ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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トマークタスとディオルド




「教国とベルザイオは繋がりを持つこととなった」 

「ですが、ベルザイオ王家の血ではない。それに」 

『アリステリアは石女にしてから送り出す』 

 俺はロシェルに聞かれぬよう唇で伝える。 

「ふ…ん…グラン教国に対する懸念は…二十年はないか…いや…十年か…」 

「アリステリアに言い含めます」 

「なんて?」 

「…高貴な血筋ゆえに甘言が囁かれ惑わそうとする奴らが近づく…が…教会と貴族の間を取り持つ役目を担え…貴族らとも交流せよと…教会には自国の情勢に注視させたい」 

 欲する血筋を手に入れても、牽制する相手と親しくされては油断はできんだろう。だが、アリステリアを閉じ込めることは貴族の反感を買うから不可能。当分自国のことで手一杯だろう。 

「…ディオルド…アリステリアは愚かな娘だ…私は甘言に喜び浮き立つあの娘の姿が簡単に想像できる」 

「そこは教会が見張るでしょう。だが完璧ではない…のでアリステリアと共にミランダ・ジャーマン子爵令嬢をグラン教国へ送ります」 

「…不安しかないなぁ」 

「子爵を脅します」 

「…ほう」 

「…ジャーマン子爵は襲撃を知らなかったが…トールボットから金貨は受け取っていた」 

「…ほう」 

「あれだけの破落戸ごろつき…大人数…領境にいる誰かが違和感を覚えてもおかしくなく、それを報告していても不思議じゃない…その違和感に見て見ぬふりをしろ…と」 

「誰がそんなことを」 

「モラン」 

 陛下は顔を歪めた。 




 俺は昨夜、地下牢に向かった。正しくは礼拝堂だが。礼拝堂の奥の壁の隠し扉を開け、地下に繋がる扉を通り過ぎてモランがいる牢の上辺りまで行き、真っ黒な壁に向かった。奴は俺の足下にいる。 

「モラン」 

 モランはもう叫ぶことも泣くこともしなくなったと聞いていた。そろそろ死ぬだろう時に俺は来た。 

「モラン」 

「…ブリ…アー……」 

 かすかだがモランの声が聞こえた。 

「まだ生きていたか…しぶといな…」 

「トラ…ヴィス…様が…許さな…い…俺は…助かる」 

 不可能なことを当たり前のように呟く声を黙して聞く。 

「俺は…生きて…なん…とし…ても生き延び…ここから…」 

「牢に忍び込んだネズミを食いながら助けを待つのか?」 

 そんな臭いがする。 

「ケモノ以下に落ちたな、モラン」 

「だ…だま…れ…」 

「ここ数日、雨など降っていない。その意味は理解できるか?」 

「……な…にを…」 

「貴様の命を繋いだ水は意図したものだ」

 捕らえてから数日の間は、流している水に塩や砂糖を混ぜていた。こいつを生かすため、十分な情報を得るためだが… 

「もう水は流さない…この地下牢は当分使わん…貴様が骨になるまでな」 

「こんな…ことが…許さ…れ…と…でも…」

  「許される…俺はブリアールだ…許される…貴様は俺の妻に…怖い思いをさせたろ…ネズミを食らって精気を蓄えたか?…モラン…貴様に数百のネズミを…飢えたネズミを与えてやる」 

 餓死の恐怖に浸っていた時、ネズミの気配に葛藤したろうが飢えが勝った。貴様は尊厳を捨て恥辱を感じながら食らい、満たされていく腹に希望を持ったろう。だがその希望が貴様に痛みと絶望と死を与える。 

「や…いや…だ…やめてくれぇええ!」 

 モランは最後の力を振り絞ったように声を上げた。 

「貴様の未来はネズミの糞だ。似合いの死に様だろう?貴様は俺の想像以上に白状した。もういい…もう死ね」 

 モランの狂ったような叫び声を背後にしながら俺は牢から離れた。 




「奴はジャーマン子爵に金貨を渡した…無言で渡した…そう指示をされたと…そんなことをベラベラと話した…」 

「ふむ…」 

 陛下はソファに寝転びながら顎髭を撫でた。 

「子爵は知らなかった…だが…見逃した…俺にはそれだけで攻撃理由に値する」 

「子爵に言ったのか?」 

「少し前に手紙を送りました。意味のわからない金貨に戸惑い、破落戸の噂は自分まで届いていないと釈明の返事は来ましたが、俺は信じていない」 

 金貨五百…トールボットの紋章を見せながら男が置いていったあと子爵はそれを受け取り口を噤んだ。襲撃を耳にした瞬間、金貨五百が頭に浮かんだろうに、子爵は知らぬふりをした。 

「まあ、好きにしろ。子爵家など消えたっていい…あふ…替わりは…いくらでもいる」 

 陛下はあくびをしてピアノを弾くロシェルに顔を傾けた。 

「いい娘だ」 

「はい」 

「心配なほど純真だ」 

「はい」 

「欲にまみれた醜い内面を持つ女たちに辟易していたジェイが見つけたロシェル…ジェイ…あいつの…ロシェルに向ける…あいつの表情…眼差しは私でさえ初めて見るものだった」 

 陛下の視線はロシェルに向いているが、視界のなかには父上でもいるかのように穏やかな瞳をしていた。 

「大切な者の死は…人を無気力にする…国など民などどうでもいいと思う日もあるが…ベルザイオの利益になる考えが浮かぶと自然と計画を始める自分もいる…ああ…ジェイ…会いたいなぁ…ディオルドは似たところがなくてなぁ…」 

「…首都を離れるのですか?」 

「……いや…どこにいても私は一人だ…女々しく…ブリアール領地に滞在するのもジェイに怒られそうだろう?ロシェルを守れと言われたのだ…国王でなくても私はトマークタス・ベルザイオだ…あの娘の盾に…大きな盾になれる」 

「ロシェルには俺がいる」 

「ああ…だが…私は…悲しいかな健康体でなぁ…城でのんびり暮らす…しかない…暇なんだ」 

 陛下は自分の妃たちに自由を与え、王宮から出している。敏い妃は無言で早々に城を離れ、阿呆な妃は慰めたいという態度を見せ、そばを離れないと要らぬことをしている。だが今の陛下は政略など考えず、限られた者しかそばに寄せ付けない。ロシェルがその中の一人だが、俺が共にいなければ要らぬ噂が広まっていたろう。 

「…アプソの父親はグランルーツから流れてきた家系かもしれません」 

 ぼんやりとロシェルを見ていた陛下の視線が俺に移る。 

「なぜ?」 

「宵の天使」 

 曲名を口にしただけで陛下は理解したように軽く息を吐いた。 

「…ロシェルがパルースの前で弾いたか…そうか…宵の天使はあの男が…あの古びた楽譜…名はなかった…ふむ…なるほどなぁ…惹かれる運命だった…か…阿呆…ジェイを裏切ったアスクレピアとあの男に運命など似合わん」 

 陛下は母のことを未だに許せていないようだ。俺は求める相手を得て母の想いを理解した。止めがたい想いは確かにある。 

「…母の不義の証であるアプソをなぜ陛下は引き取ったのですか?」 

 アプソについて陛下と話したことがなかった。 

「ふん…アスクレピアの血…いつか役に立つ時がくると考えるだろう?まあ、今回はアリステリアが役に立つ結果になっただけだ。未来を予想し…幾筋も用意しておく…それは国王の役目だ…たとえ無駄となることでも…たとえ裏切られることになっても…殺すことは簡単だ…だが私には生かすことも簡単だった…利用価値のある不義の子…出生の理由を知ってもひねくれずに育った…レークランドのおかげだ」 

 細いつり目の異父弟の顔が浮かぶ。 

「人はだいたい不幸を持つ…誰しもがな…パルース…やつの人生も苦難なものだぞ…小さな村に生まれ、あの容姿…すぐに売られて…女装をさせられていた…と…どこまでが真実かわからんがな」 

 女装…だからあの言葉遣いか… 

「…あの男は長く奴の近くに?」 

「ああ…」 

「…犬と話はされたのですか?」 

「いや…パルースに紹介された時、視線を合わせただけだ」 

「話していない…?」 

「はは…ああ…犬…私が与えた役目…ジュード…あいつは昔、ジュリアンという名だった。不幸な奴でなぁ…アスクレピアの輿入れの話が具体化する頃だったなぁ…自分の父親を殺してなぁ…悪い父親だった…ジュリアンを殴り犯し弄んだ…」 

「なぜ…陛下がそれを」 

「…ジュリアンの家族は王宮の馬番だったからな」 

 そこで陛下と出会ったのか。

「馬番の仕事につくのはだいたい平民だが、奴の家門は没落してなぁ…まあ…よくある話だ」 

 陛下は体を起こし、のどが渇いたのかクランバーに合図を送り、グラスに水を注がせ口に含んで飲み込み、ロシェルの演奏に耳を傾けながら目蓋を閉じた。 

「……私はジュリアンを外へ逃がした…そして虚ろな瞳に役目を与えてみた…内偵が…できるならやってみろ…無理なら全てを忘れて生きていい…と…そうして数年後…奴から手紙が届いた…奴を逃がす手伝いをさせたレークランド男爵経由でな…ジュリアンが犬の始まりと言える」 

 レークランド…犬長… 

「途中で止めてもいい…だが…私を裏切るなとだけ伝えた…それから手紙が来ることはなかった…この間までな」 

「…奴の手紙が嘘かもしれないとは思わなかったのですか?」 

 陛下は顎髭を撫でながら目蓋を開けて俺を見た。 

「寝返りか?」 

「はい」 

 その可能性も捨てきれない。 

「寝返っていたら…か…ははっ…ディオルド、四十年ぶりに送られた手紙だぞ?私は信じた」 

 俺は陛下の顔がタヌキに見えた。 

「…犬はまだいるのか」 

 口角を上げる陛下の顔に答えを見た。






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