こうもりのねがいごと

宇井

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 子供の頃のコウは工場での仕事が終われば逃げるように家に帰っていた。自分は他の蝙蝠と違う。だから外が辛かった、人目が怖かったのだ。
 でも洞窟の家にいれば亡くなったじいちゃんの気配に包まれ、守られている気がした。
 しかし、その洞窟の家だって今はもう他人の物だ。
 ある時工場の仕事から帰ったら別の蝙蝠が我が物顔で使っていて、たった一人弱い彼がそれに抗議することはできなかったのだ。

 それからは住む場所も職場になった。
 とびきり高い尖った塔がシンボルの、古くても大きなお城の近くにコウの勤める工場はある。だから仲間であるはずの他の蝙蝠たちの雄姿は嫌でも目にはいってくる。
 だけど蝙蝠たちはコウに関心がないらしく、声を掛けられたことはない。
 同じ職場の人たちでさえ彼に無関心だった。
 仕事の指示はしても、それ以外の話をしたことはない。彼らがそれを避けている訳ではなく、蝙蝠という種に、そして乱暴なことをいとわない蝙蝠の部隊に対する本能的なおそれがあって、必要以上に近づこうとは思わなかったのだ。
 だから誤解も多々ある。
 工場の人達は蝙蝠との親交がまったくない。だから空を黒く舞う屈強な種に少々の無理を強いても問題ないと思っていた。
 工場で働くのは大人ばかりでなく、コウほどの子供も数人いた。その中でもコウが任される仕事は多かった。
 他の子供より多く仕事をいいつけても、コウは文句を言わず笑顔で仕事を終えた報告をしてくる。

 なんだやっぱり大丈夫じゃないか。少し時間はかかるがもっと任せてもいいのだろう。
 
 大人はそう考え、コウの負担は増えていった。
 冬の時期、配分される食糧が減った時も、コウの分から量を減らしていった。

 蝙蝠部隊は昼夜問わず働いていて、命があれば飲まず食わずで一週間飛び続けると聞いている。私達とはそもそも体の構造が違うのだ。

 そう思い込むことで自らを正当化している工員達は、コウのやつれた姿を見たくがないために目を逸らしていた。

 数年がたち、工場に新しい機械が入ってからコウの役割だけが変わった。
 大きな音をさせ稼動する巨大な機械の下にもぐり、そこで動きの悪い箇所に油を差し、糸が絡んだ部分を直すように命令されたのだ。

 僕だけが……?

 そうは思ってもそれを口にすることは許されなかった。
 彼の体は十四にしては小さく薄さかった。
 その役割は子供には荷が重すぎ、女性に強いるには気が引ける。かと言って平均的な成人の体をもつ男性には適さず、コウだけが適任だったのだ。

 機械の下はとても音がうるさい。上からは糸くずが落ちてくるだけでなく、黒くなった熱い機械油をつけた埃の塊が滴ってくる。
 コウは数枚しかない貴重な服を汚すわけにもいかず、工場につくと大きな麻袋に穴をあけた物を頭から被って潜り込む。
 一度入ったら機械の下からは早々出られなくなる。
 一箇所の不具合をどうにか動くようにしても、またすぐに別の場所が不穏な音を立てて、こっちも直せと呼ばれてしまう。
 一番気を付けなければならないのは、機械部品に体が当たらないように気をつけること。
 自分の腕ほどの機械の一部である躯体が、体の二十センチすぐ上で金属棒がガシャンガシャンと絶えず上下左右に動いている。そこに指や鼻先が触れれば途端にもげて取れてしまうだろう。でももしそうなっても、それは彼の責任だし、手当もされずどやされて終わるのだろう。
 夏でも冬でも、機械の熱気にやられてしまい、仕事が終わった後の彼の鼻と頬は日焼けしたように赤くなり、体は火照っていた。
 コウがしているのはこの工場で一番過酷な仕事なのだ。

 それほどのことを請け負っているのに、やはりコウの扱いは一番雑なものだった。彼をかばって声を上げてくれる人もいなかった。
 他の工員らも決して楽な生活をしておらず、自分と家族を守るのに精一杯。皆が似たり寄ったりの貧しい暮らしをしている。
 だからコウをかばい流れに逆らうことを発言して自分に火の粉がかかっては困るし、コウがその仕事から降りれば生産力が下がるのは目に見えている。
 生産力が落ちれば上司である工場長の機嫌が悪くなる。そうなれば工員に当たり散らして、手にした鞭を振るう。待遇だってもっと悪くなるかもしれない。
 彼等はコウの働きがあって、前ほど辛くない境遇でいられるのを理解していた。
 コウに対する罪悪感から、工員たちの中には着られなくなった服をあげたり、不要になった本を渡したりする者が現れ始めた。
 その程度の贖罪しかできなかったのだ。
 それでもコウは声をかけてもらえることが嬉しくて、喜んでそれを受け取り礼を言った。

 そうだよね。我慢しているのは僕だけじゃないから。

 周りに文句を言おうと反発心を持ったことはない。真面目に働いていれば、昼と夜の食事にありつける。
 タイミングが悪くてあぶれてしまうのはいつも冬の季節。実りが少ないから自然にそうなってしまう。
 何もみんな意地悪でやっているのではない。昔からそう思うようにしている。
 大人になった今でも度々コウは食いっぱぐれてしまう。
 機械の下からどうにか体を出した頃には周りに人はおらず、食堂では既に鍋が空になっていることが多いのだ。

 昨日は食べられたからいいんだ。

 空っぽのお腹を押さえてコウは食堂から去る。
 そんな日々の繰り返しだった。


 住まいをとうに失くしているコウは、寒い時期は工場の廊下の隅にある階段下の物入れで眠る。
 何しろそこは物がぎゅうぎゅうに詰まっていて窓がなくて温かい。少しかび臭いのもずっといれば慣れてしまうからまったく問題ない。

 生きていければどこでもいいんだ。そうだよね。

 住む場所にも食べ物にも彼がこだわらなくなったのは、そんな環境に置かれているからだ。

 コウにも給金は出ている。しかし体が小さいという理由でずっと通常の半分だけだ。しかも少し前まで部品を半損した弁償だと多くを差し引かれていた。
 給金は手にした途端にコウの手から消えてしまう。
 弁償だけでなく盗難もあった。
 鍵のかからない物置にお金を置いてあるせいで、このところ盗難が続いていた。
 一緒に働いている仲間が犯人だとは思いたくないけれど、こればかりは何度も続いては困ってしまうと、コウはお城の奥にある森の中にそれを隠すようになった。
 全員がそうではない、中には一人二人手癖の悪い人がいるのだと納得している。

 どうして何も持たない僕から盗るのだろう……でもきっと出来心ってやつ、だよ……

 他の人はコウにはない物を幾つも持っている。なのに、彼らはまずはコウから奪おうとする。
 他の工員を信じたい。だけど本当は悲しくてしかたがない。だけどコウにはどうしようもなかった。

 他の蝙蝠とは違うから、だよね。

 耳も違う、色も違う。
 けれど彼は自分の持つ灰色が実は好きだった。黒くないことで弾かれ、城で一緒に働けないことは不幸だけれど、酷く卑下するほどの劣等感ではなかった。
 日に当たるとシルバーにも見えキラキラ光るのが、ちょっとだけ格好いいと思っていた。
 なのに、長いこと栄養不足が続いているコウの体は細く艶がない。
 そのせいか、右の飛膜は薄くなり穴が二つもあき破れているよに見える。
 蝙蝠となって飛んでいても、たまに失速してよたることもあるので注目を浴びてしまう。指をさされて笑われたことも何度もあった。
 そして指をさすのは決まって、お城で兵士として働く、同じ種であるはずの蝙蝠だった。
 昨日より今日、今日より明日。痛みと疲労が積み重なるように日々のしかかる。
 青年になりきれていない小さな狭い肩が、これまた小さな自分の手で撫でる。こうしていると体の痛みが引く気がするけれど、次には手がだるくなってしまう。辛かった。

『生活が苦しいんだ。何のために生きているのかわからないよ』
『それはみんな同じじゃないか。辛いのはわかる。でも何があっても死を選んではいけない』

 いつだったか工員達が食堂でそんな会話をしていた。

 どんなに苦しくても死んではいけいないのか……

 コウは漠然とそう言うものかと思った。
 コウは自分の死を意識したことがなかった。けれどたまに、自分がここにいる意味がわからなくなって、そんな時にその言葉を何度か思い出したりした。
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