オメガの家族

宇井

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14 泣きむしの神

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 そして、俺たちに手を差し伸べた神がもう一人、多美さんと並行していた。
 松園佐保ショウエンサホさんと知り合ったのは、多美さんと知り合ったもっと後。
 その頃、わが家の事情では特別保育期間を延長できない事となり、他の園を探している最中だった。
 そして桐城学園小学部合格を目指して、学園が主催する週に一度の体操教室にせっせと通っている時でもあった。

 郁也も上三人の兄ちゃんたちと同じ小学校に通わせるには、それなりの事前準備が必要だ。なかでも体操教室と英語教室に通わせるのは必須で、小さな枠に殺到する応募者の中から土曜午後の部の体操教室だけが抽選が当たってしまった状態。
 俺としては近所の小学校に入ってほしいけど、郁也はかっこいいお兄ちゃんたちが大好きで、自分もそこへ通うのだと思い込んでいる。
 合格は難しいよって何度か説明しているんだけど、わかっているのかいないのか。とにかく桐城への思いが熱すぎるから、受験だけはさせる事に決めている。実際に不合格をもらうまで本人は納得しないだろう。
『だいじょうぶです。僕はあの小学校に通うんですよ』
 そう連呼されて頭が痛かった。
 
 その体操教室からの帰り道の途中、バスを降りて堤防の道をしばらく歩くと下へ続く階段が現れる。教室に通うには電車よりバスの方が便利だし、外をのんびり散歩できる。
 階段を降りればベンチが三つ並んでいて左から右へと流れる川をのぞむことができる。そこで用意してきた小さなお菓子を食べるのが習慣になっていた。
 教室を頑張って小腹がすいているだろうし、頑張ったねっていうご褒美もかねて。
 その日は珍しく真ん中のベンチにスーツを着た男性が座っていた。
 ちらっと横目で見ただけだけど片方の耳にワイヤレスのイヤホンをして手には大きめのタブレットをもっていた。住宅もあれば小規模なオフィスビルのある街だし違和感はない。五十代の管理職ってところだろう。
 外へ出ても仕事してるのか。それとも息抜きか。
 ベンチの間隔は三メートルはある。そして俺たちの指定席である向かって右側が空いている。俺と郁也が飲み食いして喋っても邪魔にならないだろう。それを嫌がる人はそもそもここに来ないだろうと、気にしないことにして郁也と腰と腰をくっつけるみたいに並んで座る。
 川からの風が少しきついけど、午後のお外は気持ちいい。なのに郁也は浮かない顔だ。

「どうした、郁也?」
「うん……」

 郁也に元気がないとわかったのはすぐだった。どんな駄菓子だって「おいしい」と喜ぶ子なのに今日は反応が薄い。

「今日は教室で何をしたんだ?」
「えっと、ご挨拶をして、この前の踊りの練習……僕は、あの学園には入れないのですか?」
「それはまだ何とも言えないけど、ちょっと難しいかな。入学試験はまだまだ先だけど、入りたいって思ってる子は郁也が思う以上にたくさんいるから。でも諦めるにはまだ早いと思うよ」
「でも、僕はもう名字が変わっちゃったから、絶対に無理だって……」

 たどたどしい郁也の説明でも、悪意がある人からの攻撃があったのはわかった。
 郁也は教室で仲良くなった男の子に言われたようだ。郁也はもう宗賀ではないし、片親になったのだから受けるだけ無駄だと。
 噂は静かにそっと広がる。現在は曽山を名乗る俺たちが宗賀の人間だったってことは、教室のお母さんたちに知られていたようだ。
 俺は子供を介するような付き合いをほとんどしていないけれど、学校の行事には必ず出席している。だから光流や空や怜の同学年の親とは昔から面識がある。その筋から名字が変わったってことが伝わるのは仕方ないことだけど、それがどうして入学前の体操教室の保護者にまで伝わっているんだろう。
 知らない所で自分たちの噂をされるのは怖い。人の持つ繋がりが怖いと思うのは、こうして郁也に一番影響が出ているからだ。

「お母さんが病院通いしていて、貧乏でかわいそうって、アラタ君に言われたけど、僕はかわいそうじゃないです。もうアラタ君には会いたくない。また胸がきゅーっとするのは嫌だから、遊んであげないと、決めました」

 小さな手で袋に入ってるクッキーを潰している。きっと本人にはそんなつもりはなくて、どうしようもない衝動をそれで消化している。
 俺に言いたいことや聞きたいこと、本当はもっとあるはずなのに、上手く言葉にできない。俺を傷つけまいとしているのがわかる。
 今うちの置かれている状態は、桐城学園を目指す保護者からしたら滑稽な存在なのかもしれない。
 アパート暮らしながら、上の三人が私立の桐城学園に通い続けているのは見栄っ張り。そして四人目まで桐城を狙っているのは無謀だと。
 上の三人はそれぞれこの離婚に折り合いをつけているが、郁也はそうはいかない。
 一緒に眠っていても泣き出したりうなされたり、大人達のしわ寄せがこの子に集中しているようで辛かった。
 不自然に使い始めた敬語も、自分がいい子にしていれば何かが好転すると思っているかのようで、この子の痛みをどうすれば無くしてやれるのか未だにわからないままだ。
 俺なりに頑張っているけれど、世間は容赦ない。
 通院は確かに頻繁だった。そんな情報まで広まっているなんて知らなかった。病院で誰かに目撃されてしまったのだろうか。
 うちは元夫や親族まで桐城学園出身者が多く、その伝手もあって有利だと言われ実際に上の三人は合格している。縁故がない今、郁也の入学はほぼ無理だろう。
 膝にのせていた教室指定のリュックサックを握りしめる。そこには見慣れた桐城の校章がプリントされてる。中には校章の入った体操着。
 でも郁也がこれを身に着けられるのは今だけ。こんな思いをさせてしまうなら、もっと強く説得して、体操教室にも通わない方がよかったのかもしれない。

「郁也? 前にも言ったけど、桐城に入るために小さな頃から塾に通って頑張ってる子はたくさんいるんだ。その子たちと競うんだから、郁也はめちゃくちゃ頑張らなきゃいけない。たしかに家は普通になっちゃったけど、普通の家の子だって受験はしているんだよ」
「いいんです。もう、体操教室も受験もやめます。教室は楽しいけど、行けば色んな人に、なんか、言いたくないこと聞かれるし、そんなだったら、お家で母さまや多美さんとまったりする方が楽しい。もしも桐城の小学校に行っても、楽しくないような気がします。それに教室に払う授業料は、空兄さまのユニフォームに使った方が、お金が喜ぶと思うんです」

 絶句した。
 そして怒りが湧いたのは自分に対してだった。
 郁也に家庭の事情を聞き出そうとした人じゃなく、教室で郁也の置かれた状態に気付けなかった自分へ。
 授業時間が一時間する教室は、保護者用の待合スペースが用意されている。
 ほとんどの人はそこで終わるのを待つけれど、僕は一度もそこに留まることがなく近くで時間を潰していた。そこにいたら噂や嫉妬、腹の探り合いになるのがわかっていたから。きっとそこは、俺達の噂話で盛り合っていたんだろうな。子供の耳に入るほど。
 それに今になってもお金の心配をさせている事に初めて気付いた。全然、郁也の不安を取り除けていなかった。これは全部俺の責任だ。

「郁也はお金のこと気にしなくていいんだよ。今は母さんだって無理しないで楽しくお仕事できてるから。でも、ごめんね。教室がそんな事になってるなんて全然気づかなくて」
「謝らなくていいよ。だって体操教室は遊びで、もう楽しくないんです。でも兄さまのバスケットボールは本気で、家族みんなの夢がのってます。自分の事みたいにわくわくします」
「いくや……」

 俺はちっさな郁也をがばっと抱きしめていた。
 小さくても大人の事情をわかっている郁也。普段はあほなふりをして聞き分けのない時の方が多い。なのに、どうしてか知らなくていい事ばかりこの子の耳に入って、無視できないほどの苦しみを与えてしまう。

「母さんに力があったら、郁也はもっとお外で楽しくなれるのにな。もっと皆を守る力があったらな。ごめん、うちにお金がなくて苦労かけた。でも今は違うんだぞ。もうお金の事は心配しなくてもいいんだ」
「でもムダは嫌なのです。気にしすぎは母さまの方なのです。りふぉーむ前のアパートも僕は好きでした。朝のトイレが混むのも慣れたし、みんなで川の字になって眠るのも好きでした。台所の床をギシギシ鳴らすのも楽しかった。光流兄さまは高校を卒業して就職して、そしたら大きな家に移るって言ってたけど、もうずっと多美さんアパートでいいと思います。それに引っ越すって言ったら、多美さんさみしくて泣いちゃうかもしれません」
「いく……いく……」

 健気なことばっかり言うから、俺は郁也の名前しか言えなくなった。郁也だけでなく光流も……桐城行ってるくせに高卒で就職とか聞いた事ないわ……俺、唯一の大人なのに情けない。

「光流兄さまが言っていました。母さんはまだ若いから、これからも自分の道を探すんだって。元気がない時は寝ているだけで何もしなくていいって。笑いたくない時があるのは普通だって。だから今日は僕も、家に帰ったら手を洗わずに寝ます。そうしても、今の僕は弱っているから誰にも怒られないのです」

 あまりにも可愛らしくむくれるから笑ってしまう。やっぱり郁也はわが家の癒し担当だ。

「そうだね。それでいいよ。手が少し汚いくらいで死にはしないから。母さんと一緒に寝ちゃおう」
「僕はテレビの前で横になってお菓子を食べることが『寝る』だから、母さまの思っているのとは、きっと違いますよ?」
「そっか、でもそれは母さんも得意だから付き合わせて。寝そべってる郁也を後ろから抱っこしたいなあ」

 そうやって郁也にとって何が楽しい事なのか考えてみたいんだ。
 しょうがないなあ、とでも言うように、胸の中の郁也が一度頷く。
 俺、子供に励まされてばっかりだわ。

「郁也を守るために、強くなるから」
「頑張りすぎるのはだめですよ、母さま。健康一番です」
「うん、頑張らない。でも頑張らせてよ」
「母さま、健康一番ですってば」

 涙が出るスイッチを押されっぱなしで止まらん。なんで俺の子はこんないい子ばかりなんだ。
 光流、空、怜、郁也……みんないい子。
 ううっ……泣ける。

「ううううっ……なっん、わたしは……なんてことを……なんて罪深い……ううううっ……ううヴヴヴああああッ!……神様、わたしにばつを……罰をお与え下さいぃい……!!」

 この嗚咽は俺じゃない。郁也でもない。
 地鳴りみたいに唸ってるのは誰だ……
 危険が迫っていることも考えて郁也をぐっと抱きしめ音の方向をみる。つまり隣のベンチの方だ。

「うっうっうっうっ」

 そこには先客だったスーツの男性がいて、胸を両手で押さえていた。肩は大きく上下して、首がぽきんと折れたみたいに下を向いている。タブレットは地面に落ちて、というより、転がっていた。
 え、なにこの人……めっちゃやばい人!? 俺たち今すぐ逃げた方がいいのか!?
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