『年金15万円と線維筋痛症 ― 動けない老後』

かおるこ

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第8話 友人の生活保護

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 第8話 友人の生活保護

春の午後だった。

商店街の小さな喫茶店。
ドアを開けると、コーヒーの苦い香りと、焼きたてのトーストの甘い匂いがふわっと鼻に広がった。

「いらっしゃい」

カウンターの向こうで店主が言う。

陽子はゆっくり店の奥へ歩いた。椅子を引くと、木がきしむ小さな音がした。

「陽子!」

先に座っていた女性が手を振る。

同級生の恵子だった。

短く切った髪に、丸い眼鏡。昔より少しふっくらした顔で、笑うと目尻に深いしわが寄る。

「久しぶり」

陽子は笑った。

「ほんと久しぶり」

席に座ると、背中が少しじんと痛んだ。

恵子が言う。

「元気そうじゃない」

陽子は苦笑した。

「見た目だけね」

「どうしたの?」

「線維筋痛症って言われた」

恵子の目が丸くなる。

「えっ」

「体中痛いの」

陽子は肩をさする。

「朝なんて特にね」

恵子は小さくうなずいた。

「そうなんだ……」

店員が水を持ってくる。グラスの水滴が指に冷たい。

陽子は一口飲んだ。

喉を冷たい水が通っていく。

「恵子は?」

陽子が聞く。

「どうしてるの?」

恵子は少し肩をすくめた。

「私?」

「うん」

恵子は少し笑った。

「私ね」

少し間を置く。

「生活保護受けてる」

陽子は一瞬、言葉が出なかった。

「……え?」

恵子はあっさり言う。

「二年前から」

陽子は思わず聞き返した。

「生活保護?」

「うん」

「ほんと?」

恵子はうなずいた。

「腰壊してね」

「仕事続けられなくて」

コーヒーが運ばれてきた。カップから湯気が立ち上る。

恵子は砂糖を入れながら言う。

「最初は抵抗あったよ」

「でもさ」

スプーンを回す音がカチャカチャと響く。

「生活できなかったんだもん」

陽子は黙って聞いていた。

恵子が言う。

「今は月に十三万くらい」

陽子は顔を上げた。

「十三万?」

「うん」

「それに家賃は別」

陽子は思わず聞く。

「家賃別?」

「うん」

恵子はコーヒーを一口飲んだ。

「住宅扶助っていうの」

「家賃補助」

「私のアパート、ほぼそれで出てる」

陽子の手が止まった。

「え……」

恵子は続ける。

「それと医療費ね」

「病院?」

「全部無料」

陽子はカップを持ったまま固まった。

「無料?」

「うん」

恵子は笑う。

「薬もね」

店の外で自転車が通り過ぎる。ベルの音がチリンと鳴った。

陽子はゆっくり言った。

「ちょっと待って」

恵子を見る。

「月十三万?」

「うん」

「家賃補助?」

「うん」

「医療費無料?」

恵子はうなずいた。

「そう」

陽子はカップをテーブルに置いた。

陶器がコトンと鳴る。

頭の中で計算が始まる。

自分の年金。

手取り。

十三万円。

そこから。

家賃五万八千円。

医療費。

薬代。

光熱費。

陽子はぽつりと言った。

「……あれ?」

恵子が首をかしげる。

「どうしたの?」

陽子は苦笑した。

「私より条件いいじゃない」

恵子は一瞬、黙った。

それから小さく笑った。

「そうかもね」

陽子は言った。

「私、年金十三万」

「そこから家賃」

「そこから薬代」

恵子は驚いた顔をした。

「えっ」

「医療費かかるの?」

陽子は肩をすくめた。

「もちろん」

「リリカとかトラムセットとか」

「薬だけで月一万」

恵子は思わず言った。

「高い!」

陽子は笑う。

「でしょ」

恵子はコーヒーを見つめながら言った。

「なんか変だよね」

陽子も小さく笑った。

「変よね」

店の外で風が吹く。

ドアのベルがチリンと鳴る。

陽子は窓の外を見た。

春の光が、道路にやわらかく落ちている。

子どもが走っている。

平和な午後。

陽子は静かに言った。

「私」

恵子を見る。

「ずっと働いてきたのよ」

恵子はうなずく。

「知ってる」

陽子は続ける。

「男の人と同じように」

「時にはそれ以上に」

少し笑う。

「それで今」

カップを見つめる。

「生活保護よりきつい」

恵子は黙っていた。

それから小さく言った。

「陽子」

「うん?」

「制度ってさ」

少し笑う。

「たまに変だよね」

陽子は窓の外の空を見た。

青い空。

白い雲。

そして静かに言った。

「ほんとね」

コーヒーの苦い香りが、静かに二人の間に漂っていた。

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