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第三章「嘘つきな私のニューゲーム」

【時間跳躍】

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 鳥の囀りで、目を覚ました。
 布団のなかでもぞもぞと寝返りをうつと、隣に景がいない。今日は用事があると言っていたから、早起きをしたのだろうか。珍しいこともあるもんだ。
 そこまで考えてから気がついた。もしかしてアイツ、まだ帰ってきていない、とか?
 惰眠をむさぼるのはやめにして、布団から顔を出してみた。

「まさかね……って、あれ?」

 何気ない呟きが、途中から驚嘆に変わる。
 見覚えのある木目の天井が見えた。見覚えはあるんだけど、自宅アパートではなく実家にある自分の部屋のもの。どうして私は実家に居る?
 何か、懐かしい夢を見ていた気がする。長い時間眠っていた、という感覚は確かにあるのに、体の疲れはいまいち抜けていない。二日酔いの朝みたいに頭が重く、緩やかな倦怠感が全身を包み込んでいた。
 お酒なんて飲んでいないのにおかしい。おかしいが、まずは昨日のことを思い出していこう。
 交際記念日を忘れられていたことで、景と激しく喧嘩をした。捨て台詞を残してアパートを飛び出して、アテもなく走り続けてるうちに雨が降り出した。頭からずぶ濡れになって、凍えるように全身が寒くて。ああ、最悪だって思って――と、そこで思考が滞る。
 最後の記憶、どこだろ。
 バス停が見えたところまでは覚えている。そこまで来たのだから、泣き言やら愚痴でも言うため実家に戻ったのかもしれない。でも、実家までたどり着いた記憶がない。布団の中に入ったのは何時何分なんじなんぷんか。
 照明が落ちたときみたいにプツンと記憶が途切れていた。先日の朝帰りの件といい、最近の私はどうかしている。
 ま、いっか。
 意識だけはやたらと冴えてきたけど、まだ起き上がる気にはならない。もう少し寝ててもいいだろうと、布団の温もりにすがりついた。
 ところが目を閉じてすぐ、再び景の姿が頭に浮かんだ。
 昨日の夜はちゃんと帰って来られたのかな? 電話をして、起こしてあげるべきかな?

「ふう」

 スマホを探しかけてやっぱりやめた。お節介を焼こうとしている自分にため息がもれる。
 こうして甘やかすからつけあがるんだ。私がいなくて困るのも、それはそれで一興だろう。いっそ、寝坊でもしたらいい。私が毎日起こしてくれることに、有難みを感じたらいい。昨日喧嘩したことを、今になって後悔したらいい。現実を見つめることが、彼にとっていい薬になるかもだ。
 教師の仕事を始めてからというもの、朝から夕方まで働きづくめだった。ハードな日々を過ごしてきたから、時間を気にせず寝ていられることにホッとする。家事なら全部、母親がやってくれる。
 なんて気楽なんだろう──。

「早く起きなさい七瀬! ゆっくりしてたら遅刻しちゃうでしょ!」

 その時、どこか懐かしさを感じる母親の声が階下から響いた。
 忘れていた。うちの母親は厳格な人なので、社会人だからといって悠長に寝かせておいてはくれないのだ。この親あってこの子あり、か。と自嘲しながら「はーい」と返事をする。渋々ベッドの上に上体を起こして、ぐいっと背伸びをする。初秋にしては熱気がこもっていてじめっと蒸し暑い。額の汗を拭った直後、心の隙間にするりと違和感が差し込まれた。
 いや――。
 冷静な思考でぐるり、と部屋を見渡すと、むしろ違和感だらけだった。
 八畳の自室は、東側に窓がある。赤いカーテンの隙間から、清々しい朝の光がまっすぐ伸びている。引っ越しの前日、妹の部屋に移動させたはずの勉強机が、壁際に鎮座していた。その隣に置いてある書棚には、処分したはずの雑誌や少女漫画がびっしりと詰め込まれている。
 なんなのこれ?
 対面の壁際にあるのはコンポ。こちらも懐かしい、MDが聴ける学生当時に持っていた奴。いま、西暦何年だと思ってんのよ?
 そして、違和感の総仕上げは、ハンガーに吊り下がっている制服だ。白いセーラー服と、紺色のプリーツスカート。襟首のところに、臙脂色えんじいろのスカーフが引っかかっている。

「どうなってんの!?」

 いよいよ、驚きで声が漏れた。
 反射的に立ち上がって、また別の違和感。今度は、視覚情報ではなく、全身で感じるタイプの奴。
 身体が――軽い。
 誇張表現でも比喩でもなく、文字通り軽いのだ。
 首筋を、嫌な汗が伝うのを感じつつ、なんとなく髪の毛に触れて驚愕する。──無い。こんなはずはない。胸元まであったはずの髪の毛が、きれいさっぱり無くなっている。

「え、なんで?」
「だからいつまで寝てんの七瀬! ほんとにアンタは寝坊助なんだから――って、あら?」

 騒々しく自室のドアが開いて母親が現れた。びくっと肩を震わせて振り返ると、驚いた顔でこっちを見てる彼女と目が合う。

「なんだ、起きてんの? だったら返事くらいしなさいよ。さっさと下来てご飯食べちゃいなさい。遅刻するわよ」

 返事したでしょ、というのは一先ず置いとき、「遅刻? どこに?」と呆けた声で呟くと、母親はクスクスと笑った。「中学校に決まってるべ。寝ぼけてんの?」

「中、学校?」

 来た時同様、慌ただしく部屋を出ていった母親の足音を聞きながら、こちらも慌ただしく鏡台の前に座った。
 そのまま、鏡の中の自分に手で触れた。
 無造作に切りそろえられた濡羽色の髪は、肩に薄っすらとかかる程度のミディアムボブ。元々細めの体躯だが、それにしても手足が華奢だ。顔だって、いつもより一回り小さく見える。
 それだけじゃない。胸まで小さくなっている。確かに元々巨乳でもないが、なんて、諦めのつく小ささじゃない。なんなのこれ!? すごく損した気分。
 端的に言って体つきが幼く、そう、まるで――中学生に戻ったみたい。
 ──どう、なってんの?
 問いかけると、戸惑いを滲ませた顔で、鏡の中の自分が見つめ返してくる。
 もしかしてこれは夢なのか。眠っていることを自覚しながら見ている夢、いわゆる明晰夢なんじゃないかって。けど、ここまでリアルな夢なんてあるんだろうか。
 両手を広げてまた握ってと、何度か繰り返したが意識と体の動きは一致していた。これは現実なんだぞ、と脳がうったえてくる。
 ほっぺたをつねって最終確認をした。うん、普通に痛い。間違いない。これは私だ。
 ただし、二十一歳になった現在の私ではなく、中学時代の私。
 どんな理由があってこの時代に戻ったのかはさっぱりだが、これが現実リアルであるらしい。
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