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13 ふたりの家
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行き先も聞かないまま歩いてやってきたのは、この町に来た時にいつもジェイクが借りているという部屋がある建物の前だった。
この町が気に入ったジェイクは仕事が休みに入ると長期で部屋を借りるらしい。それは三年前からそうしているという。
入り口が通りに面した建物の一階は、看板が出ていないけれど商売する店だとすぐわかった。大きく取られた窓からは、商品を陳列する棚が見える。
一階は食品や雑貨を扱う店、二階はそのオーナーであり店主の部屋で、ジェイクはいつも最上階の三階を借りているらしい。
外付けの階段は途中で曲がりくの字になって三階に続いてるのが一本ある。きっと内部の階段で一、二階は繋がっているのだろう。見上げると窓の上の庇は黄色に塗られているのがわかった。
両脇にも前にも建物があるけれど、どれも人が住むための物のようだ。一軒家というより、集合住宅に近い。
建物と建物の隙間は二メートルなく、印象的には結構密着している。
ジェイクは一階の店の入り口近くでストールを取りはたく。大通りを外れた事もあって、酷い埃っぽさはない。
俺もそれに倣ってポンチョを取る。ジェイクを見習って埃をはたき、店前にあるフックに掛けた。フックは外壁に打ち付けられた大きなL字型の釘で、茶色の錆が浮いていた。
扉を開けると内側のドアベルが控えめにカラカラと鳴る。
「こんにちは、ファル」
「おお、ジェイクか、久しぶりだな」
レジ横でカウンターにもたれかかり新聞を広げていた中年男性が顔を上げる。髪は黒々としているが前頭部から後退を始めていて、丸顔のせいか中肉中背体型なのにぽっちゃりして見える。
「今年も帰って来たか。部屋なら空いてるぞ」
「良かった。今回は私一人ではないから慣れた場所がよくて、もし空きがなければどこで部屋が借りられるかと相談しようと思っていたんだ」
「ん、一人じゃないのか?」
そのもう一人を探そうとしたのか、店主は店内を見渡し、次に上体を傾け窓の外を見る。
そっちじゃない下だよ下。コントかよ。
俺はカウンターを指でコンコンと突いた。店主に存在を知らせる為に。
「初めまして、トモエと言います。お世話になります」
にっこり。
ジェイクから詳しい説明は受けていないが、二人の会話から今後お世話になる大家だと言うことがわかったから、俺は思いっきり愛想よくしておいた。それにこの人はただの大家というより友人に近い感じがするから。
何しろ俺はジェイクの嫁になる予定だ。今のうちから良好な関係を築くのは悪くないだろう。
俺の顔が不細工となると残るは愛嬌しかない。その辛い重荷をカバーするにはやっぱり笑顔しかない。
にこっと笑って首をちょっと傾けて、上目遣いをする。ちょっとあざといが、今の俺にはこの位の底上げは必要だ。上げても不細工だけど……
「ほお、似ていない兄弟だな」
俺を認めたおっさんはしみじみ呟いた。
おっさんの目、すげえ節穴だな。
この人、俺とジェイクの顔の造りが全然違うってわからないのかね。ジェイクもきっとそう思ったのだろう、俺としばらくキョトンと目を見合わせた。
「この通り、いい人だろう?」
「うん、そんな感じだね」
年のせいじゃなくて、きっと天然ってやつなんだろう。きっと上手くやっていける。俺はそう思いながらファルさんと握手を交わした。
「そうそう、いい所に帰って来てくれた。薬屋がお前の作った丸薬が手に入ればと言っていたぞ」
「わかった。手持ちの物だけで追加はないが後で持って行こう」
「いや、帰ってきたばかりなら疲れているだろう。預かろう。わしが持って行くよ」
「ところでファル……まだ一人なのか?」
「欲しい欲しいと思っても、女っ気がなくなって十年だ。もう一人が気楽でいいと思う事にするさ」
ガハハとファルさんは笑う。
きっとジェイクと顔を合わせる度に、女が欲しい寂しいとでも騒いでいたのだろう。
ファルさんの一人身の寂しさはどうでもいい、俺の耳に残ったのは別の言葉だった。
作った薬? 薬屋……
ジェイクは薬を作って卸しているんだろうか。となるとザックに無理矢理詰めている熊の手もその材料になるのかもしれない、なるほどな。
俺はジェイクという人を知る手がかりを知って一人頷いた。
ファルさんはジェイクが今日戻ってくるまでの町であった細やかな事件なんかを喋り出し、ジェイクは律儀に相槌を打って付き合っている。
おっさんは離婚か死別か、ずっと未婚のままなのかわからないが、とにかく女性好きの独り身らしい。会話に女性の名前が幾つか出てくる。
ジェイクも独身だ。だけど、ジェイクが同性か異性か、どちらが好きかをまだ確認できていない。これまで勝手に興奮して、ジェイクは未来の婿にすると決めてたけど、その辺がまだわからないんだよな。
同性は無理ってきっぱり言われたらへこむだろうな。なんか確かめるのが怖いな。
一人で盛り上がりすぎたせいで、その反動を食らうのが恐ろしかった。
ファルさんから家の鍵をスペア用と二つ受け取ると、外へ出て三階まで外階段で上がった。鍵をカチリと開けて入る。部屋の印象はとても良かった。
なかなかいいんじゃないの?
ワンフロアに一部屋。玄関はなく、フラットな床がずっと続いている。
入ってすぐ脇には水場であるキッチンやトイレ、バス。正面は陽が入るリビング。右には個室が二つあって、こっちはリビングが大きく取ってある分、窮屈な感じがする。
廊下と呼ばれる部分がなくすべてが繋がっている分、広々とした印象だ。
家具は据え付けなのか、壁に打ち付けられて固定された食器棚や、チェスト、タンスがある。それ以外にはダイニングテーブルセット、ベンチソファにローテーブル。寝室となる一つの個室にはシングルサイズのベッド。これだけ揃っていればすぐにでも暮らせる設備だ。
「センスのいい部屋だね」
ダーク色で揃った色味は落ち着くし、家具の配置もいい。
俺が良く知る軽い合板じゃなくて、扉から家具から床板までの全部が密度のある木で出来ている。やっすい作りじゃない、言わば高級カントリーだ。
ここなら年単位で借りたい人もいるだろうに、ファルさんは長期滞在用としてしか貸し出さないのは、どうやら過去に騒音で悩まされた事があるみたいで、それからは身軽な月契約しかしないようになったらしい。
ファルさんは店とこの三階の家賃収入で生計を立てている訳だけど、それほどがめつくならなくても余裕で生活していけているのだろう。
「移動できる家具はほとんど私の買ったものが置いてあるんだ。トモエが気に入ったのなら、私達の趣味は合うんだろう」
「うん、合うあう。すっごく合う」
えへへ。俺達って相性抜群?
ジェイクの口からそう言われて、俺は素直に嬉しい。顔が崩れてへらっと笑ってしまう。
「敷物は、買い直すか」
ジェイクは敷かれた絨毯を何度も踏みしめ、細かく舞い上がる埃を見せた。前の住人が出て行ってから掃除はしたのだろうけど、絨毯の織目にまで入り込んだ砂や埃は何度干しても奥から出て来そうだ。
こうしてこの部屋から俺達の生活は始まった。
初日から俺は室内の土足禁止をまず提案した。最初はしぶられたけど、一度お試しで生活してもらったら、この件は採用となった。
「トモエは小さいのに賢いな。よくこんな事を思いつくものだ」
また髪をなでなでしてもらったよ。嬉しい。
かくして我が家には玄関には境界の印の細長いマットが置かれ、靴はその上で脱ぎ履きする事になった。
マットは初めてふたりで選んで買った、黄色の地に青のペイズリー模様が入ったもの。これで玄関がぐっと明るくなった。
ちなみに生臭の熊の前脚は余計な部分を落として、階段の踊り場に干していた。特殊な加工がしてあるのか臭いも最初より抑えられていた。
入居してからの三日は二人で町へ出て必要な物の買い出しをした。そうやって近所の地理を教えてもらって、この町がどんな場所であるかを自然に教えてもらった。
緑は多い、けれど少し乾いた空気の小都市。町を出たらすぐに木々が広がり、その遥か先には砂漠がある。でも大河が多く資源的には恵まれた国。王都は西方向。
風にのってやってくる砂粒の多さに季節の風物詩。今がそのシーズンというわけになる。
今は冬にあたる時期だけど、日本の冬程気温は下がらず、雪も降らない。降水量はほかの地域より多め。
学校、病院、図書館。市民生活に必要な物はそろっている。
都市とは言っても、貧富の差を感じない程度のほどよい田舎。そんな所だろう。日本みたいに、高層の億ションの真下にさびれた下町と野良猫がいるような、そんな環境ではない。みんな一緒、所得の格差はそれほどない、そんな感じ。
町の事がわかった所で、正直言ってジェイクの懐具合ってのが俺にはよく分からない。
大きな買い物、例えばリビングのラグを買う時にも、決める基準は値段ではなく、気に入ったものかどうかが重要だった。
俺を拾ってくれる位だから、そこそこお金はあるんだと思う。無理をして切り詰めている感じはまったくない。
何でも値段も確かめずにさらっと買っちゃうかんじ。
中古とは言え、俺の服も口出ししなれば山のように買っていただろう。適当に買うんじゃなくて、俺の胸に一枚一枚当てているのが楽しそうだった。迷うなら全部買ってみるかという悩みのない感じ。
だけど本人の格好からも金持感はあんまりない。
パン屋で買ったバケットと、その隣の惣菜屋で買った鶏肉とトマトスープを抱え、俺達は店前に並べられたベンチで昼食を食べる事にした。
ここは馬が通る道から外れていて、埃は立たない。少し冷えるけど日が背中に当たって、じっとしているとぽかぽかしてくる。
このパン屋は人気なのか、ガラスの向こうの店内には何を選び買おうかと物色する人の姿、それも女性の姿が多い。さっきは気付かなかったけど、扉の両脇には手入れされた白色の小花の鉢が並んでいる。
この地方の特色なのか、それともこの国全体がそうなのかは分からないけれど、時間をおいたパンは急速に硬くなるみたいで食べづらい。だからパン屋で買ってすぐに食べるに限る。
それを翌日に持ち越すとなると、スープに浸すとか、卵液を染み込ませて焼くとかの工夫が必要になる。だから宿屋の食堂で食べた柔らかなパンも焼き立てだったという事になる。あれも美味かった。
ジェイクは細長いそれを手で千切り、短い方を渡してくれる。俺はそれに筋目を入れて割き、塩とハーブで焼かれた鶏肉を挟み込む。
形を整えてそれにかぶりつき、存分に小麦を味わってからスープで流し込む。体が小さいせいかパンがでかく感じる。
香辛料が苦手な俺の為に、ジェイクは注文する時に前もって抜いてくれるように頼んでくれるから、効きすぎるハーブの臭いに食欲減退させられる事もなくなった。その気遣いが嬉しい。愛されてるって感じする。
パンも椅子もドアも大きい。子供目線では何もかもが大きめのサイズで出来ていて、まるで巨人の国へ迷い込んだみたいで楽しい。それは不自由じゃなく楽しめていた。
そういえば、野豚はどこ行ったのかな。
あれ以来姿は見ていないけど、見つけたら本当に飼ってもいいのだろうか。扶養者がまた一匹増えてもいいのかな。
俺はパンからはみ出た肉をはぐはぐしながら問う。
「ねえ、ジェイク……ちょっと突っ込んだ事だけど、聞いていい? お金は、大丈夫なの? ほら俺っていう食い扶持が増えた訳だし……迷惑かけてるわけだし……」
「そんな心配の必要はない。私は大きな仕事を終えてここへ来たばかりなんだ。それに使い道もなく貯まる一方だったから、この程度じゃ散財した事にならない。小さな子を養うなんて訳ない事だ。トモエはもっと我がままを言っていい」
「そっか。ありがとう」
よかった。
俺はこれまでお金持ちの人しか選んでこなかったけど、だからと言って好き放題してた訳じゃない。施しに甘えて、くれる物を受け取っていただけで、自分から強請ることはなかった。
もしジェイクが貧乏人だったら、今から働く道を選んでもいいと思ってたけど、その必要は本当になさそうだ。
「でもお金使わせてごめん」
俺の声が小さくなるとジェイクは溜息をつく。
「子供にそんな話は早いかと思ったが、トモエには隠す事なくすべてを教えた方が良さそうだな」
ジェイクはそう笑って俺のポシェットからハンカチを出し、口の周りを拭いてくれた。
「だったら、まずはジェイクの仕事の内容教えてよ。薬師ってのはファルさんとの会話でわかったけど、それを詳しく知りたい」
「わかった。私の仕事は薬を作って調合する薬師だ。危険と言われる国境にいることが多いが、私自身に危ない事はない。有り難い事に魔力で避けることができるからね」
お金の心配はなくなったけど、違う心配ができた。
今は休暇中だとは知っていたけれど、休暇が終わるとまたその場所に戻るのだ。危なくないとは言うけれど本当だろうか。
それに、この休暇が終わった後も、俺は一緒にいられるのだろうか……
「休暇って、いつまで?」
「そうだな、今回は三か月くらいか」
「三か月も? それって長くない?」
二週間、長くても一か月程度だと思い込んでいた。でもこの考えも日本仕様でこの世界基準ではない。
「確かに長いが、その期間を丸々遊んでいる訳じゃないぞ。ここに来た時には、ここでしか出来ない事をしなければならない。しばらくしたら書斎を使うようになるから、そのうちわかるだろう」
「そっか、完全な休みではないんだね。だったら俺にも出来る事があるなら手伝う」
「わかった、頼りにしてる。トモエは器用だし家の事を任せてもいいかな」
「うん、やるやる。掃除とか嫌いじゃないから」
俺も役に立つぞ、とやる気が出てきた。少しは使える奴だってわかってもらって、休暇が終わっても国境へ連れてってもらおう。
「薬草を取ったり、それを干したり、そんなのも楽しいはずだぞ」
「おおっ、薬草。そんなの取りに行くのも仕事なんだ」
「仕事というか、必要な薬草は栽培している地域があって、わざわざ採取に向かう必要はないんだ。しかし、森で群生している場所を発見するのが楽しくてやめられない」
ジェイクは照れたように笑う。
ここは生活に不便がない小都市。なのに近くに森があって、半分趣味という採取のためのフィールドワークに適している。採取の後は家の階段が丁度いい乾燥場となるし、楽しむには都合がいい場所らしい。
それ用の網籠も台所の隅の棚にたくさん収納されていた。他にも調理道具みたいな使途不明の機械が幾つかあったけど、それも薬に関わる道具みたいだ。
何だかこれからも楽しくなりそうな予感があった。
この町が気に入ったジェイクは仕事が休みに入ると長期で部屋を借りるらしい。それは三年前からそうしているという。
入り口が通りに面した建物の一階は、看板が出ていないけれど商売する店だとすぐわかった。大きく取られた窓からは、商品を陳列する棚が見える。
一階は食品や雑貨を扱う店、二階はそのオーナーであり店主の部屋で、ジェイクはいつも最上階の三階を借りているらしい。
外付けの階段は途中で曲がりくの字になって三階に続いてるのが一本ある。きっと内部の階段で一、二階は繋がっているのだろう。見上げると窓の上の庇は黄色に塗られているのがわかった。
両脇にも前にも建物があるけれど、どれも人が住むための物のようだ。一軒家というより、集合住宅に近い。
建物と建物の隙間は二メートルなく、印象的には結構密着している。
ジェイクは一階の店の入り口近くでストールを取りはたく。大通りを外れた事もあって、酷い埃っぽさはない。
俺もそれに倣ってポンチョを取る。ジェイクを見習って埃をはたき、店前にあるフックに掛けた。フックは外壁に打ち付けられた大きなL字型の釘で、茶色の錆が浮いていた。
扉を開けると内側のドアベルが控えめにカラカラと鳴る。
「こんにちは、ファル」
「おお、ジェイクか、久しぶりだな」
レジ横でカウンターにもたれかかり新聞を広げていた中年男性が顔を上げる。髪は黒々としているが前頭部から後退を始めていて、丸顔のせいか中肉中背体型なのにぽっちゃりして見える。
「今年も帰って来たか。部屋なら空いてるぞ」
「良かった。今回は私一人ではないから慣れた場所がよくて、もし空きがなければどこで部屋が借りられるかと相談しようと思っていたんだ」
「ん、一人じゃないのか?」
そのもう一人を探そうとしたのか、店主は店内を見渡し、次に上体を傾け窓の外を見る。
そっちじゃない下だよ下。コントかよ。
俺はカウンターを指でコンコンと突いた。店主に存在を知らせる為に。
「初めまして、トモエと言います。お世話になります」
にっこり。
ジェイクから詳しい説明は受けていないが、二人の会話から今後お世話になる大家だと言うことがわかったから、俺は思いっきり愛想よくしておいた。それにこの人はただの大家というより友人に近い感じがするから。
何しろ俺はジェイクの嫁になる予定だ。今のうちから良好な関係を築くのは悪くないだろう。
俺の顔が不細工となると残るは愛嬌しかない。その辛い重荷をカバーするにはやっぱり笑顔しかない。
にこっと笑って首をちょっと傾けて、上目遣いをする。ちょっとあざといが、今の俺にはこの位の底上げは必要だ。上げても不細工だけど……
「ほお、似ていない兄弟だな」
俺を認めたおっさんはしみじみ呟いた。
おっさんの目、すげえ節穴だな。
この人、俺とジェイクの顔の造りが全然違うってわからないのかね。ジェイクもきっとそう思ったのだろう、俺としばらくキョトンと目を見合わせた。
「この通り、いい人だろう?」
「うん、そんな感じだね」
年のせいじゃなくて、きっと天然ってやつなんだろう。きっと上手くやっていける。俺はそう思いながらファルさんと握手を交わした。
「そうそう、いい所に帰って来てくれた。薬屋がお前の作った丸薬が手に入ればと言っていたぞ」
「わかった。手持ちの物だけで追加はないが後で持って行こう」
「いや、帰ってきたばかりなら疲れているだろう。預かろう。わしが持って行くよ」
「ところでファル……まだ一人なのか?」
「欲しい欲しいと思っても、女っ気がなくなって十年だ。もう一人が気楽でいいと思う事にするさ」
ガハハとファルさんは笑う。
きっとジェイクと顔を合わせる度に、女が欲しい寂しいとでも騒いでいたのだろう。
ファルさんの一人身の寂しさはどうでもいい、俺の耳に残ったのは別の言葉だった。
作った薬? 薬屋……
ジェイクは薬を作って卸しているんだろうか。となるとザックに無理矢理詰めている熊の手もその材料になるのかもしれない、なるほどな。
俺はジェイクという人を知る手がかりを知って一人頷いた。
ファルさんはジェイクが今日戻ってくるまでの町であった細やかな事件なんかを喋り出し、ジェイクは律儀に相槌を打って付き合っている。
おっさんは離婚か死別か、ずっと未婚のままなのかわからないが、とにかく女性好きの独り身らしい。会話に女性の名前が幾つか出てくる。
ジェイクも独身だ。だけど、ジェイクが同性か異性か、どちらが好きかをまだ確認できていない。これまで勝手に興奮して、ジェイクは未来の婿にすると決めてたけど、その辺がまだわからないんだよな。
同性は無理ってきっぱり言われたらへこむだろうな。なんか確かめるのが怖いな。
一人で盛り上がりすぎたせいで、その反動を食らうのが恐ろしかった。
ファルさんから家の鍵をスペア用と二つ受け取ると、外へ出て三階まで外階段で上がった。鍵をカチリと開けて入る。部屋の印象はとても良かった。
なかなかいいんじゃないの?
ワンフロアに一部屋。玄関はなく、フラットな床がずっと続いている。
入ってすぐ脇には水場であるキッチンやトイレ、バス。正面は陽が入るリビング。右には個室が二つあって、こっちはリビングが大きく取ってある分、窮屈な感じがする。
廊下と呼ばれる部分がなくすべてが繋がっている分、広々とした印象だ。
家具は据え付けなのか、壁に打ち付けられて固定された食器棚や、チェスト、タンスがある。それ以外にはダイニングテーブルセット、ベンチソファにローテーブル。寝室となる一つの個室にはシングルサイズのベッド。これだけ揃っていればすぐにでも暮らせる設備だ。
「センスのいい部屋だね」
ダーク色で揃った色味は落ち着くし、家具の配置もいい。
俺が良く知る軽い合板じゃなくて、扉から家具から床板までの全部が密度のある木で出来ている。やっすい作りじゃない、言わば高級カントリーだ。
ここなら年単位で借りたい人もいるだろうに、ファルさんは長期滞在用としてしか貸し出さないのは、どうやら過去に騒音で悩まされた事があるみたいで、それからは身軽な月契約しかしないようになったらしい。
ファルさんは店とこの三階の家賃収入で生計を立てている訳だけど、それほどがめつくならなくても余裕で生活していけているのだろう。
「移動できる家具はほとんど私の買ったものが置いてあるんだ。トモエが気に入ったのなら、私達の趣味は合うんだろう」
「うん、合うあう。すっごく合う」
えへへ。俺達って相性抜群?
ジェイクの口からそう言われて、俺は素直に嬉しい。顔が崩れてへらっと笑ってしまう。
「敷物は、買い直すか」
ジェイクは敷かれた絨毯を何度も踏みしめ、細かく舞い上がる埃を見せた。前の住人が出て行ってから掃除はしたのだろうけど、絨毯の織目にまで入り込んだ砂や埃は何度干しても奥から出て来そうだ。
こうしてこの部屋から俺達の生活は始まった。
初日から俺は室内の土足禁止をまず提案した。最初はしぶられたけど、一度お試しで生活してもらったら、この件は採用となった。
「トモエは小さいのに賢いな。よくこんな事を思いつくものだ」
また髪をなでなでしてもらったよ。嬉しい。
かくして我が家には玄関には境界の印の細長いマットが置かれ、靴はその上で脱ぎ履きする事になった。
マットは初めてふたりで選んで買った、黄色の地に青のペイズリー模様が入ったもの。これで玄関がぐっと明るくなった。
ちなみに生臭の熊の前脚は余計な部分を落として、階段の踊り場に干していた。特殊な加工がしてあるのか臭いも最初より抑えられていた。
入居してからの三日は二人で町へ出て必要な物の買い出しをした。そうやって近所の地理を教えてもらって、この町がどんな場所であるかを自然に教えてもらった。
緑は多い、けれど少し乾いた空気の小都市。町を出たらすぐに木々が広がり、その遥か先には砂漠がある。でも大河が多く資源的には恵まれた国。王都は西方向。
風にのってやってくる砂粒の多さに季節の風物詩。今がそのシーズンというわけになる。
今は冬にあたる時期だけど、日本の冬程気温は下がらず、雪も降らない。降水量はほかの地域より多め。
学校、病院、図書館。市民生活に必要な物はそろっている。
都市とは言っても、貧富の差を感じない程度のほどよい田舎。そんな所だろう。日本みたいに、高層の億ションの真下にさびれた下町と野良猫がいるような、そんな環境ではない。みんな一緒、所得の格差はそれほどない、そんな感じ。
町の事がわかった所で、正直言ってジェイクの懐具合ってのが俺にはよく分からない。
大きな買い物、例えばリビングのラグを買う時にも、決める基準は値段ではなく、気に入ったものかどうかが重要だった。
俺を拾ってくれる位だから、そこそこお金はあるんだと思う。無理をして切り詰めている感じはまったくない。
何でも値段も確かめずにさらっと買っちゃうかんじ。
中古とは言え、俺の服も口出ししなれば山のように買っていただろう。適当に買うんじゃなくて、俺の胸に一枚一枚当てているのが楽しそうだった。迷うなら全部買ってみるかという悩みのない感じ。
だけど本人の格好からも金持感はあんまりない。
パン屋で買ったバケットと、その隣の惣菜屋で買った鶏肉とトマトスープを抱え、俺達は店前に並べられたベンチで昼食を食べる事にした。
ここは馬が通る道から外れていて、埃は立たない。少し冷えるけど日が背中に当たって、じっとしているとぽかぽかしてくる。
このパン屋は人気なのか、ガラスの向こうの店内には何を選び買おうかと物色する人の姿、それも女性の姿が多い。さっきは気付かなかったけど、扉の両脇には手入れされた白色の小花の鉢が並んでいる。
この地方の特色なのか、それともこの国全体がそうなのかは分からないけれど、時間をおいたパンは急速に硬くなるみたいで食べづらい。だからパン屋で買ってすぐに食べるに限る。
それを翌日に持ち越すとなると、スープに浸すとか、卵液を染み込ませて焼くとかの工夫が必要になる。だから宿屋の食堂で食べた柔らかなパンも焼き立てだったという事になる。あれも美味かった。
ジェイクは細長いそれを手で千切り、短い方を渡してくれる。俺はそれに筋目を入れて割き、塩とハーブで焼かれた鶏肉を挟み込む。
形を整えてそれにかぶりつき、存分に小麦を味わってからスープで流し込む。体が小さいせいかパンがでかく感じる。
香辛料が苦手な俺の為に、ジェイクは注文する時に前もって抜いてくれるように頼んでくれるから、効きすぎるハーブの臭いに食欲減退させられる事もなくなった。その気遣いが嬉しい。愛されてるって感じする。
パンも椅子もドアも大きい。子供目線では何もかもが大きめのサイズで出来ていて、まるで巨人の国へ迷い込んだみたいで楽しい。それは不自由じゃなく楽しめていた。
そういえば、野豚はどこ行ったのかな。
あれ以来姿は見ていないけど、見つけたら本当に飼ってもいいのだろうか。扶養者がまた一匹増えてもいいのかな。
俺はパンからはみ出た肉をはぐはぐしながら問う。
「ねえ、ジェイク……ちょっと突っ込んだ事だけど、聞いていい? お金は、大丈夫なの? ほら俺っていう食い扶持が増えた訳だし……迷惑かけてるわけだし……」
「そんな心配の必要はない。私は大きな仕事を終えてここへ来たばかりなんだ。それに使い道もなく貯まる一方だったから、この程度じゃ散財した事にならない。小さな子を養うなんて訳ない事だ。トモエはもっと我がままを言っていい」
「そっか。ありがとう」
よかった。
俺はこれまでお金持ちの人しか選んでこなかったけど、だからと言って好き放題してた訳じゃない。施しに甘えて、くれる物を受け取っていただけで、自分から強請ることはなかった。
もしジェイクが貧乏人だったら、今から働く道を選んでもいいと思ってたけど、その必要は本当になさそうだ。
「でもお金使わせてごめん」
俺の声が小さくなるとジェイクは溜息をつく。
「子供にそんな話は早いかと思ったが、トモエには隠す事なくすべてを教えた方が良さそうだな」
ジェイクはそう笑って俺のポシェットからハンカチを出し、口の周りを拭いてくれた。
「だったら、まずはジェイクの仕事の内容教えてよ。薬師ってのはファルさんとの会話でわかったけど、それを詳しく知りたい」
「わかった。私の仕事は薬を作って調合する薬師だ。危険と言われる国境にいることが多いが、私自身に危ない事はない。有り難い事に魔力で避けることができるからね」
お金の心配はなくなったけど、違う心配ができた。
今は休暇中だとは知っていたけれど、休暇が終わるとまたその場所に戻るのだ。危なくないとは言うけれど本当だろうか。
それに、この休暇が終わった後も、俺は一緒にいられるのだろうか……
「休暇って、いつまで?」
「そうだな、今回は三か月くらいか」
「三か月も? それって長くない?」
二週間、長くても一か月程度だと思い込んでいた。でもこの考えも日本仕様でこの世界基準ではない。
「確かに長いが、その期間を丸々遊んでいる訳じゃないぞ。ここに来た時には、ここでしか出来ない事をしなければならない。しばらくしたら書斎を使うようになるから、そのうちわかるだろう」
「そっか、完全な休みではないんだね。だったら俺にも出来る事があるなら手伝う」
「わかった、頼りにしてる。トモエは器用だし家の事を任せてもいいかな」
「うん、やるやる。掃除とか嫌いじゃないから」
俺も役に立つぞ、とやる気が出てきた。少しは使える奴だってわかってもらって、休暇が終わっても国境へ連れてってもらおう。
「薬草を取ったり、それを干したり、そんなのも楽しいはずだぞ」
「おおっ、薬草。そんなの取りに行くのも仕事なんだ」
「仕事というか、必要な薬草は栽培している地域があって、わざわざ採取に向かう必要はないんだ。しかし、森で群生している場所を発見するのが楽しくてやめられない」
ジェイクは照れたように笑う。
ここは生活に不便がない小都市。なのに近くに森があって、半分趣味という採取のためのフィールドワークに適している。採取の後は家の階段が丁度いい乾燥場となるし、楽しむには都合がいい場所らしい。
それ用の網籠も台所の隅の棚にたくさん収納されていた。他にも調理道具みたいな使途不明の機械が幾つかあったけど、それも薬に関わる道具みたいだ。
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