αは僕を好きにならない

宇井

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接近

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 メールで連絡を入れた翌朝、黒崎は返信を送ってきた。
 西の事について黒崎から苦情がくるのではないかと思っていたが一切なく、終業時間が合えば買い物に付き合って欲しいという内容が書かれている。
 一緒に買い物とは、どうしたものかと画面を睨んで悩む。
 僕が気にし過ぎたのかな。
 西が絡んだ事で黒崎には少し迷惑を掛けてしまったから、謝りたいと思っていたのだが、自分が気にするほど他人は頓着しないようだ。
 今日は三十分オーバーくらいで帰れそうだと送れば、黒崎もそれに合わせて仕事を終わらせると言う。
 時間を合わせてくれる黒崎に断りを入れる事はしづらく了解し、仕事が終わると待ち合わせである一階に降りる。
 ロビーには黒崎が先に到着しており、理人の姿を見つけて軽く手を上げてくる。だからと言って目上の人間に同じ動作を返していいとは思っていなくて、小走りになりながら頭をちょこんと下げた。
 黒崎との距離が縮まるけれど、その間彼の顔ばかり見る訳にもいかず、妙な照れくささを感じながら、できるだけ視線は違う場所に移動させた。

「すみません、お待たせしました」
「少し前に来たばかりだから大丈夫。じゃあ、移動するか」

 黒崎は先に歩き出す。
 エントランスのガラス扉が左右に別れると冷気が流れ込む、ヒャッと顔をしかめてしまいながら、やはり明日からはマフラーは必須だなと理人は考えた。
 専務専用の黒塗りの車が車寄せに登場して、運転手がうやうやしく扉を開ける、なんて事はなく、二人して駅までとことこと歩く。
 駅はここから徒歩二十分という場所にあり、その不便さから車通勤者が多い。
 理人も車通勤を検討した事があるが、朝夕の決まった時間帯、自社以外にも工場や倉庫が集中しているこの辺りは道路が一斉に混んでしまう。
 始業よりかなり早めに来るか遅刻ギリギリになってしまうよりはと、仕方なく電車通勤を選択しているが、どうやら黒崎もそうらしい。
 彼の内ポケットから出てきたのは理人と同じ絵柄の定期券で、自分に近い庶民派の専務をつい見つめてしまった。


「移動の時もちゃんと自分で車両予約してる。食堂も使えば、お茶も自分れ入れる」
「割と普通、なんですね」

 理人の戸惑いの意味がわかった黒崎は、自分は大した立場ではないと笑う。
 二人で並んで歩いて電車に乗っていて、そうしている事が全然馴染まなくて、理人の視線は落ち着きなくうろうろとさ迷った。
 同じスーツ姿とはいえ、出で立ちはまるで違う。
 理人はいつもの厚みを抑えた黒のキルティングコートに、ツーウェイ仕様の斜め掛けのメッセンジャーバックとカジュアル。
 それに対しての黒崎は、どの集まりに出ても恥ずかしくない上質なコートを着ている。手に提げている鞄は革っぽいが重くないのだろうか。
 黒崎に見とれている自分に気付き、だめだだめだと首をふる。

「えっと、部屋着でしたっけ?」
「そう、くつろぎ着、ルームウェア。パジャマじゃなくてね」

 部屋着が買える服屋に連れて行けというので、どこに行くべきかまだ迷っているのだが、新幹線も乗り入れる駅に移動する。
 黒崎の服を見繕うため、中央コンコースを抜けデパートへと足を進める事にした。
 乗降客の多い駅は帰宅の為の人間で溢れかえり、不規則にぞろぞろと歩いている。二人もその流れに乗って進んでいた。

「今までずっとジャージだったんだけど、そろそろそれも寿命で」
「寿命って?」
「もう十年以上着てたから、ジャージって丈夫かと思ったら結構弱いな」
「いえ、それだけ持ったのなら長寿だし、使命を全うした気がします」
「そうか? もう一つの方は十年オーバーだけどまだ現役だ。でも今度はそのままコンビニにも行けるようなのが欲しいんだ」
「黒崎さんって……お洒落人間じゃなかったんですか?」
「何でそう思う。どうして?」
「だって、初めて会った時とか、かっこよかったですよ」

 詳しくは覚えていないのだが、少なくともダサいとか、一緒に歩きたくないとかではなかった。

「あれはさ、蓮にもらったやつだ。俺って実は服とかよくわからないんだよな。だから学生の頃から蓮のくれる服で生きてるんだ。だからスーツもほとんどテーラーさんにお任せで、小物から靴まで揃えてもらう」
「それも凄いですね」

 理人のスーツは最初こそセミオーダーで揃えたが、今は紳士服の量販店で体型に近い物を探して購入している。

「蓮はいきすぎだけど、俺も不得手な事はプロに任せればいいと思う。それとは別の身近なアドバイザーが蓮と……理人だな」
「でも黒崎さんて、僕の服が変ってあの時言ってましたよ」

 何と言っていたか思い出せないが、楓と比べられ酷くけなされた事は忘れたくても忘れられない。

「あれは、俺から見てもけっこうな格好だったぞ。どこから引っ張り出したんだってほど、シャツにちりめんみたいな皺があっただろ」
「そうだっけ……?」

 理人の記憶は飛んでいて、正直自分がどんなだったかなんて覚えていない。しかし黒崎があきれるほど酷かったのだろう。
 楓が気付いて何か言ってくれたのなら、あの言い合いには発展しなかったのかもしれないが、あの時は楓もかなり余裕を失っていたのだから仕方ない。

「でも、着替えてきてからの理人はかわいかった。急に幼くなってるし、蓮と対になるような色味でちょっと妬けたけど」

 かわいい……
 自分がそう言われるのは、どうもむずがゆくていけない。痒みは苦痛にもなる。これはまずいと理人は方向転換を図る。

「早く、行きましょう」

 理人は行き先をデパートからセールの時だけお邪魔するセレクトショップへと変える事にする。以前のそいた時に、男性用のその品揃えが充実していた事を思い出したからだ。
 黒崎が気にいるかは分からないけれど、そこへ行っていいかと聞けば、黒崎は一つ返事でオッケーしてくれた。
 安い時ばかりにしか訪れない客ではあるが、店からのカードは届くし、顔を覚えてくれている店員がいる事がただ嬉しい。理人が一番好きで贔屓にしている店だ。
 扉を開けて入って目的の場所へと向かう。

「パーカーはどうですか、眠る時にあると邪魔ですよね」
「ああ、ない方がいいな。理人は寝る時何を着てる?」
「僕は、今の季節だと着古したスウェットです。ファストファッションで買った黒だし、こだわりはないですよ」

 店には選べるほど種類が置かれていなかったが、男性向けにしてはもこもこでかわいいらしい物もある。理人はハンガーに吊るされている無難な一つを手にとり黒崎の体に当てる。
 黒崎の希望にそったパーカーのない物でスウェット素材でできている。シンプルなデザインだが胸にはロゴが入り、手触りもスムーズだ。
 理人は値札をチェックすると、やはり渋い顔になってしまう。
 二十パーセントオフでこの値段か。
 黒崎には安い物かもしれないが、無理に勧めるのも気が引ける値段設定だ。
 それに背の高い黒崎には何でも似合うのだろうが、ルームウェアまでカッコよく着こなすのは狡い気もする。そうなると、やはりジャージが一番安定するのかもしれない。でもこの人ならただの芋ジャーもスタイルの良さで難なく着こなすのだろう。
 その上頭もいいって、人間って不平等だな。
 蓮と黒崎が同じ大学出身だと思い出し渋い顔をやめられず、黒崎がずっと自分の顔を見ている事に気付かなかった。

「理人はそれがいいと思う?」
「サイズもジャストっぽいしお洒落だし。でも値段がかわいくない……」
「よし、これに決めた」
「えっ、でもちょっと高めだよ」
「理人に選んでもらっただけで嬉しい」

 さっと理人の手にあるウェアを引き取り、黒崎は店内を回遊してしまう。
 嬉しいって言った。
 何気に凄い爆弾を落とされた理人は、汗の出ていない額に手をやり動けなくなってしまった。

「いらっしゃいませ」
「ああっ、お久し振りです」

 店員に声をかけられ我に返る。

「今日はかっこいいお連れ様と一緒なんですね。いつもお一人なのに」
「はい、たまたまこうなってしまって」
「お友達とか……?」
「それほど気安い関係じゃないかな」

 自分より二つほど年上の店員は、理人を見つけるとこうして声をかけてくれる。男性でもニット帽を堂々と被れるのは、ショップ店員の自信なのだなぁと羨ましく思いながら、理人はその頭を眺めた。

「いいですね、そのニットキャップ」
「棚にありますよ」
「でも、僕にはちょっと、違うかな」
「遠慮せず一度試して下さい」

 気安い店員は自分の物を脱ぎ理人に手渡す。

「絶対にいいと思うんで」

 手にある物を見つめ困った顔をする理人から再び帽子を取り、有無を言わず頭に被せてしまう。

「わぁ、ぬるい」
「そりゃ温もりが移ってますから、でも言い方が酷いです」

 嘆きながらも笑い、理人の髪を整えていく。

「ほら、やっぱりいい感じ。鏡の前までどうぞ!」

 試着室の前へ移動させられ、大きな鏡で自分と対面させられる。首から下がスーツな事もあってなんとも奇妙だ。

「なんか、お洒落じゃなくて、雪国の子みたい。でもやっぱり温かいなぁ」
「髪はもうちょっと入れましょう」

 鏡の中の自分に理人は打ちひしがれる。温かい小物は好きだ。マフラーも手袋も帽子も。毛糸とかボアとかも愛している。
 でも似合わないんだよな。目つき悪いし。これで出掛ける場所もないし。

「理人、行くぞ」

 スポンと上から帽子を抜かれ振り返ると、黒崎が不機嫌顔で立っていて、帽子を店員に手渡している。
 どうやらとっくに支払いは終わっていたようで手には紙袋がある。会計が済んだ後に姿がないと探し怒っているのだろうか。

「すみません。お待たせしてたみたいで……じゃあ、帽子は僕には似合わないって事で、ありがとうございました」

 店員に謝る理人は黒崎に腕を引かれ店を出る事になった。
 自分になど魅力はないと思い込んでいる理人は、人のくれる行為がその先を望んでいるとは考えもつかない。
 黒崎からすればさっきの店員は理人とのやり取りを個人的に楽しんでいたし、執拗に髪を撫でているように見えた。

「油断も隙もない……」

 自分を知りそれを最大限に活かすようなお洒落をするような人間が黒崎は苦手だし警戒を怠れない。
 黒崎がさっきの店員を見て連想したのは西だった。その次には、食堂で見た久保の事が出てきてしまう。何でもないと言われても、やはやり理人に近い男に対してムカムカする。

「誰かの服を選ぶって楽しいんですね」
「ん?」

 向けられたつぶやきに黒崎は振り向く。

「ふふっ、黒崎さんにはわからないと思うんですけど、楓のセンスって最低なんです。まずサイズが合っていないっていう、それ以前の問題があってとにかく悲惨。でも今は蓮兄がスタイリストになってる。恋人を自分好みに変えちゃうとか逆にされちゃうとかって、僕が思ってたより楽しそうかなって、ちょっと思いました」
「好みを擦り合わせるんじゃなくて、その人に染められるって事か。楓なら大人しく蓮の着せ替え人形やってそうだ」
「それもいいじゃないですか、二人が楽しんでるのなら。だって、さっきのパジャマひとつでも、自分の選んだ物が受け入れられるの嬉しかったですよ。黒崎さんはスタイルがいいから、もっと試して欲しくなります。そっか、ショップの店員さんもこんな気持ちなのかな」

 また一緒に買い物したいですね。軽く口にしながらもきっと理人から誘ってくる事はないのだろう事が確信できる。

「無自覚にせよ、どれだけたらしこむんだ……」

 黒崎のつぶやきは誰の耳に入らず、白い息になって消えていった。
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