ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ブリアール邸2

 

 広い食堂には大きなテーブルが置かれ、その上には食事の準備がされてある。

 そして扉に背を向けるかたちで座っている女性は公爵閣下の第一夫人ステイシー様と嫡男のジェレマイア様。

 口元は弧を描いているけど眼差しに含みがありそうなアリステリア様の視線は私にある。 

 すでに陽は沈み、窓の外は暗くなっている。 

「待たせたな」 

 当主の座る椅子の左右は夫人の場所のようで、私は使用人の引く椅子に腰を下ろす。

 対面に座るステイシー様とジェレマイア様は公爵閣下に体を傾け見ているけど、アリステリア様の視線は私にあると感じる。 

「食事の前に紹介する。私に嫁いだロシェル・アラント…もうブリアールだがアラント伯爵家の長女だった。突然のことでロシェルは多少混乱しているが私を受け入れてくれた」 

 大きくて温かい手のひらが肩に触れて視線を向けると臙脂の瞳が見ていた。 

「ロシェルの生家が格下といえ無礼は許さん」 

「ロシェル様、ステイシー・ブリアールです。本当に突然のことでジェレマイアに聞いたときは冗談と思いましたの、ほほほ。家族が増えることは嬉しいこと…これから仲良くしてくださいな」 

 ステイシー様は首を傾げて桃色の頭を軽く揺らした。 

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」 

 はい、だけでは失礼かと思い軽く頭を下げる。 

「ジェレマイア・ブリアールだ…ロシェル嬢…学園では同学年だった。君のことは知っているよ」 

「はい」 

 ジェレマイア・ブリアール公爵令息…同学年に在籍していたといえ令息と令嬢は重なる授業が少ない上にお互いを繋ぐような友人もいなかったから話したこともない。

 こうして正面から見ると公爵閣下よりジェイデン様に面差しが似ているわ。 

「ロシェル様、お兄様に見惚れていますの?」 

 隣から聞こえた声に少し顔を傾ける。 

「いいえ」 

 ジェレマイア様は整った顔立ちだと思うけど見惚れるほどではないし、見つめていたように見えたならジェイデン様の面影を見つけたからね。 

「アリステリアです。ロシェル様のお噂はたくさん聞きましたわ」 

 微笑むだけにしておく。 

「昨夜の夜会も始まって早々に会場からいなくなっていましたのね。どこへ行かれたのかと令嬢たちと話していましたの。まさか庭でお父様と出会っていたなんて…そんなこととは思いもよらず…話を聞いたときは息が止まるほど驚きましたわ」 

 令嬢たちの会話…想像が容易いわ。

 昨夜はお父様と離れた瞬間、着飾った夫人や令嬢に囲まれて不躾な視線を受けたわ。ファミナは私に対しての困惑と、そのなかに貶める言葉を織り込んで皆の注目を浴びて楽しそうに話をして盛り上げていた。

 誰もあの日の真相を尋ねることもなく、私がいても続く話に耐えられず外の空気を吸いたいと逃げたわ。 

「まさか、庭で男性に声をかけられるのを待っているのかしら…なんて言う方もいましたの」 

 そんな会話になってるだろうとは想像できた。

 誤解は与えたくないけど一人になりたくて会場から見える噴水の近くのベンチに逃げたの。数多の人の目に入る場所にいれば邪な考えを持つ人が近づかないと思った。 

「ひどい醜聞を持って婚約破棄までされたロシェル様をなぜお父様はブリアール公爵家に入れようなんて…それも第二夫人に…」 

「アリステリア、やめなさい」 

 ジェレマイア様が諌めるように言った。公爵閣下は運ばれはじめた食事を黙々と口に運ぶ。私の前にも前菜が置かれているけど、この雰囲気になかなか手が出せない。フォークとナイフで細かくしているだけの私の目の前に野菜が現れた。 

「食べろ。昼も残したと聞いた。それ以上痩せたら心配だ」 

 驚いて公爵閣下に顔を向けると唇に野菜を押し付けられた。 

「口を開けろ」 

 いたって真剣な臙脂の瞳が食べろと言っている。

 垂れそうなドレッシングに思わず口を開けて頬張る。こんなことをこんな場所でする公爵閣下の考えが理解できないし誰かにこうして食べさせてもらったことがないから心臓が跳ねた。 

「お父様!ふざけていますの!? 公爵がそんなことを!なにを言われましたの!? どうやってお父様をたぶらかしたのかしら? どんな手管てくだをつかって堅物と有名な公爵をここまで」 

「黙れ」 

 食堂に響く高い声とは対照的な低い声が諌めても、アリステリア様は言い足りないのか体を私に傾けた気配がした。 

「正直、わたくしは嫌ですの。令嬢たちの茶会や学園でなにを言われるか…想像しただけで頭が痛くなるわ。お父様のおかしな申し出を断るくらいの常識を持っていませんの?」 

 唇についたドレッシングが不快でナプキンで拭う。

 私は顔を傾けてまな尻を吊り上げ睨むアリステリア様を見る。 

「はい」 

 私の返事が気に入らなかったようでアリステリア様の顔は赤くなった。 

「なんて人なの!? どれだけ厚かましいの!? 今すぐ出ていって!」 

 アリステリア様の言葉は私の隣から投げられたナプキンのせいで止まった。 

「ロシェルは私の申し出を一度断った…馬鹿者…なんて騒々しい娘だ」 

「酷いわ!ナプキンを投げるなんて!お母様!なぜ何も言わないの? なぜ誰もお父様を止めないの…」 

「アリステリア、ブリアール公爵家の当主は父上だ。誰でも第二夫人にできるし僕らはそれを受け入れなくてはならない」 

「お兄様…お兄様までそんなことを…こんなに年の離れた女性を娶るなんて公爵家の恥」 

「トールボット公爵の新しい愛人はロシェルより年下の平民だがな」 

 トールボット公爵はステイシー様の異母兄。アリステリア様の言葉はトールボット公爵をおとしめるものだわ。 

「…伯父様はその愛人に名まで与えていないわ!ロシェル様はブリアールを名乗るのよ!? お母様だって今さら第二夫人なんて」 

 アリステリア様の視線が向かってもステイシー様は微笑みながら食事をしている。 

「いい加減にしないか、アリス。年の近い令嬢が家族になることに戸惑いを感じてしまうのは理解できるが、お前も嫁ぎ先で第二夫人と共に夫を支えるんだぞ」 

 ジェレマイア様は現実的な未来の話をした。アリステリア様が嫁ぐほどの家門はほとんどが複数の夫人を持っている。私の知る限り、第二夫人も愛人も持っていないのは一侯爵家だけ。 

「でも…でも…この人の醜聞を知っているでしょう? お兄様も参加した卒業の夜会で人気のない場所で婚約者以外の男性と逢い引きしていたのよ!」 

 ジェレマイア様はナイフとフォークを置きながらため息を吐いた。 

「お前の言うその醜聞は果たして真実か?」 

「え?」 

「ロシェル嬢は夜会会場から消えたことは事実だ…婚約者と共に庭に出たところを見た者は多かった。そしていつの間にかエリック・ロイターだけが会場に戻り、チュリナ・アラントが姉がいないと騒ぎだした」 

「だから、その時男性と逢い引きを…」 

「お前はアラント家の内情を知らず、エリックとチュリナ嬢の話を鵜呑みにしすぎだ。アラント夫人はチュリナ嬢に家門を継がせたかった…と考えれば別の真実が見えてこないか?」 

 アリステリア様はとうとう口を閉ざした。 

「昨夜の夜会でもファミナ夫人はロシェル嬢の話を煽るように周りにふっていたと給仕をした使用人から聞いた。実の母親ではないが幼い頃から一緒に暮らしていた義娘の噂を抑えない理由は? 僕は悪意を感じたぞ。頭の悪い者以外、ロシェル嬢の噂を全て信じてはいない。アラント家内で夫人が動いたと…父上はそんなこと承知だ」 

 頭が悪いとまで言われたアリステリア様は言葉を失ったかのように黙った。 

 私は多少複雑な思いでジェレマイア様の言葉を聞いていた。アラント家の内情を知る者は理解している私の醜聞。そしてあの騒動はファミナの思惑と知っていて口を閉ざした。家に生母がいないことは不利に働くものだと痛感し、ファミナの後ろにいるシモンズ子爵家の存在の大きさを思い知った。 

「ふん、食事が進まん。アリステリア、昨夜の夜会でロシェルが消えたあと阿呆なことを令嬢らと話してはいないだろうな?」 

 公爵閣下の皿を見るとメインの肉まで消えていた。食事が進まんと言ったことに首を傾げたくなる。 

「だって…皆が話すのよ…ロシェル様は奔放だと…ランド男爵令嬢のように純潔の証は発行されないって…」 

 ランド男爵令嬢…彼女も私に劣らず醜聞を持ち、一時期は平民まで噂は広がった。

 純潔の証を持たない花嫁は家門の恥として人の記憶にも公正な記録にも残る。 

「ブリアールの娘がこれほどくだらんとはな。スタン、教師を全て替えろ。付き合う相手を選び直せ」 

「お父様!横暴だわ!若い女にうつつを抜かすなんて!」 

「黙れ!!」 

 公爵閣下の大きな怒声は皆の動きを止めた。 

「ロシェル、すまんな。我が家の食堂がこんなに居心地が悪いとはな」 

 立ち上がった公爵閣下は私の手からナイフとフォークを奪いテーブルに置いた。 

「私とロシェルはもうここで食事はしない。お前たちとは食べん」 

 公爵閣下はそう言いながら私の手を掴み立ち上がれというように力を込めた。

 意図を察した使用人が私の椅子を引いて腰を上げるとジェレマイア様の驚いた顔が公爵閣下を見つめていた。 

「父上、家族と共に過ごす僅かな時間を…」 

「新たな家族に出ていけと言う娘がいる。それを諌めない母親の考えも理解できん」 

 確かにステイシー様は挨拶の言葉だけでアリステリア様の言葉に何も言わなかった。 

「しかし!」 

「父上もロシェルを気に入った。私たちは当分離邸で過ごす。近づくな」 

「お祖父様が…」 

 私は公爵閣下に身を引かれるように食堂をあとにした。


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