置くと、いかつい顔の野獣じみた久保が顔を上げた。
「あっ、また食べてない」
「面倒なんだよ」
久保のトレイにランチセットの味噌汁が置かれていないことは安定のお約束。食べたくない訳でなく、その理由は自分でつぐのが面倒だからしい。
米はよそうが汁物を注ぐのはは面倒。理人にはそれが理解できない。
理人は立っているついでに、久保のために味噌汁を取りに戻った。
久保は一人暮らし、その上食べ物に対してあまりこだわりがない。若いうちはいいが、この先を考えれば早く嫁をもらって健康管理してもらわなければ、縦だけでなく横に広がり巨大化するだろう。
「水分補給にもなるし、ここの汁物は具沢山で野菜も多いのに。体型を維持したいなら気にしないと」
「ありがと。乾はいい奥さんになるな」
「どうもありがとって……嬉しくないよ」
久保は椀がトレイに置かれる前に受け取り、熱い汁を口に運ぶのだが、思い直したように冷ふうと息を吐き冷ましている。
その姿に微笑み、理人も弁当を広げた。
一人立ちする為の資金を増やすために節約で始めた事だったが、あまり成果は感じていない。母親の言う「理人にかけた金」を出て行く時にまとめて返してしまいたいのだけど、それをするにはしばらく無理なのかもしれない。
弁当は冷え切っている。朝焼いた玉子焼き以外は夕食の残りで、隙間には冷凍食品も入っている。手作りと胸を張って言えるものではないが、隣からの熱い視線を感じる。
「じろじろ見るなよ」
「弁当男子、玉子美味しそうだな」
「いいよ、持ってって」
いいよをどう解釈したのか、久保は入っていた二つを全部食べてしまう。あっという間だ。
旨いとは言わないが、気に入ったから食べたのだろうと、空になった一角を呆れて見た。
「どうした、あまり食欲ないのか?」
「そうじゃない。もしかしたら自分の味に飽きたのかな。朝昼晩って三食自作だし。かといって食堂ばかりでも結局飽きるし」
決定的な失恋をしてからも食べる量は減っていたのだが、西にも痩せたと言われてから食べる量には気を付けているのだ。
体型を変えてしまったほど自分はどれだけの物を失ったのだろうと思うが、それは指を折って数えられる物ではなかった。どれもが何にも代え難い理人の特別だった。
ただ普段は忘れていても、蓮も楓も美恵子も、自分を支える土台だったのだ。それがぱっと消えてしまった感覚の今、足元がおぼつかない。
それは自分自身のありようが問題だとわかっている。人のせいではない。
「乾は」
「ん?」
「よく見たら肌がきれいだな。毛穴もないし」
久保感心したように言い、もっと観察しようとしてか顔を近づけてくる。
「ん? 食べてる時に変なこと言うなよ」
「いや、女じゃなくても気になるだろ、それだけきれいだと」
「毛穴がない訳ないだろ」
「髭も生えないだろ」
「流石に生えるわっ」
「髭剃りしなくていいとは、羨ましいな」
久保の視線が頬辺りに集中しているのがわかって、一度箸を置き避けるようにそこを指で掻く。
「おい、赤くなるぞ」
「えっ、やめろよ」
久保が理人の指をはらい、頬の上に手の甲を当て往復したのだ。そこにセクシャルな匂い感じ取ったわけではないが、不快だったのは確かでのけぞり距離を取ってしまっていた。
数秒触れただけ、それでも体の芯が固まり拒否反応を起こした。
久保は自分に欲情した訳じゃない。ストレートだし彼女が欲しいと最近こぼしている。
「ねえ、もしかして、僕って匂ってるか?」
「ん? 別に……何も感じないぞ」
クンクンと鼻を鳴らして久保は理人の頭の辺りをかぐ。
やっぱり近い。
以前から思っていたが久保はパーソナルスペースという感覚を持ち合わせていない。
老若男女構わず近付きすぎるせいで、それが元となり嫌われることもあれば、逆に好かれることもある。
黒崎との事でフェロモンが出るようになり、ストレートの男を誘惑してしまったかと疑ったが、やはりそうではないらしい。発情させる匂いがあるなんて、この現代にあるわけないのだ。
これまで何でもなかった事が気になるようになった。つまり理人の感覚が敏感になったということだ。
やっぱり、誰でもいいってわけじゃないんだな。
思わぬ場面で久保に触れられ、理人は黒崎のことを思い出した。
あの時は湿った肌も、流れ落ちてくる汗も嫌じゃなかった。あの夜のキスもそうだ。
そう言えば、西とはあの時まで服越しでさえ触れ合った事がなかったっけ。
理人はベンチで昼食を食べた時の事を思いだす。西は理人の頬にふれ、そこについていた粉を舐めとったのだ。チラリと見えた舌先が印象的で忘れられない。
何を考えているんだ、僕は。
黒崎と西、それぞれの情況を思い出し面映ゆくなる。理人は二人の顔を脳裏から追い出すように、弁当をかきこんだ。
広く席数の多いこの食堂では、外で調達した物を持ち込むこともできる。工場横には工場勤務者用の食堂があり、本社のビル内にある食堂はそれほど込み合わない。ここも午後二時までランチ営業していて、割と人が分散するせいか、滅多に相席することもない。
理人はデザートの中からクリームの乗ったプリンを選び決済し、窓に近い席へ移動した。
四つ椅子のあるテーブルの右隅に、以前木村とともに飲みにいった久保が既に食事を開始している。その隣が理人の席であることは、入社研修の時に何となく決まってしまったことだ。それに今さら向き合って食事をするのも照れくさい。
「久保、お疲れ」
「ああ、お先」
トレイを隣に置くと、いかつい顔の野獣じみた久保が顔を上げた。
「あっ、また食べてない」
「面倒なんだよ」
久保のトレイにランチセットの味噌汁が置かれていないことは安定のお約束。食べたくない訳でなく、その理由は自分でつぐのが面倒だからしい。
米はよそうが汁物を注ぐのはは面倒。理人にはそれが理解できない。
理人は立っているついでに、久保のために味噌汁を取りに戻った。
久保は一人暮らし、その上食べ物に対してあまりこだわりがない。若いうちはいいが、この先を考えれば早く嫁をもらって健康管理してもらわなければ、縦だけでなく横に広がり巨大化するだろう。
「水分補給にもなるし、ここの汁物は具沢山で野菜も多いのに。体型を維持したいなら気にしないと」
「ありがと。乾はいい奥さんになるな」
「どうもありがとって……嬉しくないよ」
久保は椀がトレイに置かれる前に受け取り、熱い汁を口に運ぶのだが、思い直したように冷ふうと息を吐き冷ましている。
その姿に微笑み、理人も弁当を広げた。
一人立ちする為の資金を増やすために節約で始めた事だったが、あまり成果は感じていない。母親の言う「理人にかけた金」を出て行く時にまとめて返してしまいたいのだけど、それをするにはしばらく無理なのかもしれない。
弁当は冷え切っている。朝焼いた玉子焼き以外は夕食の残りで、隙間には冷凍食品も入っている。手作りと胸を張って言えるものではないが、隣からの熱い視線を感じる。
「じろじろ見るなよ」
「弁当男子、玉子美味しそうだな」
「いいよ、持ってって」
いいよをどう解釈したのか、久保は入っていた二つを全部食べてしまう。あっという間だ。
旨いとは言わないが、気に入ったから食べたのだろうと、空になった一角を呆れて見た。
「どうした、あまり食欲ないのか?」
「そうじゃない。もしかしたら自分の味に飽きたのかな。朝昼晩って三食自作だし。かといって食堂ばかりでも結局飽きるし」
決定的な失恋をしてからも食べる量は減っていたのだが、西にも痩せたと言われてから食べる量には気を付けているのだ。
体型を変えてしまったほど自分はどれだけの物を失ったのだろうと思うが、それは指を折って数えられる物ではなかった。どれもが何にも代え難い理人の特別だった。
ただ普段は忘れていても、蓮も楓も美恵子も、自分を支える土台だったのだ。それがぱっと消えてしまった感覚の今、足元がおぼつかない。
それは自分自身のありようが問題だとわかっている。人のせいではない。
「乾は」
「ん?」
「よく見たら肌がきれいだな。毛穴もないし」
久保感心したように言い、もっと観察しようとしてか顔を近づけてくる。
「ん? 食べてる時に変なこと言うなよ」
「いや、女じゃなくても気になるだろ、それだけきれいだと」
「毛穴がない訳ないだろ」
「髭も生えないだろ」
「流石に生えるわっ」
「髭剃りしなくていいとは、羨ましいな」
久保の視線が頬辺りに集中しているのがわかって、一度箸を置き避けるようにそこを指で掻く。
「おい、赤くなるぞ」
「えっ、やめろよ」
久保が理人の指をはらい、頬の上に手の甲を当て往復したのだ。そこにセクシャルな匂い感じ取ったわけではないが、不快だったのは確かでのけぞり距離を取ってしまっていた。
数秒触れただけ、それでも体の芯が固まり拒否反応を起こした。
久保は自分に欲情した訳じゃない。ストレートだし彼女が欲しいと最近こぼしている。
「ねえ、もしかして、僕って匂ってるか?」
「ん? 別に……何も感じないぞ」
クンクンと鼻を鳴らして久保は理人の頭の辺りをかぐ。
やっぱり近い。
以前から思っていたが久保はパーソナルスペースという感覚を持ち合わせていない。
老若男女構わず近付きすぎるせいで、それが元となり嫌われることもあれば、逆に好かれることもある。
黒崎との事でフェロモンが出るようになり、ストレートの男を誘惑してしまったかと疑ったが、やはりそうではないらしい。発情させる匂いがあるなんて、この現代にあるわけないのだ。
これまで何でもなかった事が気になるようになった。つまり理人の感覚が敏感になったということだ。
やっぱり、誰でもいいってわけじゃないんだな。
思わぬ場面で久保に触れられ、理人は黒崎のことを思い出した。
あの時は湿った肌も、流れ落ちてくる汗も嫌じゃなかった。あの夜のキスもそうだ。
そう言えば、西とはあの時まで服越しでさえ触れ合った事がなかったっけ。
理人はベンチで昼食を食べた時の事を思いだす。西は理人の頬にふれ、そこについていた粉を舐めとったのだ。チラリと見えた舌先が印象的で忘れられない。
何を考えているんだ、僕は。
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