シュレディンガーの竜

みらい

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6.籠の鳥

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夜が始まる。

 くすんだ煉瓦の家々が傾き、舗装もまばらな通り。
 雨に削られた泥がまだ残っている。光は鈍い。けれど、街は妙にーー賑やかだった。

 古びた服を身に纏った老若男女。
 広場の方から笑い声があがる。
 裾が破れたスカート。
 色褪せたシャツ。
 靴底の抜けたブーツ。

 誰もが何かしら綻びを抱えながら、それでも平気な顔で、道端の芸人に小銭を投げていた。

 骨組みが剥き出しになった屋台。
 油が切れたような匂いが漂う串焼き。
 ぬいぐるみのように膨らんだ犬がふらつく足取りで歩いている。
 サーカス団、見せ物小屋さえ幾多も連なる。

 無秩序。けれど、ここには生きている人間の音があった。

 ……帝都は逆だったな。

 擦り切れたアコーディオンの音色に誘われて、気づけば足が止まっていた。
 その隣で、小さな紙芝居が始まろうとしていた。



「むかしむかし、小さな白い鳥がおりました。声はどんな鈴よりも澄んでおりました」


 童話か、創作か。帝国のそれはわからないが、それを紙芝居としているのだろう。



「ある日、一匹の犬がその鳥を見つけました。『お前は特別だ。ここにいなさい。外は危ない』」


 ……俺は足を止めた。



「犬は籠を作り、餌を与え、撫で、毎日優しく囁きました。
『かわいいね、きれいだね、お前は誰にも渡さない』」

「……」

「最初、鳥は喜びました。けれど、だんだん、気づいていきました。籠の外には、風がありました。花が揺れていました。
 野ウサギが跳ね、リスが木を登り、雲が流れていました。

『あれは、なに? どこへ行くの? 私も、行ける?』

 そう言って、鳥は翼を広げました。でも、籠は開きませんでした。

『あなたのためだ』犬は言いました。
『ここにいれば、何も怖くない。傷つくことも、泣くこともない』」

「かわいそう……」

口々に子供がそう言っているのが聞こえてきた。


「鳥はもう歌いませんでした。翼の先から、羽が抜けていきました。世界が灰色になりました」


 気づけば、人だかりができていた。
 帝国では有名な童話なのだろう。



「犬は困りました。『こんなにも愛しているのに、なぜ……?』
 鳥は、静かに言いました。
『ありがとう。でも……私は、風を知らずに死ぬのが、怖いの』」


 子どもたちが静かになった。
 聞き入っている。
 俺も、聞き入っていた。

 ……何かを、確かめたかったから。
 違うと思いたかったから。



「鳥は、傷ついても、進み、自ら檻を抜けていきました。鳥は、羽ばたいて、空を、風を、涙を知りました。
 けれどーー
 戻ってきたとき、犬の姿は、もうありませんでした。
 鳥は、籠の中に、一枚だけ羽を置きました。それが、ありがとうの代わりでした。」



 最後の絵は、空に舞う一枚の羽だった。

「ーーおしまい」


 拍手が鳴り響く。
 しばらく、立ち尽くしてしまった。
 まさか。

 俺は……
 同じことを、あの子に。
 セレスタに?

 いや、他のものから見たら……檻、なのか?
 そんなはずはない。

 傷つかないように。
 壊れてしまわないように。
 襲われないように。

 ……守っていた。
 守っていた、はずだった。

 檻じゃない。
 違う。

 そう、思いたいだけなのかもしれないのに。
 勝手に傷つかないようにと。
 勝手に守っていた。



「はぁ……」



 胸が焼けるように痛い。
 深呼吸する。

 ーー違う。





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