私は弟のために生まれたんじゃない 〜「お姉ちゃんなんだから」と人生を搾取された私、弁護士になったのでクズ家族に返還請求します〜

かおるこ

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第6話 壊される希望

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第6話 壊される希望

夜は静かだった。

家の中も、めずらしく静かだった。
居間のテレビは消えている。駿はまだ帰っていないらしい。父もいない。

紬は自分の部屋の机に向かっていた。

机の上にはノートと分厚い本。
六法全書と、法律の入門書。

小さな蛍光灯の光が、ページの文字を白く照らしている。

紬はペンを動かした。

「連帯保証人は……」

小さくつぶやく。

「主債務者と同じ責任を負う」

ノートに書き写す。

ペン先が紙をこする音だけが、部屋に響く。

胸の奥に、静かな集中があった。

疲れているはずなのに、不思議と眠くない。

法律の条文を追っているときだけ、頭の中がはっきりする。

知らない言葉。
知らない仕組み。

でも、その一つ一つが、自分を守る道具になる気がした。

紬はページをめくる。

紙の匂いがした。

そのときだった。

廊下でドアが開く音。

「ただいまー」

駿の声。

紬の手が止まる。

少しだけ耳を澄ます。

足音が近づく。

台所の冷蔵庫が開く音。

缶を開ける音。

「ぷはー」

駿が笑う。

紬はまた本を見た。

集中しようとする。

でも胸の奥が少しざわつく。

そのとき、ドアが開いた。

「……なにやってんの?」

紬は顔を上げた。

駿がドアのところに立っている。

手にはビールの缶。

酔っているのか、顔が少し赤い。

「勉強」

紬が答える。

駿は部屋を見回す。

机の上の本を見た。

「は?」

ゆっくり近づいてくる。

「なにそれ」

紬は言う。

「法律」

駿は本を手に取った。

分厚い本を持ち上げる。

「うわ、重」

ページをめくる。

「意味わかんね」

そして笑った。

「姉ちゃんさ」

紬を見る。

「弁護士にでもなるつもり?」

紬は答えなかった。

駿は鼻で笑う。

「無理だろ」

本を机に投げた。

鈍い音がした。

「姉ちゃんは働けばいいんだよ」

紬の胸の奥が少しだけ固くなる。

「それが役目だろ」

そのとき、母の声が廊下から聞こえた。

「駿?」

母が顔を出す。

「どうしたの」

駿が笑う。

「見てよ母さん」

本を持ち上げる。

「姉ちゃん、法律の勉強してる」

母の顔が変わった。

「え?」

部屋に入ってくる。

机の上の本を見る。

ノートを見る。

ペンを見る。

しばらく黙る。

それから言った。

「紬」

紬は母を見る。

母は本を指差した。

「これなに」

「勉強」

紬は言った。

母の声が少し低くなる。

「なんの」

紬は答える。

「法律」

沈黙が落ちた。

母は笑った。

でもその笑いは冷たかった。

「女が法律なんて」

紬の胸が少しだけ痛む。

母は本を持ち上げた。

「そんなもの必要ないわ」

紬が言う。

「必要」

母は首を振る。

「必要なのは」

本を机に叩きつける。

「働くこと」

駿が笑う。

「そうそう」

母は言う。

「紬はお姉ちゃんでしょう」

その言葉がまた落ちる。

「駿を支えるのが役目なの」

紬は小さく言った。

「私の人生は」

母の目が鋭くなる。

「なに?」

紬は少しだけ震えた。

でも言った。

「私のもの」

その瞬間、母の手が本を掴んだ。

「ふざけないで」

強い声だった。

母は部屋を出る。

「母さん?」

駿がついていく。

紬も立ち上がる。

廊下を走る。

玄関を出る。

夜の空気が冷たい。

母は庭に立っていた。

手には本。

「母さん!」

紬が叫ぶ。

母は振り向いた。

「こんなもの」

ライターを取り出す。

火がつく。

小さな炎。

紬の心臓が跳ねる。

「やめて!」

母は本に火を近づけた。

紙が焦げる匂いがする。

黒く変わるページ。

炎が広がる。

「やめて!」

紬が叫ぶ。

でも母は言った。

「余計なことを考えるから」

ページが燃える。

ぱちぱちと音がする。

夜の空気に紙の焼ける匂いが広がる。

駿が笑う。

「うわ、燃えてる」

紬は立ち尽くした。

火は本を飲み込んでいく。

条文。

言葉。

知識。

全部、黒く変わっていく。

父が帰ってくる。

「なんだ騒ぎは」

母が言う。

「紬が変なことを始めたの」

父は紬を見る。

「なんだ」

紬は答えない。

母が言う。

「法律の勉強ですって」

父は眉をしかめる。

「余計なことするな」

紬の胸が痛む。

父は続けた。

「お前は働けばいい」

駿が言う。

「そうそう」

笑う。

「姉ちゃんはそれでいいんだよ」

庭の火は小さくなっていく。

燃えた紙が灰になる。

風が吹く。

灰が夜に舞う。

紬はそれを見ていた。

胸の奥が空っぽになる。

でも。

完全には消えなかった。

紬はゆっくり言った。

「……また買う」

母が振り向く。

「なに?」

紬は言った。

「また勉強する」

声は小さい。

でも止まらない。

「何回でも」

父が怒鳴る。

「いい加減にしろ!」

紬は父を見た。

そして静かに言った。

「やめない」

夜の空気が冷たい。

灰の匂いが残る。

でも紬の胸の奥には、まだ小さな火が残っていた。

消えていなかった。

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