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第6話「差し押さえ」
第6話「差し押さえ」
振込予定日を三日過ぎても、入金はなかった。
通帳の記帳欄は、白いままだ。
美咲は深く息を吐く。
予想はしていた。
「払うわけないだろ」
あの声が蘇る。
スマートフォンを手に取り、弁護士へメッセージを送る。
《未払いです》
返信はすぐだった。
《では、強制執行に移ります》
強制執行。
その言葉は、冷たい刃物のように正確だ。
「やりますか?」
電話口の弁護士が確認する。
美咲は娘の寝顔を見る。
穏やかな呼吸。
小さな胸の上下。
「やります」
声は静かだった。
「躊躇は?」
「ありません」
「では、給与差し押さえを申立てます」
紙のめくれる音が、受話器越しに聞こえる。
「会社に命令が届きます」
美咲は目を閉じる。
「家庭の問題を会社に持ち込むな」
きっと彼は言うだろう。
けれど。
持ち込んだのは、彼だ。
義務を踏み倒した瞬間に。
***
数日後。
拓也は総務部長に呼び出された。
「柳沢君、少しいいか」
会議室のドアが閉まる。
空調の低い唸り。
総務部長の机の上には、封筒が一通。
白く、無機質な封筒。
「裁判所から命令が来ている」
拓也の喉がひくりと動く。
「……命令?」
「給与差押命令だ」
封筒が、机の上を滑る。
カサリ、と乾いた音。
「今月から、君の給与の一部を会社が控除し、奥様へ送金する」
心臓が強く打つ。
「ちょっと待ってください」
声が掠れる。
「それは……家庭の問題で」
「家庭の問題だ」
部長の声は低い。
「だが、裁判所命令は会社の問題だ」
静かだが、重い。
「家庭の問題を会社に持ち込むのは困る」
拓也の視界が、わずかに揺れる。
「……支払いはする予定でした」
「滞納があったから命令が出たのだろう」
部長は眼鏡を外す。
「柳沢君、君は管理職候補だ」
その言葉が、胸に刺さる。
「こういうトラブルは評価に響く」
評価。
その二文字が、脳内で反響する。
「社内処理は総務で行う」
淡々と告げられる宣告。
会議室を出ると、空気が違って感じた。
同僚の視線。
気のせいかもしれない。
だが、確かに重い。
デスクに戻ると、メールが一通届いていた。
件名:給与控除に関する社内処理
差出人:総務部
目が、そこから離れない。
マウスを持つ手が、汗ばむ。
クリック。
事務的な文章。
“裁判所の命令に基づき――”
その一文が、全てを物語る。
周囲のキーボードの音が、やけに大きい。
「部長、例の件ですか?」
部下の小さな声。
「え?」
「なんか、総務から回覧が……」
拓也の耳が熱くなる。
「仕事に集中しろ」
声が荒れる。
部下が目を逸らす。
その瞬間。
王様の椅子が、きしむ音がした気がした。
俺はエリートのはずだった。
大手商社。
年収一千五百万。
部下を率いる立場。
それなのに。
給与の一部が、自動的に差し引かれる。
自分の意思とは関係なく。
法によって。
数字によって。
月末。
給与明細を開く。
控除欄。
はっきりと記載された金額。
二十四万円。
その数字が、赤く浮かび上がるように見える。
「……くそ」
小さく吐き捨てる。
だが、誰も反応しない。
もう、王様の怒声は効かない。
***
その頃。
美咲の通帳には、振込記録が並ぶ。
差押送金。
確実に、毎月。
娘が笑いながら宿題をしている。
「ママ、見て」
ノートに書かれた文字。
拙いが、真っ直ぐ。
「上手になったね」
頭を撫でる。
振込欄の数字は、冷たい。
だがその先にあるのは、温かい生活。
電話が鳴る。
拓也だ。
「……やりやがったな」
低く、押し殺した声。
「滞納したから」
「会社にまで」
「命令は裁判所からよ」
静かに答える。
「俺の立場がどうなるかわかってるのか」
「あなたの立場は、あなたが守るもの」
一拍。
「私は、娘を守る」
沈黙。
呼吸音だけが聞こえる。
「……俺はエリートのはずだった」
その呟きは、怒りではなく、崩れかけた独白だった。
「そうね」
美咲は言う。
「でも、父親でもあるはずだった」
言葉は、静かだ。
だが揺るがない。
電話が切れる。
部屋には、娘の笑い声。
湯気の立つ夕飯。
削られたのは、王様の虚勢。
守られたのは、生活。
差し押さえは、罰ではない。
義務の回収。
数字が、ゆっくりと王冠を削っていく。
美咲は通帳を閉じる。
カチリ、と音がする。
静かな勝利の音だった。
振込予定日を三日過ぎても、入金はなかった。
通帳の記帳欄は、白いままだ。
美咲は深く息を吐く。
予想はしていた。
「払うわけないだろ」
あの声が蘇る。
スマートフォンを手に取り、弁護士へメッセージを送る。
《未払いです》
返信はすぐだった。
《では、強制執行に移ります》
強制執行。
その言葉は、冷たい刃物のように正確だ。
「やりますか?」
電話口の弁護士が確認する。
美咲は娘の寝顔を見る。
穏やかな呼吸。
小さな胸の上下。
「やります」
声は静かだった。
「躊躇は?」
「ありません」
「では、給与差し押さえを申立てます」
紙のめくれる音が、受話器越しに聞こえる。
「会社に命令が届きます」
美咲は目を閉じる。
「家庭の問題を会社に持ち込むな」
きっと彼は言うだろう。
けれど。
持ち込んだのは、彼だ。
義務を踏み倒した瞬間に。
***
数日後。
拓也は総務部長に呼び出された。
「柳沢君、少しいいか」
会議室のドアが閉まる。
空調の低い唸り。
総務部長の机の上には、封筒が一通。
白く、無機質な封筒。
「裁判所から命令が来ている」
拓也の喉がひくりと動く。
「……命令?」
「給与差押命令だ」
封筒が、机の上を滑る。
カサリ、と乾いた音。
「今月から、君の給与の一部を会社が控除し、奥様へ送金する」
心臓が強く打つ。
「ちょっと待ってください」
声が掠れる。
「それは……家庭の問題で」
「家庭の問題だ」
部長の声は低い。
「だが、裁判所命令は会社の問題だ」
静かだが、重い。
「家庭の問題を会社に持ち込むのは困る」
拓也の視界が、わずかに揺れる。
「……支払いはする予定でした」
「滞納があったから命令が出たのだろう」
部長は眼鏡を外す。
「柳沢君、君は管理職候補だ」
その言葉が、胸に刺さる。
「こういうトラブルは評価に響く」
評価。
その二文字が、脳内で反響する。
「社内処理は総務で行う」
淡々と告げられる宣告。
会議室を出ると、空気が違って感じた。
同僚の視線。
気のせいかもしれない。
だが、確かに重い。
デスクに戻ると、メールが一通届いていた。
件名:給与控除に関する社内処理
差出人:総務部
目が、そこから離れない。
マウスを持つ手が、汗ばむ。
クリック。
事務的な文章。
“裁判所の命令に基づき――”
その一文が、全てを物語る。
周囲のキーボードの音が、やけに大きい。
「部長、例の件ですか?」
部下の小さな声。
「え?」
「なんか、総務から回覧が……」
拓也の耳が熱くなる。
「仕事に集中しろ」
声が荒れる。
部下が目を逸らす。
その瞬間。
王様の椅子が、きしむ音がした気がした。
俺はエリートのはずだった。
大手商社。
年収一千五百万。
部下を率いる立場。
それなのに。
給与の一部が、自動的に差し引かれる。
自分の意思とは関係なく。
法によって。
数字によって。
月末。
給与明細を開く。
控除欄。
はっきりと記載された金額。
二十四万円。
その数字が、赤く浮かび上がるように見える。
「……くそ」
小さく吐き捨てる。
だが、誰も反応しない。
もう、王様の怒声は効かない。
***
その頃。
美咲の通帳には、振込記録が並ぶ。
差押送金。
確実に、毎月。
娘が笑いながら宿題をしている。
「ママ、見て」
ノートに書かれた文字。
拙いが、真っ直ぐ。
「上手になったね」
頭を撫でる。
振込欄の数字は、冷たい。
だがその先にあるのは、温かい生活。
電話が鳴る。
拓也だ。
「……やりやがったな」
低く、押し殺した声。
「滞納したから」
「会社にまで」
「命令は裁判所からよ」
静かに答える。
「俺の立場がどうなるかわかってるのか」
「あなたの立場は、あなたが守るもの」
一拍。
「私は、娘を守る」
沈黙。
呼吸音だけが聞こえる。
「……俺はエリートのはずだった」
その呟きは、怒りではなく、崩れかけた独白だった。
「そうね」
美咲は言う。
「でも、父親でもあるはずだった」
言葉は、静かだ。
だが揺るがない。
電話が切れる。
部屋には、娘の笑い声。
湯気の立つ夕飯。
削られたのは、王様の虚勢。
守られたのは、生活。
差し押さえは、罰ではない。
義務の回収。
数字が、ゆっくりと王冠を削っていく。
美咲は通帳を閉じる。
カチリ、と音がする。
静かな勝利の音だった。
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