『年金15万円と線維筋痛症 ― 動けない老後』

かおるこ

文字の大きさ
14 / 18

第13話 月と河津桜のピント

しおりを挟む


第13話 月と河津桜のピント

夜の川沿いは静かだった。

昼間は人でにぎわう遊歩道も、今はほとんど誰もいない。
河津桜が、街灯の光を受けて淡い桃色に浮かび上がっている。

陽子は自転車を止めた。

「ここだ」

小さくつぶやく。

川の水がさらさら流れている。
春の夜の空気は、ほんのり暖かくて、桜の甘い匂いが漂っていた。

空を見上げる。

黒い空の中に、月がぽつんと浮かんでいる。

丸い。

でも、ほんの少し欠けている。

「十六夜かな」

陽子は笑う。

「それとも十七夜?」

スマホを取り出す。

カメラを開く。

「よし」

河津桜の枝の向こうに、月がちょうど見える。

「これはいい構図」

そう言って、画面をのぞき込む。

ピントを月に合わせる。

カシャ。

写真を確認する。

「……あれ?」

眉をひそめる。

「桜ぼやけてる」

もう一度撮る。

今度は河津桜にピントを合わせる。

カシャ。

確認する。

「……今度は月がぼやけた」

陽子は思わず笑った。

「なにこれ」

もう一度やる。

月。

カシャ。

桜ぼやける。

桜。

カシャ。

月ぼやける。

「どっちかしか合わないの?」

スマホを見ながら言う。

「ちょっと待ってよ」

桜の枝が風で揺れる。

花びらが一枚、ふわりと落ちた。

川の水面に落ちて、ゆっくり流れていく。

陽子は空を見上げた。

「月にピント合わせると」

桜を見る。

「河津桜がぼやける」

スマホを下げる。

「河津桜にピント合わせると」

また空を見る。

「月がぼやける」

少し考える。

それから笑った。

「……とかくこの世は住みにくい」

声に出して言う。

「ほんとだわ」

そのとき、後ろから声がした。

「写真ですか?」

振り向く。

若い男の人が、カメラを首から下げて立っていた。

陽子はスマホを見せる。

「月と桜」

男の人は空を見上げた。

「いいですね」

「でも」

陽子は笑う。

「うまく撮れないの」

「どうしてですか?」

陽子は言った。

「月にピント合わせると桜がぼやけるの」

「桜に合わせると月がぼやける」

男の人は少し笑った。

「ああ」

「それ、よくあります」

「やっぱり?」

「はい」

男の人は空を見ながら言った。

「どっちかしか合わないんですよね」

陽子は笑う。

「人生みたい」

男の人は少し驚いた顔をした。

「人生?」

陽子は肩をすくめた。

「そうよ」

「月を取ろうとすると桜がぼやける」

「桜を取ろうとすると月がぼやける」

少し笑う。

「どっちも欲しいのに」

男の人も笑った。

「確かに」

しばらく二人で空を見た。

月は静かに光っている。

河津桜は風に揺れている。

川の音。

夜の匂い。

陽子はスマホをもう一度構えた。

「まあいいや」

カシャ。

今度は少しぼやけた写真だった。

でも、悪くない。

「どうですか?」

男の人が聞く。

陽子は画面を見て笑った。

「いいの」

「完璧じゃなくても」

空を見上げる。

「きれいだから」

男の人はうなずいた。

「そうですね」

陽子は自転車のハンドルを握った。

冷たい金属の感触。

でも、体はまだ動く。

ちゃんと乗れる。

「じゃ」

陽子は言った。

「帰ろうかな」

男の人が言う。

「いい写真撮れました?」

陽子は笑った。

「うん」

少し考えてから言う。

「月も桜も、両方ぼやけてるけどね」

そして空に向かって、静かにつぶやいた。

「こんばんは」

少し笑う。

「今夜も月がきれいです」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】英雄様、婚約破棄なさるなら我々もこれにて失礼いたします。

ファンタジー
「婚約者であるニーナと誓いの破棄を望みます。あの女は何もせずのうのうと暮らしていた役立たずだ」 実力主義者のホリックは魔王討伐戦を終結させた褒美として国王に直談判する。どうやら戦争中も優雅に暮らしていたニーナを嫌っており、しかも戦地で出会った聖女との結婚を望んでいた。英雄となった自分に酔いしれる彼の元に、それまで苦楽を共にした仲間たちが寄ってきて…… 「「「ならば我々も失礼させてもらいましょう」」」 信頼していた部下たちは唐突にホリックの元を去っていった。 微ざまぁあり。

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

処理中です...