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第6話「介護士革命」
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第6話「介護士革命」
若い靴音は、静かに怒っている。
夜勤明けの休憩室。コーヒーの焦げた匂いと、漂白剤の残り香。蛍光灯の白い光が、若手介護士たちの顔を青く照らす。
「正直、馬鹿らしくないですか」
佐伯が紙コップを握りつぶす。薄い紙が、ぱきりと鳴る。
「何が」
同期の真帆が聞き返す。彼女の手にはカルテ。インクの匂いがまだ新しい。
「席次ですよ。寄付金と資産で段が決まって、食堂のテーブルも、医師の順番も微妙に変わる」
「でも、それがここですから」
「お金で人の価値決めてるだけじゃないですか」
言葉が熱を帯びる。
ドアの向こう、ひな壇の赤がちらりと見える。あの段差が、利用者の声色まで変える。
「黒川様が倒れてから、余計に露骨になった」
佐伯の声は低い。
「上に座る人ほど、わがままが通る」
沈黙。
そのとき、ドアが静かに開く。
「革命の相談かしら?」
麗子だった。甘い香水と、夜の名残りのような気配。
「聞いてたんですか」
佐伯の声が少し尖る。
「聞こえるのよ。若い怒りは音が大きい」
麗子はソファに腰を下ろす。布地が柔らかく沈む。
「正義感、嫌いじゃないわ」
「正義とかじゃないです。ただ、不公平だって」
真帆が言う。
「不公平」
麗子はその言葉を舌で転がす。
「どこが?」
「だって、同じ年齢で、同じ病気でも、段が違えば扱いも違う」
「扱い?」
佐伯が続ける。
「家族の態度も、職員の目線も、微妙に変わるんです」
麗子はじっと二人を見る。
「あなたたち、壊したいの?」
「え?」
「カースト」
佐伯は即答する。
「壊せるなら」
麗子は小さく笑う。
「甘いわね」
空気が一瞬、冷える。
「カーストは壊すものじゃない。作り直すものよ」
「どういう意味ですか」
「段差があるのは、人が安心するためよ」
真帆が眉をひそめる。
「安心?」
「自分の位置が見えると、落ち着くの。問題は高さじゃない」
麗子は指で机を叩く。乾いた音。
「決め方よ」
佐伯が食い下がる。
「じゃあ、どうやって」
「価値の基準を変えるの」
そのとき、廊下から革靴の音が近づく。
施設長・東堂が姿を現す。グレーのスーツ。整えられた髪。消毒液と上質な整髪料の匂い。
「桐生様、職員室で何を」
「革命の相談」
さらりと言う。
東堂の眉がわずかに動く。
「穏やかではありませんね」
「穏やかじゃないのは、若い子たちの心よ」
佐伯が立ち上がる。
「施設長、僕たち…」
東堂が制する。
「不満があるのは承知しています。しかし当施設は、寄付と信頼で成り立っている」
「信頼?」
麗子が微笑む。
「信頼は、段の高さで買えるのかしら」
「桐生様、挑発はおやめください」
「挑発じゃない。提案よ」
東堂が目を細める。
「提案?」
「席次の評価項目に、“貢献度”を入れる」
「貢献度?」
「レクリエーションへの参加、他の入居者への配慮、職員への協力度」
佐伯が息を呑む。
「それなら…」
真帆が小さく頷く。
東堂は腕を組む。
「理想論です。寄付額を無視するわけにはいかない」
「無視しなくていい」
麗子は立ち上がる。
「上段は寄付。中段は貢献。下段は挑戦枠」
「挑戦?」
「誰でも上がれる余地を残すの」
休憩室に、静かな熱が満ちる。
佐伯が言う。
「それなら、利用者のやる気も変わる」
「そう。段差は競争を生む。でも、基準が変われば空気も変わる」
東堂がゆっくり口を開く。
「それを、誰が決めるのです」
「理事会と、職員代表」
麗子は佐伯を見る。
「あなた、代表になりなさい」
「僕が?」
「怖い?」
少しの沈黙。
「……怖いです」
「いいわ」
麗子は笑う。
「怖い人間のほうが、まとも」
東堂がため息をつく。
「これは政治です」
「ええ」
麗子の目が光る。
「王国に革命を起こすなら、正面から」
廊下の向こう、ひな壇の赤が夕陽に染まる。
段差は変わらない。
だが、空気が動き始める。
佐伯が静かに言う。
「やってみます」
東堂はしばらく黙り込み、やがて言う。
「理事会に上げましょう。ただし、波風は立つ」
「波は立てるものよ」
麗子は扇子を開く。ぱちりと音がする。
若い鼓動が、静かな施設の壁に反響する。
優雅な王国に、微かな亀裂が入る。
それはまだ小さい。
だが確かに、動き始めていた。
若い靴音は、静かに怒っている。
夜勤明けの休憩室。コーヒーの焦げた匂いと、漂白剤の残り香。蛍光灯の白い光が、若手介護士たちの顔を青く照らす。
「正直、馬鹿らしくないですか」
佐伯が紙コップを握りつぶす。薄い紙が、ぱきりと鳴る。
「何が」
同期の真帆が聞き返す。彼女の手にはカルテ。インクの匂いがまだ新しい。
「席次ですよ。寄付金と資産で段が決まって、食堂のテーブルも、医師の順番も微妙に変わる」
「でも、それがここですから」
「お金で人の価値決めてるだけじゃないですか」
言葉が熱を帯びる。
ドアの向こう、ひな壇の赤がちらりと見える。あの段差が、利用者の声色まで変える。
「黒川様が倒れてから、余計に露骨になった」
佐伯の声は低い。
「上に座る人ほど、わがままが通る」
沈黙。
そのとき、ドアが静かに開く。
「革命の相談かしら?」
麗子だった。甘い香水と、夜の名残りのような気配。
「聞いてたんですか」
佐伯の声が少し尖る。
「聞こえるのよ。若い怒りは音が大きい」
麗子はソファに腰を下ろす。布地が柔らかく沈む。
「正義感、嫌いじゃないわ」
「正義とかじゃないです。ただ、不公平だって」
真帆が言う。
「不公平」
麗子はその言葉を舌で転がす。
「どこが?」
「だって、同じ年齢で、同じ病気でも、段が違えば扱いも違う」
「扱い?」
佐伯が続ける。
「家族の態度も、職員の目線も、微妙に変わるんです」
麗子はじっと二人を見る。
「あなたたち、壊したいの?」
「え?」
「カースト」
佐伯は即答する。
「壊せるなら」
麗子は小さく笑う。
「甘いわね」
空気が一瞬、冷える。
「カーストは壊すものじゃない。作り直すものよ」
「どういう意味ですか」
「段差があるのは、人が安心するためよ」
真帆が眉をひそめる。
「安心?」
「自分の位置が見えると、落ち着くの。問題は高さじゃない」
麗子は指で机を叩く。乾いた音。
「決め方よ」
佐伯が食い下がる。
「じゃあ、どうやって」
「価値の基準を変えるの」
そのとき、廊下から革靴の音が近づく。
施設長・東堂が姿を現す。グレーのスーツ。整えられた髪。消毒液と上質な整髪料の匂い。
「桐生様、職員室で何を」
「革命の相談」
さらりと言う。
東堂の眉がわずかに動く。
「穏やかではありませんね」
「穏やかじゃないのは、若い子たちの心よ」
佐伯が立ち上がる。
「施設長、僕たち…」
東堂が制する。
「不満があるのは承知しています。しかし当施設は、寄付と信頼で成り立っている」
「信頼?」
麗子が微笑む。
「信頼は、段の高さで買えるのかしら」
「桐生様、挑発はおやめください」
「挑発じゃない。提案よ」
東堂が目を細める。
「提案?」
「席次の評価項目に、“貢献度”を入れる」
「貢献度?」
「レクリエーションへの参加、他の入居者への配慮、職員への協力度」
佐伯が息を呑む。
「それなら…」
真帆が小さく頷く。
東堂は腕を組む。
「理想論です。寄付額を無視するわけにはいかない」
「無視しなくていい」
麗子は立ち上がる。
「上段は寄付。中段は貢献。下段は挑戦枠」
「挑戦?」
「誰でも上がれる余地を残すの」
休憩室に、静かな熱が満ちる。
佐伯が言う。
「それなら、利用者のやる気も変わる」
「そう。段差は競争を生む。でも、基準が変われば空気も変わる」
東堂がゆっくり口を開く。
「それを、誰が決めるのです」
「理事会と、職員代表」
麗子は佐伯を見る。
「あなた、代表になりなさい」
「僕が?」
「怖い?」
少しの沈黙。
「……怖いです」
「いいわ」
麗子は笑う。
「怖い人間のほうが、まとも」
東堂がため息をつく。
「これは政治です」
「ええ」
麗子の目が光る。
「王国に革命を起こすなら、正面から」
廊下の向こう、ひな壇の赤が夕陽に染まる。
段差は変わらない。
だが、空気が動き始める。
佐伯が静かに言う。
「やってみます」
東堂はしばらく黙り込み、やがて言う。
「理事会に上げましょう。ただし、波風は立つ」
「波は立てるものよ」
麗子は扇子を開く。ぱちりと音がする。
若い鼓動が、静かな施設の壁に反響する。
優雅な王国に、微かな亀裂が入る。
それはまだ小さい。
だが確かに、動き始めていた。
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