こうもりのねがいごと

宇井

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 サイラスには食べろと言われたけれど、コウは夕食に少ししか手がつけられなかった。空腹感はまったくなくて、その逆に頭の中がまんたんで重い。

 その後はお風呂に入ったけれど、浴槽には湯がたっぷりあって驚く。コウの国ではこんな大きな浴槽に湯を入れることができるのは王様くらいだろう。庶民はせいぜい朝に桶にいれた水で体を拭くだけだったことをコウは思い出し、自分はビブレスで随分贅沢に慣れてしまったのだと思った。
 同じ地上であっても、ここはあそことは違う。水が常にそばにあり、人々が行き交い、店先には物が溢れる。
 今夜は危ない目に合う所だったけれどそれも助けられて、コウはリジルヘズが好きになっていた。それにサイラスに助けられアケメに出会えたことはとても運がいい。コウは母を知らない。それでも気持ちに寄り添い、涙まで流せる人に感じたのはそれだった。
 男性に母性などあるかわからないけれど、アケメはアスランともサイラスとも違う種類の優しさを持った人だと、指の間を流れる水を見ながら思った。
 

「コウちゃんはぼくと寝るんだよ」

 風呂から上がればアケメに腕をとられて寝室へ案内される。
 アケメの強引さがなければコウは部屋の隅で布を被り眠っていただろう。アケメの明るさと屈託のなさがなければ、コウは身構えて、食事も風呂も断りカチカチになっていたに違いない。

 サイラスとアケメはそれぞれの部屋を持っているようで、アケメの部屋には作業台があり、色とりどりの布やら糸やら紙やらが周りを占拠している。
 大きくてぷっくり膨らんだ針山には、丸い頭のまち針がうちこまれ、まるでハリネズミのようになっている。
 硬貨が入った袋はとりあえずその布の束の中に紛れ込ませてある。これはいい隠し場所だとコウも思った。

 どこかの洋裁店に迷い込んだみたい。それも、妖精さんが現れるような可愛らしいの。

 小さな灯りが枕元のチェストで揺れる。光源は見たことのない石で、小さな光を増幅させる構造になっている。これであれば火事を起こす心配がないらしい。蝋燭よりもっと上等な灯りだ。
 コウのいた国では蝋燭は高級品で、工場長の部屋にしかなかった。
 もっと下は油のランプを使っていたから部屋の天井は煤で汚れていて、どんななに寒い冬でも窓を開けていた。コウの記憶にのこる洞窟にあった角灯のカンカラもきっと油ランプだったのだろう。
 あそこにいた時の記憶はもうアスランとの記憶に大きく塗り替えられ、古く懐かしい記憶になっている。時間でいえばそれほどたっていないと言うのに……
 
「コウ、さみしい顔してる」

 一緒に布団に入ったアケメがコウにそっと手を回す。アスランとは違う小さく細い腕だ。それなのにコウを温める力は持っている。
 コウが着ているのも同じ体型のアケメの寝衣でふんわり優しく花のような匂いがする。
 コウは天井をむき、アケメはコウと少しだけ距離をとっているけれど、その手はコウの腕に軽く絡まっている。アケメなりにコウが緊張しすぎない距離をはかっているのだ。声も低くてゆったりしている。

「嫌なら、嫌って言っていいよ。でもぼくは今夜コウちゃんを抱いて寝たいなあ」
「アケメ様、こうされているとほっとします。手足が温かくなってきました」
「アケメでいいよ、それが嫌ならアケとか」
「えっと……アケメ……様」
「うーん、アケ兄ちゃんでもいいよ」
「だったら、アケメさんで」
「なぁんだ、お兄ちゃんで呼ばせたかったのに残念」
「僕みたいなのにお兄ちゃんなんて呼ばせてはだめです。それはよくないです」
「なんで? 呼んでくれたらすごく嬉しいから提案してるのに。コウはアスラン様のそばにいたのに、どうしてそんなに自分に自信が持てないでいるのかな。普通の子だったら偉そうに自慢する所だよ」
「僕はたまたま、運がよかっただけです」
「たまたま雇われる子なんていないよ。コウはちゃんと運さえ味方につけて選ばれたんだよ。コウちゃんはどうして自分を評価しないんだろうね。顔だって自分が思っているよりずっとかわいいはずだよ」

 アケメは本気で言っているけれど、コウはすんなり受け入れらない。

「僕はずっとビブレスの近くの崖の国で働いていて、それで身寄りもいなくてずっと一人でした。他の蝙蝠とは違って見かけも悪くて、虐められていました」
「コウちゃんは一人だったの?」
「いいえ、小さな頃はじいちゃんと一緒でした……でも死んでしまって、お別れしていまいました」
「そうか、頑張ってきたんだね。神域の近くって言ったら、まだ戦をしている国ばかりらしいね。こっちもそちらの貧しさは伝わってきてるよ。でもコウちゃんが意地悪されたのはコウちゃん悪いんじゃないよ」
「だけど、嫌われていたのは事実なんです。だからここに僕がいるのは、申し訳ないです。知り合ったばかりなのに、こんなによくしてもらえるなんて」
「全然迷惑じゃないよ。アスラン様だってコウちゃんが気に入ったからそばに置いたんだよ。そんなアスラン様をもっと信じてみたらどう」
「アスラン様も僕を励ましてくれました。だけど……どうして見た目の悪い僕なんだろうとか……最初は思ったり」

 気持ちを正確に伝える言葉を知らなくて、こういうことが言いたいんじゃないと、口を開けても何も出てこない。

「コウちゃんを見てると、ぼくは妹を思い出すよ。というかずっと忘れてた妹を久しぶりに思い出しちゃったな」
「アケメさんに妹さんがいるのなら、ますますお兄さんだなんて呼べません」
「コウちゃんは真面目だね。ねえ聞いてくれる? ぼくと妹は鼠なんだ。生まれはここじゃなくて、砂漠の向こうの田舎。親が事故で死んじゃってからは、ぼくが働いて妹を学校にやってたんだ」
「アケメさんにも、親がいないのですね。僕と、一緒」
「うん、守ってくれる人がいないって辛いよね。嫌でも大人にならなきゃいけなくなる。ぼくよりずっと小さい妹はもっと辛かったと思う。けどね、あの頃のぼくは優しくなかった、特に妹にはね。自分は学ぶことを諦めて、貧しい中でも頑張ってがむしゃらに働いて、眠る時間を削って、妹だけを学校へやって」

 アケメが両親を失い妹養っていた。明るくて優しくて奇麗で。彼にそんな苦労があったとは。そんな気持ちが顔に出ていたのだろう、アケメがコウの頬にそっと触れ離れる。そんな顔しない、と言うかのように。

「こっちは家事からお金の工面から、大変なこと全部を引き受けてるのに、そんな中で妹が学校へ行かなくなって……その理由が『ねずみ』って揶揄われることだったんだ」

 ちょうどその時期は鼠の被害が多く、町ぐるみで駆除に乗り出している最中だった。子供たちが鼠に変異できるアケメの妹を標的にした。

「男子のからかいくらい何てことないだろうって、ぼくは思ったよ。受けているのは暴力じゃないんだから、学校に行って言い負かせてこいって、朝には家から追い出して扉を閉めた。その日から妹は帰ってこなくなったよ、消えたんだ」

 話の内容とは逆に明るくあろうとするアケメの声は痛々しい。

「弁当と水筒と、おやつが買えるくらいの小銭しか持ってなかったのにね。ごめん、もう十年も前の話なのに、サイラスにも何度も聞いてもらってるのに、やっぱりダメだ」

 アケメは目を閉じて黙って涙を流す。コウはアケメに悲しんで欲しくないのに、何も慰めを言えない。

「あの頃のぼくは妹の受けた暴力を暴力じゃないって決めつけた。恩義せがましくて、自分だけが大変だって顔して……でも誰よりもこっぴどく妹を傷つけたのは、ぼくだった。妹をいじめた奴をぶん殴って、それから妹を探しに出て、ここまで来たんだ。ぼくもね……今日のコウみたいにサイラスに拾われたんだ」
「そうだったんですね」
「うん、ぼくの場合はお金もなくてボロボロだったけどね。だからコウを迷惑だなんて思わないよ。サイラスがコウを助けてくれて嬉しい。きっとぼくの妹もサイラスみたいな強くて優しい人の手を借りて、幸せにやってると思いたいんだ。だからコウも迷惑だなんて言わないでここにいて欲しい」
「本当に、迷惑じゃないですか。二人の生活の邪魔になるし、素性も知れないのに」
「あはっ、それは大金持ってる子の言う台詞じゃないね。いくらサイラスが拾った子でも、悪い奴ならぼくは追い出しちゃうよ。それにいつもは居間に布団を敷いてそこで寝てもらってるんだ。ぼくがこの部屋に入れたんだからコウは特別だよ。出ていくって言うのは許さない。もし気が引けるって言うなら、家事やぼくの手伝いが家賃がわりだと思えばいいから」
「でも……」
「でも、は禁止」

 近くにあるアケメの目が細まりコウを叱るように、めっをする

「アスラン様に会う方法を、明日から考えよう。一人より二人、二人より三人の知恵だよ」
「アケメさん……ありがとうございます。家の事します。仕事の手伝いもします。頑張ります」
「よかった。その言葉を聞くまでは寝かせないって決めてたんだ。今日は疲れただろう、大変な一日だったね……ゆっくりおやすみ……明日はいい日になるよ……」

 アケメの声は温かなスープのようで、お日様に干したシーツのようで、いつまでも聞いていたかった。
 アケメとコウは小さな体を寄せ合って眠った。

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