4 / 6
第3話:推し活から生まれる投資 ― 専門家を超えろ
しおりを挟む
第3話:推し活から生まれる投資 ― 専門家を超えろ
四月の柔らかな陽光が、工藤の書斎に差し込んでいた。
かつては「出社までのタイムリミット」に追われていた朝の光が、今は思考を深めるための、穏やかなスポットライトに変わっている。
工藤は、デスクに置かれた「あるもの」を手に取った。
昨日、秋葉原のショップでようやく手に入れた、最新のソーシャルゲーム『スターライト・レゾナンス』の限定アクリルスタンドだ。
透明なプラスチックの板に、鮮やかな色彩で描かれた歌姫。
「……美しいな」
工藤は、エンジニア時代に培った鋭い観察眼で、その造形を眺める。
単なる「キャラクターグッズ」ではない。印刷の階調、カッティングの精度、そして何より、キャラクターの眼差しに宿る「熱量」が違う。
彼はPCを立ち上げ、証券会社が発行した「エンターテインメント業界レポート」を画面に呼び出した。
『……国内スマホゲーム市場は飽和状態にあり、新作「スターライト・レゾナンス」の収益貢献は限定的と予測される。目標株価は据え置き、投資判断は「中立」……』
工藤は鼻で笑った。
「飽和、か。数字の羅列しか見ていない連中には、この熱が視認できないらしい」
彼はブラウザのタブを、投資サイトから「ユーザーコミュニティ」の掲示板へと切り替えた。
そこには、昨夜行われたゲーム内イベントに対する、数万件に及ぶ書き込みが濁流のように流れていた。
> 342: **名無しの歌姫**
> 今回の更新、控えめに言って「神」。10万課金したけど一ミリも後悔してない。
> 345: **名無しの歌姫**
> 分かる。新曲のダンス、指先の動きがエロすぎるだろ。これ中の人の癖(くせ)まで再現してないか?
> 350: **名無しの歌姫**
> 推しが「生きてる」感やばい。今までのソシャゲが紙芝居に見える。ボーナス全部突っ込むわ。
「……見つけたぞ、異常値(アノマリー)を」
工藤の眼が、エンジニアとしての鋭さを増す。
彼は美津子を書斎へ呼んだ。
「美津子、ちょっとこの画面を見てくれ。何を感じる?」
美津子は画面を覗き込み、眉をひそめた。「……何これ。すごい文字数。みんな、こんなに一晩中喋ってるの?」
「ああ。アナリストたちは、去年のヒット作と比較して『ユーザー数は横ばいだ』と言っている。だが、彼らは致命的なバグを見落としているんだ。アクティブユーザーの『密度』が違う。今回のアップデートで導入された3Dモーション……これを見てくれ」
工藤はデモ動画を再生し、キャラクターの手元を拡大した。
「この滑らかな指の動き。これは第2話で見つけた『スタジオ・クォンタム』のモーションキャプチャ技術だ。彼らが裏方として入ったことで、ゲームが単なるソフトから『信仰』へと昇華されたんだ。ユーザーは今、機能に金を払っているんじゃない。存在そのものに、祈りを捧げるように課金している」
工藤は美津子に向き直り、断言した。
「**『アナリストより、オタクの方が市場を知っている』**。これが俺の結論だ」
「オタクの方が……?」
「ああ。アナリストは、決算発表という『過去の遺物』を見て未来を語る。だが、オタクは『今、目の前で起きている熱狂』という一次情報を握っている。キャンプが好きなら、どのテントが本当に売れているか。釣りが好きなら、どのルアーに魚が食いつくか。趣味は、最強の市場調査なんだ」
工藤は再びデスクに座り、運営会社『アステリズム・エンターテインメント』の株価チャートを開いた。
横ばいの線が、今にも上へ突き抜けようと震えている。
「市場はまだ、この狂乱が次期の収益を爆発させることに気づいていない。だが、俺には聞こえる。世界中のユーザーが財布の紐を緩め、クレジットカードの承認音が鳴り響く、あのデジタルな合唱が」
工藤の指が、マウスの上で静止した。
第2話での三百万の投資は、すでに一割の含み益を出している。
だが、今回はその比ではない。
「……一千万、行く」
美津子が息を呑んだ。「健一さん、正気なの? 退職金の三分の一よ」
「正気だよ、美津子。これほど安全率の高い勝負はない」
工藤は、深く息を吸い込んだ。
マウスの左ボタンをクリックする。
「カチッ」
それは、工藤の人生という回路において、最大級の電流が流れた音だった。
「……よし。発注完了だ」
工藤は、椅子の背もたれに体を預けた。
モニターの光が、彼の顔を青白く、しかし力強く照らし出している。
恐怖はなかった。あるのは、自分が愛した世界が、巨大な資本の海で正当に評価される瞬間を、最前列で見届けるというワクワク感だけだ。
「さあ、見せてくれ。オタクの執着心が、市場の常識をいかに粉砕するかを」
工藤は、アクリルスタンドをそっとデスクの隅に置いた。
窓の外では、春の風が新しい季節の到来を告げていた。
彼という名のエンジニアが、投資家という名の「市場のデバッガー」へと完全にトランスフォームした瞬間だった。
---
**第3話 完**
四月の柔らかな陽光が、工藤の書斎に差し込んでいた。
かつては「出社までのタイムリミット」に追われていた朝の光が、今は思考を深めるための、穏やかなスポットライトに変わっている。
工藤は、デスクに置かれた「あるもの」を手に取った。
昨日、秋葉原のショップでようやく手に入れた、最新のソーシャルゲーム『スターライト・レゾナンス』の限定アクリルスタンドだ。
透明なプラスチックの板に、鮮やかな色彩で描かれた歌姫。
「……美しいな」
工藤は、エンジニア時代に培った鋭い観察眼で、その造形を眺める。
単なる「キャラクターグッズ」ではない。印刷の階調、カッティングの精度、そして何より、キャラクターの眼差しに宿る「熱量」が違う。
彼はPCを立ち上げ、証券会社が発行した「エンターテインメント業界レポート」を画面に呼び出した。
『……国内スマホゲーム市場は飽和状態にあり、新作「スターライト・レゾナンス」の収益貢献は限定的と予測される。目標株価は据え置き、投資判断は「中立」……』
工藤は鼻で笑った。
「飽和、か。数字の羅列しか見ていない連中には、この熱が視認できないらしい」
彼はブラウザのタブを、投資サイトから「ユーザーコミュニティ」の掲示板へと切り替えた。
そこには、昨夜行われたゲーム内イベントに対する、数万件に及ぶ書き込みが濁流のように流れていた。
> 342: **名無しの歌姫**
> 今回の更新、控えめに言って「神」。10万課金したけど一ミリも後悔してない。
> 345: **名無しの歌姫**
> 分かる。新曲のダンス、指先の動きがエロすぎるだろ。これ中の人の癖(くせ)まで再現してないか?
> 350: **名無しの歌姫**
> 推しが「生きてる」感やばい。今までのソシャゲが紙芝居に見える。ボーナス全部突っ込むわ。
「……見つけたぞ、異常値(アノマリー)を」
工藤の眼が、エンジニアとしての鋭さを増す。
彼は美津子を書斎へ呼んだ。
「美津子、ちょっとこの画面を見てくれ。何を感じる?」
美津子は画面を覗き込み、眉をひそめた。「……何これ。すごい文字数。みんな、こんなに一晩中喋ってるの?」
「ああ。アナリストたちは、去年のヒット作と比較して『ユーザー数は横ばいだ』と言っている。だが、彼らは致命的なバグを見落としているんだ。アクティブユーザーの『密度』が違う。今回のアップデートで導入された3Dモーション……これを見てくれ」
工藤はデモ動画を再生し、キャラクターの手元を拡大した。
「この滑らかな指の動き。これは第2話で見つけた『スタジオ・クォンタム』のモーションキャプチャ技術だ。彼らが裏方として入ったことで、ゲームが単なるソフトから『信仰』へと昇華されたんだ。ユーザーは今、機能に金を払っているんじゃない。存在そのものに、祈りを捧げるように課金している」
工藤は美津子に向き直り、断言した。
「**『アナリストより、オタクの方が市場を知っている』**。これが俺の結論だ」
「オタクの方が……?」
「ああ。アナリストは、決算発表という『過去の遺物』を見て未来を語る。だが、オタクは『今、目の前で起きている熱狂』という一次情報を握っている。キャンプが好きなら、どのテントが本当に売れているか。釣りが好きなら、どのルアーに魚が食いつくか。趣味は、最強の市場調査なんだ」
工藤は再びデスクに座り、運営会社『アステリズム・エンターテインメント』の株価チャートを開いた。
横ばいの線が、今にも上へ突き抜けようと震えている。
「市場はまだ、この狂乱が次期の収益を爆発させることに気づいていない。だが、俺には聞こえる。世界中のユーザーが財布の紐を緩め、クレジットカードの承認音が鳴り響く、あのデジタルな合唱が」
工藤の指が、マウスの上で静止した。
第2話での三百万の投資は、すでに一割の含み益を出している。
だが、今回はその比ではない。
「……一千万、行く」
美津子が息を呑んだ。「健一さん、正気なの? 退職金の三分の一よ」
「正気だよ、美津子。これほど安全率の高い勝負はない」
工藤は、深く息を吸い込んだ。
マウスの左ボタンをクリックする。
「カチッ」
それは、工藤の人生という回路において、最大級の電流が流れた音だった。
「……よし。発注完了だ」
工藤は、椅子の背もたれに体を預けた。
モニターの光が、彼の顔を青白く、しかし力強く照らし出している。
恐怖はなかった。あるのは、自分が愛した世界が、巨大な資本の海で正当に評価される瞬間を、最前列で見届けるというワクワク感だけだ。
「さあ、見せてくれ。オタクの執着心が、市場の常識をいかに粉砕するかを」
工藤は、アクリルスタンドをそっとデスクの隅に置いた。
窓の外では、春の風が新しい季節の到来を告げていた。
彼という名のエンジニアが、投資家という名の「市場のデバッガー」へと完全にトランスフォームした瞬間だった。
---
**第3話 完**
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪
山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。
「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」
そうですか…。
私は離婚届にサインをする。
私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。
使用人が出掛けるのを確認してから
「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる