モブ令嬢アレハンドリナの謀略

青杜六九

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イルデフォンソ編

神よ、不埒な私をお許しください

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殿下がバルコニーから会場に戻り、僕とアレハンドリナが残された。
「帰るの?」
横から僕の顔を覗きこむ。けろっとしたものだ。僕が見ていないと思って、殿下にキスを強請ったくせに、何もなかったような顔をしている。憎らしい。
「帰ります。誰かさんに踏まれた足が痛いので」
憎らしいのに彼女を愛らしいと感じてしまう自分が悔しくて、庭園に顔を向けた。
「先に変なこと言い出したのはイルデの方でしょ?誰が殿下にキスなんか」
ふわりとピンク色のドレスの裾を翻し、リナはバルコニーから出て行こうとする。

潤んだ瞳で、艶めかしい唇で、あれは絶対に殿下もそそられたに違いないのに。
「……違うんですか?」
つい、期待して尋ねてしまった。
「ん?」
首を傾げて振り向いた彼女は僕に歩み寄った。
「殿下はとても魅力的な方です。男の私が見ても、時々はっとするほど美しい表情をなさる。初めてご尊顔を拝し、あなたが一瞬で虜になってしまっても不思議はありません」

不安なのだ。
ずっと、彼女の隣にいられると思っていたのに。
この絆は壊れないと思っていたのに。
全てを持っている王太子殿下に、アレハンドリナは恋をしてしまった。

「そうね。綺麗な顔してたわ」
――終わった。
虜になったと、どの口が言うのか。
「イルデ?」
「何でもありません。行きましょう」
侯爵夫人とエミリオに話して帰りたい。
殿下を見つめて、これ以上リナが夢中にならないうちに。

グッ。
力強く腕が引かれた。
「ねえ、お開きになるまであっちで話さない?」
屈託なく笑うリナは、噴水がキラキラと輝く庭園を指さしている。
「え……ですが、二人きりで庭園にいるところを誰かに見られたら……あ、リナ!」
戸惑う僕を残し、リナは全速力で走って行った。

   ◆◆◆

ピンクのドレスを探して庭園を彷徨う。
幼い頃、かくれんぼをした時、リナの隠れ場所は分かりやすかった。どう見ても身体が入りきっていない樽の中や、足が丸見えの衝立の裏など、どれも明快で面白かった。

四阿の近くで、ぴょこぴょこと隠れているピンクの人影を見つけた。
――何をしているんだか。
「……盗み聞きとはいい趣味ですね」
盗み聞きを妨害するという大義名分を得て、僕は後ろからリナをがっちり抱きしめた。
「放して」
腕の中でもぞもぞと動く彼女から、ほのかに香水の香りが漂う。胸いっぱいに吸い込んで息を吐くと、小さな声で「嫌、いやっ」と抗議された。

「嫌です。放したらビビアナ嬢に悪さをするつもりでしょう?」
ビビアナ嬢などどうでもいいが、この役得を逃すつもりはない。目の前には白いうなじと背中が大きく抉れたドレス。このまま肌に唇を這わせて、僕のものだという所有印をつけてしまいたくなる。やったら殴られるだろうな。
「悪さって何よ。私、鼻垂らした悪がきじゃないわ」
子供ではないから困っているのだ。年齢的には親の庇護の下にあるのに、夜会で彼女を値踏みする男達の視線は、リナを女として見ていた。

「ええ、単なる悪がきではないから止めているんです。殿下の婚約者に手を出したら、ただではすみませんよ?」
「手を出すって……」
リナの動きが止まった。腕の中で振り向く。
「あのねえ……」
「しっ、静かに。誰か来ます!」
足音が近づいたのを理由にして、僕は木の隙間に彼女を押し込め、逃げられないようにその前に立った。

「……っ。苦しい」
密着する身体がつらいのか、慣れないコルセットがつらいのか、リナが涙目で僕を見た。紅を引いた唇が少し開いて悩ましい息が漏れる。
――くぅ、この顔……。
少女とは思えない色気だ。
「すみません。少し、辛抱してください」
耐えろ、耐えるんだ、イルデフォンソ。
ここで手を出したら、彼女の信頼を失ってしまう。

「綺麗……」
吐息と共に漏れた言葉に、僕は耳を疑った。
「へ?」
「イルデが綺麗だって言ってんの」
な。
いきなり、な、何を……。
「……あ、え、ええと」
リナに褒められたのなんて何年ぶりだ?
弟分として邸に通い始めた頃は、何をしても「すごいわね、イルデ!」「いいこね、イルデ、なでなでしてあげる!」と抱きしめられたものだった。そう言えば、いつから抱きしめられなくなったのだろう。

「ねえ、来たの、誰?セレドニオ殿下?」
幼い頃の想い出に浸っていた僕の襟を引っ張り、リナは向こうを見ようとした。
「いいえ。ルカです。ビビアナ嬢を追って来たのでしょう」
「どれどれ?」
――近い!
襟を引かれて、互いの顔が近づいているのに、リナは気にも留めない。これは僕を男だと思っていないからだ。軽く絶望した。
「……リナ。もう帰りましょう?彼の気持ちを思うと、そっとしておいてあげたいのです」

   ◆◆◆

「まだ見たい」
「見てはいけません」
「ちぇ、イルデのケチ」
そっと彼女の背中を押す。すべすべした滑らかな肌に心臓が跳ねた。つい、長いこと撫でてしまったら、
「ちょっと、イルデ。さーわーりーすーぎ!」
と手首を掴まれた。

「あ、いや、これは……」
「痴漢か」
痴漢!?痴漢なら見境なく手を出すんだろう?
僕が触りたくなったのはリナだけだ。誓って他の令嬢には触っていない。
ムカムカして眉を吊り上げると、
「初めから触ろうと思ってたんでしょ?」
と僕の前に回ってにやにやしている。

図星だ。
このドレスを着たリナを見た時から、けしからん背中だと鼻息を荒くしていた自分がいた。
ウエストラインのぎりぎりのところまで大きくV字に開いたデザインで、細い腰を強調している。社交界に正式デビューしていない令嬢が着るには妖艶すぎる。多少透けてはいるがスタンドカラーで首まですっかり隠れている胸元とは対照的だった。
「……思っていません」
「本当に?神に誓って?」
「ええ」
嘘です。神様、懺悔します。何卒お見逃しください。

「ふうん……なぁんだ、つまんないの」
「つまらないって……リナ?」
「イルデがエスコートしてくれるって決まってから、お母様と相談してドレスを決めたの。私、夜会なんて苦手だし、一緒に行くイルデが恥ずかしくないようにって」
「それは……」
嬉しい。
リナが僕のために選んだと知って、断然このドレスに愛着がわいてきた。
「……イルデに喜んでほしかったの。うまくいかなかったけど、ね」
ある意味、とっても喜んだよ?君の背中に堂々と触れたのだから。

「嬉しいです、リナ。私のことを考えてくれたのでしょう?」
「うん」
隣に立って白い背中を撫で、腰に手を回した。そのまま逃げないように彼女の身体の前で固定する。
「イ、イルデ?」
ビクンと跳ねた身体が、怯えた視線が、僕の劣情を煽った。
「とても……綺麗ですよ、リナ」
背中の中央、肩甲骨の少し上に口づける。
「あ、イルデ、何したの?」
「……何も?」
「見えないと思って、何してるのよ。……こんなことされたらお嫁にいけないわ」

まだどこかへ嫁ぐ気なのか。
「リナ……私は……」
君と約束したのに。君は僕以外の誰のものにもならない。違うのか?
「冗談に決まってるでしょ?私は学校を卒業したら、夜会で運命の相手を見つけるんだから」
「……ええ、そうですよね」
やはり、覚えていないのだ。

時間をかけて思い出させてあげるよ。
運命の相手が僕だってことを。
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