ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ブリアール邸の離邸2



 愛しているなど、女性に対して告げたことはなかった。この年にしてはじめて口にした。 

「あ…ありがとうございます」 

 頬を染めたロシェルに手を伸ばし、流れた涙の跡を拭う。 

 ロシェル、同じ気持ちが返ってくるなど期待はしていない。君が私に向けるのは好意くらいだろうとわかっている。 

「疲れたろう?」 

 君の人生に私が関わり、一日が経とうとしている。まだ、一日。あまりの激動に神経はすり減ったろう。 

「レナとダフネが君の専属の使用人だ。他家と繋がりはないから気兼ねせずに、なんでも任せなさい」 

 ロシェルの実母と同年代の二人はブリアール公爵領邸から来てもらった。私の信頼できる者だ。 

「この離邸で働く使用人は多くない。不便を強いるかもしれない」 

 ロシェルは私の言葉に首を振った。 

「少ないことには理由はあるんだ。離邸のなかではディオルドと夫婦の真似はしなくていい」 

 本邸の食堂からこの離邸までロシェルとディオルドは手を繋いできた。私はその姿を見た瞬間、腹の奥底から渦を巻くような不快な熱を感じた。あれが嫉妬なんだと、今は理解している。 

「わかりました」 

 私の手のひらに頬を寄せる仕草をしたロシェル。媚びているように見えないのは、この淡い雰囲気を持つからなのか私がロシェルに溺れているからなのか。愛しさしか湧かない。 

「寝室は隣の部屋だ。浴室もあるから」 

 私は椅子から腰を上げ、ロシェルに近づき見下ろす。 

「私は別の浴室を使うから」 

「はい」 

 隣の寝室は私の寝室でもある。 

 浴室から出れば寝室で私が待っている。君は驚くだろうか? 嫌がるだろうか? 昨夜伝えた通り一緒に眠りたい。 




 俺の愛用している椅子に机、ソファと見慣れた壁紙。本邸の俺の部屋と同じ部屋を父上は作っていた。 

 ソファに深く腰を下ろし、首を回して凝りをほぐす。 

 アリステリアが騒いでくれたおかげで、あの娘に溺れている演技をしなくて助かった。 

「ガガ」 

 名を呼ぶと扉が開かれた。 

「はい」 

「報告」 

 ガガは扉を閉め、俺に近づく。 

「お嬢様は怒り継続。奥様はいつもと変わらず世間話。ジェレマイア様は適当にお相手を」 

「なにをわめいた?」 

 俺の言葉にガガは深く息を吸った。そして真剣な表情で報告を始めた。 

「あの女はアラント邸の使用人にまで馬鹿にされる存在なのよ!当主の父親が食堂に入ることを禁じて一人で取るの!その食事も使用人の食べかけなのよ!お兄様はそれは知らないでしょう!?父親に価値はないと思われている女なの!」 

 アリステリアの声音を真似したガガが再び、息を吸う。 

「アラント邸の使用人に知り合いでもいるのか? まさか、チュリナ・アラントが言いふらしているのか?」

 今度は声を低くし、ジェレマイアの真似をした。 

「噂よ!学園で聞いたの!アラント伯爵の意向で上級使用人ではなく、下級使用人が世話をしていたのよ!下人とも関わっていると聞いたわ!そんな女がブリアールに、私たちの家族になるなんて学園でなにを言われるか想像がつくでしょう!? お母様!お父様に抗議して!諌めて!せめてブリアールを名乗らせないでよ!」 

 ガガは一息つき、再び話し始めた。 

「ほほほ、昨夜の夜会の片付けは終わったかしら? スタン。久しぶりに大勢のお客様がいらしたもの、また開きたいわね」 

 ステイシーの真似をしてガガは口を閉じた。 

「終ったか?」 

「下級使用人よ!平民の使用人に世話をされている伯爵令嬢なんて聞いたことがないわ! 下位貴族のようだわ!そんな女が公爵家の環境になにを思うかわかるでしょう!? つけあがるわ!さっきはお父様に従っていたけど、贅沢に慣れて生意気になるわ!お父様を操るわよ!お父様の褒めるところなんて愛妻家だけなのにそれも失くなったわ!」 

 あいさいか、とはなんだ? 

「閣下、愛妻家ってのは奥様を大事に愛する夫って意味っす」 

 俺は尋ねていないがガガが答えた。 

「俺がそう見えるか?」 

「…見えないっす。お嬢様の勘違いは相当っす」 

「ガガ、馴れ馴れしく話すのはいいが外では気を付けろ」 

 ガガは奴隷上がりの男だ。王国騎士団にいた頃はもっと口が悪かった。 

「気をつけてますよ。キザな令息の真似をすれば簡単です」 

「終りか?」 

 ガガは首を振り長く息を吸った。 

「父上が目に見えておかしくなったら僕から話す。アリス、お祖父様が彼女と話して気に入ったらしい」 

 ジェレマイアの台詞を口にしたあと、若干顔を歪ませ、高い声で続きを始めた。 

「え…お祖父様が? どうしてお祖父様まで…」 

 やはり、父上のこととなるとアリステリアも声を抑えるか。 

「彼女は夜会で庭に出ていたんだ。そこで令息らに絡まれた。偶然居合わせたお祖父様が追い払ったらしい」 

 ガガの淡々とした口調はジェレマイアに似ていた。 

「令息らに絡まれた? 声をかけられるのを待っていたのよ!それをお祖父様が勘違いして…なんて女なの!お祖父様からお父様に繋げてもらったのね…悪どいわ!地味な顔して図々しい!」 

 地味…まぁ、派手な面差しではないが整っているだろ。 

「アリス、お前の言いようではお祖父様が馬鹿だと言っているように聞こえるぞ。と、ここでお嬢様は食堂を見回し、使用人たちが聞いていることを思い出したかのようにうつむきました。続けます。アリス、会場ではロシェル嬢の目の前でアラント夫人とチュリナ嬢が彼女の話題を自ら口にした。フローレン侯爵家の醜聞のほうが新しく刺激的なのに…だ。考えろ…その意味を。義娘といえ家族を守るどころか、醜聞を忘れるなというような夫人の言動を。アリス、人の言葉を鵜呑みにするな。言葉の裏を読め。彼らの背後を勉強しろ」 

 ガガはこれを直立不動で行った。

 女の声真似、男の声真似、そして抑揚をつけて報告する。王国騎士団にいる頃、これをやられてふざけているのかと思いはしたが、本人は至って真面目に報告するから怒ることはしなかった。髪の剃られた頭を光らせ、筋肉の塊のような大男がこんなことをしている姿は気味が悪い、が慣れてしまった。 

「やはり、娘の教師は入れ替える。スタンに伝えろ」 

「はい。閣下、奥様にはロシェル嬢のことを話したんですよね?」 

 ガガの質問に無言を通す。 

 ジェレマイアが話したんだ、同じことを話してなんになる。それに俺は忙しい。

「とことん、会話がないですね」 

「どこの貴族家もそんなものだ」 

 と思うがな。 

「しかし、この部屋入って驚きました」 

「ああ」 

「俺は離邸に入ったはずだ…あれ? ここは本邸? あれれ?な感覚になりましたよ」 

「ああ」 

 広さも同じだからな。 

「匂いが違うくらいだ」 

「そうっすか? 同じ匂い……」 

「騎士団からゼノを呼べ」 

「…必要あります? エコーがいますし、離邸の使用人は大旦那様に忠誠を誓う者でしょう? 誰も大旦那様とロシェル嬢を傷つけませんし、話は漏れないでしょう」 

「あの娘が離邸から離れなければいいが、いずれ飽きる。外へ買い物へ行きたいと言い出す。俺はそれには付き合えん。いつでも動けるよう、ゼノに編成だけ組ませておけ。ガガ、本邸で使っていた従者はここに入れん」 

「わたくしが全てお世話を致します」 

「ああ、酒」 

「承知しました」 

 ガガは酒棚に向かい、瓶を持ち上げテーブルに運びグラスを置いた。 

「飲みたい気分ですか?」 

 ああ、と答えればグラスになみなみと注がれた。 

「女性の手を握るなんて久しぶりでしたか?」 

 酒が溢れないようにグラスを静かに持ち上げ、口に含んで半分ほど飲み干す。 

「握ったことがない」 

 俺の言葉にガガは一瞬、膝を崩した。 

「閣下が冗談を」 

 冗談ではない。俺はあの娘に惚れていると思わせたかった。だから咄嗟に手が伸びただけだ。 

「え…本当に…?」 

 ガガの声音に顔を上げれば、歪んだ表情で俺を見ていた。 

「必要がなかった。それだけだ」 

「なんか、公爵家ってキラキラしてて夢みたいな場所だと思っていたっす。いい女抱いて、その隣のいい女抱いて、たまには娼婦も……でも閣下を見てるとなんだかなぁ…となります」 

 意味がわからん。 

「トールボット公爵のほうが人生楽しそうっす」 

 愛人含め、五人の女を侍らせる五十の男のほうが楽しそうに見えるか。俺にはわからん。 

「地位も金も体力もあるのに、裸で誘う娼婦を無視したり、勘違いした男娼を殴ったり…潔癖かと思えば生活のなかではそんな感じでもない…やっぱり不能説が有力っすね」 

 不能…ならばどうやって子を作ったんだ。馬鹿らしいガガの話は聞き流す。 

 女が嫌いなわけではないが妻も他家の夫人や令嬢も娼婦も、俺が不快になる匂いを発散させている。夜会など鼻で呼吸ができないほどだ。 

 俺のずば抜けた嗅覚のことを知る者はいない。これは俺の弱点だ。戦場では役に立つこともあったが、首都には人工的で強い匂いが多い。 

 だが、あの娘はほのかに香る爽やかな匂いだけだ。不快さはないからマシだ。 

「…安眠できていますか?」 

 ぼんやりと眺めていたグラスの酒からガガに視線を移すと、真剣な赤茶色の瞳が見下ろしていた。 

「…ああ」 

 こんな嘘はガガには通用しないとわかっていても強がる己に成長がないなと頭を過り、グラスに残った酒を一気にあおる。




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