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我慢
参加した貴族会議から二月後、王城にはグラン教国の書状を携えた神騎士がいた。
グラン教国は正式にアリステリア・ブリアールに結婚を申し込み、トマークタス・ベルザイオはそれを承諾した。
ベルザイオ王国の首都ではアリステリアが話題の人物として話に上らない日はなく、本人も学園に通いながら積極的に社交を行い、グラン教国から訪れる牧師を待つ日々が続いた。その牧師の目的はアリステリアの教育で、グラン教国のしきたり、成り立ち、そして貴族家の名や勢力図などを教える。アリステリアが故郷から一つ国を挟んだ場所で暮らし始めても戸惑わぬようにするためにやってくる。
「閣下、次はこの書類」
「渡せ」
書類を受け取り、熟読しサインをできぬものは左へ、サインをしたものは右へと置いていく。
「あふ…」
ガガのあくびが移りそうになったが、なんとか噛み殺す。
窓の外は白み始めていた。俺のいる執務室には静寂と書き綴る音と紙をめくる音が漂う。酷使した目がかすみ、そろそろ限界を感じて筆を置く。
「…お疲れさまっす」
「ああ…二時間後にな」
「…俺はアプソと交代ね」
「そうだったか。行け」
ガガは腕を上げ、体を伸ばしながら執務室から出ていった。
扉の閉まる音を聞きながら、首を傾け伸ばし、反対側も同じようにほぐす。
夢のような日々から数か月が過ぎ、俺の日常が戻った。戻ったと言うより、ここ一月はさらに激務になっている。眠らない日もあるほどに。
椅子から腰を上げ、執務室を出て隣の部屋へ向かい、静かに扉を開ける。
エコーも寝ている時間は耳鳴りがするほど部屋が静かに感じる。風呂に入ってから仕事をしたが、テーブルに置かれている水の入ったボウルにタオルを浸して濡らし、固く絞って顔や首、手を拭う。
本邸ならばどんな時間だろうと温かい湯が用意されるが、離邸の使用人は極度に少なく、そしていちいち指示を出す時間も惜しく、この生活を始めてからエコーに用意しておくよう、伝えていた。
耳のいいロシェルを起こさぬよう、静かに扉を開け、寝室に入る。すでに窓の外は夜を終えて朝に向かっていた。
小さな盛り上がりに近づき、ガウンを床に落として、寝台が軋まないよう揺れないようにと慎重に毛布のなかに身を滑らせ、背を向けて眠る銀髪に顔を埋めながら香りを嗅ぐ。
「一時間…眠る」
暗示のように呟き、目蓋を閉じればすぐに意識が落ちていった。
眠るときはなかった背中の温かさにディオルド様の存在を感じて、手を伸ばすとたくましい腰に触れた。
「起きたか?」
「はい」
「ロシェル」 呼ばれて顔を傾けると、目の下に濃い隈を作った臙脂の瞳と視線があった。
「おはようございます」
「ああ」
私は体を傾け、ディオルド様と向かい合う。 いつここに戻ってきたのか、どのくらい眠ったのか、気にはなっても聞けなかった。ディオルド様がお仕事に集中している理由を知っているから、心配に思っても私はただ見守ることを選んだ。
「…もう少しだ…ロシェル」
「はい」
そのもう少しが数日なのか、半月なのか数か月なのか、私にはわからない。でも、ディオルド様が決めたことを止めることはしたくなかった。
「楽しみです」
「ああ…俺はお前の何倍も楽しみにしている」
「ふふ、何倍も?私がどれほど…」
我慢をしているか、あなたは知らないとは言えずに口を閉ざす。
「なんだ…?ロシェル」
「いえ…今日はシャンティ様とセラフィム様とフランシス様が」
「ああ。エコーがお前の真横で守るぞ。離れるなよ?」
三人が私を襲うかしら?
「ふふ、はい」
「時間があれば顔を出したいが」
「無理はしないで」
セラフィム様を離邸に招待することはディオルド様の提案だった。
「小僧を調子に乗らせるな。いいか?フランセー邸に誘われても断れよ?」
「あなたの許可を得られたらと言います」
私の言葉にディオルド様の眉間が力んでいく。その事に私が香りを放っていると理解できた。なぜなら何度もこんな場面を繰り返しているから。
「ごめ」
「ああ。俺もお前を抱きたい。どれほどか?ものすごくだ…俺はものすごく欲求不満だ…ロシェル」
私の言葉を遮って、素直な気持ちを伝えてくれるディオルド様の密着している下半身の硬い一部が熱を持ち触れている。欲しい、抱いて欲しいと口にしそうで唇を噛んで耐える。
「は…そんな顔をするのか…くそ…かわいいもんだな…ロシェル」
ディオルド様はそう言って口を開けて顔を近づけ、私の口を覆った。
「ディ…ん…は…」
久しぶりの舌の感触と、送られる唾液に下腹が疼き始めたとき、ディオルド様が口づけをしながら、ジーナと叫んだ。その叫びを待っていたかのように扉が開き、小さな足音が聞こえ、私はゆっくりとディオルド様から身を離す。
「んば!ば!ば!」
無邪気な声に上体を起こすと、トコトコと寝台に近づく幼子が元気に手を上げて笑っていた。
「ジーナ、おはよう。早起きね」
「ば!ば!おーん!」
「ふふ、なにを話しているのかさっぱりだわ」
ジーナの後ろをついてきていたエコーが寝台に到着した幼子を抱き上げ私の近くに置いた。
「んば!」
ジーナはそう言って私に抱きつき、にんまりと笑った。
「ロシェル」
私はジーナを抱いたまま、ディオルド様に体を向ける。
「愛している」
おもむろに愛を告げたディオルド様に頬が熱くなる。
「私も」
「ジーナ、お前は役に立つ子供だな」
「んぶ!」
「なに言ってる?言葉を話せ」
寝台に肘をつき、頭を支えるディオルド様から欲が消えているように見えた。
レナが孫娘のジーナを連れて首都に到着し、ここで暮らし始めてから二月が過ぎた。その間、ジーナの存在が私が放つ香りを止めるということがわかり、ディオルド様は欲に溺れそうなときこうしてジーナを呼ぶ。
「お前の香りは精神が強く関係している。幼子の存在が欲を失くさせるとは…ジーナ、お前は実に便利な幼子だ」
ディオルド様が私の腰を掴み、ジーナごと引き寄せた。
「口づけをしたい」
幼子を抱きながらするものじゃないような気がするけれど、私もしたかった。
少し口を開けると理解したように顔が近づき、唇を覆われ互いの舌を絡めあい、唇を擦り合わせる。
「んぶーぶぅーばあー」
腕のなかのジーナが私の髪を掴み揺らしているけれど、私はディオルド様に集中し、久しぶりの長い口づけを味わっている。
「ロシェル」
「…ディ」
「俺も欲しい、が…旅のためだ」
ディオルド様は私の予想より早く旅の計画を始めていた。長い旅に備えて準備とお仕事に邁進している。この一月、私のことを抱いていない。
「俺は今、過去一番の理性の塊となり耐えている。本当だぞ?フランセーの小僧のこともバートラムを黙らせるために利用するだけだ。それにお前の気も紛れるだろ?」
確かに、シャンティ様とセラフィム様、フランシス様の訪問に今日まで使用人となにを用意すべきか話し合った。
少しだけ女主人の役割を果たしている。
「ディオ」
「ん?」
「私もとても我慢しています。待っています」
唇に触れるだけの口づけをして、身を寄せるとたくましい腕が私を抱き締めた。
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