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サーブアンドボレーが繋いだ絆
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「ごめん、春。数学のノート、一日だけ貸してくれないかな?」
クラスメイトの園村真琴がこんなお願いをしてきたのは、一学期の中間テストが一週間後に迫った五月半ばのことだった。
「いや、別にいいんだけどさあ」
自分で言うのは憚られるが、ノートは綺麗に取っているぞと自負している。数学の成績だって、真琴と比べたら私の方が間違いなくいい。彼女がノートを貸して欲しいと言ってくるのはある意味頷ける話。だが――。
そもそも論。お前が授業中に居眠りをして、ちゃんとノートを取らないのが元凶なんじゃ?
「しっかり授業を受けておくのが、一番効率がいいと思うんだよね」
不満はお口にチャックでやんわり指摘しておくと「そこをなんとか」と真琴が食い下がってくる。
「まあ、寝てたらどうにもならんしね」
言っちまったよ、結局。
「一生のお願いだから!」
「一生が何度もある奴ですわー、これ」
「にゃはは」
「にゃはは、じゃないんよ。まあ、いいけどね。私もそこまで鬼じゃないし。その代わりと言ってはなんだけど、私と一つ、取引、というか約束をして」
「約束?」
約束、約束と壊れたレコードみたいに繰り返す真琴を無視して私はとある交換条件を提示する。
「一か月後の大会のとき、遅刻しないでちゃんと会場に来て」
ああ~……、と何かを悟ったような顔を彼女がした。
「お安い御用です」
ほんとだろうね? 言質、取ったからね? 遅刻しないでね、と言っているだけだし全然余裕だよね?
真琴と最初に出会ったのは、中学に進学してソフトテニス部に入ったあとのことだ。
足は速くないし、バレーボールも苦手だし、でも、何かしら運動部には入りたいんだよなあ、と考えていた私が選んだのがソフトテニス部だった。
このとき新入部員は六人いて、そのなかで唯一の経験者が、小学生の頃からジュニアソフトテニスクラブで活動していた真琴だった。上級生たちの一部を押しのけ団体戦メンバーに選ばれた真琴は、私たち一年生の中では憧れの存在だったのだ。自分たちが最高学年になったとき、誰が真琴とペアを組むのかは、みんなの関心ごとの一つであった。元来の運動神経の良さが功を奏したのか、日々の練習の成果がでたのかは知る由もないが、真琴のペアの座を私が射とめたときは、それはそれは飛び上がって喜んだもんだ。
二年の秋に行われた新人戦で、私と真琴のペアは早速準優勝。今年の春に行われた大会でも、連続して準優勝となった。
パワーはそこそこながら針の穴を通すようなコントロールが持ち味の私と、巧みなポジション取りと、天賦の才ともいえる感性でボレー (相手のショットをノーバウンドで返すショット)を決めていく真琴のペアは、安定して白星を稼げるペアとして、チームで押しも押されぬ一番手となった。
ところが、である。
真琴の練習態度に、今年に入ってから変化が生じている。四月からちょくちょく練習を休むようになったし、春季大会の直前に有志で行ったナイター練習にも、彼女は一度も顔を出さなかった。それどころか、春季大会当日なかなか会場に姿を見せなかった真琴は、開会式直前というギリギリのタイミングでようやく現れ、遅刻した原因を訊ねても自転車のチェーンが外れちゃってねーと酷く曖昧な返答に終始した。
悩み事でもあるの? と問いただしても「別に」の一点張りだし。
「はい、これノート。貸すの一晩だけだよ」
「ありがとー」
本当にそうだったらいいんだけど、来月の大会を思うと心配でもあるし、どこか釈然としない自分がいるのだった。
※
それから一週間後。県庁所在地にある運動公園にて、中学総合体育大会ソフトテニス競技が行われた。平たくいって、インターミドルの地区予選会だ。
今日が個人戦。明日は団体戦の流れで試合が行われる。三年生としてこれが最後の大会、今度こそ優勝しちゃるぞ、と私は意気込んでいた。いたのだが……。
それなのに――。なんでアイツはいないんだ!?
「ふざけんなー!」
「まあまあ。春、ちょっと落ち着いて。いま、先生が真琴の家に電話してるから」
開会式を終えてテントに戻ってきても、問題児――園村真琴の姿はまだ無かった。苛立ちが収まらず周囲に当たり散らす私の背後から、そのとき聞きなれた声がした。
「やあやあ、ごめんね。ちょっと寝坊しちゃってさあ――」
真琴の弁解が終わるか終わらないかのタイミングで、私は彼女の胸倉を掴み上げた。
「春。落ち着いて、そんなに強く掴んだら新しいユニフォームの襟首が広がっちゃう」
「これが落ち着いていられるかー!! 私たちの試合、プログラムの一巡目なの知ってるでしょ!? 私と約束したよね? 試合当日は絶対遅刻しないって」
「いやー、だから。ちゃんと試合には間に合ったでしょ?」
「開会式には間に合ってない! それに、間に合ったと言ってもギリギリだ! 危うく不戦敗になるところだぞ!」
とかなんとか吠えているうちに、放送で私と真琴のペアを呼び出す声が聞こえた。
「あああ、ほら行くよ!」
「わーかってるって」
ほんとにわかっているんですかね。全然アップもなしに試合に入って大丈夫なんですかね、この人。天才だからなんとかなるんですかね。
二人で走っていく最中、心底安堵した顔を見せる先生の姿が視界の端に見えた。
心中、お察しします。私も、それどころじゃないけど。
※
「七ゲームマッチ、プレイボール」
などと、四の五の言ってもいられない。初戦なんかで躓いてはいられないんだよこっちは。
私たちのサーブで試合が始まる。
モチモチとしたボールの感触を左手で確かめ、それからコートに二回×二セットバウンドさせる。普段通りのルーチンを行ったのち、深呼吸をひとつ挟んでからオーバハンドサービスの体勢に入る。
高くトスを上げ、上体をしならせて放ったサーブはサービスエリアの一番深いところ、対角のコーナーに決まり相手の返球コースが絞られる。
当然、この好機を見逃す真琴じゃない。エグいところに私のサーブが入ったら、サーブアンドボレーでの速い仕掛けが鉄則。案の定甘くなった相手後衛の返球を、すかさず真琴がポーチ (飛び出してボレーを決めること)する。
相手前衛が反応して動くが、バックハンド側という厳しい位置にボールを落としてミスを誘う真琴。苦しい体勢からレシーブされたボールは、しかし、サイドラインを大きく割った。
「ナイスサーブ春!」
「ナイスボレー、あんがと真琴!」
『ハーイ!』
ファーストポイントは頂き! と二人でハイタッチ。
ニ本目はばっちりサービスエースを決め、続いてのサーブはボレーを決めて波に乗ってる真琴だ。
得意のアンダーカットサーブ (ラケットでボールを切るようにして、回転をかけて放つサーブ)が、相手コートを襲う。
独特の回転がかかっているサーブは、バウンドしたあと不規則に変化する。それでも相手後衛が上手く掬ってレシーブした。
真琴を手ごわい前衛と思ったのか、相手のレシーブはストレート方向、私の正面へ。
ストレートでの打ち合いを挑んでくるか。望むところだ。
――と見せかけて。
「なんちゃって」
コートの対角方向に高々とロブを打ち上げる。
虚を突かれた相手後衛が、コートの端まで必死に走る。その動きを見ながら、相手前衛がポジションを変える。
サイドチェンジをして揺さぶるのも、立派な戦術なんよ。
相手後衛の返球が、対角に鋭く返ってくる。
「負けないよ!」
更に一歩深く抉るように、私もクロスにボールを返球する。
ここから数度、激しい打ち合いになった。
やるねえ。この私に打ち負けないなんて。
「というか……」
結構やるじゃん。なんて、感心したのが不味かった。クロスの深いところで打ち合いが続くなか、突然きたフェイントの浅いボールに体が泳がされる。腕が伸びきった状態で手打ちになったボールは、ふらっと舞い上がりコートのど真ん中へ。
見逃さなかった相手前衛が、すかさずボレーで返してくる。
万事休す――と諦めかけるも、私が打ち負けるところまで予測の範疇だったのか、相手の動きを読み切った真琴が、ボレーに反応してボレーで返す。
目まぐるしい展開から放たれたボレーになんとか食らいつき、相手後衛がロブを上げてくる。
が、少し浅いか?
私が落下点に入ろうとすると、「任せて!」と私を制した真琴が落下点へ。
バックステップしながら放ったスマッシュは、しかし相手コートの動きをよく見てオープンスペースへ。
相手後衛は一歩も動けず、そのまま私らのポイントに。
「いいよ、真琴!」
しばしば神展開と周囲に賞賛されるコート掌握術が、真琴の真骨頂。
こうなった私らは、もう誰にも止められない。初戦をゲームカウント四対〇で退けた私たちは、勢いもそのままにトーナメントを勝ち上がり、春季大会に続いての準優勝を収めたのだった。
え? 優勝じゃないのかって?
無理なんよ。この地区には、昨年のインターミドル三位とかいうバケモンがいるから。やっぱり全国三位には勝てなかったよ!
チームのみんなもお祭り騒ぎで、私は準優勝杯を受け取ったのだった。
それなのに――。なんでアイツはいないんだ!?
大会二日目。閉会式の場に、またしても真琴の姿はなかった。
「どうなってんの!? ほんとに」
私の虚しい叫びが響いた。
※
プルルルルル――……。
スマホの呼び出し音が鳴り響く。
コートの片付けを一~二年生に任せ、私は会場の隅で真琴に電話をかけていた。
いつからアイツがいなくなったのか。困ったことに、チームメイトの誰も把握していないのだ。試合が終わったらそそくさといなくなってしまうなんて、自由奔放にもほどがある。
『もしもし』
やっと出やがった、と繋がったことに安堵する。
「ねえ、真琴。いま何処にいんの? 開会式どころか閉会式も出ないなんて、ちょっとタルんでるんじゃないの?」
『ああ、ごめんね』
心なしか、彼女の声には覇気がない。気のせいだろうか。
「ねえ、真琴。ほんとに」
『いま、病院なんだ』
「病院……?」
病院、という不穏なワードが、静かに私の心を冷やした。
『うん。団体戦が終わって少ししたところで病院から電話があってさ』
「うん」
『母さん、死んじゃった』
「え?」
……え?
真琴いわく。去年の秋から体調不良を抱えていた母親は、病院を受診したことで重い病を患っていることが判明。年明けに一度手術を受けたものの病巣の転移が思いの外進んでおり、既に延命治療しか手の施しようがない状態になっていたのだという。
日に日にやせ細っていく母親は、それでも決して笑顔を絶やすことはなかった。だから真琴も辛い顔一つ見せることなく、時間が許す限り病室に足を運んだ。
だから、春の大会の時も今日も遅刻しちゃったんだ、と彼女は聞いたこともない沈痛な声で薄く笑った。
「真琴。どうしてこんな大事な時に、試合なんて出てたのよ?」
違う。何言ってんだ私。出ろと言ったのは私じゃないのか? 少なくとも遅刻するなとは言ったでしょ。
それに、真琴がナイター練習に出られなかったのも、授業中居眠りしていることが多かったのもきっと。
『うん……。母さんにも大会休もうかなって言ったんだけど、「バカ」って怒られたんだ。私には私の人生があるから、チームの仲間にもその人たちの人生があるから、母さんのことよりも、自分たちのことを優先しなさいって』
「そうなんだ……」
なんか、うまく返す言葉がなかった。真琴のお母さんは、きっと立派な人なんだね。
『死んでいく私よりも、自分と他人の為に時間を使いなさい』なんて、思っていてもなかなか言えることじゃないよ。娘の顔を見られる時間だって、限られていたはずなのに。
『勝利の報告が、私にとって一番嬉しい報告だから、頑張って勝ってきなさいって』
視界がじわっと滲んだ。きっと、暮れかけの夕日のオレンジが目に沁みたせいだ。辛いのは、私じゃなくて真琴なのに。
『それが、最後の会話になったんだ』
軽く鼻をすすってから、真琴はそう話を締めくくった。
彼女の声が沈んでいる原因のひとつが自分にあるみたいで、胸のあたりが摘まれたように苦しくなる。
「一言、言ってくれれば良かったのに」
『だってさ。みんなの負担になるじゃん。春のプレーに影響がでたら、やっぱり嫌じゃん』
「変なとこだけ真面目なんだから……」
ほんとにね。
「待ってて真琴。今、賞状と準優勝杯持ってくからさ」
『えっ、でも』
間に合わなかったかもしれないけどさ。今からでもお母さんに結果報告してあげた方がいいと思う。
「いいから。気にしないで」
ごめん、先に帰るね、と仲間たちに告げ、私は自転車に跨った。
自転車を漕ぎながら思う。そうなんだ、真琴は本来真面目な性格なんだよな。少し考えれば、何かおかしいって勘づくこともできただろうに。バカだな、私。
この先、本当の意味で真琴が壁にぶち当たったとき、あるいは、辛くなったとき。今度は私が、彼女の支えにならなくちゃなってそう思う。
「夏休みになったらさ」
『うん』
「一緒に海にでも行こうか。お揃いの水着でも着てさ」
『お揃いはちょっと恥ずかしいかな』
「なんだと」
ようやくちょっとだけ、真琴の声が笑った気がした。
クラスメイトの園村真琴がこんなお願いをしてきたのは、一学期の中間テストが一週間後に迫った五月半ばのことだった。
「いや、別にいいんだけどさあ」
自分で言うのは憚られるが、ノートは綺麗に取っているぞと自負している。数学の成績だって、真琴と比べたら私の方が間違いなくいい。彼女がノートを貸して欲しいと言ってくるのはある意味頷ける話。だが――。
そもそも論。お前が授業中に居眠りをして、ちゃんとノートを取らないのが元凶なんじゃ?
「しっかり授業を受けておくのが、一番効率がいいと思うんだよね」
不満はお口にチャックでやんわり指摘しておくと「そこをなんとか」と真琴が食い下がってくる。
「まあ、寝てたらどうにもならんしね」
言っちまったよ、結局。
「一生のお願いだから!」
「一生が何度もある奴ですわー、これ」
「にゃはは」
「にゃはは、じゃないんよ。まあ、いいけどね。私もそこまで鬼じゃないし。その代わりと言ってはなんだけど、私と一つ、取引、というか約束をして」
「約束?」
約束、約束と壊れたレコードみたいに繰り返す真琴を無視して私はとある交換条件を提示する。
「一か月後の大会のとき、遅刻しないでちゃんと会場に来て」
ああ~……、と何かを悟ったような顔を彼女がした。
「お安い御用です」
ほんとだろうね? 言質、取ったからね? 遅刻しないでね、と言っているだけだし全然余裕だよね?
真琴と最初に出会ったのは、中学に進学してソフトテニス部に入ったあとのことだ。
足は速くないし、バレーボールも苦手だし、でも、何かしら運動部には入りたいんだよなあ、と考えていた私が選んだのがソフトテニス部だった。
このとき新入部員は六人いて、そのなかで唯一の経験者が、小学生の頃からジュニアソフトテニスクラブで活動していた真琴だった。上級生たちの一部を押しのけ団体戦メンバーに選ばれた真琴は、私たち一年生の中では憧れの存在だったのだ。自分たちが最高学年になったとき、誰が真琴とペアを組むのかは、みんなの関心ごとの一つであった。元来の運動神経の良さが功を奏したのか、日々の練習の成果がでたのかは知る由もないが、真琴のペアの座を私が射とめたときは、それはそれは飛び上がって喜んだもんだ。
二年の秋に行われた新人戦で、私と真琴のペアは早速準優勝。今年の春に行われた大会でも、連続して準優勝となった。
パワーはそこそこながら針の穴を通すようなコントロールが持ち味の私と、巧みなポジション取りと、天賦の才ともいえる感性でボレー (相手のショットをノーバウンドで返すショット)を決めていく真琴のペアは、安定して白星を稼げるペアとして、チームで押しも押されぬ一番手となった。
ところが、である。
真琴の練習態度に、今年に入ってから変化が生じている。四月からちょくちょく練習を休むようになったし、春季大会の直前に有志で行ったナイター練習にも、彼女は一度も顔を出さなかった。それどころか、春季大会当日なかなか会場に姿を見せなかった真琴は、開会式直前というギリギリのタイミングでようやく現れ、遅刻した原因を訊ねても自転車のチェーンが外れちゃってねーと酷く曖昧な返答に終始した。
悩み事でもあるの? と問いただしても「別に」の一点張りだし。
「はい、これノート。貸すの一晩だけだよ」
「ありがとー」
本当にそうだったらいいんだけど、来月の大会を思うと心配でもあるし、どこか釈然としない自分がいるのだった。
※
それから一週間後。県庁所在地にある運動公園にて、中学総合体育大会ソフトテニス競技が行われた。平たくいって、インターミドルの地区予選会だ。
今日が個人戦。明日は団体戦の流れで試合が行われる。三年生としてこれが最後の大会、今度こそ優勝しちゃるぞ、と私は意気込んでいた。いたのだが……。
それなのに――。なんでアイツはいないんだ!?
「ふざけんなー!」
「まあまあ。春、ちょっと落ち着いて。いま、先生が真琴の家に電話してるから」
開会式を終えてテントに戻ってきても、問題児――園村真琴の姿はまだ無かった。苛立ちが収まらず周囲に当たり散らす私の背後から、そのとき聞きなれた声がした。
「やあやあ、ごめんね。ちょっと寝坊しちゃってさあ――」
真琴の弁解が終わるか終わらないかのタイミングで、私は彼女の胸倉を掴み上げた。
「春。落ち着いて、そんなに強く掴んだら新しいユニフォームの襟首が広がっちゃう」
「これが落ち着いていられるかー!! 私たちの試合、プログラムの一巡目なの知ってるでしょ!? 私と約束したよね? 試合当日は絶対遅刻しないって」
「いやー、だから。ちゃんと試合には間に合ったでしょ?」
「開会式には間に合ってない! それに、間に合ったと言ってもギリギリだ! 危うく不戦敗になるところだぞ!」
とかなんとか吠えているうちに、放送で私と真琴のペアを呼び出す声が聞こえた。
「あああ、ほら行くよ!」
「わーかってるって」
ほんとにわかっているんですかね。全然アップもなしに試合に入って大丈夫なんですかね、この人。天才だからなんとかなるんですかね。
二人で走っていく最中、心底安堵した顔を見せる先生の姿が視界の端に見えた。
心中、お察しします。私も、それどころじゃないけど。
※
「七ゲームマッチ、プレイボール」
などと、四の五の言ってもいられない。初戦なんかで躓いてはいられないんだよこっちは。
私たちのサーブで試合が始まる。
モチモチとしたボールの感触を左手で確かめ、それからコートに二回×二セットバウンドさせる。普段通りのルーチンを行ったのち、深呼吸をひとつ挟んでからオーバハンドサービスの体勢に入る。
高くトスを上げ、上体をしならせて放ったサーブはサービスエリアの一番深いところ、対角のコーナーに決まり相手の返球コースが絞られる。
当然、この好機を見逃す真琴じゃない。エグいところに私のサーブが入ったら、サーブアンドボレーでの速い仕掛けが鉄則。案の定甘くなった相手後衛の返球を、すかさず真琴がポーチ (飛び出してボレーを決めること)する。
相手前衛が反応して動くが、バックハンド側という厳しい位置にボールを落としてミスを誘う真琴。苦しい体勢からレシーブされたボールは、しかし、サイドラインを大きく割った。
「ナイスサーブ春!」
「ナイスボレー、あんがと真琴!」
『ハーイ!』
ファーストポイントは頂き! と二人でハイタッチ。
ニ本目はばっちりサービスエースを決め、続いてのサーブはボレーを決めて波に乗ってる真琴だ。
得意のアンダーカットサーブ (ラケットでボールを切るようにして、回転をかけて放つサーブ)が、相手コートを襲う。
独特の回転がかかっているサーブは、バウンドしたあと不規則に変化する。それでも相手後衛が上手く掬ってレシーブした。
真琴を手ごわい前衛と思ったのか、相手のレシーブはストレート方向、私の正面へ。
ストレートでの打ち合いを挑んでくるか。望むところだ。
――と見せかけて。
「なんちゃって」
コートの対角方向に高々とロブを打ち上げる。
虚を突かれた相手後衛が、コートの端まで必死に走る。その動きを見ながら、相手前衛がポジションを変える。
サイドチェンジをして揺さぶるのも、立派な戦術なんよ。
相手後衛の返球が、対角に鋭く返ってくる。
「負けないよ!」
更に一歩深く抉るように、私もクロスにボールを返球する。
ここから数度、激しい打ち合いになった。
やるねえ。この私に打ち負けないなんて。
「というか……」
結構やるじゃん。なんて、感心したのが不味かった。クロスの深いところで打ち合いが続くなか、突然きたフェイントの浅いボールに体が泳がされる。腕が伸びきった状態で手打ちになったボールは、ふらっと舞い上がりコートのど真ん中へ。
見逃さなかった相手前衛が、すかさずボレーで返してくる。
万事休す――と諦めかけるも、私が打ち負けるところまで予測の範疇だったのか、相手の動きを読み切った真琴が、ボレーに反応してボレーで返す。
目まぐるしい展開から放たれたボレーになんとか食らいつき、相手後衛がロブを上げてくる。
が、少し浅いか?
私が落下点に入ろうとすると、「任せて!」と私を制した真琴が落下点へ。
バックステップしながら放ったスマッシュは、しかし相手コートの動きをよく見てオープンスペースへ。
相手後衛は一歩も動けず、そのまま私らのポイントに。
「いいよ、真琴!」
しばしば神展開と周囲に賞賛されるコート掌握術が、真琴の真骨頂。
こうなった私らは、もう誰にも止められない。初戦をゲームカウント四対〇で退けた私たちは、勢いもそのままにトーナメントを勝ち上がり、春季大会に続いての準優勝を収めたのだった。
え? 優勝じゃないのかって?
無理なんよ。この地区には、昨年のインターミドル三位とかいうバケモンがいるから。やっぱり全国三位には勝てなかったよ!
チームのみんなもお祭り騒ぎで、私は準優勝杯を受け取ったのだった。
それなのに――。なんでアイツはいないんだ!?
大会二日目。閉会式の場に、またしても真琴の姿はなかった。
「どうなってんの!? ほんとに」
私の虚しい叫びが響いた。
※
プルルルルル――……。
スマホの呼び出し音が鳴り響く。
コートの片付けを一~二年生に任せ、私は会場の隅で真琴に電話をかけていた。
いつからアイツがいなくなったのか。困ったことに、チームメイトの誰も把握していないのだ。試合が終わったらそそくさといなくなってしまうなんて、自由奔放にもほどがある。
『もしもし』
やっと出やがった、と繋がったことに安堵する。
「ねえ、真琴。いま何処にいんの? 開会式どころか閉会式も出ないなんて、ちょっとタルんでるんじゃないの?」
『ああ、ごめんね』
心なしか、彼女の声には覇気がない。気のせいだろうか。
「ねえ、真琴。ほんとに」
『いま、病院なんだ』
「病院……?」
病院、という不穏なワードが、静かに私の心を冷やした。
『うん。団体戦が終わって少ししたところで病院から電話があってさ』
「うん」
『母さん、死んじゃった』
「え?」
……え?
真琴いわく。去年の秋から体調不良を抱えていた母親は、病院を受診したことで重い病を患っていることが判明。年明けに一度手術を受けたものの病巣の転移が思いの外進んでおり、既に延命治療しか手の施しようがない状態になっていたのだという。
日に日にやせ細っていく母親は、それでも決して笑顔を絶やすことはなかった。だから真琴も辛い顔一つ見せることなく、時間が許す限り病室に足を運んだ。
だから、春の大会の時も今日も遅刻しちゃったんだ、と彼女は聞いたこともない沈痛な声で薄く笑った。
「真琴。どうしてこんな大事な時に、試合なんて出てたのよ?」
違う。何言ってんだ私。出ろと言ったのは私じゃないのか? 少なくとも遅刻するなとは言ったでしょ。
それに、真琴がナイター練習に出られなかったのも、授業中居眠りしていることが多かったのもきっと。
『うん……。母さんにも大会休もうかなって言ったんだけど、「バカ」って怒られたんだ。私には私の人生があるから、チームの仲間にもその人たちの人生があるから、母さんのことよりも、自分たちのことを優先しなさいって』
「そうなんだ……」
なんか、うまく返す言葉がなかった。真琴のお母さんは、きっと立派な人なんだね。
『死んでいく私よりも、自分と他人の為に時間を使いなさい』なんて、思っていてもなかなか言えることじゃないよ。娘の顔を見られる時間だって、限られていたはずなのに。
『勝利の報告が、私にとって一番嬉しい報告だから、頑張って勝ってきなさいって』
視界がじわっと滲んだ。きっと、暮れかけの夕日のオレンジが目に沁みたせいだ。辛いのは、私じゃなくて真琴なのに。
『それが、最後の会話になったんだ』
軽く鼻をすすってから、真琴はそう話を締めくくった。
彼女の声が沈んでいる原因のひとつが自分にあるみたいで、胸のあたりが摘まれたように苦しくなる。
「一言、言ってくれれば良かったのに」
『だってさ。みんなの負担になるじゃん。春のプレーに影響がでたら、やっぱり嫌じゃん』
「変なとこだけ真面目なんだから……」
ほんとにね。
「待ってて真琴。今、賞状と準優勝杯持ってくからさ」
『えっ、でも』
間に合わなかったかもしれないけどさ。今からでもお母さんに結果報告してあげた方がいいと思う。
「いいから。気にしないで」
ごめん、先に帰るね、と仲間たちに告げ、私は自転車に跨った。
自転車を漕ぎながら思う。そうなんだ、真琴は本来真面目な性格なんだよな。少し考えれば、何かおかしいって勘づくこともできただろうに。バカだな、私。
この先、本当の意味で真琴が壁にぶち当たったとき、あるいは、辛くなったとき。今度は私が、彼女の支えにならなくちゃなってそう思う。
「夏休みになったらさ」
『うん』
「一緒に海にでも行こうか。お揃いの水着でも着てさ」
『お揃いはちょっと恥ずかしいかな』
「なんだと」
ようやくちょっとだけ、真琴の声が笑った気がした。
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短いながらも物語としてしっかり読ませる手腕は流石です!(偉そうにごめんなさい)
特に試合のシーンはテニスをよくわからない私ですが、ワクワクしました。面白かった!テニスってこんな感じなんだって、物語超えて面白かったです。
ありがとうございました。
元々の構想ではもっと短くしたいなーと思っていたのですが、試合描写を入れようと欲張った結果ちょっとだけ長くなってしまいました。
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読んで頂きまして、また、感想ありがとうございました。
退会済ユーザのコメントです
感想、ありがとうございます。
いつかソフトテニスを題材にした作品を、という思いがあって書いてみましたが、主題は人間ドラマの方に置いていることもあって、試合描写としての迫力を出しつつそちらに引っ張られ過ぎないように、と考え仕上げました。
ルールが分からない方でもなんとなく理解できるように、というラインを目指したので、上手く伝わっているようで良かったです。