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乙女ゲーム以前

初めての内緒話

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ミレイユ様は私のお願いを聞いてくれた。
おたくの息子が病んで王女を監禁するとは言えないので、思いつめると何をするか分かりませんよとだけ言っておく。
「あの子が思いつめる、ねえ……」
「そういう風に見えないからこそ、周囲が見守る必要があるのですわ」
「うーん……」
ここは仕方がない。お涙ちょうだいで気持ちを動かすか。
「実は……」
クラウディオとの関係に悩み、二階から飛び降りた話をすると、ミレイユ様の顔色が明らかに変わった。
「そんなことが……あなたも苦労しているのね。今は……どうなの?」
「さあ……」
眉を下げて笑えば、ミレイユ様はそっとハンカチで涙を拭った。
「フィリベールをげんこつで殴るほど元気がいいあなたも、思いつめて……」
気づいていたの?鉄拳をお見舞いしたのがバレてたなんて。
「で、ですから!フィリベール様も分かりませんわ。王女様に相手にされな……コホン、冷たい態度を取られて、傷ついていると思います」
「あら、噂になっているのねえ。……王女殿下は他の皆には優しくお声掛けくださるのに、どうもあの子には……余程嫌われているのねえ」
公爵様も知っているのね。王女殿下が自分の息子にだけ冷たいって。
「王女様のお考えは分かりませんけれど、フィリベール様のお気持ちはお察ししますわ。想いを向ける相手に冷たくされるのは苦しいことですもの」
「あなたは苦しんだのね、エレナ」
「え……」
ドキンと胸が音を立てた。
「ミレイユ様は誤解なさっていますわ。私は、クラウディオを想ったことなんて……」
「本当に、ないと言えるのかしら?外国まで婚約者を追って来るほど、彼を想っていると思っていたけれど……」
「違います」
「そうなの?残念。ルモニエ侯爵からは、クラウディオがあなたに相応しい男になるために頑張っているって聞いていたものだから」
聞き違いだと思うことにした。
信じたくない。クラウディオは冷たい最低な奴だ。
あんな奴を好きだったことなんて、絶対に……ないんだから。
「エレナ。あなたが迷っているなら、言っておくわ。時間は無限ではないの。大切なことが伝えられないまま、終わりが来ることだってあるのよ。後悔しても遅いの、私みたいにね。……フィリベールのことは任せて。あの子には常時監視をつけるわ」
「そうですか。安心しましたわ」
頷いて公爵様は微笑んだ。

   ◆◆◆

その夜、私が読書を終えて自室へ引き上げる頃だった。
「母上の言うことなんて信じたくありません!僕は……!」
公爵様の書斎から、フィリベールの絶叫が聞こえてきた。
何だか穏やかではないわね。ミレイユ様には『任せて』と言われたものの、彼女がどういう手段を取ったかははっきりしないのだ。監視役と思われる従僕が廊下で所在無げにしている。
「……何があったの?」
近づいて小声で訊いてみる。
「王女殿下のことで、親子喧嘩になっているようです」
そんなのはだいたい推測できる。案外使えないな、こいつ。
「公爵様のお考えが、フィリベール様と違うのね?」
「そのようです。ちらりと漏れ聞こえたところですと、『王女殿下のことは諦めて妻を娶れ』と仰いました」
「まあ!」
わざとらしく驚いて見せる。
「フィリベール様は王女様にご執心なのでしょう?あまりに無慈悲な……」
「私もそう思います。坊ちゃまは、ご幼少のみぎりに初めて殿下にお会いしてからというもの、毎日のようにシルヴェーヌ様の素晴らしさを語っておいでなのです。最早生きる支えとさえ……うっ、うっ……」
従僕は感極まって泣き出した。ええい、鬱陶しい!
「生きる支え……か」
バン!
ドアが勢いよく開き、書斎からフィルベールが飛び出してきた。廊下で小さくなっている私達を睨むと、ツンと顔を背けて廊下の曲がり角へ消えた。

   ◆◆◆

「今日は王宮へ行くわよ!」
朝から気合が入りまくったミレイユ様が、私の部屋のドアを叩いた。
気のせいかしら?
王宮とか聞こえた気がする。
「……おはよう、ございま……ミレイユ様」
「おはよう、エレナ。さあ、支度を始めるわよ!」
「支度って、な……」
「王宮へ行く支度よ」
「王宮へ行くのはフィリベールでしょう?ミレイユ様も同行なさるのですか?」
「同行はしないわ。私はあなたを連れて行くのよ」
いまいちよく分からない。
「あなたがうちに来ていることを、王女殿下がお知りになったそうよ」
げ。
嘘でしょう?誰か嘘だと言って!
クラウディオを気に入っている王女様が、私を呼び出すなんて、これって絶対……。
「心配しなくていいのよ?王女殿下はお優しい方だから」
いやいや、問題はそこじゃないでしょ?
女は恋のライバルにはとことん厳しくなれる生き物だって、いつか読んだ本に書いてあったわよ?
クラウディオの婚約者の私を値踏みして、とっとと国に逃げ帰るように仕向ける気でしょうよ。
「そう、ですか……」
「緊張しないで。私も一緒に行くから」
「……よろしくお願いします」
権力には勝てなかった。お世話になっている身分で、王宮に行くのが嫌だとは言えない。
なんて小さいの、私……。

   ◆◆◆

屠殺場に送られるブタの気分で馬車に乗り、楽しそうに街の紹介をしてくださるミレイユ様に生返事をしながら、私は王宮に着いた。
「うわあ……」
貴族の邸もキラッキラだが、王宮はもっとゴージャスだった。ゴージャスだけど下品じゃない。その絶妙なラインをきれいになぞり、最も洗練された美を体現していた。
「圧倒されるでしょう?うちとは大違いよね、はっはっは」
「ミレイユ様のお邸も素晴らしいと思いますわ」
「まあ。褒められちゃった。うれしいわ」
その後の調度品の解説が頭に入らないくらい、私は緊張して彼女の後を追った。
「ここね」
王族のプライベート空間にある客間のような部屋に通された。ミレイユ様は女王陛下に呼ばれて何度も来たことがあるようで、慣れた様子で椅子に座った。
「エレナも座って。何なら寝転がってもいいわよ」
「そんなことできません!」
膝を揃えて腰かけた時、侍従が王女殿下のお越しを告げた。

ノイムフェーダの次代の女王・シルヴェーヌ様はゆっくりと部屋に入って来た。淡い水色のドレスが光り輝いている。薄茶色の髪とはしばみ色の瞳の殿下にはよく似合っている。
「お待たせしたかしら?」
「い、いいえ!今ちゅいたとこりょ……」
噛んだ!
馬鹿にされる……!
王女殿下はミレイユ様と顔を見合わせ、優雅にうふふと笑った。
「とても可愛らしい方ね、エレナ様は」
「さっ、様だなんて、畏れ多いっ。わ、私のことは呼び捨てになさってください」
「それなら、エレナ」
「は、はいぃ」
「あなたと二人きりでお話がしたいわ」
……終わった。
「はい、喜んで!」
王女殿下に間近で微笑まれ、私は居酒屋の店員のように返事をするしかなかった。

   ◆◆◆

「悩み相談……ですか?」
「そうよ。クラウディオにはわたくしの相談相手になってもらっているの」
そんな役割、国内の令嬢でいいじゃない?
「恐れながら……外国人の彼に、殿下の重大な秘密を打ち明けてもよろしいのですか?」
「外国人だから、彼を選んだの。国内の貴族に弱みを握られるなんて、女王になる身としては避けたいでしょう」
「そう、ですか……」
腑に落ちないが、そうなのだろう。言いきられてしまってはどうしようもない。
「事はわたくしの夫選びにも関わることですの。有力貴族は皆、躍起になって息子を売り込もうとしてくるのですわ。……わたくしには、心に決めた方がいるというのに」
おっと、そう来たか!
「その方は、クラウディオではない、ということですね?」
「ええ。わたくし、ああいう逞しい方は好みではありませんの。わたくしの最推しはずーっとフィリベールです!」
……ん?
王女様の口から、聞きなれない言葉が飛び出した。
この方、今『最推し』って言わなかった?
「殿下の『最推し』はフィリベール様ですのね?」
「そうよ。どこから見ても超絶美形、アイドル顔負けの……はっ!」
シルヴェーヌ殿下は私の含み笑いに気づき、扇子で口元を隠した。
「王女殿下は……『乙女ゲーム』ってご存知ですか?」
低い声で囁き、にやりと笑う。王女殿下は扇子をぽとりと落とし、感激した様子で私の手を握った。

王宮に来たくなかったのが嘘のように、私は殿下との語らいを楽しんだ。おかげで、続編『キスは破滅への前奏曲』、略して『キスプレ』のあらすじも理解できた。王女殿下は前世は女子大生だった記憶があるらしい。
「本気で破滅するつもりですか、殿下?このまま行ったら、フィリベールに監禁されて終わりですよ」
「それは、別に……」
王女様はもじもじして上目づかいで私を見た。
ああ、監禁されてもいいんだ……って、戦争回避に決まってるでしょ。あほか!
「戦争にならないようにした後で、緊縛プレイはいくらでもやってください。当面はフィリベールのヤンデレ化を防ぐのが優先です」
「き、緊縛だなんて、そんな……」
だから、いちいち想像して悶えるのはやめてほしいんだけどな。二次元が恋人だったってのは嘘じゃなさそうね。私もヒトのことは言えないけど。
「今日、フィリベールが王宮に上がると聞いています。彼に説明してあげてください。私にしたように、クラウディオとは何でもないのだと」
「無理よ……できないわ。わたくし、フィリベールが尊すぎて何も言えなくなってしまうの。想っていることの十分の一も言葉にできないのよ。素敵すぎて直視できないくらいに」
「はあ……尊いとか言ってる場合ですか。国の平和があなたの肩にかかっているのですよ?あなたが誤解を解きさえすれば、殿下のノイムフェーダも、私達のイノセンシアも、これまで通りの平和が約束されるのに」
「……わかりましたわ。頑張ってみますわ」
よく言った!期待しているわ、殿下。
「では、私はこれにて失礼させていただきたいのですが。フィリベールとの約束の時間……って過ぎてる!?」
「あら、大変!今日は……」
言葉を区切り、王女殿下はうふふと笑った。
「そうですわ。あなたもわたくしと一緒に来てくださるわね?エレナ様?」
「……ご命令ですか?」
「せっかくできた転生者のお友達ですもの。わたくしを見守ってくださいね?」
笑顔で圧をかけられ、私は断るすべもなく頷いた。
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