『私の余生は、私のもの ―同居一週間、嫁に年金通帳を狙われた私の生存戦略―』

かおるこ

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第四話:外部とのコネクション

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第四話:外部とのコネクション

箱根から戻った真由美と一樹を迎えたのは、家中を満たす、かつお節と昆布の「正しく、潔い」出汁の香りだった。

「ただいま。……あら、お義母さん。まだ起きてらしたの?」

真由美の声には、旅行の疲れと、予定通り園子が孤独に打ちひしがれていなかったことへの微かな苛立ちが混じっていた。彼女の指先には、箱根の高級旅館の紙袋が揺れている。

「おかえりなさい。お出汁を引いておいたから、少し召し上がる?」

園子は、キッチンの椅子に背筋を伸ばして座っていた。その手元には、真由美が置いていったコンビニ弁当の空き容器などひとかけらもない。

「いいえ、結構。……それよりお義母さん、これ。お土産です。柔らかいお饅頭、買ってきたから。……でも、少し顔色が良いわね。独りで寂しくて倒れてるんじゃないかって、一樹さんと心配してたのよ」

真由美の言葉は甘いが、その目は園子の背後、つまり部屋の隅々にまで「変化」がないかを探るように泳いでいる。一樹はといえば、「ああ、疲れた」とソファに身を投げ出し、園子の顔さえ見ようとしない。

園子は、ゆっくりと立ち上がった。
「そうね。独りの時間は、とても有意義だったわ。……だから私、決めたのよ」

「決めた?」
真由美の眉がピクリと動く。

「ええ。あなたたちにこれ以上、苦労をかけたくないと思ってね。今日、地域包括支援センターの方に来ていただいたの」

その瞬間、リビングの空気が凍りついた。真由美の顔から、箱根の湯気で潤っていたはずの余裕が、剥がれ落ちるように消えていく。

「……包括? 何を勝手なことを」

「勝手じゃないわよ、真由美さん」
園子は、テーブルの上に一枚のパンフレットと、丁寧に書き込まれたスケジュール表を置いた。

「同居してから、あなたには本当に負担をかけてしまった。掃除に洗濯、食事の用意……。あなたが『良かれと思って』やってくれるたびに、私は申し訳なくて胸が痛んでいたの。だから、プロの手を借りることにしたわ」

園子は一樹の方を向き、優しく、しかし抗いようのない響きを含んだ声で続けた。

「一樹、あなたも言っていたでしょう? 私が転んで骨折でもしたら大変だって。だから、週に二回の訪問看護と、週三回のデイサービス、そしてお掃除にはヘルパーさんに来ていただくことにしたの。要支援の認定を活かせば、費用もそれほどかからないわ。私の年金で十分、お釣りがくる範囲よ」

一樹がようやく顔を上げた。
「ヘルパー? いや、でも、真由美がやってるんだし、わざわざ他人に……」

「あら、一樹。真由美さんはあなたの奥様であって、私の家政婦ではないのよ? 彼女には彼女の人生がある。それを私の介護で塗り潰すなんて、親として、人間として、そんな残酷なことできないわ」

「家族に迷惑をかけたくない」
その言葉は、真由美がこれまで園子を追い詰めるために使ってきた最強の「免罪符」だった。それを今、園子が奪い取り、自分を守るための盾へと鍛え直したのだ。

「……お義母さん。そんなの、水臭いです」

真由美の声が、低く震えている。彼女の瞳の奥で、激しい計算が火花を散らしているのがわかる。外部の人間が頻繁に出入りするようになれば、園子の部屋を勝手に漁ることも、年金通帳を強引に奪い取ることもできなくなる。家の中に「監視の目」が入る。それは真由美にとって、完全支配の崩壊を意味していた。

「水臭いだなんて。むしろ逆よ。真由美さん、あなたには『嫁』ではなく『娘』のように、ただ楽しくお喋りする相手でいてほしいの。面倒な汚れ仕事は全部プロに任せて、私たちはこのリビングでお茶を飲んで笑っていましょうよ。それが本当の親孝行だと思わない?」

園子は微笑みを絶やさない。
真由美の喉が、くくりと鳴った。彼女の首筋に、隠しきれない青筋が浮かぶ。

「……でも、それだと、私が何もしていないみたいに思われるじゃないですか。近所の目だって……」

「あら、誰もそんなこと思わないわ。『なんて理解のあるお嫁さんかしら、お義母さんの自立を支えて、プロの手を借りることを許すなんて』って、みんな感心するはずよ。ケアマネジャーの佐藤さんも、あなたの献身に驚いていたわよ?」

園子は、真由美が最も気にしている「世間体」という名の鎖を、逆方向に巻き上げた。
真由美は、唇を噛み締め、握りしめた土産物の紙袋を指が白くなるほど強く掴んでいる。

「……佐藤、さん?」

「ええ、私の新しい担当。とても聡明で、数字に強い方よ。今度、一樹と真由美さんにも、今後のケアプランについて詳しく説明したいって仰ってたわ。財産の管理についても、私が元気なうちに透明性を高めておくのが、トラブルを防ぐ一番の近道だって」

真由美の顔が、土気色に変わった。
園子は、自分の勝利を確信しながら、冷めきった茶を一口啜った。
かつお節の香りが、勝利の余韻のように鼻を抜ける。

「一樹、安心して。これでこの家は、もっと風通しが良くなるわ。……さあ、明日からは忙しくなるわよ。九時にはヘルパーさんがいらっしゃるから、玄関の鍵、開けておいてちょうだいね」

園子は、よろめくように立ち上がった真由美の横を通り過ぎ、自分の部屋へと戻った。
引き戸を閉める直前、リビングから真由美の、絞り出すような声が聞こえた。

「……一樹さん、どうにかしてよ。あんなの、おかしいわよ!」

「……でも、母さんの言うことも一理あるだろ。お前も楽になるんだし」

一樹のその一言が、真由美の怒りにガソリンを注ぐ音が聞こえた。
園子は、静かに、そして深く満足して、部屋の鍵をかけた。

(真由美さん。あなたが持ち込んだ『香水』の匂いも、もうすぐこの家の空気に入れ替わるわ)

日記帳を開き、園子は最後の一行を書き加えた。

**『五月十二日。外部増援部隊、配置完了。敵の動揺を確認。次は、内側から瓦解させる』**

雨音はいつの間にか止んでいた。
雲の切れ間から差し込む月光が、園子の使い古した計算機を、銀色の武器のように照らしていた。


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