ブリアール公爵家の第二夫人

大城いぬこ

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ブリアール公爵家夜会終

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 ジェイデン様の言った通り、私たちがテラスから会場に戻るとトールボット公爵の姿は消えていた。

 ロイター子爵の姿は見えたけれどエリックはいなかった。 

 ジェイデン様と共に高位順に夫人らと顔を合わせ言葉を交わし、当主が私をダンスに誘おうとする雰囲気を出せばジェイデン様が話題を変えてそれを止めてくれた。けれど、私は今踊っている。 

「ははっ、ディオルドが夫人を誘えと言うからねぇ」 

 ディオルド様が私と踊ってやれと言ったの?コモンドール公爵は本当のことを言っているのかしら? 

「光栄ですわ」 

 慣れない曲だから足がもつれてしまいそう。 

 ジェイデン様と共にいた私を休憩室から戻ってきたコモンドール公爵が近づき、口を開くやいなやダンスに誘った。悪びれた感じもなく、機嫌のよさそうな顔で誘われては断りづらく、ジェイデン様が動く前に私は了承した。 

「ビアデット公爵と僕、ブリアール前公爵と踊った君は第二夫人の頂点さ」 

 頂点…になったらなにが起こるのかしら? 

「そうですの?」 

「嬉しそうではないね」 

 今は踊ることで精一杯なの。コモンドール公爵からなにか臭いがするし。それも気になるから会話に集中できないわ。 

「世間では君のことを悪しざまに言う者もいるけどね…羨望されてもいる。伯爵家出から公爵家当主の愛する人…名まで…ね」 

「はい」 

 悪しざまに言われようと私には届いていない。だからなにを言われていてもいい。 コモンドール公爵の青い瞳は笑んでいるように見えるけど不気味さを感じた。 

「ディオルドは変わったよ。君を娶っても夜会は開かないと思っていた。うん…前公爵の指示かな?」 

 私は動揺してコモンドール公爵の足を踏んでしまった。 

「あっ」 

「はは!痛みは時として快感さ!踏んで踏んで」 

 なにを言っているの? 

「前公爵の表情に異変があったよ…君を守ろうと近づく僕を警戒した」 

「ジェイデン様は優しい方です。ディオルド様の仕事中は共に過ごしています」 

「ふーん…あのがねぇ」 

 ジェイデン様がコモンドール公爵は酔っていると言っていたけど、これが酔っているということなの? 

「僕の知っているジェイデン・ブリアールは掴みどころのない人でね。感情を隠すことに長けていた。いつでもどこでも同じ微笑みを貼り付けた人だった…けど…今は君を気にしている。ディオルドは夫だからそれは理解できるけどね」 

 もう返事もできないわ。足を踏みたくない。私はコモンドール公爵に対して微笑むだけ。 

「なんだろうなぁ…前公爵もディオルドも君も…雰囲気が……」 

 コモンドール公爵はそう言った後、突然ダンスを止めた。周りで踊っていた人らの視線が集まる。 

「あの…閣下…?」 

 私は触れていた腕を叩く。 

「も…無理…カサン…」 

 コモンドール公爵は呟いた後、ゆっくりと倒れた。 

「公爵閣下!」 

 床に膝をつき、頭をぶつけていないか触ってもいいかと迷っていた時、影が私を覆った。 

「ロシェル」 

 仰ぎ見るとディオルド様が不機嫌な顔で立っていた。 

「ディオルド様」 

「…バートラム」 

 ディオルド様はつま先でコモンドール公爵の体を揺らした。 

「う……ん…もう…動け…にゃい…すぅ…」 

 すぅ?寝ている? 

「旦那様!」 

 集まる人たちをかき分けてライラ夫人が近づいた。 

「眠っただけだ。夫人、馬車まで運ぶ」 

「むにゃ…ん…」 

「旦那様」 

 心配そうにコモンドール公爵を見つめるライラ様に意識を向けていた私の体が浮く。両脇に差し入れた手が私を上げていた。 

「ディオルド様」 

「…怪我はないか?」 

「私はありませんが…公爵閣下が」 

「気にするな。酒を飲んで吐いて踊るからだ」 

「…ディオルド様が私と踊れと言ったのでは…?」

「バートラムの嘘だ」

 ディオルド様は私の体勢を変えて抱き上げ、使用人にコモンドール公爵を運ぶよう指示を出した。 

「ブリアール公爵家の夜会に参加してくれた諸君。コモンドール公爵の醜態は言い触らさないでくれると友人として有り難い。が、我慢は強いない。公爵に足を踏まれた妻を介抱するため我らは下がるが好きなだけ楽しんでくれ」 

 私はこんなに社交的なディオルド様を見たことがなく臙脂色の瞳を見つめてしまう。 

「ロシェル」 

 ディオルド様は顎をくいっと上げた。その意味を理解する。 

「皆様、本日は招待に応じてくださりありがとうございました」 

 私は会場に向かい微笑む。 

 会場から離れ、離邸の方角へ進む廊下にジェイデン様が陛下と共に待っていた。 

「ジェイデン様」 

「ロシェル」 

 思わずジェイデン様に向かって身を乗り出した私を太い腕が支え、床に下ろした。 

「ありがとうございます、ディオルド様」 

 振り返って見えたディオルド様の唇の端が少しだけ上がったように見えた。でもそれは一瞬で消えて険しい顔に戻り、視線が廊下の先へ向かった。 

「ジェレマイア」 

 ディオルド様の呟いた名に振り返ると、廊下の先、ジェイデン様と陛下から離れたところにジェレマイア様が立っていた。 

「ロシェル、待て」 

 ディオルド様は私の手を掴み曲げた腕に添えた。 ディオルド様がジェレマイア様に気づかなかったら私はジェイデン様に駆け寄っていた。ここは離邸ではないのに…不甲斐ないわ。 

「このままだ…行くぞ」 

「はい」 

 私はジェイデン様を見つめ、心の中で頷く。ジェイデン様と踊れた夜会は楽しかった、嬉しかった、と気持ちを込めて。 

 私たちは会場から聞こえる喧騒と音楽を背に進む。ジェイデン様たちは私たちの少し後ろを歩いている。 

「ジェレマイア」 

「父上……ロシェル夫人」 

 私の記憶のなかのジェレマイア様より少しだけ険しい感じに見える。 

「夜会は盛り上がったようですね」 

「ああ…なにが起きたか…すぐお前の耳にも届くだろう」 

「ビアデット公爵が夫人と踊ったと」 

「ほう…使用人から聞いたか?それとも気分を害したトールボットがお前を呼んだか?」 

「…もう…本邸に戻ってもいいでしょう…アリス…と食事は別でもいい…トールボットを刺激せずとも」 

「向こうが勝手に吠えているだけだろ」 

「伯父上の顔も立てなければ」 

「ジェレマイア、ブリアール公爵家がトールボット公爵家に配慮しろと言いたいのか?」 

「わざわざ波風立てなくてもと言っています」 

「わからんな。トールボットに借りがあるわけでもない。事業もトールボットが手を引いても構わんものばかりだ」 

「父上!」 

 ジェレマイア様の声が廊下に響く。私は黙って二人の会話を聞きながら、ジェイデン様の言葉を思い出す。 

「は…母上が嫌な噂を流されている」 

「ああ…画家と一線越えた、ロシェルを本邸に入れることを許さない…か」 

 私が聞いたことのない話ばかりだわ。外との交流を持っていないのだから仕方のないことだけど。 

「父上が本邸を避けているのに…だ…偽りを…母上の耳に入るまで噂が広まった」 

 貴族夫人とは噂話が大好きで、茶会などそのために集まっていると言っていい。円滑にそして目立たずに話題を振り、遠回しに他家の夫人を貶める。 

「噂など気にするな。お前は事実を知っているだろ」 

「母上が苦しんでいる!」 

「本人がそう言ったのか?」 

 ディオルド様の問いにジェレマイア様は答えなかった。苦しんでいるとは想像の域のようだった。 

「…ジェレマイア…貴族の噂とは操作されたものが多い……ロシェルのようにな。気にするな」 

 気にするなと言うディオルド様の静かな声には力強さがあった。 

「平穏な日常を…父上の行動が崩した」 

 まるで恨み言のように言ったジェレマイア様の臙脂の瞳が私に向けられる。でも怖くなかった。少しだけ申し訳ないと思うだけ。 

「ブリアールとトールボットの結婚は家の均衡を」 

「ははは!」 

 私たちの後ろから発せられた笑い声がジェレマイア様の言葉を遮った。

「だ…誰だ…?お祖父様か?」 

 位置からしてジェイデン様だけれど笑ったのは陛下だわ。 

 足音が私たちの横を通りジェレマイア様の前に立ちカツラを取った。 

「だ…え……」 

 髭を剃った陛下にジェレマイア様は気づいていない。 

「ジェレマイア」 

「へ…陛下…」 

「当たりだ。髭を剃っただけだがな」 

 陛下はあごを触りながらまた一歩、ジェレマイア様に近づいた。 

「母親想いを通り越していると思うがな」 

「陛下…なぜ…」 

「ロシェルが夜会を開くと聞いてな。遊びに来ただけだ。ジェレマイア、なぜジェイを祖父に持ちディオルドが父であるのに小物感があるのだ?お前はブリアールだろう?噂など真実であれ一蹴せねばならんぞ」 

「陛下がなぜ…」 

「ロシェルは日中、ジェイの相手をしていることが多い。私も一緒に過ごしているのだ。ロシェルの奏でるピアノは心地良いだろう?本邸にも聞こえているはずだ」 

 聞こえているの? 

「あれはブラウン夫人かと」 

「ロシェルだ。お前は今なにを思う?トールボットのようにロシェルがたらし込んだなどと思うか?まあ、思ってもいいが顔に出すな。実際誑し込まれていたら私は愚か者になるがな」 

 ジェレマイア様は唇を結びうつむいた。 

「…平穏で豊か…敵のいない我が家は居心地はいいが人を弱らせるなぁ…お前を見てそう思うぞ、ジェレマイア。ブリアールを凡庸にしてくれるな…頼むぞ」 

 ジェイデン様の言う通り、ジェレマイア様を信用できないわ。平穏な日常を乱した私を憎んでいても不思議じゃない。 

「トールボットとブリアールの結婚の理由を話してやろう」 

「トマ」 

 ジェイデン様が真剣な声で呼んでも陛下は振り向かなかった。

「ディオルドとステイシー、この両家の結婚は賭けに勝った私の提案だ。公爵家の均衡?どこの家が崩れようともそれはその家の責任だ。均衡などと言い出したらアイザック・シモンズを殺さねばならない」 

 両家の結婚は賭けから始まったのね。陛下ならやりそうだわ。でもディオルド様は知っていたのかしら? 

 気になって見上げると険しい臙脂色の瞳が私の視線に気づき見下ろした。 

『なんだ?』 

 私に分かりやすく唇が動いた。 

『なんでもありません』 

 陛下の告白にディオルド様がなにを思ったのか、無表情でわからない。





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