αは僕を好きにならない

宇井

文字の大きさ
22 / 34

攻撃

しおりを挟む

「ご心配をおかけしていたのでしたら申し訳ありません。こちらがやり方を間違えていたようで、少々理人を放置してしまう事になってしまいました」
「ふうん、なるほどね……でもですよ」

 西は理人がこれまで聞いた事のないような太く低い声を出し、ガラリと態度を変えた。

「蓮君や楓君だけでなく、あなたの存在も理人君が心を折る原因になったんじゃないんですかね。うちの理人君も相当ネガティブで問題があったかもしれないけど、よってたかって弱った人間を叩くのは許せないですよ。私は今回の事、ほとんど何も知りません。けれど理人君の味方は私だけだから言わせてもらいます。あなたにその心当たりはあるんですよね」
「あの、西さん……」

 凄く凶悪なんですけど、という言葉は続けられなかった。
 西はちらりと理人を流し見、再び黒崎に戻る。

「理人君は無神経な人達に何度泣かされたか想像できますか。発した言葉も行動も時には刃になって人を傷つける。そんなつもりはなかった、無意識だなんて言い訳はくそくらえです。私は人を殴った事もないし、殴ろうと思った事もない。だけどね、論ずるに足りないボンクラどもには仕置きも必要かと思うんです」
 体格でいえば圧倒的に黒崎の方が勝っている、身長に差はなくとも何しろ西は細い。しかし今の西には、それを振り切る迫真がある。西の中にある張りつめた糸が切れたら、黒崎に手まで出しそうな雰囲気だ。
 黒崎は終始驚きも見せずにいるが、西の言葉が終わると納得したように頷いた。

「わかりました。俺は確かに理人を傷つけた。その自覚はある。殴ってくれていいです」
「へえ、一方的なこちらの言い分に弁明もしないんだ。それが自分の役割だと思った所は武士っぽいのかも。聞こえのいい事ばかり言われるのも鼻白むから、まあ、それでもいいか。一応反省はしてるみたいだね」

 黒崎の価値をはかるかのように、靴の先から頭までを焦らすかのように見た後、にっこりと理人を振り向く。

「……って事で、理人君、この人、殴っていいよ」
「えっ! 僕は殴らないし」

 そもそもお仕置きって言い出したのは西さんじゃん! なんか急にまくしたてたのも西さんだし! 理人は冷静さを失いそうになる。
 西はこそこそするように、それでも黒崎に声が届くように喋る。
 
「何で? 勿体ない。でもこんな人の為に手を怪我して仕事に支障が出るのは嫌だよ。だから当事者の理人君がして。一発やってごらん。罪悪感なんて必要ないよ。自分から殴れなんて乱暴な事を言いだすなんてこの人きっとMだ。しかも場所は会社って、すごい上級プレイを要求してくるよね。変態さんだよね」
「もう、西さん……」

 おふざけにしてはたちが悪い。ドキドキさせないで欲しい。
 西がさっきまで持っていた怒りは何だったのか、演技なのか、この落差は何なのか。緊張感から解放され、理人は膝をついてしまいたくなった。

「理人、本当にごめん。西さんの言う通りだ。理人を苦しませてきた原因は俺にあるんだろう。まずしなきゃいけなかったのは、理人を問い詰める事じゃなく、今までほうっておいた事を謝る事だった」
「もう頭をさげないで下さい。そうされると、僕まで謝らなくちゃいけなくなります。この状況に頭がついていきません。僕がくたびれて見えるんだったら、僕の根性がひねくれているからであって、誰のせいでもないです。むしろ黒崎さんにはお礼を言わなきゃいけない。西さんにも心配かけちゃったし、僕の言い方が悪かったんです」

 西には黒崎とホテルに行った事も、飲みに行った事も黙ってある。
 それでも察しのいい西には理人の物言いで感じる事はあったのだろう。そうでなければ、これほど怒る理由がない。
 黒崎と寝てしまった事もお見通しなら、西さんって本当に侮れない。

「ねえ、理人君、仕事が終わってるならもう行こう。この人に付き合ってたら時間がもったいない」
「西さん……」

 理人はまた黒崎を睨む西を宥めるように見る。


「一度上に上がるんで、もう少し待ってて下さい。黒崎さんも仕事に戻ってください。そういう事でお願いします。西さんもう少し待ってて。黒崎さんお疲れさまでしたっ」

 理人は荷物を抱え直し、背を向け走って行った。
 その背中を二人で見送ると、西が静かにつぶやく。

「黒崎さん、理人君と寝たんだよね」

 あまりに気軽な口調に鋭く切り込まれ黒崎は言葉を失う。西がこのタイミングでまた牙を剥くとは思っていなかった。
 いくら親しくとも、あの理人が自分と寝た事まで西に話しているとは思えない。まともに相手をせずに流すのが、ここは理人の為になるだろう。

「ま、その事はいいや。あの子は自分の笑った顔なんて鏡で見た事がないんでしょう。薄暗い洗面所で暗い顔をした自分としか会わない。そんなだから誰かと比べて自信をなくしてしまった。本当はあの子なんて目じゃないほどかわいい表情するのにね」
「楓、もしくは蓮ですか?」
「どっちも。私が何を言っても慰めとしかとらない頑固な子ですいから困ったものです。理人君はあなたが思う以上にデリケートですよ。優しく温かく、子供に接するように。下手な小細工なんかは拗らせる元ですからしてはだめ。しつこい程に言い寄って側にいるのが正解です」
「そのようですね……わかりました」
「理人君の為にも、俺はずっと寄り添う事のできる立場でいようと思っています。これもある種の勝利を掴めたのだと思って。だけど、また理人君が傷だらけになるようなら、次は素直な愛情表現をするつもりです」

 絶対的な自信があるのか西は言い切った。

「それは、困ります。西さんが本気になったら俺はあなたを抑え込む自信がない。素であれだけ攻撃できてしまう所が底知れない。不気味で空恐ろしいですよ」
「俺はそんな怪獣や怨霊じゃないです。細やかな決意をお知らせしたまでですよ。今夜は約束ですから理人君は貰って行きますが、あの子の満たされない思いを埋められるのは、黒崎さんだけなんでしょう、今は」
「今は?」
「出会う順番が違えば、理人君の初恋は私だったでしょう。本気で揺さぶったらこちらに傾く、かもしれません」

 黒崎は威圧感がない西を決して軽く見たつもりはなかった。自分でも気づかぬうちに優位に立っているつもりでいるのを見破られたのかもしれない。何だか敗北でもしたかのような気分にさせられていた。

「本当にわかってる? 蓮君が退場したからって余裕こいてたら終わるよ。今さら理人君の気持ちに寄り添って、なんて生ぬるい事言ってるやつはバカ。強引にでも責任取れよタコって話。だめだね、君の顔見てると汚い言葉しか出てこない。いやだいやだ」

 西は乱暴な言葉をさらりと言い、不自然なほどにっこり笑った。西は理人をよく知っている、そしてよく分かっている。その自信がうかがえる。
 理人の周りには癖のある人間ばかり集まるのだろうか。黒崎には薄く息を吐きだし、西の静かな横顔を見た。
 黒崎は理人が荷物を持ってエントランスまで戻って来るのを待っていた。
 理人がいない間に二人がどんな話をしていたのか気になる所だが、特に言い争っていた空気も感じられず、だからと言って微妙な距離を開けて立っているだけの二人に、理人はどう話しかけていいか迷う。
 しかも二人とも薄ら笑っているように見えるのだが、それは理人の気のせいだろうか。
 でも怖い……

「行こうか、理人君。じゃあ黒崎さんはこの後も頑張ってお仕事してください。私達は仲良く食事してきます。二人で囲炉裏端でしっぽりね」

 西は理人の肩に手を添え、タクシーに入るように促す。

「あ、黒崎さん、番号の事気付かなくてすいませんでした。後で、連絡いれますね」
「ああ、待ってる。今夜はたくさんご馳走になって楽しんでくるといい。西さん、理人の事よろしくお願いします」
「君に頼まれなくても、よろしくするよ」

 笑う西に黒崎も諦めに近い笑顔を返す。
 仲が良くなった、のかどうなのか……二人にしか通じない笑いの意味が掴めず、理人は困惑するのも疲れて放っておく事にした。
 理人が乗り込むのに続き、西も乗り込み、タクシーは動き出す。

「じゃーねっ」

 西がはしゃいだようにガラス越しに手を振っていた。それに応える黒崎の姿もあって、そんな大人二人の姿が幼い子供のようにも見えて、もう緊張を越えて可笑しくなってきた。
 自分は嫌われていない……
 むしろ黒崎は構いたいのだと言っているようだった。しかも、気付いていなかっただけで、スマホに連絡先を入れていてくれたのだ。
 胸の辺りがきゅっと心地よく痛んだが、そこに手をやると消えてしまいそうで躊躇ってしまう。

 和食の方が理人の胃に優しいと思ったのだろう。西が連れてきたのは囲炉裏のある店だった。個室にあぐらをかいて炉を囲み、時間をかけコースを平らげていく趣向になっている。
 個室に案内された時から串に刺さった食材が炭に立てられ焼かれており、初めて見る様子に理人のテンションは上がる。それを見る西もいつもの優しい眼差しになっている。
 作務衣を着た店員が頻繁にやってきては串の面倒を見て去っていくのだが、それさえ気にならなかった。

「何だか、この前より吹っ切れた顔してるね」

 そう西に言われるほど、理人は背負っていた物が軽くなっていたようだ。にやけていたかもしれない顔を慌てて引き締める。

「西さんが、さっき僕の味方してくれたからかな。でも、黒崎さんを責めるのは間違ってるよ」

 落ち込んでいた状態の理人を、西は心が折れたと表現した。確かにそれに間違いはないのだが、それは誰のせいでもなく自身の弱さのせいだと理人は思っている。

「しょうがないよ。それが私の偽らざる気持ちなんだから。黒崎だけでなく、蓮君も楓君も、もっと理人君を大事にしなきゃいけない。恋する二人は周りが見えないって……その年じゃ許されない」
「そう、かな」
「そうだよ。黒崎は反省を見せたし、取りあえず許してあげるけれど、蓮君はなあ、一番ややこしい人かもね。楓君は、付ける薬がないほどしょうもない」

 西はまだ少量しか口にしていないのに、座った目をしてつぶやいていた。西は蓮に会った事がないのだが、彼の中では蓮という人間がある程度確立されているようだ。

「許すも許さないもないよ……でもそう言ってくれる人がいるのは、西さんがいてくれるのは嬉しい」
「この分だと、病院も必要ないのかな」
「うん、そうなるのかも。僕の悩みなんて全部西さんには丸わかりで、カウンセリングは全部西さんがやってくれた」
「なるほど、そうなるのか。さながら俺は精神安定剤ってところかな。これからも頑張るよ」

 のんびり、とも言える長い時間をかけ、野菜や魚が焼けていく様を眺めると、こんな時間もいいなと思う。囲炉裏の前に座っていると、体の中心からじんわり温かくなる。

「あ、海老もういけるのかも」
「殻まで食べられるから、がぶりつくといいよ」

 さらさらとした灰から串を引き抜き、ふうふうしてから頭に齧りつく。ぱりぱりになった殻は香ばしい煎餅のようで丸ごと食べる事ができた。
 西は理人と同じペースで、食べている姿は猫のようだ。黒崎は見た目に反して大雑把でビールも勢いよく飲んでいた事を思い出す。どちらの二人も理人に優しい、それは間違いない。
 その後は店の話や、何だと話はあちこちに流れた。
 理人の両親の店も、これまで拡大ばかりを狙ってきたが、今後はいかに長く安定させるかに変速するらしい。むしろ一店舗撤退する準備があると言う。
 次の代はやはり西が牽引していくのだろう。それが正解だと思うし、何から何まで西を頼っているようで申し訳ない気もする。
 親の事から店の事まで、はたまた僕の恋愛と健康相談まで……

「西さんいないと、家も僕も潰れるよ、きっと」
「何を愛らしい事をいってるの」
「蓮さんより先に西さんに会ってたら、僕は西さんに恋してたんだろうな。西さんなら大切にしてくれそう」
「もちろんするよ。でろでろに甘やかす。でもこの距離感が心地いいんだろう?」

 西の眼差しは優しい。いつもそうだけど、今夜は特にそれを感じる。
 西は隣に座ってきて、理人の頭をぐりっと撫でる。

「理人君の髪は、やっぱり柔らかいんだね」

 酔っていると分かりやすい酔い方をする西は、人が豹変する事もなく、感情も高ぶらない。ますます天真爛漫な好人物になるだけで安心できる。

「理人君はきっと白髪になっても可愛いよ」
「あんまり言わないで下さい」

 理人の父親は髪が豊かだが、三十代から白髪が目立っていた。酒に強いのも遺伝なら頭髪も父親よりになっているかもしれない。三十代は理人にとってすぐそこの近い未来だ。

「真っ白になっても理人君は理人君だよ。その頃になっても、こうして仲良くしていようね」
「はいはい」

 ふふっと笑う西から理人は酒を取り上げておいた。
 帰りはタクシーで回り道をして家まで送ってもらい、これからは定期的に会おうと約束して別れた。
 西との夕食は楽しいものになった。それは西の陽気さも勿論あったのだが、直前で黒崎と話す機会があった事も少なからず、いや大いに関係していた。
 その後、黒崎の番号に今夜の混乱を詫びるメールを入れ、ようやくこちらの番号を知らせる事ができ、長い一日が終わるのだった。
 
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 8/16番外編出しました!!!!! 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭 4/29 3000❤️ありがとうございます😭 8/13 4000❤️ありがとうございます😭 12/10 5000❤️ありがとうございます😭 わたし5は好きな数字です💕 お気に入り登録が500を超えているだと???!嬉しすぎますありがとうございます😭

運命じゃない人

万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。 理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。

僕の幸せは

春夏
BL
【完結しました】 【エールいただきました。ありがとうございます】 【たくさんの“いいね”ありがとうございます】 【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】 恋人に捨てられた悠の心情。 話は別れから始まります。全編が悠の視点です。

【運命】に捨てられ捨てたΩ

あまやどり
BL
「拓海さん、ごめんなさい」 秀也は白磁の肌を青く染め、瞼に陰影をつけている。 「お前が決めたことだろう、こっちはそれに従うさ」 秀也の安堵する声を聞きたくなく、逃げるように拓海は音を立ててカップを置いた。 【運命】に翻弄された両親を持ち、【運命】なんて言葉を信じなくなった医大生の拓海。大学で入学式が行われた日、「一目惚れしました」と眉目秀麗、頭脳明晰なインテリ眼鏡風な新入生、秀也に突然告白された。 なんと、彼は有名な大病院の院長の一人息子でαだった。 右往左往ありながらも番を前提に恋人となった二人。卒業後、二人の前に、秀也の幼馴染で元婚約者であるαの女が突然現れて……。 前から拓海を狙っていた先輩は傷ついた拓海を慰め、ここぞとばかりに自分と同居することを提案する。 ※オメガバース独自解釈です。合わない人は危険です。 縦読みを推奨します。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

【BL】声にできない恋

のらねことすていぬ
BL
<年上アルファ×オメガ> オメガの浅葱(あさぎ)は、アルファである樋沼(ひぬま)の番で共に暮らしている。だけどそれは決して彼に愛されているからではなくて、彼の前の恋人を忘れるために番ったのだ。だけど浅葱は樋沼を好きになってしまっていて……。不器用な両片想いのお話。

【完結済】極上アルファを嵌めた俺の話

降魔 鬼灯
BL
 ピアニスト志望の悠理は子供の頃、仲の良かったアルファの東郷司にコンクールで敗北した。  両親を早くに亡くしその借金の返済が迫っている悠理にとって未成年最後のこのコンクールの賞金を得る事がラストチャンスだった。  しかし、司に敗北した悠理ははオメガ専用の娼館にいくより他なくなってしまう。  コンサート入賞者を招いたパーティーで司に想い人がいることを知った悠理は地味な自分がオメガだとバレていない事を利用して司を嵌めて慰謝料を奪おうと計画するが……。  

処理中です...