ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ブリアール邸の離邸



「レナ、ダフネ。ロシェルの荷物を離邸に移せ。当分本邸には入らん」 

 公爵閣下は繋げた手を離さず、驚く使用人たちを通りすぎ、見つけたレナとダフネに指示を出しながら進んだ。 

 ステイシー様の反応はよくわからなかったけれどアリステリア様にはずいぶん嫌われてしまった。

 アラント家では第二夫人は私が生まれた直後、お母様が伏せっている頃からいたものだから、いて当たり前の存在だった。 

 多感な年頃のアリステリア様には私の存在が許せないのね。それほど母親であるステイシー様を慕っているのか外の声が嫌なのか。 

「アリステリアを止めなかった、すまんな」 

「いいえ」 

「あれが騒げば本邸を出やすい。私としては騒いでくれて助かった」 

 公爵閣下の最後の言葉に首を傾げる。 

「娘の言葉は気にするな」 

「はい」 

 気にしていないわ。チュリナに比べれば品のある言葉だし、なにより手を上げられなかった。離邸で暮らすなら会う回数も少ないだろうし、私の存在なんて彼らのなかでは薄れていくわ。 

 ブリアール公爵邸はアラント伯爵邸より使用人の数が多い。私たちが廊下を歩けば彼らは仕事を止めて頭を下げ、通りすぎるのを待つ。でも頭を下げる瞬間、鋭い視線が私を見る。 

 今日から私はブリアール公爵邸でどんな暮らしを始めるのかしら? ジェイデン様の関心はいつまで続くのかしら? あの優しい眼差しは…いつまで… 

「ロシェル」 

 公爵閣下の声に顔を上げる。 

「不安か?」 

「少し…」 

 小さく呟くと繋いでいる手が強く握られた。ブリアール公爵邸の暮らしもジェイデン様の関心も不安だわ。でも、あの二人から離れられたことにはとても安心している。 

「離邸にはお前の服やら宝飾品が山のように並べられているはずだ」 

「…そうですか」 

「…嬉しくないのか?」 

 公爵閣下の言いたいことがわからない。 

「令嬢はそういうものが好きだろ」 

 公爵閣下は私の不安を軽くしようとしているのかしら? 

「…はい」 

 チュリナは好きだったわ。

 私の服は全てファミナが選んでいた。質素で装飾品の少ないもの。着やすくて下級使用人でも難なく世話ができたから不満はなかったけど。 

 夕食まで過ごした部屋にも私のドレスはいくつもあったけれど公爵閣下は山のように、と言ったわ。昨日の今日でそんなに用意ができるわけない。 

 本邸から離邸に繋がる道だと公爵閣下の説明を受けながら歩く。

 本邸を出た私の視界には美しい庭が広がる。昨夜見た噴水も美しいと思ったけれど、高い位置にある数多の燭台が花を照らしている。 

「広さだけはある」 

 私が目を奪われていることに気づいたのか公爵閣下が呟いた。 

「はい。昼間はもっと美しいのでしょうか?」 

「俺にはわからん」 

 公爵閣下の言葉に顔を上げる。取り繕った言い方がなくなった感じがした。 

「ロシェル様」 

 かけられた声に視線を移すと、本邸の部屋に入ってから見ていなかったエコー様が立っていた。 

「エコー様」 

「様など要らん」 

 公爵閣下の言いように、ふふと笑ってしまった。 

「お待ちしております」 

 エコー様はジェイデン様が待っていると言っている。 

「はい」 

 思わず駆け出しそうになった私を公爵閣下の手が軽く引いた。 

「離邸に入るまで離れるな」 

 使用人の目があると言いたいのよね。心が急いてしまったわ。 

「申し訳ありません」 

 私の謝罪のあと公爵閣下は口を閉ざしてしまった。 

 離邸は本邸より小さいといえ男爵家の邸と言われても頷けるほどの建物だった。 

 本邸と離邸の間には高い生け垣が植えられて、本邸の上階からなんとか離邸の庭が覗ける、それほど隔離されていた。 

 エコー様の開いた扉を通り、奥へと進むと階段があった。 

「ロシェル様の部屋へ案内します」 

 そこにジェイデン様がいる。そう思いながら階段を上がった。視界に広がる廊下にジェイデン様が立っていた。 

「ロシェル」 

「ジェイデン様」 

 一歩踏み出したあと、辺りを見回すと使用人の姿はなかった。

 公爵閣下の手を離しジェイデン様に向かう。 

「ジェイデン様」 

 優しい臙脂色が私を見つめる。 

「ロシェル、あまり食事を口にしなかったと聞いたよ」 

「野菜は食べましたわ」 

 ジェイデン様は私の肩に触れて微笑んだ。 

「部屋に食事を用意してある。一緒に食べよう」 

「待っていらしたの?」 

「ゆっくりと食べる雰囲気ではないだろうと思ってね。ディオルド、ご苦労だった。お前の部屋は下にある」 

 そうだわ、公爵閣下も離邸で暮らすのね。 

「公爵閣下、ありがとうございます」 

 公爵閣下には本当に感謝している。

 アラント伯爵邸まで来てくれてファミナをあしらってくれた。公爵だからこそファミナはあれ以上、声を上げられなかったはずだわ。 

 私とジェイデン様から少し離れていた公爵閣下は無言のまま踵を返して階段に向かっていった。 




 役目を終えたディオルドが離れていく。 

「ロシェル」 

「はい」 

 ロシェルの姿を頭からドレスの端まで眺める。

「髪を上げたんだね。とても似合う」 

「ありがとうございます。いつもは櫛を通すだけでしたけど、レナが器用に結ってくれました」 

 私が用意した使用人と打ち解けているようで安心した。 

「ドレスもあつらえたようにぴったりです」 

 数あるドレスのなかからロシェルが選んだんだろうか。臙脂色で彩られたドレスは淡いロシェルによく似合う。 

「君のサイズを手に入れてあったんだ」 

 私の言葉にロシェルは水色の瞳を丸くした。 

「仕立て屋を責めないでくれ。ブリアールの名を聞けば、サイズくらいなら差し出すんだよ」 

 マダム・ミールならばそんなことはしないが、今までロシェルのドレスを仕立てていたのは最上級の仕立て屋ではない。 

「さあ、部屋に案内しよう」 

 私はロシェルの手を掴み、エコーが開けた扉を過ぎて用意した部屋を見せる。 

「君が気に入るといい」 

 ロシェルの部屋は三つに分かれている。ソファとテーブルが置かれた部屋の隣には浴室付きの寝室があり、その奥にドレスが並ぶ部屋がある。 

「先に食べるかい? それとも部屋を見るかい?」 

 テーブルには食事が置かれている。 

「先に食べます。ジェイデン様も」 

 私が待っていたことを気にしているようだ。 

「じゃあ、そうしよう」 

 やはり、謎だ。ファミナ・アラントとその娘にいたぶられて育ったにしてはロシェルは優しさを持ち、卑屈な考えがなさそうだ。 

 女性特有の欲があれば私が用意した部屋を見てみたいと思うだろうし、ディオルドからドレスが用意されていると聞いているなら眺めたいだろう。 

 ロシェル、これから共に過ごし、私の知らない君を知りたい。 


 エコーが給仕としているだけの食事は、こんなにも穏やかで楽しいものなのか。 

「公爵閣下と馬車に乗ったことは覚えています。ですが、いつの間にか眠ってしまって目覚めたらお父様がいました。はじめは夢かと思いましたの」 

 食事を終えて、エコーの入れた紅茶を飲みながらロシェルが話す。 

「ロシェル、君は今まで夕食を家族と取っていなかったと聞いたよ」 

 私の言葉にロシェルの表情が少し陰った。

「…部屋で」 

「そうか。これからは私と一緒だ」 

「はい」 

 朝も昼も夜も、共に過ごしたい。 

「…話しすぎですか?」 

 ロシェルはティーカップを置きながら呟いた。 

「いや、私といる場でマナーは気にしなくていい」 

「はい」 

「アラント伯と話せたかい?」 

「はい。久しぶりに会話ができました」 

「久しぶりか…」 

 報告通りだな。アラント邸ではファミナ夫人が目を光らせ、ロシェルを伯に近づけなかった。だが、ロシェルの話を聞く限り、伯を厭っているようには見えない。

 二人には何か絆のようなものがある、と感じる。 素直に聞いていいものか、もう少し心を許されてから聞くべきか。 

「ふふ、ジェイデン様」 

「ん?」 

「難しいお顔」 

 ロシェルは自身の頬に触れて微笑んだ。そんな様子もはじめて見る。つられて私も頬が緩む。 

「私は不思議に思っているんだ」 

「不思議ですか?」 

「うん。君は伯を厭うてもおかしくなかったが、そんな様子がないから」 

 私の言葉にロシェルは少しだけ困ったような顔をした。 

「…お父様なりの守りかただと理解したのです」 

「守っていたかな?」 

 伯への怒りが出て声が低くなってしまった。ロシェルのこととなると感情が制御できない。 

「ジェイデン様、本当に私のことを想ってくれているのですね」 

 そうだな。他人に対して感情が動くなど今までの人生では少なかった。 

「そうだ。私は伯に怒りを感じる。あの邸で君を守る盾になるべきだった」 

「ジェイデン様」 

 ロシェルの水色の瞳から涙が落ちた。

 私の怒りに怯えたろうか? 怖がらせたろうか? 

「ジェイデン様の言葉、嬉しいです」 

「嬉しいのかい?」 

「はい。私が思うより…私に関心を持ってくれていて」 

「関心などではないよ。私は君を愛している」




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