『年金15万円と線維筋痛症 ― 動けない老後』

かおるこ

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第14話 月と河津桜のピント 2

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第14話 月と河津桜のピント 2

夜の川沿いは静かだった。

昼間は人でいっぱいの遊歩道も、今はほとんど誰もいない。
遠くで車が走る低い音と、川の水がさらさら流れる音だけが聞こえている。

陽子は自転車を止めた。

「ここ、いいじゃない」

小さく言う。

河津桜の枝が、夜の空に広がっている。
桃色の花が街灯に照らされて、やわらかく光っていた。

そしてその向こうに、月。

丸い。

でも少しだけ欠けている。

「十六夜かな」

空を見上げて言う。

「それとも十七夜?」

少し笑う。

「まあどっちでもいいか」

スマホを取り出す。

カメラを開く。

「よし」

桜の枝と月が、ちょうど重なる。

「これはいい構図」

そう言って画面をのぞき込む。

ピントを月に合わせる。

カシャ。

画面を確認する。

「……あれ?」

眉をひそめる。

「桜ぼやけてる」

もう一度。

今度は河津桜にピント。

カシャ。

確認する。

「……今度は月がぼやけた」

思わず吹き出した。

「ちょっと待ってよ」

もう一回。

月。

カシャ。

桜ぼやける。

桜。

カシャ。

月ぼやける。

陽子はスマホを見つめたまま言った。

「どっちかしか合わないの?」

桜の花びらが風で揺れる。

甘い匂いが、ほんのり漂う。

夜の空気は少し暖かい。

川の水が、さらさら流れている。

陽子は空を見上げた。

「月にピント合わせると」

桜を見る。

「河津桜がぼやける」

スマホを下げる。

「河津桜にピント合わせると」

月を見る。

「月がぼやける」

少し考える。

それから、ふっと笑った。

「……とかくこの世は住みにくい」

声に出して言う。

「ほんとね」

そのとき後ろから声がした。

「写真ですか?」

振り向くと、犬を散歩しているおじさんだった。

陽子はスマホを見せる。

「月と河津桜」

おじさんは空を見上げる。

「おお、きれいだね」

「でしょう?」

陽子は笑う。

「でもうまく撮れないの」

「なんで?」

陽子は言う。

「月にピント合わせると桜ぼやけるの」

「桜に合わせると月がぼやける」

おじさんは少し笑った。

「ああ」

「人生みたいだね」

陽子は目を丸くした。

「やっぱり?」

おじさんはうなずく。

「両方うまくいくことって、なかなかないから」

陽子は空を見た。

月。

桜。

夜の風。

川の音。

「ほんとね」

小さく言う。

「月を取ろうとすると桜がぼやける」

「桜を取ろうとすると月がぼやける」

少し笑う。

「どっちも欲しいのに」

おじさんは犬のリードを引きながら言った。

「まあでも」

「どっちもきれいならいいじゃない」

陽子はスマホをもう一度構えた。

カシャ。

写真を見る。

月は少しぼやけている。

桜も少しぼやけている。

でも。

悪くない。

「いいじゃない」

陽子は笑った。

「完璧じゃなくても」

空を見上げる。

「きれいだから」

自転車のハンドルを握る。

冷たい金属の感触。

でも体はまだ動く。

ちゃんと乗れる。

ここまで走ってきた。

夜風を切って。

陽子は空に向かって言った。

「こんばんは」

少し笑う。

「今夜も月がきれいです」

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