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第4話 体の異変
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第4話 体の異変
朝だった。
まだ薄暗い部屋の中で、陽子はゆっくり目を開けた。
カーテンのすき間から、灰色の光が畳の上に細く落ちている。
外では、ゴミ収集車のエンジンが低く唸っていた。金属がぶつかるガタンという音が遠くで響く。
陽子は、布団の中で小さく息をついた。
「……寒い」
そうつぶやいて、体を起こそうとした。
その瞬間だった。
「……っ!」
背中の奥に、鋭い痛みが走った。
まるで、体の内側に細い針を何本も差し込まれたような痛み。
「なに……これ」
声がかすれる。
腕を動かそうとする。
肩が痛い。
太ももが痛い。
腰が痛い。
全身が、ぎしぎしと軋む。
「ちょっと待って……」
ゆっくり手を動かそうとする。
しかし、指がうまく曲がらない。
「……え?」
指先がこわばっている。
まるで冷たい水の中に長く浸けていたように、感覚が鈍い。
「なんで……」
陽子は布団の上でじっとした。
心臓がどくどくと音を立てる。
しばらくして、ゆっくり足を床に下ろす。
畳の冷たさが足の裏に伝わる。
立とうとした。
「……っ」
体が重い。
信じられないほど重い。
まるで、背中に石を背負っているようだった。
「どうしたのよ、私」
声が少し震える。
台所へ行こうと一歩踏み出す。
膝がぎくりと痛む。
二歩目。
肩の奥がずきんとする。
三歩目。
体のあちこちが悲鳴をあげている。
「昨日、なにかした?」
思い出そうとする。
特別なことはしていない。
スーパーに行って。
牛乳とパンを買って。
それだけ。
「……歳かな」
そう言ってみる。
でも、違う気がした。
こんな痛み、今までなかった。
台所にたどり着くと、流し台に手をついた。
冷たいステンレスの感触。
その冷たさが、妙にはっきり感じられる。
陽子は深く息を吐いた。
「今日は……変」
その日の昼。
痛みは消えなかった。
むしろ、少し強くなっていた。
背中。
腕。
膝。
体のあちこちが、じわじわと痛む。
ソファに座りながら、陽子はつぶやいた。
「これ……おかしい」
テレビでは昼のワイドショーが流れている。
芸能人が笑っている。
でも、その声が遠く感じる。
陽子はスマホを手に取った。
近所の内科の番号を探す。
しばらく画面を見つめてから、小さく言った。
「病院、行こう」
午後。
病院の待合室。
消毒液の匂いが鼻をつく。
蛍光灯の白い光が、やけに明るい。
椅子に座ると、背中がじんと痛んだ。
隣で子どもが咳をしている。
受付の人が名前を呼ぶ。
「山本さーん」
陽子はゆっくり立ち上がった。
診察室のドアを開ける。
医師がカルテを見ながら顔を上げた。
「どうしました?」
陽子は椅子に座りながら言った。
「朝起きたら……」
少し息を吸う。
「体が全部痛いんです」
医師は眉を少し動かした。
「全部?」
「はい」
陽子は腕をさする。
「肩も、背中も、足も」
「指も動きにくくて」
医師はペンを動かしながら聞いた。
「いつからですか?」
「今朝です」
「発熱は?」
「ありません」
「転んだりは?」
「してません」
医師は少し考え込んだ。
「ちょっと触りますね」
肩を押される。
「痛いですか?」
「……はい」
背中。
「ここは?」
「痛いです」
膝。
「どうです?」
「そこも」
医師は軽く息を吐いた。
「うーん」
陽子は不安になって聞いた。
「なにか……悪い病気ですか?」
医師はゆっくり言った。
「検査をしてみないと断定はできませんが」
少し間を置く。
「線維筋痛症かもしれません」
「……え?」
聞き慣れない言葉だった。
「線維……なんですか?」
医師は言った。
「線維筋痛症です」
カルテを見ながら説明する。
「原因ははっきり分かっていないんですが」
「全身に慢性的な痛みが出る病気です」
陽子は瞬きをした。
「慢性的……?」
「はい」
医師は続けた。
「長く続く痛みですね」
「疲労感や、体のこわばりも出ます」
陽子は小さく笑った。
「それ……全部あります」
医師は静かにうなずいた。
「そうですね」
部屋が静かになる。
外で誰かが歩く足音が聞こえる。
陽子はゆっくり聞いた。
「治るんですか?」
医師は少し言葉を選んだ。
「完全に治すのは難しい場合もあります」
「でも薬で痛みを和らげたり」
「生活を調整したりできます」
陽子はしばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「働けますか?」
医師は目を上げた。
「仕事ですか?」
「はい」
陽子は笑ってみせた。
「まだ働こうと思ってたんです」
「年金だけじゃ……」
医師は優しい声で言った。
「無理はしない方がいいでしょう」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
無理はしない。
診察室を出ると、消毒液の匂いがまた鼻に届いた。
陽子はゆっくり歩きながら、小さくつぶやいた。
「……無理しないって」
少し笑う。
「今まで、無理して生きてきたのにね」
朝だった。
まだ薄暗い部屋の中で、陽子はゆっくり目を開けた。
カーテンのすき間から、灰色の光が畳の上に細く落ちている。
外では、ゴミ収集車のエンジンが低く唸っていた。金属がぶつかるガタンという音が遠くで響く。
陽子は、布団の中で小さく息をついた。
「……寒い」
そうつぶやいて、体を起こそうとした。
その瞬間だった。
「……っ!」
背中の奥に、鋭い痛みが走った。
まるで、体の内側に細い針を何本も差し込まれたような痛み。
「なに……これ」
声がかすれる。
腕を動かそうとする。
肩が痛い。
太ももが痛い。
腰が痛い。
全身が、ぎしぎしと軋む。
「ちょっと待って……」
ゆっくり手を動かそうとする。
しかし、指がうまく曲がらない。
「……え?」
指先がこわばっている。
まるで冷たい水の中に長く浸けていたように、感覚が鈍い。
「なんで……」
陽子は布団の上でじっとした。
心臓がどくどくと音を立てる。
しばらくして、ゆっくり足を床に下ろす。
畳の冷たさが足の裏に伝わる。
立とうとした。
「……っ」
体が重い。
信じられないほど重い。
まるで、背中に石を背負っているようだった。
「どうしたのよ、私」
声が少し震える。
台所へ行こうと一歩踏み出す。
膝がぎくりと痛む。
二歩目。
肩の奥がずきんとする。
三歩目。
体のあちこちが悲鳴をあげている。
「昨日、なにかした?」
思い出そうとする。
特別なことはしていない。
スーパーに行って。
牛乳とパンを買って。
それだけ。
「……歳かな」
そう言ってみる。
でも、違う気がした。
こんな痛み、今までなかった。
台所にたどり着くと、流し台に手をついた。
冷たいステンレスの感触。
その冷たさが、妙にはっきり感じられる。
陽子は深く息を吐いた。
「今日は……変」
その日の昼。
痛みは消えなかった。
むしろ、少し強くなっていた。
背中。
腕。
膝。
体のあちこちが、じわじわと痛む。
ソファに座りながら、陽子はつぶやいた。
「これ……おかしい」
テレビでは昼のワイドショーが流れている。
芸能人が笑っている。
でも、その声が遠く感じる。
陽子はスマホを手に取った。
近所の内科の番号を探す。
しばらく画面を見つめてから、小さく言った。
「病院、行こう」
午後。
病院の待合室。
消毒液の匂いが鼻をつく。
蛍光灯の白い光が、やけに明るい。
椅子に座ると、背中がじんと痛んだ。
隣で子どもが咳をしている。
受付の人が名前を呼ぶ。
「山本さーん」
陽子はゆっくり立ち上がった。
診察室のドアを開ける。
医師がカルテを見ながら顔を上げた。
「どうしました?」
陽子は椅子に座りながら言った。
「朝起きたら……」
少し息を吸う。
「体が全部痛いんです」
医師は眉を少し動かした。
「全部?」
「はい」
陽子は腕をさする。
「肩も、背中も、足も」
「指も動きにくくて」
医師はペンを動かしながら聞いた。
「いつからですか?」
「今朝です」
「発熱は?」
「ありません」
「転んだりは?」
「してません」
医師は少し考え込んだ。
「ちょっと触りますね」
肩を押される。
「痛いですか?」
「……はい」
背中。
「ここは?」
「痛いです」
膝。
「どうです?」
「そこも」
医師は軽く息を吐いた。
「うーん」
陽子は不安になって聞いた。
「なにか……悪い病気ですか?」
医師はゆっくり言った。
「検査をしてみないと断定はできませんが」
少し間を置く。
「線維筋痛症かもしれません」
「……え?」
聞き慣れない言葉だった。
「線維……なんですか?」
医師は言った。
「線維筋痛症です」
カルテを見ながら説明する。
「原因ははっきり分かっていないんですが」
「全身に慢性的な痛みが出る病気です」
陽子は瞬きをした。
「慢性的……?」
「はい」
医師は続けた。
「長く続く痛みですね」
「疲労感や、体のこわばりも出ます」
陽子は小さく笑った。
「それ……全部あります」
医師は静かにうなずいた。
「そうですね」
部屋が静かになる。
外で誰かが歩く足音が聞こえる。
陽子はゆっくり聞いた。
「治るんですか?」
医師は少し言葉を選んだ。
「完全に治すのは難しい場合もあります」
「でも薬で痛みを和らげたり」
「生活を調整したりできます」
陽子はしばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「働けますか?」
医師は目を上げた。
「仕事ですか?」
「はい」
陽子は笑ってみせた。
「まだ働こうと思ってたんです」
「年金だけじゃ……」
医師は優しい声で言った。
「無理はしない方がいいでしょう」
その言葉が、静かに胸に落ちた。
無理はしない。
診察室を出ると、消毒液の匂いがまた鼻に届いた。
陽子はゆっくり歩きながら、小さくつぶやいた。
「……無理しないって」
少し笑う。
「今まで、無理して生きてきたのにね」
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