星祭り

じゅしふぉん

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洗車雨(せんしゃう)

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牽牛は、鼻唄混じりで牛車を洗っていた。
「ピカピカの牛車で会いに行くからね」
明日は一年ぶりに織女に会える日。牽牛は朝からご機嫌で、牛車を洗う手はよく動く。
君を乗せて、どこに行こう──織女の喜ぶ顔を想像するだけで楽しい。

牛車を洗い終わったら、次はそれを引く牛だ。
一番足が丈夫で速い牛の体をきれいに洗い、ブラシをかけた。
「うまいか?」
朝一番で刈ってきた若草を、特別に食べさせる。食欲は旺盛で元気そうだ。機嫌もいい。
「日付が変わったら出発するから、頼むぞ」
耳の後ろをそっと撫でて、牽牛は牛小屋を出た。
着ていく服は、織女が去年織ってくれた布で仕立てた。シワにならないように掛けてある。土産は牛車に積み込んだ。
明日のための準備は、万端整っている。

「ふぅ…。少し、休むか」
牛を草地に放ち、平らな岩の上に座って体を伸ばした。空は晴れ、風は心地よい。流れる雲はどこまでも白く、輝いて見える。牽牛はその雲を眺め、織女を思う。

◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇

地上では昼過ぎから雨が降っていた。最近は降ればゲリラ豪雨な事が多いが、珍しく優しい雨だった。
「明日、七夕なのになぁ」
窓辺で空を見上げる少女が呟いた。
机の上には、たとう紙に包まれた新しい浴衣。祖母が縫ってくれた、紺地に華やかな花火の浴衣だ。
「七夕の前日に降る雨を洗車雨せんしゃうって言うのよ」
「せんしゃう?」
畳んだ洗濯物を持ってきた母親が言った。初めて聞く言葉だった。
「彦星が明日のために牛車を洗う水が落ちてきて雨になるの。だから洗車雨」
「洗車して雨降らせちゃうなんて、彦星、織姫に会うために一生懸命だね」
少女はクスッと笑った。
「一年ぶりに会うんだもの。気合いも入るわよ」
明日の天気が心配で、降っている雨が恨めしかったけど、少しだけ気持ちが晴れた。窓越しに、もう一度空を見上げる。
「明日、晴れるといいね」
少女は優しい笑みを浮かべ、空に向かって呟いた。

◇ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇

夕刻近く、牛たちを小屋に入れてひと息ついた。
いつもわがままで言うことを聞かない牛も、牽牛の気持ちを察しているのか、素直だった。明日一日の世話は頼んであるが、もしもの時のために餌入れと水入れはたっぷりと満たしておく。

出発の時刻まで、もうひと仕事だ。
着替えを済ませ、背筋を伸ばして気合いを入れる。文机に向かって丁寧に墨をすり、紙と筆を用意する。
嘆願書を出し続けて、何年経っただろうか…。未だ織女と犯した不労の罪は許されないでいる。

結婚して毎日が楽しくなった牽牛は、どうしても一日中織女と一緒に過ごしたくて、牛追いの仕事を怠けてしまった。
最初は一日だけのつもりだった。でも、楽しさを知った弱い心は快楽の沼へ落ちるのも早い。つられて、いつしか織女も機織りから遠退いてしまった。
「若かったなぁ…。今なら考えられない」
これが天帝の怒りに触れてしまい、二人は天の川を挟んで東と西に別れて置かれ、年に一度だけ会うことを許される身となってしまった。

『───── 牽牛』
天帝に宛ててしたためた書を懐に入れ、丁度良い時間となった事を確かめる。

空は晴れ、天の川を渡るのに不都合のない水嵩にホッとする。カササギが音もなく飛来して橋をかけてくれた。
「ありがとう。今年も頼むよ」
天帝宛ての書をかささぎに託し、礼を言った牽牛は織女の許へ向かう道のりを一歩踏み出した。
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