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第2話「インフルエンサー失格」
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第2話「インフルエンサー失格」
朝は、残酷なくらい澄んでいた。
水平線の向こうから昇る太陽が、海を銀色に裂いていく。波は穏やかで、鳥が一羽、低く鳴いた。美しい。昨日と同じ、絵葉書みたいな光景。
なのに喉は、砂を詰め込まれたみたいに乾いていた。
「……水、あと何本?」
ナナの声がひび割れている。唇は白く粉を吹き、口紅は昨日の赤がにじんで、乾いた血みたいな色になっていた。
ケンジがクーラーボックスを覗き込む。
「六本」
「七人で?」
「……うん」
沈黙。潮の匂いが鼻の奥に刺さる。太陽はまだ低いのに、肌がじりじりと焼ける。Tシャツの背中がもう湿っている。
リナはスマホを握っていた。黒い画面。何度も電源ボタンを押す。反応はない。
「お願い、ついて」
押す。長押し。無音。
「……充電、ゼロ」
声が震える。
「私のも」
「俺もだ」
YouTuberのユウタが笑おうとするが、喉が鳴るだけだ。
「まあでもさ、今日には迎え来るって。三日って言ってたけど、さすがに冗談でしょ」
「冗談で三日も置き去りにする?」
リナの目が鋭くなる。
「フォロワーにDM送れたら一発なのに」
「圏外だって昨日から言ってんじゃん」
「だから何とかならないのって言ってんの!」
声が跳ねる。空気がぴりつく。
テントの外に出ると、砂がすでに熱い。足の裏がひりつく。海風はあるが、生ぬるい。救いにならない。
ユウタがサバ缶を手に取る。
「とりあえず食う?」
「朝から?」
「食べないと体力持たないでしょ」
缶を開ける。金属がきしむ音。ぷしゅ、と油の匂いが広がる。魚の生臭さが、潮の匂いと混ざってむせる。
「うわ……」
ナナが顔を背ける。
「こんなの食べたことない」
「は?」
ユウタが睨む。
「じゃあ食うなよ」
「そういう言い方なくない?」
リナが水のボトルを抱え込むように持つ。
「水は分けるからね。勝手に飲まないで」
「は?俺が勝手に飲むみたいな言い方やめてくれる?」
「昨日、あんた二本飲んだよね?」
「暑かったんだよ!」
「みんな暑いわ!」
声がぶつかる。鼓膜が震える。心臓の鼓動が早くなる。喉がさらに渇く。
ケンジが割って入る。
「落ち着けって。揉めても水増えない」
「じゃあどうすんの?」
「分配決めよう。一本を七人で分ける。朝と夕方」
「無理でしょそれ」
ユウタが鼻で笑う。
「モデル様は一口で満足できんの?」
その言葉に、リナの顔色が変わる。
「何それ」
「だって昨日もさ、あんた“顔むくむから塩分控えたい”とか言ってサンドイッチ半分しか食ってなかったじゃん」
「だから?」
「今もどうせ自分優先だろ」
「は?」
一歩、近づく。砂がきしむ。
「私、優先なんてしてない」
「してるよ。ずっとしてきたじゃん」
ユウタの目が細くなる。
「コラボの時も、再生数伸びたら“私のおかげ”って言ってたよな」
「それ今関係ある?」
「あるだろ。今だって“私のフォロワーが”って言ってたじゃん」
「それは助かる方法の話でしょ!」
声が裏返る。
空気が熱い。頭がくらくらする。太陽が真上に上がってきている。
ナナが小さく言う。
「やめなよ……」
「やめない」
ユウタがリナの手から水を奪おうとする。
「ちょっと!」
ボトルが砂に落ちる。キャップが外れ、水がこぼれる。
透明な液体が、白い砂に吸い込まれていく。
「あ……」
全員が凍りつく。
しゅ、と音もなく、消える。
「……最悪」
ナナがしゃがみ込む。
「何してんの」
リナの目に涙が浮かぶ。
「返してよ」
「俺のせいだけじゃねえだろ!」
「触らなきゃよかったのに!」
「お前が煽るからだろ!」
喉が焼ける。胸が苦しい。怒りと焦りが混ざり合い、胃の奥がむかむかする。
ケンジが叫ぶ。
「もういい加減にしろ!」
静まり返る。
遠くで波が砕ける音。一定のリズム。まるで何も起きていないみたいに。
そのとき。
ブーン、という低い音が耳に触れた。
最初は、風かと思った。
でも違う。
機械音。
「……何?」
ナナが空を見上げる。
太陽のまぶしさの中、黒い点が一つ。
それはゆっくりと、円を描いていた。
ブーン。
近づく。
小型のドローン。
「え、ちょっと」
ユウタが立ち上がる。
「マジで?」
ドローンは彼らの頭上を旋回する。カメラ部分が、こちらを向いている。
レンズが、ぎらりと光る。
リナの背中に冷たいものが走る。
「……撮られてる?」
ケンジが呟く。
「誰が」
ブーン、ブーン。
一定の距離を保ち、島をなぞるように飛ぶ。
ユウタが叫ぶ。
「おい!ふざけんなよ!これ企画なんだろ!?」
返事はない。
波の音。機械の羽音。
ナナが震える声で言う。
「誰かが見てる」
その言葉が、空気を重くする。
リナは無意識に髪を整えかけて、止めた。
もう画面はない。フィルターもない。
あるのは、焼ける肌と、乾いた喉と、むき出しの顔。
ドローンはゆっくりと高度を上げる。
太陽の中に溶ける。
音が遠ざかる。
静寂。
胸の奥がざわつく。
「……これ、ただの放置じゃない」
ケンジが言う。
「見世物だ」
誰も笑わない。
インフルエンサーたちは、初めて理解する。
フォロワーも、いいねも、バズもない場所で。
彼らはただの——
喉を鳴らす、生身の人間だった。
朝は、残酷なくらい澄んでいた。
水平線の向こうから昇る太陽が、海を銀色に裂いていく。波は穏やかで、鳥が一羽、低く鳴いた。美しい。昨日と同じ、絵葉書みたいな光景。
なのに喉は、砂を詰め込まれたみたいに乾いていた。
「……水、あと何本?」
ナナの声がひび割れている。唇は白く粉を吹き、口紅は昨日の赤がにじんで、乾いた血みたいな色になっていた。
ケンジがクーラーボックスを覗き込む。
「六本」
「七人で?」
「……うん」
沈黙。潮の匂いが鼻の奥に刺さる。太陽はまだ低いのに、肌がじりじりと焼ける。Tシャツの背中がもう湿っている。
リナはスマホを握っていた。黒い画面。何度も電源ボタンを押す。反応はない。
「お願い、ついて」
押す。長押し。無音。
「……充電、ゼロ」
声が震える。
「私のも」
「俺もだ」
YouTuberのユウタが笑おうとするが、喉が鳴るだけだ。
「まあでもさ、今日には迎え来るって。三日って言ってたけど、さすがに冗談でしょ」
「冗談で三日も置き去りにする?」
リナの目が鋭くなる。
「フォロワーにDM送れたら一発なのに」
「圏外だって昨日から言ってんじゃん」
「だから何とかならないのって言ってんの!」
声が跳ねる。空気がぴりつく。
テントの外に出ると、砂がすでに熱い。足の裏がひりつく。海風はあるが、生ぬるい。救いにならない。
ユウタがサバ缶を手に取る。
「とりあえず食う?」
「朝から?」
「食べないと体力持たないでしょ」
缶を開ける。金属がきしむ音。ぷしゅ、と油の匂いが広がる。魚の生臭さが、潮の匂いと混ざってむせる。
「うわ……」
ナナが顔を背ける。
「こんなの食べたことない」
「は?」
ユウタが睨む。
「じゃあ食うなよ」
「そういう言い方なくない?」
リナが水のボトルを抱え込むように持つ。
「水は分けるからね。勝手に飲まないで」
「は?俺が勝手に飲むみたいな言い方やめてくれる?」
「昨日、あんた二本飲んだよね?」
「暑かったんだよ!」
「みんな暑いわ!」
声がぶつかる。鼓膜が震える。心臓の鼓動が早くなる。喉がさらに渇く。
ケンジが割って入る。
「落ち着けって。揉めても水増えない」
「じゃあどうすんの?」
「分配決めよう。一本を七人で分ける。朝と夕方」
「無理でしょそれ」
ユウタが鼻で笑う。
「モデル様は一口で満足できんの?」
その言葉に、リナの顔色が変わる。
「何それ」
「だって昨日もさ、あんた“顔むくむから塩分控えたい”とか言ってサンドイッチ半分しか食ってなかったじゃん」
「だから?」
「今もどうせ自分優先だろ」
「は?」
一歩、近づく。砂がきしむ。
「私、優先なんてしてない」
「してるよ。ずっとしてきたじゃん」
ユウタの目が細くなる。
「コラボの時も、再生数伸びたら“私のおかげ”って言ってたよな」
「それ今関係ある?」
「あるだろ。今だって“私のフォロワーが”って言ってたじゃん」
「それは助かる方法の話でしょ!」
声が裏返る。
空気が熱い。頭がくらくらする。太陽が真上に上がってきている。
ナナが小さく言う。
「やめなよ……」
「やめない」
ユウタがリナの手から水を奪おうとする。
「ちょっと!」
ボトルが砂に落ちる。キャップが外れ、水がこぼれる。
透明な液体が、白い砂に吸い込まれていく。
「あ……」
全員が凍りつく。
しゅ、と音もなく、消える。
「……最悪」
ナナがしゃがみ込む。
「何してんの」
リナの目に涙が浮かぶ。
「返してよ」
「俺のせいだけじゃねえだろ!」
「触らなきゃよかったのに!」
「お前が煽るからだろ!」
喉が焼ける。胸が苦しい。怒りと焦りが混ざり合い、胃の奥がむかむかする。
ケンジが叫ぶ。
「もういい加減にしろ!」
静まり返る。
遠くで波が砕ける音。一定のリズム。まるで何も起きていないみたいに。
そのとき。
ブーン、という低い音が耳に触れた。
最初は、風かと思った。
でも違う。
機械音。
「……何?」
ナナが空を見上げる。
太陽のまぶしさの中、黒い点が一つ。
それはゆっくりと、円を描いていた。
ブーン。
近づく。
小型のドローン。
「え、ちょっと」
ユウタが立ち上がる。
「マジで?」
ドローンは彼らの頭上を旋回する。カメラ部分が、こちらを向いている。
レンズが、ぎらりと光る。
リナの背中に冷たいものが走る。
「……撮られてる?」
ケンジが呟く。
「誰が」
ブーン、ブーン。
一定の距離を保ち、島をなぞるように飛ぶ。
ユウタが叫ぶ。
「おい!ふざけんなよ!これ企画なんだろ!?」
返事はない。
波の音。機械の羽音。
ナナが震える声で言う。
「誰かが見てる」
その言葉が、空気を重くする。
リナは無意識に髪を整えかけて、止めた。
もう画面はない。フィルターもない。
あるのは、焼ける肌と、乾いた喉と、むき出しの顔。
ドローンはゆっくりと高度を上げる。
太陽の中に溶ける。
音が遠ざかる。
静寂。
胸の奥がざわつく。
「……これ、ただの放置じゃない」
ケンジが言う。
「見世物だ」
誰も笑わない。
インフルエンサーたちは、初めて理解する。
フォロワーも、いいねも、バズもない場所で。
彼らはただの——
喉を鳴らす、生身の人間だった。
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