『年金15万円と線維筋痛症 ― 動けない老後』

かおるこ

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第3話 女で年金15万は勝ち組のはずなのに

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女で年金15万は勝ち組のはずなのに

春の光が、薄いカーテンを通って部屋にやわらかく広がっていた。
窓の外では、遠くでトラックのエンジン音が低く響き、近所のすずめがせわしなく鳴いている。

陽子はテーブルの前に座ったまま、通知書をじっと見つめていた。

白い紙。
黒い数字。

**150,000円**

「……十五万円」

思わず声に出す。

指先でその数字をなぞる。紙は少しざらざらしていて、指の腹に乾いた感触が残った。

「女で年金十五万って……」

小さく笑う。

「勝ち組のはずなんだけどね」

コーヒーカップを口に運ぶ。
ぬるくなったコーヒーの苦味が、舌の上に広がった。

「ねえ、そうでしょ?」

誰もいない部屋で、そう言ってみる。

返事はない。

冷蔵庫がぶーんと低く唸る音だけが、静かな部屋に流れている。

昨日の午後、スーパーで同僚に言われた言葉が、頭の中でよみがえった。

「えっ、十五万?!」

レジの横で佐々木が目を丸くした。

「それすごいよ!」

「そう?」

陽子は照れくさそうに笑った。

「すごいよ!」

「私なんて十万ちょっとだよ」

「女で十五万って、もう勝ち組だよ」

周りの人も振り向いた。

「ほんとほんと」

「いいなあ」

「老後安泰じゃん」

そのときは、少し誇らしい気持ちになった。

胸の奥が、ぽっと温かくなった。

(ああ、頑張ってきてよかった)

そう思った。

若い頃のことが、ふっと頭に浮かぶ。

油の匂いが充満した工場。
機械のガンガンという音。
重たい部品を持ち上げるたび、腕が震えた。

「女にできるの?」

そう笑った男がいた。

悔しくて、何も言わなかった。

ただ働いた。

誰よりも。

寒い朝も。
眠い夜も。

スーパーでもそうだった。

段ボールを運び、売り場を走り回り、閉店後に床を磨いた。

腰が痛くても。

手が荒れても。

「そのうち楽になる」

そう思って働いた。

「年金があるしね」

「老後は少し休もう」

そんな話を、何度も聞いた。

陽子は通知書をもう一度見た。

そして、その下の数字に目を落とす。

**129,843円**

「……」

しばらく声が出なかった。

窓の外で、子どもが叫んでいる。

「いってきまーす!」

元気な声。

ランドセルの揺れる音。

世界はいつも通り動いている。

陽子は小さくつぶやいた。

「十三万……」

コーヒーカップを置く。

陶器がテーブルに当たって、コトンと小さく鳴った。

「十五万じゃないじゃない」

紙を指で叩く。

「なんで?」

目を細める。

その下に並ぶ文字。

介護保険料。
国民健康保険料。
住民税。

「二万も?」

小さく笑う。

「二万も引かれるの?」

しばらく黙る。

部屋の中は静かだった。

時計の針の音だけが聞こえる。

カチ
カチ
カチ

陽子は背もたれにもたれた。

背中に鈍い痛みが広がる。

「……痛い」

肩を回す。

じわっとした痛み。

線維筋痛症。

医者の言葉が思い出される。

「無理はしないでください」

「働くのは難しいかもしれません」

陽子は苦笑した。

「働くつもりだったんだけどね」

小さくつぶやく。

「まだ働けると思ってた」

スーパーの求人広告を見ていた。

シニア歓迎。

週三日。

「それくらいならね」

そう思っていた。

でも今は。

スーパーまで歩くこともつらい。

陽子は窓の外を見た。

春の風が、カーテンをふわりと揺らしている。

遠くでパン屋の匂いがした気がした。

甘い香り。

焼きたてのパンの匂い。

お腹が少し鳴る。

「女で十五万は勝ち組」

佐々木の声がまた聞こえる。

「いいなあ」

「老後安泰だよ」

陽子はぽつりと言った。

「安泰って……」

少し笑う。

「十三万で?」

家賃を思い出す。

五万八千円。

残りは。

七万円。

そこから。

食費。
光熱費。
薬代。

「勝ち組ねえ」

コーヒーを飲む。

もう完全に冷めていた。

苦い。

だけど、その苦味が妙に現実的だった。

陽子は通知書を折りたたんだ。

紙がパリッと鳴る。

「まあ、いいか」

そう言ってみる。

誰も聞いていないけれど。

「私、ちゃんと働いてきたし」

ゆっくり立ち上がる。

膝が少し痛む。

それでも窓を開けた。

春の空気が部屋に流れ込む。

少し湿った匂い。

遠くの車の音。

青い空。

陽子は空を見上げて、小さく言った。

「勝ち組かどうかは分からないけど」

少し笑う。

「私は、ちゃんと生きてきたよ」

その声は、静かな部屋の中で、ゆっくり広がっていった。

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