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学院編 14

481 悪役令嬢は下っ端の印に憧れる

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「とんでもないわ……」
マリナは朝から悩んでいた。額に白い手を当てて領主館の書斎の机で項垂れている。同じ部屋の応接椅子には、神妙な面持ちのアレックスと、関係なくケーキを頬張るジュリアがいた。
「夜のうちに王都まで転移して、戻って来た?」
「そ。帰りにアレックスが巻き添えになっちゃったけどさ、こうして怪我もなく……ってか、どうしてうちに来てたの」
「実は、父上のところに見回りの騎士が来てさ。ハーリオン侯爵邸のあたりで怪しいヤツがうろうろしてるって聞いて、騎士達は人手が足りないから俺が、って」
「ふうーん。よく許してくれたね」
「多分、ジュリアんとこに遊びにいったついでに様子見てこいってことなんだろうな。父上はあっさり許可してくれたよ」
「ねえ、さっきから気になってんだけど、その徽章みたいなの、何?」
「これか?……ふふん。よく気づいたな。これは騎士見習い候補の印だぜ」
目を輝かせて見ているジュリアと得意げなアレックスの横で、マリナは白い目で眺めていた。要するに下っ端の下っ端ということである。
「侯爵様にお知らせしないといけないわね」
「俺は大丈夫だよ。ハーリオン家に行くって言って出てきたし」
「それは王都のお邸でしょう?ビルクールに来ているなんて、侯爵様もご存知ないことよ」
「そりゃ、こっちに来るなんて思わなかったよ」
「クリスが迷惑をかけてごめんなさい。あの子、年齢不相応な魔力を持っているから、やりたい放題なのよ。魔力切れで寝ているから、起きたらよぉおく言って聞かせるわ」
マリナのお説教が長くなりそうだとジュリアはうんざりした。

「ヴィルソード家に使いを。御子息がこちらにいらっしゃっていると」
「はい!」
領主館の中年の執事が慌てて廊下を走っていく。残された老執事は、やれやれというように伸びた白い眉を下げた。
「いろいろと行き届かず、大変申し訳ございません」
「いいのよ。こちらにお客様がいらっしゃることは滅多にないでしょうし、王都まで急使を走らせるなんて、それこそよほどの事態でしょうから」
「はい。領地のことは領地の中で解決するよう、旦那様もこちらの通商組合にある程度任せていらっしゃいましたから、あまり……」
「そこが問題なのよ」
目の前でむしゃむしゃとケーキを食べている能天気な妹より、窓の外を眺めて船に感動しているその親友兼恋人より、何よりマリナを悩ませているのは領地の問題だ。商人達の自主性に任せた結果、輸出が禁止された品物が外国へ流出しているのだ。
グランディアは三方を山脈に囲まれ、残りが海に面した地形である。周りが険しい崖が続く山越えの道で隣国へ運ぶより、海路で運ぶほうが効率的で、陸路で行くことができる国とも船を使って交易してきた歴史がある。ビルクールは建国の頃からハーリオン侯爵家の領地であったが、自然発生的に発展してきた貿易港として、建国以前からそれなりに栄えていたため、侯爵家では代々厳しい統制を敷くことはなかった。
「ベイルズ商会が怪しいとは思っていても、証拠がつかめなければ糾弾できない。国内第二の貿易会社として、通商組合の中でも大きな発言力を持っているし、准男爵を追い詰めて不正を正させるには圧倒的に駒が足りないのよ。でも、会社は潰したくないわ。ビルクールの多くの人々が職を失うことになりかねないもの」
「だから、アリッサを使ってあの先輩を誑し込むっての?」
「たら……コホン。言い方を考えなさいよ、ジュリア。友好的に話し合いをするの。マクシミリアン先輩がアリッサを思う気持ちを利用しないとは言わないけれど、法を犯してまで利益を上げたところで、将来的にベイルズ商会のためにはならないと理解してもらうわ。内部告発の形で准男爵に罪を被ってもらうしか、生き残る道はないでしょうね」
「だよねえ。あの人はアリッサを諦めるかなあ。魔法陣を弄ってまで攫おうとしたんだよ。無理じゃね?」
「それは……きっぱり振られてもらうしかないわ。諦めて、ベイルズ商会の建て直しに力を向けてもらえれば……」
「無理無理。いっそのこと、あの鬼瓦さんのほうがうまくやりそうな気がする。通商組合で力を合わせれば、どうにかできると……」
姉が寂しそうな顔をしていると気づき、ジュリアは口をつぐんだ。
「マリナ?」
「……敵とか味方とか、そんな線引きをしないでは、人は生きていけないものなのかしらね」
「もしかして、フローラのこと?」
「私達に直接の害がなくても、たくさんの人の思惑が複雑に重なり合って、今の状況が作られているのよ。破滅する未来を跳ねつけて、思い描いた幸せを掴み取るために、私達は何人の人を犠牲にしていくのかしら……」
「そっか。……またアリッサが辛い思いをするかもって?」
「ええ。マクシミリアン先輩はアリッサから遠ざけるべきではあっても、全てを奪うまでしなくていいと思っているのよ」
「ううーん。性格の歪みは治んないと思うけどね。で?話し合いってどうするつもりなの?」
顎の下に華奢な手を当て、マリナは一呼吸置いた。
「……いつもの、あれしかないわね」
「あれ?」
「ベイルズ商会の悪事は、全て確かな筋から証拠が挙がっている。その証拠に、現地で調査をするべく騎士団見習い候補が派遣された……と」
「見習い……って、俺!?」
自分を指さして絶叫したアレックスに、マリナは得意のアルカイックスマイルで応えた。
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