夢に繋がる架け橋(短編集)

木立 花音

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二人で叶える夢ならば(現代・青春ドラマ)

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お題⇒ 覗き見、隙間、興奮

* * *

「貧乳はステータス。わかるね?」
「いや、全然わからん」
「バカだなあ。だからお前は何時まで経っても自分の武器を生かせないんだよ」
「だって、無いものは無いんだし」
「わかってないなあ、全然わかってない。むしろ無いってことを武器にするんだ」
「無いものがどうやって武器になるのよ?」

 いよいよ啓太けいたが溜め息をついた。額に手を添え、落胆のポーズまで決める。いや、アンタそれポーズだけでしょ?

「いいか、こう前かがみになった時、シャツの襟首が垂れ下がるだろう?」
「それはまあ。つかアンタ、そんなとこ見てんの?」
「その隙間から、チラリと胸の谷間が見えるわけだ。むろん、たいした頂きなどそこには存在しない」
「悪かったわね」

 本当に失礼。そもそもこれからだろう、成長期。知らんけど。

「だが、その見えそうで見えないしかしチラチラと覗き見える微妙な隙間に無限の可能性。いわば小宇宙が広がっているんだ。興奮するだろうが!? そもそも、大きければいいってもんじゃない」
「最後だけは嬉しいわ。けど、だからと言って、私が前かがみになった瞬間をカメラで撮影し、おまけに油絵の題材にするのはやめてほしいです。はっきり言ってセクハラ行為!」

 たいしてボリュームのない胸元までしっかり再現された私の肖像画を睨んで不満を述べると、啓太は心底都合悪そうに肩を竦めた。

「さーせんした」

 中学二年の夏。
 放課後の美術室。
 なんとなく意気投合して美術部に所属した私と幼馴染の啓太は、こんな他愛もない話題で盛り上がって笑い合うのが日常だった。

***

「俺、将来は美術大学に進学したいんだよね」

 中学三年の夏。連日のように真夏日を計測していたうだるような暑さがなりをひそめた八月後半。窓に設置されたカーテンの隙間から入り込むのはオレンジ色の光。彼が発した密やかな声は、静謐せいひつな病室の中に静かに溶ける。
 それは、かねてより何度か聞かされてきた台詞。
 私はただ、「うん、啓太けいたならなれるよ」と、最早定型文のようになった言葉を返すことしかできなかった。

 彼が得意としているのは、油絵の具で描いた人物画。
 私が得意としているのは、水彩絵の具で描いた風景画。

 お互いそれなりに極端な得手不得手を抱えてこそいたが、作風の一極化は自身の成長の妨げになる。そう考えて私も啓太も、色んなものを描いた。色んな作風を試した。多種多様なコンテストに作品をだした。
 何度も何度も二人で落選して、それでもめげずにチャレンジを続けて、最終的に入賞したのは昨年の秋。入賞したのは私だけ。

「おめでとう」

 二人で並んで歩く通学路。あの日そう告げた啓太の顔がちょっとだけ辛そうに見えたのは、きっと夕陽のせいだけじゃない。
 啓太に申し訳ないという後ろめたさは正直あった。それでも、初めて出した結果に私は完全に舞い上がっていて、兎に角喜びを爆発させた。これからすうっと羽ばたいていける自分をしっかりとイメージできた。

 そのはずだった。なのに──

 今現在、私の右手の握力はゼロだ。
 原因は今からちょうど一ヶ月ほど前、夏休みも間近となった朝の通学路で起こった事故にある。
 交差点で横断歩道を渡っていた私に、信号無視の軽自動車が突っ込んできたのだ。
 気が付いたときにはもう車は眼前で、驚いた表情を浮かべた運転手と目が合った瞬間に『ああ、このまま私死ぬのかな』なんて、案外俯瞰的ふかんてきに物事をとらえていたことだけはよく覚えている。
 全身の骨が砕けるような激痛とともに意識を失い、眼が覚めた時は病院のベッドの上だった。
 一命こそ取り留めたものの、骨折箇所は腰骨と右腕におよび、右手の動きに後遺症が残るでしょうと医者に宣告された。

 はしが持てない。
 筆が持てない。
 食事こそ左手でスプーンを使うことでなんとかしているが、退院後の学校生活を考えると不安しかない。いったいどうやってノートを取ればいいのか。進学だってできるのか。それこそ、美術部なんてもう──

「なあ美波みなみ
 と前後の脈絡なく彼は言った。
「なに」
 布団に半分だけ体を潜りこませ、ベッドの背もたれに体重を預けながら私が答える。
「俺さあ、十二月の市のコンクールに絵を出すよ」
「もう描いてるの?」
「うんにゃ、まだ」
「これから受験シーズンに入っていくのに?」
「うん」
「部活動だって、まもなく引退でしょ? それなのに?」

 まあ、私は高校に行っても絵は描けないし。そもそも、高校だって受かるかどうかわかんないし。
 そんな感じの当てつけがましい皮肉は、すんでの所で飲み干した。

「うん」
「ばっかじゃないの」

 違う、そうじゃないの。波立つ感情を静めるため、長い髪を左手で梳いた。
 なにをするにも最初に左手が出る習慣が、わずか一週間で身についていた。こうして色んな事を諦めていくのだろうか。次第に。

「そんな言い方すんなよ。俺、美波に勇気を持って貰いたくて──」
「そういうのが余計なお世話だって言ってんのよ!」

 違う。

「啓太だって知ってんでしょ!? 私が二度と筆を握れないってこと」
「それは、うん」

 なんで。

「だったら、そんな事言わないでよ! そりゃアンタはいいよね? 私と違って思う存分絵が描けるんだし」

 違う。

「黙って勝手に描いて、勝手に応募して、勝手に賞をとればいいじゃない? いちいち私に報告しなくていいよ! あてつけがましいのよ!!」

 瞬間、病室の中の空気が凍りついた。四人部屋だったことを失念していたつもりは無いが、周りの視線がこちらに集まっているのを意識して背中をまるめた。

「あ、すいません」

 今謝るべき相手は啓太なんじゃないの、と内心で自分に毒づいている間に、「悪い、俺が悪かった」という呟きだけを残して彼は病室を出ていった。

「違う。そうじゃないの」

 喉の奥から懸命に搾り出した掠れた声は、きっと彼の耳には届かなかった。

* * *

 翌日から、啓太が病室に顔を出してくれることはなくなった。
 啓太は私の家から徒歩で十分じゅっぷんの場所に住んでいる幼馴染。髪がサラサラしていて、運動神経がそこそこ良くて、絵もそこそこ上手くてそこそこイケメン。何から何までそこそこ止まりの彼ではあるが、めちゃくちゃ優しい。私が入院したあとも毎日見舞いに来てくれるくらいには。
 絵を描くこと以外に趣味も取り得もなかった私をずっと褒め称えてくれて、中学に進学すると私と一緒に美術部に入ってくれた。
 とかく努力家である彼はめきめきと力を伸ばし、今では私と遜色無い腕前。絵画の話とか将来の話を二人で語り合う日々は、それこそ幸せな毎日だったのだ。

 なのに、どうしてあんなことを言ってしまったのか。完全に彼の好意を踏みにじってしまった。
 後悔先に立たず、とはよく言ったもの。この段階に至ってから激しく後悔するだなんて、本当に私はバカだと思う。
 彼に対して抱いていたはずの尊敬と憧れの念は、いつのまにか醜い嫉妬に変わっていた。

 ──自分のことが大嫌い。

 そのまま、眠れない夜を三度越えた。
 膝を抱えて日々を過ごし退院まであと数日となった、四日目の夕方。
 完全に諦めかけていた私の前に、再び彼は姿を現した。

「啓太」
「おう」

 とだけぶっきら棒に告げると、彼はベッドサイドの丸椅子を引っ張って腰を下ろした。その間、私と目を合わせることは一度もなかった。
 病室のカーテンの隙間から入り込む柔らかな黄色い光。床に投影された彼の影が、長く引き伸ばされている。
 そうだ、こうしてなんかいられない。謝らなくちゃいけない、私から。

「ごめん──」と言い掛けた私の声は、けれど、彼の言葉によって遮られた。「俺が悪かった!」

「啓太?」
「わかってたんだ、あんなこと言っちゃいけないって。それなのに、言わなくちゃ言わなくちゃって思いばかりが強くなって、勢いで言っちまった。今一番辛いのはお前の方なのにな。もっと別な言い方とか伝え方があったと思うんだ。本当にごめん」
「そんな、謝らないで。むしろ酷いこと言ったのは私の方なのに、ごめん──」
「これ」

 そう言って彼が差し出してきたのは、指サックの先端に筆が付いている感じの物体。こんなもの初めてみる。

「え、これはなに?」
「手の握力がなくて筆が握れなかったとしても、これを人差し指に嵌めれば絵が描けるんだよ。近所の画材屋でみつけた」

 啓太はそれを自分の指に嵌めると、わきわきと動かしてみせる。

「それに、世の中には、まったく腕が動かせなくても、口や足を使って絵を描いている人だっているんだ。そういった人らが参加しているコンテストだってある。だから、なにも諦める必要なんてないんだ」
「でも、手首と腕の動きだけじゃ、今までのような繊細なタッチでなんか描けない。私、ようやく受賞した程度の腕前でしかないのに」

 大丈夫、と言って彼は私の右手をそっと握った。
 握力を失ってから、酷く冷たく感じられるようになった右手を、優しく包み込み温めてくれるかのように。

「装着する指を変えるだけで、表現するラインを変化させることができるらしい。練習すれば大丈夫だ」
「でも」
「二人でタッグを組もう」
「タッグ?」
「そうだ」と自信たっぷりに頷く彼。「冷静に分析した結果、色を塗ることに関しては俺の方が上手い。だが、全体の構図の捉え方は美波の方がセンスあるんだ」
「うん」

 それは私も薄っすらと感じていたことだ。だから否定せずに頷いた。

「だからタッグだ。お前が下絵の部分を描いて、そこから俺が色を載せて仕上げる。二人三脚で作品を仕上げ、合作というかたちでコンテストに応募しよう」

 一気に視界が広がった気がした。そんな可能性、露ほどにも考えていなかった。

「それからもうひとつ。もっと大事なこと」

 そう言って彼が私の目をまっすぐ見つめる。黒曜石のような輝きを放つ瞳の奥に、私の姿が反転して映っていた。

「俺と、付き合って欲しい。幼馴染という関係を壊すのが嫌でずっといえなかったけど、俺、ずっと前から美波のことが好きだったんだ」

 許容範囲を越えた涙が、私の頬を一筋伝う。視界が強く滲んだことで、泣いている自分を意識する。あれ、なんで?

「バカじゃないの? 私が弱っているときにつけ込むなんて」

 拒絶だと受け取ったのか、不安そうな顔になって離れていきそうになった彼の手を左手一本で捕まえた。私より、一回り大きく温かい手のひら。
 
「私もたぶん、ずっと前から啓太のことが好きでした。こちらこそ、宜しくお願いします」

 次の瞬間、抱きしめてきた彼の力の強さに「痛いよ」と不満を言いつつも、心がすっと落ち着いていくのを感じる。抱えていた不安の全てが、病室の空気に溶けて馴染む。
 そうか、そういうことだったんだ、と私は思う。何年も前から私の胸を締め付け続けてきたこの不可思議な感情は、嫉妬なんかじゃなくて最初から恋わずらいだったのかもしれないと。

 ありがとう、啓太。
 二人で夢、叶えよう。

<了>
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